#154 しばしの語らい
「………………………………結婚? 誰と、誰が?」
並んではならない言葉が並んでいる、あり得ないことが起こっている、そんな違和感が付きまとって離れない。
愕然とした呟きを聞いた
「誰って、私とエル君に決まってるじゃない」
「どして?」
「エル君が可愛いから!」
ひっしりと抱きしめられた腕の中で
「可能性としてアディの勘違いとか冗談とか気の迷いとかいつもの暴走とか?」
「ちゃんと本当のことですよ。実をいうと元々は新婚旅行のつもりでクシェペルカへと出向いてからこちらに」
キッドは口を閉じることも忘れてがくがくと首を動かしていた。肩車されたままのエージロが一緒に揺れている。
そこでエルは何かに気づいた様子でぽんと手を打って。
「つまりキッドは義兄になるわけですね。これからはキッド
「止めてくれ! 絶対に止めてくれ! マジで止めてくれ!」
「んぶふほっ。ふ、ふほははははは! それはいい、いいぞキッド! フッハ、銀の長が義弟だと? 最高に傑作だ!」
「他人事だからって、こっちは笑いごとじゃないんですよ若旦那ァ!」
ついに堪えきれなくなったエムリスが腹を抱えて笑い出す。反比例するようにキッドの表情から正気と生気が失われていった。
ひとしきり笑ったところでエムリスはしゅたっと手をかざして。
「よしキッド、義弟のことはお前に任せる! じゃあ俺は船にもど……んごっ」
「だから若旦那、まだお話は終わっておりません」
「くっ、今のはいける流れだっただろう」
間髪入れずにマントを掴まれ呼び戻される様はさながら縄につながれた飼い犬のごとく。残念なことに威厳もへったくれもないのだった。
「キッドー、だいじょうぶー?」
そうしてしばらく魂が抜けたように揺れていたキッドだったが、エージロにぺちぺちと叩かれて急速に目の焦点が戻ってゆく。
「……エージロ! 飛ぶぞ、はばたけ!」
瞬間、
「ちくしょうやってられるか! ……ぐあっ」
一瞬きほども遅れることなく鋭い飛翔音が追う。キッドの足に絡みついたワイヤーアンカーが容赦のない力で彼を引きずり下ろした。
「ダメですよ? キッドにも話があるのですから」
「おああああああ……」
すっぽ抜けたエージロが慌てて羽ばたく。彼女が呆然と見送る中、キリキリと巻き上げられるワイヤーの音に交じって悲しげな声が響き渡ったのだった。
ドタバタの一部始終を眺めていたホーガラが首をかしげる。
「わからない。
「うーん。他は知らないけど、うちだといつもどおりかも?」
何でもないかのように答えたアディに、疑問は深まる一方である。やり場なく動かした羽根を閉じ、いつの間にかごく自然に隣に立っていた彼女に改めて問いかける。
「お前はキッドの妹なのだろう。ではあのエルネスティ? というのはなんなのだ」
「私の夫です」
「は? あれが? ……いやそれはともかく。お前たちの群れを統べるのはあのエムリスというものだったはずだが」
そのエムリスはいま笑顔のエルに追い詰められている。どちらの立場が上か、ハルピュイアの目から見ても明らかであった。
「んー。それはほら、私たちは若旦那を探してきたし?」
「地の趾は本当によくわからん……」
そうしてしばらく首を振っていたホーガラを見つめていたアディだが、そのうちに長く揺れる髪の毛に目を止める。
ごわごわと羽毛のような塊の見える髪。さきほど空へと舞い上がったエージロを思い出す。
「ところでみんな頭に羽根があるんだ? へー、すごいなぁ。ねぇ、ちょっと触ってみてもいい?」
「えっ」
ホーガラがアディの魔の手から逃げようと奮闘する一方、エルたちは立ち話に移っていた。
もちろん話題に上がるのは空飛ぶ大地の近況だ。
「この大地全体が
「そうだ。黄金が埋まっていたほうがまだマシだったかもな。飛空船は便利な機械だ、世界をどんどんと狭くしてゆく。しかしな」
「行く先に快いものばかりが待っているとは限りません。争いの原因が転がっていることもあると」
「見てのとおりだ」
かつてこの場所はハルピュイアだけが住んでいた。今では人が住み船が浮かび、様相は変わりつつある。
空飛ぶ大地にある国も既に一国どころの話ではない。
「各国とも飛空船の増産はもはや避けえない流れです。そのなかで鉱脈の存在は、飢えた魔獣の前に羊を差し出すに等しい」
「はは! 大層腹を空かせていたようで、
「はい、とても元気に飛んでいましたよ。狂剣さんと戦っている時に横から首を突っ込んできたのですけど」
「は? 何をしているんだ」
エムリスが珍妙な表情で黙り込むと、横にいたキッドが首を突っ込んでくる。
「そりゃ確かに源素晶石は重要なものだけどさ。だからって元からいたハルピュイアたちを傷つけてまで奪う必要はないだろう!」
「そうですね……皆に同じだけの優しさがあれば、良かったのですけど」
同じ大地、
そこに髪の毛を妙に毛羽立たせたホーガラと、何やらご満悦のアディがやってきた。
「ホーちゃんから聞いたわよ。会ったばかりのハルピュイアを助けるために大立ち回りをやらかしたって!」
「うっ。いやそこには色々あってだな……なんだよその表情止めろ!?」
「地の趾でありながら素晴らしい働きだった。キッドがいなければ私も無事には済まなかっただろう」
「ほほほーん」
再び逃げ腰になっているキッドを見て苦笑しながら、エムリスは視線をシュメフリーク軍へと転じる。
「そこで俺たちが組んだ相手がシュメフリークだ。昔からハルピュイアたちと付き合いがあるらしくてな、今後も貿易を通じて源素晶石を手に入れると。そこに一枚噛む」
エルは目を閉じ小さくため息を漏らした。
「この空飛ぶ大地で起こっている事態を放置しておくことは、いずれクシェペルカ、ひいてはフレメヴィーラ王国にとって致命的な結果を招きかねません。結果論ですが早い段階で楔を打ち込めたことには大きな価値があります」
「そうだろう。この俺の勘に狂いはな……」
「ですが」
ふわりと表情を笑みに変えれば、逆にエムリスが頬をひきつらせた。エルネスティが笑うとロクなことにならない、それは確かな経験則である。
「フレメヴィーラ王国銀鳳騎士団の先遣として、クシェペルカ王国エレオノーラ女王陛下より受けた要請に基づきエムリス殿下のお身柄は確保させていただきます」
「おいおい銀の長! 話を聞いていたか。今ここを放り出すわけには……」
「ですので、この地の後処理については我々銀鳳騎士団にお任せあれ。殿下におかれましては後顧を憂うことなく怒られてきてくださいね」
「なんだと!? くっ……このちっちゃ卑怯者め! さてはお前が楽しみたいだけだな!?」
「そのようなことはまったくこれっぽっちもございません」
ニコニコと微笑む小さな侵略者を前に、エムリスは全力で思考を回す。
先んじて動けたという点では確かに彼に功績があるものの、やはり飛び出してきた点を突かれると痛い。エルネスティは色々な点において手強いが、中でも根回しを怠らないところが強みであった。
彼の持つ能力を見せ札に、自身を十分に生かせる立場にするりと入り込んでいく。そうして気付けば恐るべき最高権力者が爆誕するのである。
正攻法ではまったく分が悪い、ゆえにエムリスは素早くやり方を変えた。
「まぁそう結論を急ぐなエルネスティ。この大地には敵が多く、味方は互いの様子を窺っている。そこで幸いにも、キッドの頑張りによってシュメフリークやハルピュイアへの伝手ができた。奴らとの折衝担当まで人手が足りているか?」
「僕たちはあくまで少数の先遣隊。確かに、人手は壊滅的に足りていませんね」
エムリスは静かに己に向かって指を向ける。エルが頷いた。
「殿下には国許に帰っていただきます。いただきますが、帰るまでは手を貸してもらうこともあるかもしれません」
「うむ。しかし何せ大事になりつつある、短い間では事が収まらんかもしれんがなぁ」
「それは困りましたねふふふふふふ」
「まったくだなはははははは」
奇怪な笑い声を漏らし続ける二人を遠巻きに眺め、ホーガラは今日何度目かの首を傾げた。
「あれは何をやっているのだ?」
「悪巧みかな」
「地の趾とはよくわからないものだ……」
ハルピュイアであれば風切が先頭を飛ぶのが当然で、なかでも初列の判断は絶対である。高い立場にあるものが入れ替わることがあるというのはなかなか理解しづらい考えだった。
そうして彼らがわいわいと話しているとズシン、ズシンと地響きが近づいてくる。
この場所にある巨大な存在は
そこから判断するならば、人型の姿をしているのは幻晶騎士なのだろう。
魔獣の皮革から作られた
これは確か“
もしや銀鳳騎士団によって作られた“新型機”かとも思うが、それにしては“らしくない”。いまひとつ出自が見えないのだ。
「どうにも見慣れない機体をもってきているようだが、お前の相棒はどうした?」
「国許です。陛下の許しが下りませんでした」
「そりゃあそうか。叔母上のことでもなくばそうそう持ち出せんだろうな」
少しばかり当てが外れたのは確かだった。
何しろエルと彼の乗騎“イカルガ”は、
浮遊大陸においても切り札足りえただろうが、それだけに扱いには慎重を期す必要があった。歯がゆいところだ。
などと考えている間に、近づいてきた幻晶騎士が奇妙な動きをし始める。
なぜか
首を傾げるエムリスに気づいて、エルが手を振る。
「そうだ若旦那。僕たちのほうからも紹介したい者がいます」
「あの幻晶騎士のか?」
「ちょっと違いますね」
要領を得ない言葉に疑問が深まる。そうしているとアディを肩に載せた幻晶騎士が間近まで歩いてきた。
「違いますよ若旦那ー。パールちゃんは私たちの弟子です!」
「新たに弟子をとったのか? 団員ならともかく珍しいこともあるものだな」
アディやキッドがエルネスティの直弟子であったことは知っている。それゆえに彼らはエルに次ぐ実力者に育った。
しかし銀鳳騎士団が結成された後は弟子と呼べるものはいなかったはずである。その代わりに騎士団の全体を対象に訓練がおこなわれていた。
疑問と共に見上げると、そばまでやってきた巨人が座り込んだ。
兜の隙間から覗く数多くの眼、いいようのない違和感が過る。
この期に及んでもいまだ騎操士が現れる気配はない。代わりになぜか、巨人は自らの兜を掴んで取り外した。
“それ”を目にした瞬間、エムリスが目を見開きキッドが腰を浮かせる。
ホーガラが警戒の構えを取りエージロはよくわかっていなかった。
――巨大な鋼の兜の下から現れたもの、それは幻晶騎士並みに大きな“人の顔”だった。
人の手によって作られたものでないことはすぐさま理解できる。頬の肉を動かし瞳を巡らせ口を動かす、生の肉でできた幻晶騎士などあり得ないからだ。
さらに特徴的であるのは、それの顔には四つの瞳が備わっていたことである。人が生み出しうる理の外にある形。
巨大な瞳がぐるりと動き、場にいる者たちを一瞥した。
「馬鹿な! 銀の長! これは……こいつはなんだ! 決闘級に比肩する人間だと!?」
「魔獣……! なのか? でもアディが」
巨人の肩に座ったアディは、二人の慌てようを見てケラケラと笑っていた。ひとまずいたずらは成功といったところか。
「んーと、こっちが私の双子の兄のキッドで、こっちが先王陛下の孫のエムリス殿下よ。パールちゃん、ご挨拶しましょう」
「うむ。初めて目に入る、我はカエルレウス氏族に連なる四眼位の
小魔導師の自己紹介を聞いた二人はむしろさらに慌てだした。
「なんだって!? しゃべったのかよ!」
「おい銀の長、いったいこのようなものをどこから連れてきたんだ!?」
「ボキューズ大森海の奥で出会いました」
「はぁッ!?!?!?!?」
エルの説明が混乱にさらなる拍車をかけている間、その横をすり抜けて小さな人影が飛び立った。
ホーガラが止める暇も有らばこそ。エージロはばさりと翼を動かすと小魔導師の目の前へ進み出る。
瞳をいっぱいに見開いて巨人の姿を隅々まで眺めまわして。
「うわあああ! でっかい地の趾! これもう地の趾じゃないよね。なんだろ、なんだろー?」
「む。我らが名は
「あたしはねー、エージロ! あすとら? えー、えー、えーと、じゃあでっかい人!」
「……見間違いともいえないか。お前たちからすればでっかかろう」
「あはははは! でっかいでっかいでっかい面白ーい! 人なんだ!!」
ぱたぱたと嬉しそうに翼をはためかせてエージロが飛び回る。
しかし小魔導師の目の前を忙しなく動くものだから、彼女は思わず眉根を寄せていた。どれだけ好意的な相手であっても、目の前をちらちら飛び回られてはたまらない。
四眼位ともなれば目が多いのだからなおさら難儀である。たまらず口を開く。
「翼ある空の民よ。お前の喜びはわかったから、ちょっと落ち着くのだ」
「あははは! ねーねー、あたし
結果は火に油を注ぎこむことにしかならず。
とっても困惑した様子の小魔導師から助けを求める視線を送られて、アディはなぜかほくほくとしていたという。
「……はぁ。まったく焦っている俺たちが馬鹿みたいではないか。しかし決闘級の巨人か。恐ろしいものを見つけ出してきたな、エルネスティ。それとボキューズ大森海だと? その話は後でゆっくりと聞かせろよ」
「若旦那がやんちゃを抑えていただけるというのならば、いくらでもお話しするのですが」
「このちっちゃ卑怯者め……」
そうこうしている間にもエージロはついに小魔導師の手にへばりついて、何が面白いのか巨大な指の間をするすると潜り抜けることに夢中になっていた。
ホーガラは既にエージロを止めることを完全に諦め、小魔導師は元気の良すぎる小鳥を相手にひたすら困惑していたという。
「本当にエルはとんでもないことをしでかしっぱなしだな。俺たちが空飛ぶ大地に来たことなんて、何でもないことのように思えるぜ」
「だって私のエル君だし! キッドじゃあまだまだねー」
「そこを追いつきたいかっていうと微妙なんだよな」
そこでふと、キッドは引っ掛かりを覚えて顔を上げた。
「どしたの?」
「いや。結婚したってのにさ、呼び方は“エル君”のままなんだなと思って」
アディはしばし目をぱちくりと瞬いていたが、やがてゆっくりと頷く。
「そういえばそうだけど……やっぱエル君はエル君だし?」
「まー、いいんじゃねぇの」
キッドは目を伏せる。
二人してエルネスティの後を追っていたはずが、いつの間にやらずいぶんと違った形にたどり着いてしまった。別の道を歩みだした者、ずっと隣にいることを選んだ者。
時が流れ続けるのならば、そんな形も悪くない。
「改めてだけど。アディ、おめでとう」
「えへへーありがとう! さぁ次はキッドの番ね!」
その瞬間、和やかな空気はオービニエ山地の向こうまで吹っ飛んでいった。キッドが一気に顔をしかめる。
「それはおいおい……機会があれば……もしかしたら……念のため考えておく」
「ちょっとー。そんなだからヘレナちゃんに指名手配されるのよー」
「人聞きの悪いこというな!?」
まだまだキッドが追い付くことはなさそうだった。いろいろな意味で。
「しかしこの顔ぶれはどういうことだ」
エムリスは周囲を見回して呆れたように呟いた。頬が引き攣っているのを隠しきれていない。
無理もない、今この場所にはハルピュイアに巨人族がおり、人間たちだって数か国の混成なのである。まず間違いなく人類史上類を見ないほど混沌とした集団が出来上がりつつあった。
「銀の長。本当にこのままパーヴェルツィークとやり合うつもりか? というかできるのか?」
「簡単とはいいがたいですが無理でもありません。そうですね、先ずは一手……ノーラさん」
「はい」
名を呼ばれた瞬間、ノーラがどこからともなく姿を現す。
「“銀の鯨号”と人員をお貸しします。この地の物語を詳らかに」
「承知いたしました。我ら藍鷹騎士団にお任せください」
一礼を残し、直後に彼女の姿が掻き消えた。
藍鷹騎士団が史上最速の新鋭飛空船とともに放たれる。情報の収集は彼女たちに任せておけば問題ないだろう。
「さて、まだご挨拶のできていない方々がいらっしゃいますね。さっそく向かいましょうか」
そうして彼は遠巻きに見守るハルピュイアとシュメフリーク軍の元へと向かったのだった。
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