#162 話してわかることもある

 飛空船レビテートシップ黄金の鬣ゴールデンメイン号”が木々の上に停船している。

 乗員たちは船を下り会場の設営に従事していた。

 ここは空飛ぶ大地、パーヴェルツィーク王国の勢力圏とのちょうど境界あたり。

 捕虜交換の話し合いの場として指定された場所である。


「……おいでなすったか」


 特に何をするでもなく椅子にもたれかかっていたエムリスが空の一点を睨みつけている。

 彼のつぶやきを聞きとがめた者たちもそちらを見つめ。こちらへ向けて接近してくる船の影を捉えていた。


「……あの大きさ、どうやら飛竜戦艦ヴィーヴィルではなさそうだな」

「アレはとてもではないですが話し合いには向いていませんからね」

「話すもなんも見た瞬間逃げるって」


 いざという場合のために、この場にある船は快速を誇る“黄金の鬣号”のみ。

 とはいえおよそ出会いたい類のものではなかろう。

 飛空船がゆっくりと近づいてくるにつれ、パーヴェルツィークの国旗がはっきりと確認できるようになる。


「ようし。ここからは打ち合わせの通りだ。主に俺とグラシアノが相手をする」

「び、微力を尽くさせていただきます……」


 まったくいつも通りのエムリスに比べてグラシアノは些か顔色が悪い。

 時折こっそりと胃の腑のあたりを押さえていたりする。


「僕は万一の備えにトイボックスを控えさせておきますね」


 エルがトイボックスを動かし後方の森のあたりに待機させた。話し合いにも参加する。

 そうして人間たちの準備が進む中、羽ばたきと共にハルピュイアのスオージロとホーガラがやって来た。


「我らは同じ枝に止まっている。囀るのはお前たちであるが」

「わかっているさ、風切カザキリの。後はそうだな……キッド! お前はハルピュイアの護衛についてくれ。念のためツェンドリンブルも降ろしておく」

「えっ。俺は船で待機じゃないんですか若旦那。操舵どうすんです?」

「彼らに信頼されているのだろう。ならば働け」


 キッドはふと振り返ったところでじっと睨むホーガラと目が合った。

 なんだか色々な念のこもった視線が彼に後退を許さない。


「ウス、しっかり護衛します……」

「アディは船に。後ろの守りをお願いしますね」

「うー。エル君の頼みなら仕方ないけど、私もこっちに居たかったー!」


 これから大国との交渉だというのに緊張感というものがない。

 これが余裕というものなのか、グラシアノは何度目かわからない感想を胸に抱いていた。

 何度目であっても間違っているとは知らずに。


 そうしてわいわいとしている間に、近づいてきたパーヴェルツィークの飛空船が降下を始めていた。

 船一隻のみで、周囲に護衛らしき機体の姿はない。


「交渉とはいえなかなか大胆だ。さすがに大軍はなしとしても竜闘騎ドラッヒェンカバレリの一騎や二騎はあるとおもったが」

「いざとなれば速度で向こうが圧倒します。どちらかと言えば離れていてもすぐに駆け付けられるという自信の表れでしょう」

「それは違いない」


 輸送船カーゴシップから幻晶騎士シルエットナイトシュニアリーゼが降ろされる。

 白い巨人を背景にパーヴェルツィーク側の人間がやってきた。


「ホストとしては出迎えが必要なところだな」


 エムリスがずいと歩き出し、エルが静かに背後に続いた。


「パーヴェルツィークの方々よ、歓迎するぞ! 俺はエムリス、そこの船の船長であり集まりのまとめ役のようなものだ!」


 本人は両手を開いて友好的に話しているつもりだが、エムリスはやたらガタイが良く髪形も荒れており無駄な迫力がある。

 パーヴェルツィーク軍からの妙な警戒を受けつつ待つことしばし。


 騎士たちがすっと左右に割れ、いかにも騎士然とした壮年の男性をひきつれた若い女性が静々と歩いてきた。

 おそらくは彼女がこの会談を希望した“殿下”なのだろうと当りをつける。


「出迎えご苦労である。私はパーヴェルツィーク王が娘、フリーデグント。ここにある天空騎士団ルフトリッターオルデンを率い、この地に陛下の名代としてやってきた」

「まさか殿下御自らにご足労いただけるとはな。報せを聞いた捕虜たちは咽び泣いて喜んでいたぞ」

「私はどこぞの商人あがりどもとは違う。大事な竜騎士を無為に失うつもりはないからな」

「そいつは心強い。ではこちらにどうぞ、殿下」


 木々の開けた場所に急造のテントが設えられている。エムリスが皆を案内して歩き出した。

 ちなみにその裏では。


「奇遇ですね。実は僕たちも商人なので……」

「それはちょっと置いておけ」


 言いかけたエルがこっそりと口をふさがれていたりした。



 双方が席に着き向かい合う。

 片やパーヴェルツィークの王族と騎士たち、片やなんだか色々な勢力の集まり。まとまりもとっかかりもない。

 フリーデグントはわずかに迷ってから、いちおう代表だと名乗ったエムリスに話しかけた。


「我が方の騎士が捕虜になっていると聞く。経緯を確かめたいのだが……貴国らが戦ったうえでのことか?」

「その通りだ。どうやら最初は孤独なる十一国イレブンフラッグスを相手にしていたらしいが、巻き込まれては仕方ない」

「ほう。とすると貴国が我らの領地を狙っていたわけではないのだな」

「……友を頼り、隣の村へ向かおうとしていた次第です。そもそもあれはハルピュイアたちの住処。領有を主張されるのは些か勇み足と申せましょう」


 王女が、横から口をはさんできたグラシアノに振り向く。


「貴殿はシュメフリークの者だったな。南方の小国までもが源素晶石エーテライトを求めてきたのか? それほど切羽詰まっているようには見えないが」

「世界には数多の理由があります。この空飛ぶ大地には我々の古くからの友がいる。友を近づく脅威より守らんとするのは、そう不思議なことではないでしょう」


 “まさにあなたがたのような”と込めた言霊は正しく伝わったようだ。王女が微かに瞳を眇めた。


「立派な心掛けであるな。もしや友と言ったのはあれなるハルピュイアたちのことか? この集まりは捕虜の処遇についての話し合いの場だったはず。何故に無関係な彼らがいるのかと思っていたのだが……」


 呆れたような溜め息が漏れ出でる。

 それまでは黙って話を聞いていたスオージロが閉じていた眼を開いた。


「我らの巣に近づくものであれば、同じ空にある問題だ」

「相変わらずハルピュイアの考えは掴み難い」

「聞かれて困る話でもあるまい?」


 エムリスが割って入る。


「そういうお前たちはどうなんだ、パーヴェルツィークの。ハルピュイアと組んだという意味では同じなのだろう」


 フリーデグントは顔色こそ変えなかったが、エムリスに向ける視線を強くした。

 当たり前のように受け流されていたが。


「このようなところまで来て求めるものなどただひとつだろう、源素晶石だよ。貴国らも関係ないとは言わせない」

「実際、さして関係ないというのも事実なんだがな……」


 エムリスが独り言ちるのを聞きとがめ、フリーデグントは不満げに口を引き結んだ。

 彼にとっては掛け値なしの真実ではあるのだが、状況が状況だけに信ぴょう性がついてこない。


「資源……資源か。そもそもパーヴェルツィークといえば北の山脈を広く抱えている、地下資源はお得意だろう。“ドワーフのねぐら”とも言われるほどにな」

「なるほど確かに我が国は険しい山に囲まれ雪に阻まれた厳しい立地にある。石堀のドワーフ族くらいしか住み着かないなどと、コケにされたことも一度や二度ではないな」


 見事に地雷だった。ますますフリーデグントの表情が厳しくなって、エムリスはきまり悪げに視線をそらす。


「エホン! ……ともかく、十分な鉱物資源を抱えた“北の巨人”なんだ。源素晶石だって、別にここでしか掘れないというわけではない。国許で十分じゃあないか?」

「いくら石を掘ろうとも人の腹は膨れない。石を売りさばこうにも運ぶ手間がかかる。飛空船の業は、我が国の未来にとって必要不可欠だ」


 その飛空船を浮かべる燃料である、源素晶石もまた然り。

 国の思惑はそれぞれだ。すぐに手を引くような相手ではないとわかり、エムリスはひとつ吐息を漏らした。


「ままならないものだ。飛竜戦艦を持ち込むくらいだ、お前たちの入れ込みようはようく理解できた」

「……あれに詳しいような口ぶりだな?」

「一度戦い、墜としたことがある程度には詳しいな」


 パーヴェルツィークの騎士たちから抑えたざわめきが上がった。

 そうして彼らは思いだす。史上最強の航空兵器である飛竜戦艦を墜としたなどと嘯けるものは、西方広しといえどただ一国のみであるということを。


「さすがというべきかな。ジャロウデク王国に勝った“クシェペルカ王国”ならばその自信のほどにも頷ける。しかし、そうだな……」


 フリーデグントがすっと後ろに合図を送って。


「我々が同じ轍を踏むと思われるのも癪だな、グスタフよ?」

「はっ。飛竜には我ら天空騎士団による守護がついております。たとえクシェペルカの魔槍を用いようと、易々と竜まで届くとは思わないでもらいたい」

「確かに手ごわそうだ」


 エムリスが素直に感心して見せたのがグスタフには気に入らなかった。

 まるで脅威と捉えていないというのか、それとも彼ら天空騎士団が侮られているということか。

 いずれにせよ舐められているとしか思えない。


 固さを増した空気の中、エムリスは何でもない様子で後ろに問いかける。


「で? 実際のところはどうなんだエルネスティ。墜とした当人の意見を聞きたい」


 たったの一言で、場の視線が一か所に集中した。

 話し合いの始まりからずっとエムリスの後ろで控えていた人物が顔を上げる。


 まったく場の雰囲気にそぐわない、男か女かも判然としない小柄な人物。

 付き人か何かかと思っていたが、どうやら騎士らしいと知った天空騎士団員たちに微かな戸惑いが生まれた。


「ジャロウデク王国との戦いでは実質的に飛竜戦艦と一対一でしたから思う存分戦えたのしめましたが、横槍が入るとなると面倒くさ……ああいえ、少し厄介ですね」


 まるで世間話でもしているかのように能天気な話しぶり。

 グスタフの額に血管が浮き出たのを、周囲の人間ははっきりと目撃した。


「大型兵器を中心に戦闘機群による支援ありとして。しかし飛竜戦艦の武装はどれも味方を巻き込みますし、竜闘騎は少数では脅威足りえません。両者の重なりには隙がありますね」

「そんな針の穴を隙と言い切るのはお前くらいだろうがな……」


 その話し合いの場において、エルネスティの想定を共有できたのはわずかにエムリスとキッドだけ。

 他の人間にとっては大言壮語もいいところであるし、パーヴェルツィークの騎士たちにとってはもはや侮辱でしかない。


「貴様、いかにクシェペルカとはいえ大口もほどほどにせよ……」


 険悪さを増した場を、突然の笑い声が駆け抜ける。


「くくく……ははは! なるほど、そういうことか」

「王女殿下!?」


 声の出どころはフリーデグントであった。ぎょっとするグスタフを手で制する。


「つまり彼らには天空騎士団に匹敵するだけの切り札があるのだぞと。それがゆえの大言なのだ。さしづめはここに向かっている途中……今少しの時間稼ぎが必要というところか?」


 王女の視線が問いかけてくる。

 エムリスは意味深に背もたれへ深く沈みこむと、小声でエルに問いかけた。


「そうなのか?」

「だいたい正解ではないかと。たぶん国許からお叱り騎士団が来ていますし」

「しまったそうだった……」


 微妙に深刻そうな表情で身を起こす。


「そちらの考えている通りかは保証しかねるな」

「バレたところで自信のほどは揺らがないか。見せ札か、あるいは引っ掛けブラフの可能性もあるが……いや、いずれにせよだ。我々としても貴国を相手にするつもりはないのだよ」


 エムリスの様子を見て、フリーデグントは確信を深めた。


「先ほども言った通り、我々の目的は源素晶石。とはいえ総取りばかりが勝利ではない……そうは思わないか?」

「正直、意外な側ではある。今まで見てきた奴らは総取りばかり考えていたぞ」


 ジャロウデク王国然りイレブンフラッグス然り。

 ロクでもない奴が多いな、とエムリスは頭の片隅でどうでもいいことを考えていた。


「それは傲慢というものだよ。西方の地ほどではないといえ、この空の大地も人の手に余る程度には広い。いかな大国とて独り占めは望めまい」

「ほう。それで俺たちにおこぼれをくれてやろうというわけか?」

「もっと真摯な心だよ。この島をパーヴェルツィークとクシェペルカで分割しないかと言っている」


 エムリスが肩をすくめる。


「大げさな話になってきたが、まさか俺の一存では決められるはずもないぞ」

「もちろん国許に報せを送るがいい。しかし貴殿とて一番槍を任されるだけの立場に居るのだ、それほど言葉が軽いわけでもあるまい?」

「……だといいがな」

(勝手に飛び出しておいてこんな話を持って帰った日には、大目玉じゃ済まないんじゃ……)


 隣で話を聞いているキッドの顔色が微妙に悪くなっていたが、気にするものは誰もいなかった。

 そんな時、やにわに口を開いた人物がいる。


「そのお考えはあまりに身勝手に思われます、フリーデグント王女殿下」


 シュメフリーク王国飛空船軍団長である、グラシアノだ。


「この島は西方諸国の餌場ではありません、彼らハルピュイアの住処だ。我々はあくまでも客でしかないのです」

「……それで?」

「客には客として求められる品格がある。軒先を借りて母屋を奪うのでは、下賤な野盗と何も変わらないでしょう」


 フリーデグントが眉根を寄せた。


「シュメフリークよ、言葉に気を付けたほうが良い。それは貴国の考えと受け取るぞ?」

「我々は友を尊重します」


 彼女は瞳を伏せて黙ったままのスオージロたちにちらと視線をやってから、大げさに溜め息を漏らした。


「それはそれは。南国というのは大変に寛容であるらしい、羨ましいことだ。だがしかし力なき者に囀る権利などない。我々はそういう話をしている」


 グラシアノが口を引き結ぶ。言葉は真実だがシュメフリーク王国が国力において大きく劣っているのも事実である。

 戦力の話だけをしても、飛竜戦艦一隻に蹴散らされる程度なのだ。


 そこでエムリスが話に割り込んだ。


「貴国の考えはよくわかった、王女殿下よ。しかしシュメフリークもハルピュイアも俺たちの大事な仲間だ。それを蔑ろにするような提案には乗れんな」


 フリーデグントは何を言っているのかわからないと首を振る。


「……本気なのか? そんな報告を国許に伝えるつもりか」

「我々の心配ならば無用だぞ」


 しばしじっと睨んでいたが、やがて深く息をつく。


「……残念だ。とても残念だよ」


 そうして次に彼女が顔を上げた時、そこにはもはや友好的な色合いなど欠片も残ってはいなかった。


「有意義な話し合いだった。互いの考えが相容れないと知れただけでも、成果と呼ぶべきだろう。では最低限の事柄だけ片付けさせてもらう。捕虜返還の対価であるが、金銭の持ち合わせが豊富なわけではなくてな。払いは源素晶石で頼みたい。二隻分の量を用意しよう、いかがか?」

「承知した。我々としても徒に戦いたいわけではないからな」


 やや温度を下げた会話を交わしながら、対談は終わりを告げようとしていた。

 その時、彼らの頭上からさっと影が落ちてきた。見上げた視線の先、大きく翼を広げた獣の輪郭がある。


「何だあれは。いまさらお前たちの仲間か?」


 フリーデグントがスオージロを睨み。だが彼はそれどころではなかった。


「馬鹿な……!? 何故お前たちがここに」


 羽ばたきの音が降ってくる。翼ある民、ハルピュイアたち。

 集団を率いる風切の一羽が、静かに空を指した。


「炎吐く竜よ。お前は空を従えるに能わず、我らが微睡む巣を脅かす敵に過ぎない。我らが真なる王より、言伝を受け取るがいい」


 話す間にも影は急速に広がり、卓そのものを覆い隠す。


「マズい雰囲気だぞ……走れ!」


 エムリスの叫びを聞くまでもなく人間たちはそれぞれ走り出しており。

 直後、舞い降りた巨体が土煙を噴き上げた。


 スオージロとホーガラが翼を広げて空に上がる。

 彼らはそこにうずくまる獣の姿を見て、信じられないと目を見開いた。


「……混成獣キュマイラッ!?」


 破壊の獣が咆哮をあげる――。

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