#125 故郷へと旅立とう

 魔王の墜落によって引き起こされた激しい噴煙を見下ろし、マガツイカルガは虹色の光の上に佇んでいた。


「終わった、ね」

「ええ。魔王も穢れの獣クレトヴァスティアも、大半を駆逐しました。森の様子はこれで大きく変わることでしょう。ひとまず戦いの後始末がありますが」


 穢れの獣という強力な魔獣がごっそりといなくなったことは、魔の森の力関係に少なくない影響を及ぼすことだろう。もしかしたら新たな難敵が現れるかもしれない。だがそれは、いずれ対応すればよいことだった。

 それよりも、今気にすべきは――。


「ねぇそれ。よかったの?」


 マガツイカルガが、傍らに巨大な水晶球を抱えている。内部に封じられているのは第一次森伐しんばつ遠征軍の生き残りである、二人のエルフであった。


「装置がなければ滅びの詩ネクローリスソングは使えないようです。魔王亡き今、ここにあるのはただのエルフ。ならばこのまま滅ぼすのも忍びないというものです。手段はともかくとして、彼らなりに人々を導いてきたのですからね」

「うーん、そっか。小鬼族ゴブリンの皆がこれから大変になっちゃうんだよね……」


 魔王と小王オベロン、彼らの存在が小鬼族に安定をもたらしていたのは確かである。魔の森で生きるためにはまず相応の実力を要求されるのだから。

 結果として魔王や幻獣騎士ミスティックナイトといった強力な兵器群の大半を失い、小鬼族は非常に厳しい状況に置かれたと言っても良い。


「むぅ。戦いは終わりましたがやるべきことは山積みですね。ひとまず村の防衛をなんとかしないと」


 アディは少し驚いて、思わず問いかけていた。


「エル君、このまま銀鳳騎士団で小鬼族を守るの?」

「村の皆にはカササギを造ってもらったのですから、捨て置くことなどできません。ただ戦力がありませんし、少しは騎士団に動いてもらうしかないですね」


 マガツイカルガをゆっくりと前進させながら、エルは考え込んでいた。趣味に人生を捧げた道楽人とはいえ、これでも組織の長である。彼には集団に方針を打ち出す義務があったし、彼自身も疎かにするつもりはない。


「じゃあエル君はこっちで暮らすつもりなんだ。うーん、こっちの皆も嫌いじゃないけど、ずっと暮らすのはー……」


 アディもまた考え込んでいた。彼女としてはエルの隣こそが居場所である、とはいえそれだけで十全とはいえまい。

 故郷に帰る手段を探していた頃ならばともかく、今は飛空船レビテートシップがある。帰らないという選択肢はないだろう。


「そうですね……。では、こうしましょう。巨人族アストラガリをうまく巻き込んで、この地の防衛体制を構築してしまうのです」


 巨人族と交渉できる手札については事欠かない。なにしろ穢れの獣を一掃し、魔王すら打ち倒したのだ。基本的に力を奉じる種族である巨人族にとって、銀鳳騎士団は無視できない存在となっている。


小魔導師パールちゃんとか、お願いできるかも! それからは?」


 エルは、ふんわりと花開いたような笑顔を浮かべた。


「まずは国に帰ります。もちろん、これほどの一大事となれば国王陛下に報告するのが筋。ボキューズ大森海のなかに領土ができるとなれば、相応の大人数が動かざるを得ないでしょう。いいえ、動かします」

「あ、投げるつもりだ」


 彼女はすぐさま悟っていた。基本、エルは興味のあることしかしない。さらにそのためにはあらゆる手を惜しまず使うのだと。


「領地経営は僕の本分ではありません。だから得意な方にお任せするのです」

「うーん。まぁそのほうがいいよね」


 考えてみれば、このままボキューズ大森海に残ることは彼女も望んでいない。エルと共に帰られるのならば何も問題はなかった。


 ふと見れば、イズモを先頭に飛空船団が彼らのところを目指している。アディがマガツイカルガに大きく手を振らせた。


「さぁ帰りましょうか、アディ」

「はーい!」


 マガツイカルガは銀鳳騎士団のもとを目指し、速度を上げたのだった。




 時が過ぎるとともに地の揺れは遠ざかり、噴き上がった土煙も徐々に晴れてゆく。空で繰り広げられていた戦いの余韻は過ぎ去り、森は普段の営みを取り戻しつつあった。


 穢れの獣の襲来を受けて後退していた巨人たちが、恐る恐るといった様子で戻ってくる。おびただしい数の穢れの獣の死骸を見まわし、彼らは小さく身体を震わせた。


「……終わったというのか」

「穢れの獣も、かの巨大な獣も滅んだ。小鬼族の船と幻獣が滅ぼしたのだ」


 彼らの眼前には天を衝くように巨大な魔王の残骸がある。疑う余地は何ひとつとしてない。それでも巨人たちは我が目が信じられない思いでいた。


「空を覆うがごとき巨いなる獣。それを小さき者が、小鬼族が滅ぼそうとは……」

「我が三眼が確と見届けしこと。百眼アルゴスもご覧になろう」


 彼らがそれぞれに慄いていると、一体の巨人が前に進み出た。カエルレウス氏族の三眼位の勇者が諸氏族連合軍の前に立ち、振り向く。


「諸氏族連合よ! 我らは問いに答えを得た! これぞ百眼がお認めになったことである!」

「……!!」


 問いの終わりを告げる、勇者に対する反応は様々であった。頷くもの、首をかしげるもの、憤るもの――中でも一部から声が上がる。


「しかし、またも穢れの獣が問いを穢した! さらに倒したのは小鬼族……あれらが穢れの獣といかほど違うことか」


 銀鳳騎士団はあまりにも力を示し過ぎた。結果として、問いはまたも巨人族ではない者の手によって決着を見てしまったのである。それでは以前と同じではないのか――当然の疑問が、巨人たちの胸中にある。


 それに対し、カエルレウス氏族の勇者は力強く首を横に振った。


「違うのだ。あれなるは我がカエルレウス氏族の同胞となった。“少々”小さくあろうと、いかほどの問題があろうか」


 諸氏族は眼を眇め、顔を見合わせた。それはあまりにも牽強付会が過ぎるのではないか。


「だとしても、巨人族われらではないことに変わりはない」

「些末事である。あれらとは“言葉”を共にする。穢れ生むしかなき獣とは、元より異なったもの」


 カエルレウスの勇者は口元に笑みを浮かべた。小さな勇者と出会った時のことを、ふと思い出したのである。

 彼の言葉で巨人の全員が納得したわけではない。それぞれに議論が湧き起こっていた。



 その時、巨人たちの間にざわめきが巻き起こった。

 よろよろとした足取りで近づいてくる、巨人の一団を発見したのである。その巨人たちはひどく傷ついていた。無事なものは一体としておらず、互いに肩を貸し合った半死半生の有様である。

 カエルレウス氏族の勇者は中に見覚えのある巨人を見つけ、思わず声を上げていた。


「お前は! 生きていたのか……ルーベル氏族の偽王!」

「ぐぅぅおおお……。か、カエルレウスぅぅ……」


 ひときわ大きな体をもつ巨人が、獣のように唸る。

 偽王はまさしく満身創痍であった。身体はまんべんなく穢れによって焼け爛れ、自慢の眼もみっつが潰れている。執念だけが脚を支え、瞳は激しい炎を放って衰えない。


 しかし傷はあまりに深すぎた。諸氏族連合軍の前に立ち、彼はついに膝をつく。

 カエルレウス氏族の勇者が近づいても、見上げるだけの力は残っていないようだった。


「偽王よ、まだ眼開いていたか。その力、さすがは五眼位であるな」

「あの……程度で、我が瞳返すと、おもうてか……」


 残る矜持を総動員して、偽王は顔を上げた。ぎらつく瞳に、諦めの色はない。

 その時、生き残ったルーベル氏族諸氏族をみた巨人たちが静かに動き出していた。なかには露骨に武器を構え直す巨人もいる。


 剣呑な空気が増してゆく中、カエルレウス氏族の勇者が先んじて動いた。武器を地面に突き刺すと、背後を制止したのである。


「もはや問いに答えを得た。百眼の裁定は下された。問いが終わった以上、これ以上戦う理由はない」


 勇者の言葉を聞いた、諸氏族から戦意が霧散してゆく。巨人族にとって、問いと答えは重要かつ神聖なものなのだ。

 だが、偽王にとってはそうではなかった。歯を食いしばり、血泡が漏れるのも構わず立ち上がる。


「答えなど! 認めぬぞ、認めぬぅぅぅ……。小さきものめ! 小王め! このようなものが、百眼のご意思などとぉ……っ!!」


 だがそれも僅かな間のこと。傷ついた彼は自らすら支えきれず、すぐに膝をついた。

 勇者は静かに語りかける。


「お前とて目にしたのであろう。百眼が課されたこの試練、問いを出したのはあの小さき者たちである。穢れの獣だけではない、あの巨いなる獣すら打ち倒したのだ。百眼は告げられた、これこそ巨人族にとって重大なる目なのであると」


 偽王は応えず、ただ唸りを漏らした。

 ルーベル氏族の巨人たちはへたりこみ、呆然としている。最大氏族であったはずの彼らだが、生き残った者は半分に満たない。

 彼らの負った傷はあまりに大きかった。それは身に余る野望の代償か、それとも――。


「このようなところで目を閉じている暇などないぞ、偽王。百眼が答えをお示しになった。お前も氏族を率いるものならば、なすべきことがあるはずだ」

「いわれる……までもない」


 偽王は巨人の一人に肩を借り、ようやく立ち上がった。五眼位の肉体は強靭である、ひどい傷を負ってはいるが死にはしないだろう。

 数は減ったとはいえ、彼らもまた巨人の一氏族。これから先を歩まねばならなかった。


 それから勇者は背後へと視線を馳せた。魔王の周囲は土煙収まりきらず、ところどころに穢れの獣の瘴気が混じっている。

 大地は汚染されつくし、何ものも生きることのできない穢れた地と化していた。


「何ということだ。あれでは近づくことも容易ではない」

「穢れの獣は我らが大敵であった。獣がただ従うなどということはありえない。この傷が、それを教えてくれる……」


 かくして、魔王との戦いの地は厳重に封印されることになった。

 この地は、穢れの獣を戦いに用いた過ちを示す場所として、巨人族に永く伝えられてゆくことになる――。




 そうして戦いの終わりより、しばらくの時が過ぎる。


 あれから銀鳳騎士団、巨人族ともに戦いの後片付けに追われていた。戦いの終結によってこの地における因縁が解決したことにより、新たに始まるものもあるのだ。


「……と、言うわけで。いずれ僕の仲間がこの地にやってくることでしょう。そうなれば小鬼族……いいえ、“人”がより良く暮らせるようになります」

「おお……騎士様、ありがとうございます」


 銀鳳騎士団は小鬼族の村へと戻っていた。彼らが手を入れたことにより、村は見違えるように綺麗になっていた。

 さらに一部、上街から逃れてきた者たちも合流している。

 エルは彼らを集め、こうして説明していたのである。


 小王を失ったことによりいくらかの混乱があったものの、銀鳳騎士団の介入によって落ち着きを取り戻すまでそう長くはかからなかった。なによりも暮らしていけるだけの状態にあったことも大きい。

 さらに、そこにはもうひとつ理由があって。


「それまで、村の護りは巨人族の皆様にお願いしますね」

「ふうむ。武器防具の手入れはせねばならぬ、これからはお前たちに頼むこととしよう。その代わり、この地の護りは我らに任せよ」

「はい、承知しております」


 エルが交渉し、巨人族との全面的な協力体制を築いてきたのである。


 あの戦いによって多くの巨人が傷ついていた。なかでも最大氏族であったルーベル氏族は壊滅寸前までいったのである。そうして戦いの後、森の地図は大きく塗り替えられることになった。

 中でもカエルレウス氏族は死に絶えた元の住みかを離れ、かつてルーベル氏族の土地であった場所の一角へと移っていた。

 小鬼族と共に暮らすことも彼らならば慣れたものである。


 巨人族は森に戻り、それぞれの暮らしに帰った。小鬼族は巨人族との縁を深め、新たな生活に向かっている。

 そうしてようやく、銀鳳騎士団は出立の準備に取り掛かったのであった。



 団員たちがせっせと飛空船に荷物を運び込む。フレメヴィーラ王国までの長旅だ、飛翔騎士も万全に整備してあった。


 その一角にカエルレウス氏族の巨人たちが集まっている。彼らのなかで一人、小魔導師パールヴァ・マーガが全員と向かい合っていた。


「……本当に、ゆくのだな」

「はい、勇者よ。我はもっと多くのことを知らねばならない。これからは小鬼族……いや、“ヒューマン”と共にあるだろうから」


 巨人族の少女は氏族の皆を一度見回して、決意も強く頷いた。彼女は目元に手を添えて。


「だから……我は、師匠マギステルの故郷をこの目に収めてこよう。いずれ皆に、そして百眼にもお伝えせねばならぬ」


 少女の決意を前に、勇者はしばらく無言でいた。やがて彼はゆっくりと頷く。


「わかった。それが魔導師マーガの決意ならば……我は勇者として支えよう」


 小魔導師が喜色を露わにする。

 その時、横から巨人たちの声が聞こえてきた。


「小鬼族とともに、か。一眼に収めるか? それは少々抜け目が過ぎるというものだ」

「む。フラーウム氏族に……。お前たち、何故集まっている」


 フラーウム氏族の勇者が、不敵な笑みを浮かべていた。

 さらにそこにいたのは彼だけではない。様々な氏族に属する巨人が、ずらりと集まっていたのである。


 カエルレウス氏族の巨人たちが戸惑っていると、代表するようにフラーウム氏族の勇者が進みでた。


「これから、巨人族われらも変わってゆく。その源は、小鬼族にあるだろう。ならば、我らも“虹の勇者”とともにゆく」

「むぅ……」


 そうして巨人同士で話していると、その足元にちょこちょこと現れる人影がある。エルだ。彼は巨人たちの話の中に、聞き逃さざるべき単語を見つけていた。


「あのーう? 虹の勇者とは、いったいなんでしょうか」

「ふむ。小鬼族の勇者よ、お前の幻獣のことだ! 虹を纏い空を翔ける。これを勇者と呼ばずしてなんとする」

「えー……。ん……まぁ、呼び名はご自由にどうぞ」


 若干複雑な心持ちではあったが、エルはすーっと下がっていった。

 そこに親方がやって来る。彼は巨人たちを指して、口元を引きつらせた。


「おい坊主、本当にこのデカいのを積んで帰るつもりかよ」


 船を操る者として当然の心配であった。エルは少し考えた後、頷く。


「イズモなら積載量に少し余裕があります、数名くらいなら大丈夫でしょう。どのみち森の状況について陛下にお伝えすることになります。その時に証拠があったほうがわかりやすいでしょうし」

「やれやれ。こいつはまた厳しい旅路になりそうだぜ……」


 親方は肩をすくめると、船員の指揮に戻っていった。巨人を乗せるとなれば、念入りに準備をしていたほうがいいだろう。


 エルは喧々諤々と話しこんでいる巨人たちに向けて、声を張り上げる。


「皆さーん! ちょっと聞いてください。さすがに希望者全員を連れてゆくのは無理です。船に乗りきれません。いくらか減らしてくださいね」


 巨人たちは顔を見合わせた。全員がついてゆく気満々でここに居る、誰一人として簡単に譲るつもりはない。皆氏族の未来を背負っているのだ。


「……ならば、目はひとつしかない」

「問いか」

「うむ、ここで問えばよいこと。さすれば百眼がお決めくださろう!」

「あ。小魔導師は決定ですので、問いは他の方々でお願いします」

「ぬぅ……!?」


 かくして、にわかに巨人同士による大乱戦が勃発したりしたが、放っておいてエルたちは準備を進めた。


 数日後。銀鳳騎士団飛空船団は帆を広げ、大空へと浮かび上がっていた。準備は万端、飛翔騎士たちが周囲の護衛についている。

 船の中には、数名の巨人も乗り込んでいた。


「それでは……フレメヴィーラ王国目指して、出発です!!」


 イズモの甲板で、イカルガが旗を振る。それに従い、飛空船が次々に起風装置ブローエンジンを起動した。

 帆をいっぱいに膨らまし、船は力強く空をゆく。目指すは故郷、フレメヴィーラ王国。


 銀鳳騎士団は無事に騎士団長を救い出し、その任務を全うしたのであった――。

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