#161 魔獣の影

 空飛ぶ大地に点在する鉱床街。

 始まりは孤独なる十一国イレブンフラッグスが拓いたこの街も、パーヴェルツィーク王国の侵攻により所有者が変わって久しい。


 ここに限らず、空飛ぶ大地にある鉱床街で産出する鉱石といえばただひとつ。

 それは源素晶石エーテライトという、飛空船レビテートシップの駆動に欠かせぬ重要物資である。

 この虹色の鉱石を求めるがゆえ、多くの国がこの地に乗り出してきた。


 大地に穿たれた多数の坑道は長く続いており、日の高い時間であっても奥まで光が届かない。

 坑道の天井付近に提げられたカンテラの頼りない光だけが、ここにある唯一の灯りである。


 そんな坑道内で採掘に従事する抗夫たちは皆、頭に重い被り物をつけていた。


「くう、暑い! この防護装備ってなぁ外せねぇものか。動きづらいわ暑いわ、何もいいことがねぇ!」


 抗夫の一人がぼやく。隣で作業をしていた別の抗夫が肩をすくめた。

 同じように防護装備を被り互いに人相などわからない。この場所では隣に居るのが誰なのかなど大して重要ではないのだ。


「そうはいうがよォ、お前さんだって見ただろう。こいつを外して作業していた奴は泡ぁ吹いてもがき苦しんでたんだぞ。ほんっとうに邪魔くさいけど、面倒と命じゃあ天秤だって釣り合わねぇさ」

「わかってらい。でも邪魔なんだよ! 愚痴くらいいいだろう!」


 囁き声を交わしつつ、彼らは採掘作業を続けていた。


 ガツガツと晶石を掘り進む。石とはいっても硬度が低く簡単に砕けるため、採掘自体は意外に楽だ。

 虹色の輝きを漏らす石っころ。これを西方諸国オクシデンツまで運び込めば相当な値が付く。


 とはいえ末端の抗夫にとってはそこまでは知らぬ話。

 彼らにとって重要なのは、イレブンフラッグス時代はしみったれた金で働かされていたのが、パーヴェルツィークにすげ替わってマシになったという事実だけである。


 抗夫たちは明日の稼ぎを夢見て今日を懸命に掘り進む。ガツガツガツ、奥へ、奥へと――。

 そうやって彼らが無心に働いていると、ある時砕いた晶石の間からさっと光が放たれた。


 それまで薄暗闇に包まれていた坑道が急に照らされ、暗闇に慣れた抗夫たちが目を覆って叫びをあげる。


「うぎゃあ! ま、眩しい!!」

「くそう、なんだよぉ!!」


 もしや坑道が空飛ぶ島を突き抜けたのかと心配にもなるが、そんなわけはない。

 大陸ほどではないとはいえ、この島も易々と人力で掘りぬけるほど小さくはないのである。

 ならば一体何が。原因を求め、抗夫たちが恐る恐る目を開けた。


「な、なんだこりゃあ……」


 そうして彼らは見た。源素晶石の間からぬるりと頭をだした、細長い存在を。

 それは全身からうっすらとした光を放っており、暗い坑道ではそれですら真昼を持ち込んだかのように感じられる。


「化け物ミミズが、光ってる!?」

「馬鹿言えこんな気持ち悪いミミズがいるかよ! ちくしょう、いったい何が……」


 突然の事態に抗夫たちが慌てる中、仮称“光るミミズ”は先端部に備わった触腕をぱっと開いた。

 うわ食われる、と抗夫たちが身を引くがさにあらず。


 直後、坑道にあるまじき異変が生まれ起きたのである。


 最初に異変を察ししたのは抗夫たちの肌である。

 表面をなでる空気の流れ――“風”。こんな穴の奥で起こるはずのない現象。


「お、おいなんだこれ……ヤバいぞ」


 戸惑いもそこまでだった。風は急激に強まり、一気に張り飛ばすような突風と化す。

 防護装備と採掘道具を手にした抗夫たちであってもお構いなしに、風が全てを吹き飛ばし――。


「ひぃ、うわぁぁぁぁ!」

「おいなんだよぉぉ」


 その場にいた抗夫たちを一人残らず坑道から放り出したのである。


 悲鳴が完全に聞こえなくなったところで、光るミミズはするりと源素晶石の間へ引っ込んでいった。

 後に残るのは暗闇と静寂ばかり。



 かくして命からがら坑道から転がり出た抗夫たちは、村の酒場へと集まり顔を突き合わせている。


「化け物ミミズ、お前のところにも出たのか!」

「ああ、おかげで全然掘れなかった……」

「どうするよ、このままじゃあ俺たちの稼ぎがなくなっちまうぞ!」


 彼らの稼ぎは掘ってなんぼだ。

 このまま奇妙な光るミミズに襲われ続ければ、こんな地の果て空飛ぶ島までやって来たかいがないというもの。

 由々しき問題であった。


「どうしようもこうしようもねぇ。騎士様にお願いして、倒してもらう他ないだろう」


 集まった中の一人が声を上げる。皆がその意見にすがるように頷いた。


「そうだ。奴らだって石が欲しいんだ、何とかしてくれるに違いない……!」


 希望を見出して皆が盛り上がる中、一人酒場の片隅でじっと話を聞いている男がいた。

 それは周囲の誰からも見覚えのない男だったが、盛り上がりの熱気に紛れ気に留められることはなかった。

 男はいつの間にか姿を消し、鉱夫たちが彼の存在に気付く機会は永久に失われたのである。




「……と、このような報告が続々と上がってきております」


 パーヴェルツィーク王国軍が拠点とする飛竜戦艦リンドヴルム

 第一王女“フリーデグント・アライダ・パーヴェルツィーク”は、天空騎士団ルフトリッターオルデン竜騎士長“グスタフ・バルテル”から報告を受けていた。


「その……光るミミズだと? なんと気持ち悪い生き物だ。こんなものが本当に存在するのか?」

「は。残念ながら私も自らの目で確かめたわけではありません。まったく眉に唾をつけたくなる代物ですが……同様の報告が何件も上がってきております。少なくともそう報せるに足る、何かが存在することまでは確かかと」


 王女は眉根を寄せる。


「この報せと前後して、直近の採掘量がぐっと落ち込んだと報告にある。原因がこれだとすれば早急に手を打たねばならない」

「はっ、既に試みてはおります。報告によれば相手は生き物、討伐の要望を受けたこともあり騎士を送ってみたのですが……。いずれの場合も坑道の奥には何もなく。ただ薄暗いだけの場所であったと報告があるばかりで」

「全てか? どういうことか……もしや報告が虚偽である可能性は」

「仮に意図的なものとするならば。報酬を釣り上げるための方策でありましょうか」


 今でいうストライキである。

 いちおう理屈は通っている、根拠のない推測ではあるが王女の耳には化け物ミミズよりはもっともらしく聞こえていた。


 彼女を責めるわけにもいくまい。何しろ西方の地から魔獣が絶えて久しい。

 久しぶりに出会った魔獣が、この空飛ぶ大地に住まう鷲頭獣グリフォンである。

 光るミミズの報告など、彼女たちにとってはなんの信憑性もないものだ。


「……報酬はそれなりに奮発していると聞いていたがな」

「我々もそのように。しかし人の欲とは限りのないものです。より多く、さらに多く。その飢えた心こそ原動力となりえますが」

「我が国が南を目指すようにか。とはいえ対価にも限りはある。腹がすいたからと、求められるだけ与えることは誰にもできない」


 パーヴェルツィーク王国はこの事業にそうとうな投資をおこなっている。

 源素晶石が手に入るならば悪い賭けではないが、それにしても限度はあるということだ。


「まずは真実を確かめねばならん。より深く調べさせるのだ」

「は。手配いたします」


 問題は山積みである。王女は溜め息を漏らし視線を壁際へと向ける。

 そこには彼らの知る限りの空飛ぶ大地の地図があり、その上には様々な情報が書き込まれていた。

 中でもパーヴェルツィーク王国の印が付いた街は数多い。


「先にイレブンフラッグスが耕してくれたおかげで、想定よりもはるかに順調に進んでいる。だが順調すぎるのも考え物ね。こちらに連れてきた戦力で維持できる領土の限界近くまで膨れてしまった。これ以上、鉱床街を増やすことは難しい。だというのに少なくない場所で問題が起こっている……」


 源素晶石が手に入らないのでは、空飛ぶ大地にいる意味がない。

 尋常ならざる立地、ハルピュイアという異様な隣人。

 さらにロクな作物も手に入らない場所ときては、国民を住まわせるわけにもいかないのだから。


 その時ふと、王女が地図の一点を指した。


「そういえば、これがあったか。イグナーツが見つけ出したという、巨大源素晶石塊……」


 グスタフは眉を傾ける。


「あれは……しかしながら、周囲には魔獣の巣がありかつ巨大な“生竜ドレイク”までも。右近衛リヒティゲライエンフォルゲですら制圧しきれぬとなると、手に入れるには飛竜戦艦が動く必要があります」

「本陣を動かすのは迂闊だな。手を広げ過ぎた弊害と、届かない場所が出てきたか。人の手足を超えるものは数えないのが、賢さというものではあるが」


 問題は数多く、そして多くが袋小路にはまり込んでいる。大国は巨体を持つがゆえに動きが鈍く。

 その時、兵士が駆け込んできた。


「失礼します! 至急、報告がございます!」

「よい、そのまま述べよ」

「はっ! 周辺警護に当たっていた第二十七飛空船団より、部隊壊滅との報が入りました!」


 青天の霹靂のような出来事に、王女の眉間の皺がいっそう深まったのであった。




「……ふむ。パーヴェルツィークが人質交渉に応じてきた。だが、話し合うならこっちまで来いと言ってきたぞ!」

「僕たちにはこの船があるとはいえ、敵領内に突っ込むのはぞっとしませんね」

「そうよ。若旦那、まさか本当に行くつもり?」

「深入りは言語道断だ。だが、見捨てられたというのも捕虜たちが哀れだろう。だから手前くらいまでは行ってやる」


 かくして“黄金の鬣ゴールデンメイン号”を筆頭として交渉使節団が組織された。

 船団は銀鳳商会とシュメフリーク王国の旗を掲げ、ゆっくりとした速度で空を進む。


 “黄金の鬣号”以外には捕虜たちを乗せたパーヴェルツィーク軍の飛空船と、護衛としてシュメフリーク軍の船がさらに一隻である。

 パーヴェルツィークの船は現在、シュメフリーク軍兵士の手によって動かされている。捕虜たちは船倉で大人しくつながれているわけだ。


 さてもにぎやかさを増す船。船橋など、一同が集まると手狭に感じるほどだ。

 それを理由にアディがずっとエルを抱きしめてご満悦なのである。


「すっげぇ強気で来るよなぁ」

「それが通ると考えるだけの力があります。かの国はイレブンフラッグスとは犬猿の仲らしく。そして風の噂に聞こえるところ、ハルピュイアには融和政策を採っているとか」


 シュメフリーク王国飛空船軍団長“グラシアノ・リエスゴ”が穏やかに助言する。

 それを聞いたエムリスはにぃっと歯を剥き出しに笑った。


「くくく。俺たちにも優しいかもしれんぞ?」

「そりゃ確かにイレブンフラッグスはひどい連中でしたけど、パーヴェルツィークだって油断ならないでしょう!」


 操舵輪を握りながら答えたのはキッドだ。

 その会話を聞いた人間たちから視線を集め、ハルピュイア、風切カゼキリのスオージロはゆっくりと目を開いた。


「……この空は静かすぎる。この地にもハルピュイアは住まうであろうに、舞うものがいない」

「翼を縛るものがいるんだ。パーヴェルツィークというもの、どこまで翼を並べられるかわかったものではない……」


 ホーガラが続く。スオージロは普段から厳しい表情をよりいっそう引き絞っていた。

 ハルピュイアたちの反応を見たエルが首を傾げる。


「つまり、彼らのやり方は上手くいっていないと?」

「単純な風向きにまつわることだ。空模様を変えるのはただ天のみ。地の趾ちのしよ、お前たちによって変えられることは望まない」

「なるほど、道理ですね。友を相手に、その自由を妨げる必要はないはずです」


 彼らが話している間に、隅の方でキッドがそっとホーガラに耳打ちする。


「でもさ、よくあのエージロが残ったなぁ。ついていくって大騒ぎすると思ったのに」

「ああ、それはワトーが動けないからだ。……ここには風切の三頭鷲獣セブルグリフォンしか連れてきていない」

「そっか。大人しく休んでいてくれるといいな」

「それは……」


 そうして彼女は出がけの一幕を思い出す――。


「それでは私は風切とともに行く。ワトーも翼を休めれば、また飛べるようになるだろう。今は無茶をさせぬようにな」

「ホーガラ。……うん、ワトーはあたしが守るよ!」

「案ずるな、翼ある友よ。まだ眼開ききらぬ身なれど、この四眼位の小魔導師がここにある。我も友を守護すると、百眼の瞳に誓おう」

「でっかい人……。うん、ありがとう!」

「くえっ!」

「うむ。しっかりと休み、また美しい羽根を取り戻すのだぞ。百眼神のお眼に止まるくらいにな……」

「でっかい人……!?」

「くぇ……!?」


 ――汗が一筋、すっと流れ落ちてゆく。


「やっぱり駄目かもしれない」

「だ、大丈夫なんじゃないか。エルの言うところ、巨人族アストラガリって頼もしい味方らしいし。……多分」


 いまいち断言しきれない程度には詳しくないキッドであった。


 話し合いというよりは雑談をかわしながら船は進む。


「そろそろパーヴェルツィークの領域に入る頃合いだが……どう接触したものか。ひとまず突っ込んでみるか?」

「は、はは。エムリス殿、冗談はお止めください」


 それは無策というのでは、グラシアノは危ういところで言葉を呑み込んだ。

 そしてエムリスが首を傾げているのを見て不安の雲が広がってゆくのである。


 微妙な空気が流れるところ、エルが横からひょっこりと顔を出す。


「身軽な“黄金の鬣号”のみで先行するのはいかがでしょう。この船は足が速いですから、何かあっても単身なら逃げ出せますし。僕のトイボックスもあります」

「ツェンちゃんもあるよ!」

「なるほど、どうにも捕虜を連れまわすのはうまくないしな」


 パーヴェルツィーク軍の船も悪くはないのだが、さすがに最新最速を誇る“黄金の鬣号”には比べるべくもない。


「後続に連絡! 速度を落とし、待機の準備をせよと!」

「て、敵中を一隻で進むのですか……!? クシェペルカに縁ある方々は肝が太いですね」


 部下に指示を送るエムリスの後ろ姿を眺め、グラシアノがだんだんと顔色を青くしてゆく。

 大国とはいったい何なのだろうか。彼は最近何度も浮かんでくる疑問を今もまた噛み締めていた。


「グラシアノ、他人事みたいに言うがそちらも当事者だからな?」

「そう……ですね。気づけばどんどんと事態が進んでいて。日々、空飛ぶ大地の恐ろしさを実感しています……」


 だいたい恐ろしいのは隣の人物たちなのだが言わぬが花であろう。

 シュメフリーク王国とて、彼らと共に賽を投げた側なのだから。彼も腹をくくらねばならない。


 足の遅い船をいったん待機させると、“黄金の鬣号”は単身先へと進んだ。


 すでにパーヴェルツィークの勢力圏であり、いつどこで出会ってもおかしくない状態だ。

 だというのにグラシアノ以外の誰にも緊張の色は見られない。やはり大国に属するものは腹の座り方が違うと、彼は密かに感動すら覚えていた。


 周囲の人間たちが常識はずれなほど修羅場に慣れているだけなど、まったく想像の外にあることである。


 動きが起こったのはしばらく進んだ後のこと。伝声管の向こうから緊迫した見張りの叫びが響く。


「……船影、複数視認! ばっちりパーヴェルツィークの旗を掲げてます!」

「おいでなすったか。向こうもお待ちかねの様子だな」


 遠望鏡を伸ばして覗き込むと、そこには複数の船影と、周囲を舞う飛竜の姿。

 パーヴェルツィーク軍の飛空船団だ。


「よく聞け! 我々の目的は戦闘ではない。減速、距離を置いて停止せよ! 交渉旗を掲げる。まずは穏便に接触できるとよいが」

「それではトイボックスに」

「エル君いってらっしゃーい。私もツェンちゃんいきまーす!」

「お願いしますね。異常があればすぐに連絡します。皆さんも配置についてください」

「了解!」


 エルとトイボックスが甲板に上がり、巨大な旗を掲げる。

 所属を示す旗を後ろに、そして何も描かれていない無地の旗を前に大きく振った。

 これは交渉旗といい、敵対する軍勢間における意思疎通の手段として古来より用いられてきたものだ。


 幻晶騎士が持つ大きさの旗は、離れていてもなかなか目立つ。

 後は向こうが応じることを祈るばかりである。


 船橋にいる全員が固唾をのんで見守っていると、パーヴェルツィーク軍に動きが現れた。


「船団より竜闘騎が離れます! 部隊を……いいえ! 単騎で進出してきます!」

「なぁにぃ? なるほどな。旗は掲げているか?」

「機上に旗を確認! 無地の旗です!」


 エムリスは腕を組む。


「交渉の使者をたててきたか。気合いが入っているじゃないか! よし、エルネスティに連絡だ。旗を振り返せ、応じる用意ありとな!」


 交渉旗を単騎で掲げて進む場合は、交渉の使者役であることを表す。

 もちろん交渉に応じると言いながら寝首をかかれる場合もあり、無条件で信じることはできない。

 それだけに使者として赴く者には相当な胆力が求められるのである。


 旗を掲げた竜闘騎は速度を落としながら、徐々に“黄金の鬣号”へと接近してきた。

 トイボックスが誘導をおこない、竜闘騎は“黄金の鬣号”の甲板へと着艦する。


「滑らかな着艦です。腕の良い騎士を選んだようですね」


 飛空船の基本的な構造は“黄金の鬣号”であれパーヴェルツィーク軍のものであれ大差はない。

 しかし一人敵中に降り立つとなれば、度胸と腕がそろっていなければ成しえないことだ。


 エルも礼儀にならいトイボックスを待機姿勢とし、降りる。

 そうして甲板まで上がってきたエムリスと二人、使者を出迎えた。


 竜闘騎から降りた騎士と向かい合う。

 吹きすさぶ風に負けない声量で、使者が怒鳴った。


「交渉に応じていただき感謝する! 某は天空騎士団所属の者! フリーデグント殿下より言伝を受けて参った!」

「お役目ご苦労! 俺はエムリス、この船の船長だ! まず用件を聞こうか!」

「その前に確かめたい! 貴殿らは当方の飛空船団に関し、捕虜の処遇について交渉に来た。間違いないか!?」

「その通りだ! 安心しろ、船ごとひっとらえてあるぞ!」


 使者は頷き、本題へと入る。


「それでは言伝の内容申し上げる! 当方は捕虜の処遇について交渉に入ることを望む! その上で殿下は、貴殿らと直接顔を合わせて話すことをご所望である!」


 思わず、エムリスとエルが顔を見合わせた。

 先方が殿下とつけているのだから、相手はおそらくパーヴェルツィーク王国の王族ということになる。

 つまりいきなり首魁が出てくるも同然なのだ。


「ほう? それは剛毅なことだが、たかだか捕虜の交渉にそこまで必要だとは思わないのだがな!?」

「当方の役目はあくまで言伝のみである! 詳しくは殿下が直接仰ろう! 受ける意志あれば、このまま同道されたし! 返答はいかに!」


 エムリスはしばし目を細め思考に没していたが、やがてエルに振り向いた。

 いくらか悩んだが、彼が頷くのを見て心を決める。


「いいだろう……といいたいところだがな! こちらは船が一隻、このままノコノコと着いてゆくのはいかにも不用心だろう! こちらの条件は、交渉の場所をこの近辺とすること! それでよければ受けよう!!」

「……返答は承知した! 持ち帰り協議するゆえ、しばし待たれよ!」

「それではこの場で待つとしよう! 互いに実りある結果を期待する! お前の仲間のためにも、なるべく急いでくれよ?」

「私自身はそう望んでいるよ。では失礼する!」


 話し合いを終え、使者役の騎士が竜闘騎に戻った。

 甲板から離陸し徐々に遠ざかってゆく竜闘騎の姿を見送りながら、エムリスが大きく息をつく。


「考えてもいなかった風向きだな。いきなり王族なんぞが出張ってくるとは、ずいぶん大胆な奴らだ」

「若旦那? ご自身のことをお忘れでしょうか?」

「……む。俺はあれだ、観光中だからいいんだよ」

「そうでしょうか……?」


 エムリスは肩をすくめると船橋へと戻る。

 前段階の調整が終わるまで、ここを動けそうにない。残してきた後続への連絡のためエルとトイボックスが飛び出していった。


「伝令用に竜闘騎とやら、ひとつくらい修理してもいいですね」

「でも交渉によっては向こうに返しちゃうんでしょ?」

「よし、止めましょう」


 そんな一幕があったりしたが、つつがなく連絡は終わる。

 改めて船橋に集まった面々で話し合いがおこなわれた。


「……というわけで、どうやら向こうも大物が出てくるらしい」

「それは。本当に、このような前線までやって来るのでしょうか?」


 グラシアノの疑問ももっともだと、エムリスは軽く笑い返しておいた。


「俺が言うことではないが、気まぐれな奴なのだろう。わざわざ身の代金の交渉に首を突っ込もうというのだ」

「それだけの大物が出てくるのです。圧力をかけ、こちらを抑え込もうという考えでは」

「ふむ。なるほどな」


 だとしたらその目論見は既に外れていると言わざるを得ない。

 彼らは自分自身を棚に上げ続けているが、何せこちらは複数の国の王族に騎士団長、船団長とさらにハルピュイアの長という面々がそろっているのだ。

 むしろパーヴェルツィーク王国側こそ、彼らのことを測りかねているというべきであろう。


 このにらみ合いはそれほど長く続いたわけではなかった。

 翌日のうちに返答が交わされ、数日後には交渉の場が開かれる運びとなったのである。


 場所はエムリスたちの希望通りパーヴェルツィーク領の端、ギリギリに設定されたのだった。

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