#139 空に浮かぶ大地を踏め

 剣のように鋭い形をした船が、たなびく雲を切り裂いて進む。


「ふぇばっくしょい!」


 飛空船レビテートシップ黄金の鬣ゴールデンメイン号”の船橋に、派手なくしゃみが響き渡った。

 船長席にふんぞり返っていたエムリスは、操舵輪を握る人物を見やり眉を跳ね上げる。


「どうしたキッド、こんなところで風邪か?」

「えーとなんだろ。ちょっと、空の上が冷え込んだからかな」

「おいおい、これからお待ちかねの冒険メインディッシュが始まろうというのだ。そんな場合ではないぞ?」

「うーい、気をつけます。けどこれって」


 そう言ってアーキッドキッドは硝子張りの窓の外、広がる“大地”を見つめる。

 それは意外にも起伏に富んでいた。広さもあり、うっそうとした森がずっと続いているのが見て取れる。小高い丘や山とも言うべき部分すらあった。

 それだけならばフレメヴィーラ王国でも西方諸国オクシデンツでもごく普通にみられる光景であり、なんら気にすることではない。


「もっとなんもねーのかと思ってましたけど、まるでどっかの陸地が浮かび上がったみたいな景色ですね」

「最初から飛んでいたのか、後から浮き上がったのかはわからんがな。ともかくだ! まずは己の足で踏みしめてみねばな!」


 それが“浮遊大陸”の光景ともなれば、普通であるというのはむしろ奇異なことだった。


 空を進む驚異の船、飛空船がなければ辿り着くことすらできない最果ての地。そんな言葉に引き寄せられて彼らはこの地にやってきたのである。

 さても待ちきれないとばかりに拳を打ち付けるエムリス。そんな彼へと、船橋中から呆れたような視線が集まった。


「いやいや若旦那。ちょっとは頭使ってくださいよ、いくらなんでも危険じゃないですか。ここは西方どころか今まで人が足を踏み入れたこともない。何があるか予想もつかないんですよ」

「だからこそ遠路はるばる飛んできたんじゃないか。もう忘れたのか?」

「忘れてねぇよ! 体当たりでやるなっつってんだよ!」


 エムリスはふうむ、と唸り船長席に身を沈める。

 軽く目を閉じ腕を組んだ姿はそれなりに様になっているものの、またロクでもないことを考えているなと周囲は警戒を強めていた。まこと人徳である。

 やがてエムリスは片目を開いた。


「とはいえだ。俺たちは船一隻、人手だって限られている」

「むしろよくこれだけついてきてくれたと思いますけどね……」

「そこにお前も含まれるがな。かといってこのまま上から眺めてはい満足、などと言えるのか?」


 キッドは返答に詰まった。エムリスの言うことも尤もだからだ。

 未知なる大地を前に足踏みをするなど好みではない。もとより冒険に心躍る気持ちがなければ、ここまで共に来ることもなかったのだから。

 この“空の大地”を踏みしめてみたいという思いは、船員たち誰の胸中にも等しくあった。


「……了解です。でも若旦那はここにいてください、俺たちで調べてきますから」

「なんだと!? ズルいなキッド、最初の一歩は譲らんぞ!」

「いいから大将はおとなしくしてくれってんだよ!!」


 一番乗りに拘るエムリスはたいそう渋ったものの、キッドのみならず周囲の全員に反対されてついに引き下がった。

 冷静に考えれば、西方にこの場所の噂が広まっている時点で既に誰かが乗り込んでいる可能性は相当に高いのだが。このとき彼らの脳裏にその可能性はまったく浮かんでいなかったのである。


 ともかく。

 船長でありフレメヴィーラ王国第二王子であるエムリスに先行させるのは論外として、次いで選ばれたのはキッドだった。

 順当に実力で考えれば彼が適任だといえる。さらにキッドには、このような場合にめっぽう強い得意技があった。


 船は速度と高度を落とし、ゆっくりと(空に浮かぶ)森へと近づいていった。上から見回す分には何の変哲もない森のように思える。

 ゆっくりと船尾の格納庫が開いてゆく。キッドは船の縁から顔をのぞかせた。


「とりあえず魔獣なんかはいないみたいだな……。よし、ひとっ走り行くぞ!」

「応!」


 キッドを先頭として、数名が船から身を躍らせた。

 もちろん生身ではない。彼らは幻晶甲冑シルエットギアをまとっているのである。


 “大気圧縮推進エアロスラスト”の魔法を駆使し、大柄な甲冑たちは危なげなく陸地に降り立ってゆく。それから彼らは物珍し気に地面を踏みしめていた。


「おお、しっかりと立てるぞ。船よりしっかりしてる」

「ちょっとふわふわしてないかとか不安だったんだよなぁ」


 なにしろ空に浮かぶ大地である。見かけはまともな地面でも、どこに問題があるか知れたものではない。さすがにまさか、数名が降り立った程度で傾くようなことはなかった。


「これは……さすが、地上とは違うってことか」


 足元を確かめた騎士たちは改めて周囲を見回していた。キッドを始め、それぞれの表情が驚きへと変じてゆく。

 上空から見たときは至極普通に見えていた森。しかし間近で見れば、木々の様子が奇妙であることに気づく。


「なんだこれ……虹色の光? が漏れ出してるぞ」


 森を構成する木は、尋常の様子ではなかった。

 樹皮のそこかしこに虹色の光を放つ部分があり、しかもそれは不規則に強弱を変えている。地上の樹木には見られない特徴だ。

 それは神秘的なようでいて、どこか不気味な様子だった。


 木々を眺めていた騎士の一人がふと思いつく。


「なんかこれ、源素浮揚器エーテリックレビテータみたいッスね」

「えっ。この木が大地を浮かせてるってか? じゃあ切り倒すと一緒に墜ちるってことになるな」


 キッドと騎士たちはぞっとした表情で顔を見合わせた。本当にそうなるという確証はないが、いかにもありえそうに聞こえたのだ。

 誰からともなく木々から距離を取る。


「あー、とりあえず慎重に。もうちょっと周りをだな……」


 キッドがそう言いかけた瞬間のことであった。

 上空に止まっていた黄金の鬣号が、にわかに動き始める。同時に船から幻晶甲冑を着た騎士が飛び出し、彼らのところへ降りてきた。


「伝令! 周囲に他の船を発見した、全員船に戻ってくれとのこと!」

「なんだって。ああもう、ゆっくり冒険もできないのかよ」


 まだ大地に降り立っただけで何もできていない。何とも間の悪いことだ、ぼやきつつもキッドたちはすぐさま動き出した。

 船から垂らされた鎖をつかみ、そのまま船へと上がってゆく。


 幻晶甲冑部隊を収納した黄金の鬣号はすぐさま推進器に火を入れた。


 キッドは船倉に幻晶甲冑を脱ぎ散らかし、船橋へと駆けこんでゆく。


「別の船がいたって。そうだよなぁやっぱ先客がいるよなぁ。それで若旦那、どうなってます」

「わからん、まだ旗すら確認していない……だが、どうやら穏やかではなさそうだ」


 そういってエムリスは遠望鏡の場所を譲った。

 覗き込んだキッドは、そこに一隻の船の姿を認める。距離があるため細部がはっきりとせず、所属を示す紋章にあたるものも見て取れなかった。

 しかし、それとは別にはっきりとした異常が起こっている。


「船の周り……あれは。魔獣に襲われているのか!?」


 飛空船の周囲を鳥のようなものが動き回っているのである。さらに言えば、単なる鳥であると認識するにはそれらは巨大に過ぎた。なにしろ飛空船と比べて目立っているのだから。間違いなく決闘級以上の魔獣である。


「やっぱりここにも魔獣、いるんですね。しかも飛ぶか」

「地面が飛んでるんだ。魔獣だって飛ぶさ」

「その理屈はなんか違う気がしてならない」


 しばし適当な感想を並べていたエムリスとキッドだったが、やがて振り返って周囲に指示を飛ばす。


「まずは様子見だ、あの船が友好的とも限らん。だが魔獣が気まぐれでこっちを見つけるかもな。野郎ども、対空戦の準備を怠るな!」

「応!!」


 船員たちが素早く各自の配置につく。

 黄金の鬣号の左右装甲が開き、内部に収まっていた法撃戦仕様機ウィザードスタイルが立ち上がった。片舷二機ずつの全四機が配備されている。

 後部推進器から吐き出される爆炎が勢いを増し、船体が速度を上げる。不明船と魔獣と、距離を開けながら前進していた。


「! 見ろ、船が!」


 監視の悲鳴を聞いて、皆がいっせいに振り向いた。

 彼らが見守る中、不明船が徐々に傾きを増してゆく。時折閃く輝きは魔獣の行使する魔法現象か、煙が上がり始めたところから推察するに爆炎の魔法も混じっているようだ。


 傷を増やし続けた不明船がついに限界に達した。ひときわ眩い輝きが走ったあと、不明船は止まることなく落下を始める。


「あの空の魔獣は厄介だな。距離を開けるぞ」


 エムリスが不機嫌そうに唸る。

 黄金の鬣号はすぐに船首を返しその場から離脱を始めた。

 船橋の緊張感がわずかに緩んだ直後。伝声管の向こうから監視の切羽詰まった叫びが響いてくる。


「ヤバい、若旦那。見つかってる! 奴ら、向きを変えたぞ!」

「なにぃ? 目がいいな。だがこの船は速い、振り切ることも……」

「ダメだ! あの魔獣、速いッ!?」


 不明船の最後を確かめる間もなく、魔獣たちは次の獲物に狙いを定めていた。疾風のごとき速度で空を翔け、黄金の鬣号へと距離を詰めてくる。

 マギジェットスラスタを主推進器とする黄金の鬣号は飛空船の中でも快速を誇る。それが追いつかれるとなれば、およそ飛空船で逃げ切れるものなどいないということだ。


「やけに速い、大きさの差か。位置取りを変えろ、迎え撃つぞ!」


 逃げ切れないと悟るや、エムリスはすぐに新たな指示を飛ばした。

 船が向きを変え始める。追いすがってくる魔獣へと側面を向けるためだ。推進器のある船尾を襲われるのは避けるべきであるし、船には戦いやすい角度というものがある。

 確実に追いつかれるならば、まず有利な状態で迎え撃つべきであった。


 船へと向かってくる魔獣の数は五匹。

 群れを率いていると思しき大柄な個体が先頭を翔け、残る四匹が続く。


 遠望鏡を覗き込んでいたエムリスが唸った。


「まずいな、奴らただ鳥の姿をしていないぞ。足の数が多い……!」


 翼をはためかせ、魔獣は空を翔ける。

 前方に突き出た首は鷲に似て、鋭い嘴を備える。体長のほとんどを占める巨大な翼と、その下にはまた巨大な身体があった。そこからまるで陸の獣のごとき四本の足が突き出ている。


 その名を“鷲頭獣グリフォン”、獰猛なる空の狩人だ。


「……初めて見る魔獣だ。だがあの姿、下手をすれば船に乗り込まれるぞ」


 ただ鳥に近いだけならば、まだ対処のしようもあった。

 しかしこのような生物としては歪な姿も、強力な強化魔法に支えられて成立してしまう。決闘級以上の魔獣が特に脅威として数えられる所以だ。


「おい、ここを代わってくれ!」


 キッドは操舵の役目を他の船員と代わると、エムリスへと振り返った。


「若旦那、まずいんでしょう。俺も防衛に向かいます、カルディトーレ借りますから!」

「む、ならば俺も金獅子ゴルドリーオで……」

「いいから座りやがってくださいよ大将!」

「むぅ……」


 不満げなエムリスをなんとか船長席に押し込めると、キッドは船倉向けて走り出した。


「やれやれ、こりゃあしくじると若旦那がしゃしゃり出て来ちまうな」


 ぼやきつつ、船に積まれていた予備戦力のカルディトーレへと乗り込んでゆく。

 ちなみに彼の本来の乗騎であるツェンドリンブルは、この船の主要な魔力供給源となっているために持ち出すことができない。


 ツェンドリンブルと垂直投射式連装投槍器バーティカルロンチドジャベリンスローワがあれば対空戦も楽なのにな、キッドの心の片隅をそんな思いがよぎるが、今は贅沢を言っていられる場合ではなかった。


「上げるぞー!!」


 けたたましい歯車の軋みと共に、昇降機が動き出す。キッドの乗るカルディトーレが船の上部甲板へと現れた。

 機体の首を巡らせれば、いよいよ魔獣が船へと近づいてくるのが見える。


「迎撃開始! 近づけるなよぉ!!」


 キッドの号令に続いて、船左右に配置されたレスヴァント・ヴィードが猛然と法撃を開始した。

 法撃戦仕様機であるレスヴァント・ヴィードは多数の魔導兵装シルエットアームズを搭載し、それらを同時に駆動するだけの膨大な魔力貯蓄量マナ・プールを有する。

 たちまち空に幾筋もの火線が描かれていった。


 さしもの鷲頭獣も馬鹿正直に法弾幕へと突っ込むような真似はせず。ばっとそれぞれに散ると、法撃を回り込みながらの接近を試みた。


「見えてるんだよ!」


 キッドの操るカルディトーレが、背面武装バックウェポンを放つ。法撃戦仕様機ほどの法撃能力はなくとも、穴を埋めるには十分だ。

 放たれた炎弾が鷲頭獣の嘴先をかすめ、接近を阻む。


 魔獣たちはギャアギャアと不満げに嘶きながら、法弾幕をかいくぐって近づこうとする。その動きは決闘級の巨体ながら非常に機敏であった。


「くそ! やっぱ空の魔獣は厄介だな!」

「腐るんじゃねぇよ! とにかく船への体当たりだけは防がねぇと!」


 巨躯を誇る魔獣に取りつかれては船が持たない。いかに最新鋭といえど飛空船の耐久性には限度がある。それこそエムリスが強く警戒していた原因だ。


 幻晶騎士部隊による法弾幕は尽きることなく、魔獣たちは攻めあぐねていた。かといって黄金の鬣号も振り切ることができずにいる。双方ともに決め手には程遠い。


 先に変化を起こしたのは魔獣たちのほうであった。

 鷲頭獣のなかでも特に大柄な個体、群れの首領ボスと思しき一匹が強引に法弾幕に突っ込んできたのである。


「はは! 頭は鳥並ってか。アイツに法撃を集中だ、ここで落とすぞ!」


 すぐさま火線が集中する。迫りゆく炎の向こうに異形の姿を目撃し、キッドは思わず目を見開いた。


「なんだよ、あいつ!?」


 鷲頭獣のなかでも飛びぬけた巨体を持つ個体。それが奇妙であるのは、ただ大きさだけが理由ではなかった。

 ――首が、鷲のような頭が三つ備わっているのである。


 存在する形そのものが、鷲頭獣とは異なる個体。その奇妙な魔獣――いうなれば三頭鷲獣セブルグリフォンだ――は、炎を睨み一斉に嘴を開いた。

 淡い発光とともに魔法現象が乱れ咲く。


 首のひとつからは風、渦巻く暴風が荒れ狂い。ひとつからは炎、激しい火炎が大気を焦がし。ひとつからは雷、眩い稲光が走る。

 まさしく魔獣の名にふさわしく、放たれた熾烈な魔法があっさりと炎弾を吹き散らした。


「こいつ! それだけでやれると思うなよ!」


 迫りくる魔法の奔流に対して、キッドはカルディトーレに剣と盾を構えさせる。


 背面武装を重ねて連続投射、暴風を炎弾の炸裂で相殺する。

 直後に盾を突き出し、雷撃を受け止めた。幻晶騎士の用いる盾には対戦術級魔法の仕掛けがある。裏側に絶縁素材が仕込まれており機体を保護しているのだ。荒れ狂う雷撃は船へと伝って逃れてゆく。

 最後に迫りくる炎の塊を、剣の一撃により切り払う。


 猛攻を突破し、キッドは敵の姿を睨んだ。


「くる……か!」


 三頭鷲獣が開けた穴へと、一匹の鷲頭獣が飛び込んでくる。レスヴァント・ヴィードによる法撃を振り切り、まっすぐに船を狙っていた。

 カルディトーレが甲板を駆ける。


「させるかよ!!」


 盾を構え、鷲頭獣の進路を遮る。魔獣は翼を広げて強引に進路を捻じ曲げた。滑るような軌道を描き、横合いからカルディトーレに襲い掛かる。


 背面武装に光が走り、法弾が宙を翔ける。大きな羽ばたきひとつで攻撃をかわした鷲頭獣は、甲高い嘶きを上げて鋭利な爪を構える。巨体による飛びつきを、カルディトーレは身を沈ませて回避した。


「その大きな翼! ここは死角になるだろ!!」


 カルディトーレは姿勢を跳ね上げると同時に鷲頭獣の背後へと駆け抜ける。

 剣を振り上げ、通り過ぎたばかりの無防備な背中へと一撃を食らわせようとして――。


「なっ……こいつ!?」


 幻像投影機ホロモニターに映ったものを見て、キッドが驚愕の声を漏らした。

 彼は見た。剣の先、鷲頭獣の背には何かが存在する。明らかに“誰か”の手によって加工され取り付けられたと思しき鞍と、それにまたがる“存在”。


「……ひ、人だって!? どうして、魔獣に!」


 混乱と驚愕がわずかに剣の動きを迷わせた。

 一拍に満たない隙だったが、鷲頭獣はそれを逃さず攻撃をかいくぐる。翼のはためきと共に激しい風が巻き起こり、巨体が一気に加速して船から離れた。


「く……ミスっちまった。今は余計なことを考えるな! たとえ“人間”が乗っていようと、襲いかかってきた敵なんだ」


 操縦桿を握る手に力がこもる。これ以上ない好機を逃し、キッドは歯噛みするもののすぐに気持ちを切り替えた。

 驚きは一度だけ、二度目はない。


 しかし彼が立ち直るより先に次なる脅威が襲い掛かっていた。

 三頭鷲獣がカルディトーレを狙う。鷲頭獣を一回りは上回る巨体。当然、突撃の威力も比較にならない。


 カルディトーレには迎撃するだけの余裕がなかった。

 辛うじて掲げた盾が間に合うが、莫大な質量の勢いを止めるには至らない。金属がひしゃげ、結晶質の筋肉が砕け千切れる嫌な音をあげる。

 両者はもつれあうようにして甲板を横切り、そのまま空中へと突き抜けた。


「あっ……やば……」


 三頭鷲獣は翼を広げて空を舞う。では、カルディトーレは?

 マギジェットスラスタは――ない。

 ワイヤーアンカーは――ない。

 ゆえにこの機体は空を飛べない。この後に待つのは落下死のみ。


「ちっく……こんのぉぉぉぉぉ!!!」


 蹴り飛ばすように緊急解放桿を押し込む。操縦席を収めていた胸部装甲が強制解放され、彼の前に空が広がった。

 革帯ベルトを外すのももどかしく外へと飛び出す。


 銃杖ガンライクロッドをつかみ、落下してゆくカルディトーレを足場に飛びあがる。

 “大気圧縮推進”の魔法。大気の塊が弾け、キッドの身体を空中に持ち上げた。


 荒れ狂う風の流れがキッドを撫でる。大気の唸りがつかの間、彼の耳を封じた。

 大きく弧を描いて甲板を目指し――彼が生還を掴むよりも先に、三頭鷲獣の巨体が現れた。


 決闘級魔獣。幻晶騎士に匹敵する獣を相手に、生身の人間はあまりにも小さい。ただの羽ばたきひとつとっても致命的な威力を有しているのだ。


「っらぁぁぁぁぁ!!」


 “大気圧縮推進”の魔法により逃れようとしつつ、“大気衝撃吸収エアサスペンション”の魔法を重ねる。

 直撃を受ければそれだけで挽き肉になりかねない。集まった大気がキッドの身体を保護する――だがあまりにも威力の差が大きすぎた。


 翼の一撃が無慈悲に振り下ろされる。大気のクッションを突き抜けた衝撃だけで十分だ。キッドの身体は木の葉のように吹っ飛んだ。

 くるくると錐もみをおこしながら落下してゆく。


 そこに逃れ去ったはずの鷲頭獣が戻ってきた。大きく嘴を開くと、落下してゆくキッドめがけて突っ込んで――。




「おい、キッドのやつはどうなった!?」

「直前で脱出した様子ですが、甲板の状況がわかりません!」


 エムリスが血相を変えて叫ぶ。

 落下してゆくカルディトーレの姿は船橋からも見えていた。それで戦う者はキッドしかいない。


 返ってきた答えは芳しいものではなかった。甲板の上では魔獣と法撃が飛び交っている。危険すぎて人を送り込めないのだ。


「あいつは、あの銀色の弟子だぞ。そう簡単にくたばりはしないだろうが……」


 歯噛みする思いだった。

 エムリスはすぐにでも金獅子へと向かおうとまでしたが、周囲に寄ってたかって止められている。

 しかしそんな状況は長く続かなかった。


 執拗に船へと襲い掛かっていた魔獣たちが、逆に離れ始めたのだ。


「諦めたのか、縄張りの限界か? わからんが好機だ。全速で離脱するぞ! それと誰か、甲板からキッドのやつを拾ってこい!」

「は、はい!」


 エムリスが矢継ぎ早に指示を飛ばし、船員たちがあわただしく動き始める。

 黄金の鬣号は長く噴射炎を伸ばしながら、その場を離脱していった。


 エムリスは我知らず深い吐息を漏らし、船長席に身を沈めた。

 それから船体の被害を確認していると、甲板へ向かったはずの船員が血相を変えて戻ってくる。


「若旦那! き、キッドの姿が……どこにも、ありません」


 彼の悲鳴のような報告を聞いて、エムリスは目を見開いて立ち上がった。




 虹色の輝きをまとう奇怪な森の上を、翼持つ魔獣たちが進んでいた。

 先頭をゆくのはひときわ巨大な三頭鷲獣セブルグリフォン。背後には鷲頭獣グリフォンが続く。


 翼を広げ、木々を舐めるように飛んでいる。

 群れのうち一匹だけが遅れ気味であった。理由はすぐにわかる。その鷲頭獣だけ嘴に何かを咥えており、慎重に飛行しているからだ。

 魔獣の嘴に挟まっているもの――それは“人間”の形をしていた。


 鷲頭獣の背に設えられた鞍。その上に座った者は、咥えられたまま微動だにしない荷物の様子をじっと見つめていたのだった。

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