#122 魔王vs鬼神

「エル君!? な、何してるの!?」


 慌てるアデルトルートをさっぱりと置き去りに、エルネスティはカササギに命じる。

 カササギの腹部にある補助腕サブアームが伸び、イカルガの背を掴む。つまり小魔導師の時と同じだ、カササギがイカルガを抱きかかえるようにして可動式追加装甲を展開した。


「いい子だから、もう少しだけ待っていてください」

「お、おお!? うんうん! ぜんっぜん大丈夫だから!」


 幻晶騎士としては中途半端な存在であるカササギだが、他者に飛行能力を与えるという無二の機能を持つ。だがエルの狙いは、イカルガを支えることだけではなかった。


「さぁ始めましょうか、二機とも。経路パス確保、魔力伝導を開始……」


 補助腕を、結晶筋肉クリスタルティシューを通じて二機の間に魔力の経路が形成される。


「全魔力転換炉の連結を確認、魔力貯蓄量を共有化。……魔導演算機マギウスエンジンを直結、主操縦権を取得……」


 カササギの皇之心臓ベヘモス・ハートが、イカルガに載せられた魔力転換炉エーテルリアクタの全てがつながれる。四基の炉が、エルの命じるままに全力稼働を始めた。

 風が唸りを上げる。吸排気機構が吼え、エーテルを貪り喰らい魔力を生み出す。


開放型源素浮揚器エーテルリングジェネレータ、出力再定義。効果範囲を拡大……!」


 カササギの持つ開放型源素浮揚器へと、生み出された魔力が奔流となって流れこんだ。

 二機の魔導演算機を連結し、莫大な魔法術式スクリプトを処理してゆく。今初めて、開放型源素浮揚器は一切の制約なく全力全開での運転を開始した。


 虹色の光が溢れだし、空を覆う。二機の足下に、虹の円環が何重にもなって描かれた。イカルガが虹の円環の上に立つ。不安定さなど微塵もなく、鬼神は雄々しく屹立する。


「出力、機器の安定を確認……カササギとイカルガの全機能を連動します」


 カササギの操縦席から、エルは二機のすべてに触れてゆく。彼はカササギもイカルガも、隅から隅まで知り尽くしている。二機の幻晶騎士は彼にとっては手足のごとく馴染んだものだ。


 その時、周囲から奇怪な詩が響いてきた。脳髄を侵食するような、獣の奏でる詩。彼は不愉快げに眉を顰めたが、すぐに振り払っていた。


「アディ、ここまでよく頑張りましたね。後は僕も一緒に、戦います」

「まっかせてよ! エル君と一緒なら誰にも負けないから!!」


 虹の円環を足場にして、二機の幻晶騎士は空にぼんやりと静止している。

 その隙に穢れの獣たちが殺到してきた。敵はあまりにも隙だらけである、今なら体液弾で一息に仕留められるだろう。


 魔獣たちは喜ぶでもなく逸るでもなく、機械的に攻撃を加えていく。発射された体液弾が空中で炸裂し、空に酸の雲が広がった。二機の幻晶騎士は、なんら抗うことなく酸の雲に飲み込まれてゆく。

 この世界において、穢れの獣が放つ酸の雲に耐えられるものなどいない。特に金属を多用する幻晶騎士にとっては天敵のような存在であるはずだ。


 ――しかし。異常が、起こり始める。


 大気が動き出す。酸の雲に満ちた空間の中心で、風が渦を巻き始めた。

 雲を巻き込みながら渦は拡大してゆく。死に満ちているはずの空間は、まもなく大きなひとつの渦と化していった。


「……考えてみれば簡単なことでした。穢れの獣が使う溶解性の体液弾。その真に恐れるべきは揮発性と拡散性にある。ですが、ご存じでしたか。雲とは風に吹かれて漂う定めにあるのです」


 雲の隙間から、虹色の光が広がってゆく。

 酸の雲に包み込まれていながら、二機の幻晶騎士はまったくの無事であった。


 カササギの可動式追加装甲が、淡く発光している。これは単なる防御用の装甲などではない。流れる魔力を受けて、表面に大量の紋章術式エンブレム・グラフが浮かび上がっている。

 術式が導くは、大気系統の魔法。風を呼び渦を巻く――嵐の守護。


「“嵐の衣ストームコート”、よ。奴らの穢れを全て掃いなさい」


 巻き起こされた嵐が、酸の雲を吹き飛ばす。もはや死の穢れは彼らに届かない。エルと小鬼族の村人たちが苦心惨憺し仕上げた紋章術式が、今その真の機能を解放する。


 虹の上に立つ、嵐をまといし鬼神。

 自身の持つ最大最強の能力が通じずとも、穢れの獣たちに動揺はなかった。元よりそれらに感情などない。幻繰獣騎ミスティックビーストが命じるままに動くだけだ。


 赤い魔獣が次なる命令を叫ぶ。魔獣たちは体液弾による攻撃を諦め、二機の幻晶騎士へと向けて突撃していった。

 なるほど、“嵐の衣”は確かに酸の雲に対して効果的な防御方法である。だが雲は吹き飛ばせたとしても、魔獣の巨体であればどうか。穢れの獣は、それそのものが溶解性体液を満載した爆弾となりえるのだ。

 自死すら厭わず、魔獣たちは突き進む。


「エル君、くるよ!」

「大丈夫です、そうそう同じ手はくいません。“執月之手ラーフフィスト”よ、舞いなさい!」


 エルに操られるまま、イカルガが執月之手を発射する。切り離された手は嵐の中に舞い飛び、機体の周囲を回り始めた。

 執月之手が紫電を纏う。生まれ出でた火花はやがて、眩い雷と化してゆき。

 雷は縦横に空を走り、絡み合い。二機の幻晶騎士を包む編み籠と化す――。


「鳴り響け、“雷霆防幕サンダリングカタラクト”!」


 飛翔する執月之手を起点として発動する、多重連動式魔導兵装。荒れ狂う嵐を貫いて、雷鳴が咆えた。


 それは、かつて西方にて最大最強を誇った戦闘用飛空船、飛竜戦艦ヴィーヴィルが用いた空対空迎撃装備である。

 近づくものの一切を破砕する絶対の守護であると共に必滅の攻撃。

 渦巻く嵐に近づいた穢れの獣へと、雷撃が容赦なく牙をむく。光が走るたびに魔獣が粉砕され、酸の雲をまき散らしながら墜ちていった。


 嵐吹き荒れ雷鳴り響く、荒ぶる鬼神にはあらゆる攻撃が通じず、近づくことすら許されない。穢れの獣は声なき動揺を露わとした。


 砕け墜ちる魔獣たちを越えて、エルはその背後にある存在を睨む。奇怪な詩を流し続ける超絶規模の巨獣へと。


「これより僕たちは、あなた方にとってのわざわいとなる。……ゆえに名付けましょう。“マガツイカルガ”と」


 推進器が炎を吐き出す。虹と嵐を引き連れて、鬼神――マガツイカルガは飛翔を開始した。



「穢れの獣が、いっぱいくる。すごい集まってきてるよ」


 周囲にいた魔獣たちが動きを変える。深刻な脅威を取り除くべく、鬼神のもとに群がってきた。


「僕たちが暴れるほどに、皆の負担は軽くなります。可能な限り墜としましょう」

「わかった! ふふーん、エル君と一緒ならこんな魔獣なんて!」


 推進器が噴き出す炎が強まり、鬼神はさらに加速する。穢れの獣を相手に、真正面から突っ込んだ。

 穢れの獣が、いっせいに体液弾を放つ。次々に鬼神へと直撃し酸の雲を生じるが、その全てが嵐に吹き散らされ、無意味と化した。


「“嵐の衣”は大丈夫! “雷霆防幕”も受け持つから、エル君!」

「ありがとう、アディ。では……法撃、格闘で磨り潰します」


 マガツイカルガが、銃装剣ソーデッドカノンを構える。魔獣との距離はさほどもない、酸の雲を怖れて距離をとる必要がないのだ。いかにすばしっこい魔獣であろうとも、近寄ってしまえば逃すことはない。

 轟炎の槍が的確に魔獣を貫いてゆく。吹き飛ぶ仲間の死骸を置き去りに、魔獣はさらに進み迫った。


 雷鳴が大気を震わせる。雷霆防幕が、近寄る異物を片端から討ち落としていった。

 魔獣の四肢がちぎれ飛ぶ。噴きだした体液が溶解性の雲となり広がるが、鬼神の嵐が丸ごと吹き飛ばした。

 マガツイカルガは一瞬たりとも動きを止めることなく進み続ける。


「おお……なんだ、なんということだ。滅びの詩を聞き、穢れの獣を相手に! 何がこれほどに動くというのかい!」


 突き進む虹の領域の前に、幻繰獣騎が直接相対する。穢れの獣を操り、自身も強力な酸の渦を放つ。

 ふたつの渦が、空中で衝突した。風が荒れ狂い、酸の雲が獲物を絡めとる――かに思われた、しかし。可動式追加装甲が淡い光を発する。風の向きを調節し、幻繰獣騎の攻撃を柔らかく受け流した。


 マガツイカルガが銃装剣を突き出す。二人の騎操士によって操られる今の鬼神に死角はない。放たれた轟炎の槍が、幻繰獣騎を撃ち貫いた。


 幻繰獣騎による制御を失った穢れの獣は混乱している。それらを置き去りに、鬼神は前進を再開した。


「あれが、幻晶騎士なのか。あのようなものが、この世界にありえるというのか!?」


 小王は慄き混乱していた。巨人であれ幻獣騎士であれ、果ては幻繰獣騎であってすらここまでの異常さはない。比肩するものは、この“獣”しかないのではないか――。


 彼が混乱する思考を必死にまとめていると、どこからか声が響いてきた。彼のいる場所の全てから響いてくる声。それは明確に何者かの意思を告げていた。


「……あ、ああ。大丈夫だ、心配はいらないよ。かくなる上は、私が動こう……。安心するといい、私たちに敵うものか」


 いったい何と話しているのか、小王は混乱を収め強い決意を固めていた。

 それも直後に伝わってきた意思によって再び乱れだす。


「な、なんだと!? それはならない。これ以上、滅びの詩を強くしては! ……ああ、わかっている。その通りだ、しかし!」


 意思は、引かなかった。説得すること叶わず、小王は拳を握りしめる。


「手段を問うている場合じゃない。そうだね、西の地は私たちを簡単に受け入れないようだ。ならば……倒さねばならない。私たちはゆくのだ、西の地へ、我らの故郷へ。大いなる流れに還る前に、辿りつかねばならない」


 小王は決意し、座席に身を沈めた。周囲から巨体が軋む音が響いてくる。


「下がれ、あれは穢れの獣では相手できない。お前たちは船を狙うのだ」


 幻繰獣騎が動き、穢れの獣が従う。周囲の魔獣が一斉に動きを変えたのを見て、マガツイカルガは前進を止めた。

 それは、視界の大半を埋めていた巨体が動いたせいでもある。馬鹿げた巨体は、ただ向きを変えるだけで周囲に突風を起こしていた。


「どうやら、僕たちをかなりの脅威とみなしたようですね」

「何匹魔獣を吹っ飛ばしたか、もう覚えてないし。そりゃあねー」


 虹の円環を足場に、空に屹立する鬼神。それを、多数ある“獣”の眼が見降ろしている。視線は明らかに、マガツイカルガを狙っていると告げていた。


「……小王。これが、小鬼族ゴブリンの切り札なのですか」


 つぶやきが届いたとは思えない。しかし“獣”からは、聞き覚えのある声が響いてくる。


「ようこそ、歓迎しよう。……少し形が変わっているが、それには見覚えがあるよ。エルネスティ君、君はまったく私の大敵だったようだね!! 本当に苦労させられる。だからこそ、私たちは全力をもって君を倒すことにした。倒し、道を開くのだ」


 同時に、“獣”から流れ出す旋律が圧力を増す。


「数多の穢れの獣を倒した力は、本当に驚愕に値するよ! だが、所詮はただの道具にすぎない。とくと味わうがいいさ、我らが見出した“滅びの詩”を……!」


 詩の圧力はいや増してゆき、マガツイカルガへと吹きつけて来る。鬼神を支える、虹の円環が揺らめいた。


「ううっ……これ!! さっきより強力に、なって……」


 数多の魔獣を相手取り僅かも引かなかった鬼神が、初めてよろめいた。虹の円環は輪郭を揺らめかせ、浮揚力場が不安定になっていた。“獣”が近づくほどに、鬼神は苦しむように姿勢を傾かせてゆく。


「イカルガが……また、うまく動けなくなってる! エル君、このままじゃ……」


 アディは頭を押さえながら、操縦桿を動かす。魔道演算機からの反応は鈍く、マガツイカルガは先ほどまでの力強さを失っていた。

 “獣”は詩いながら動き出す。無数の肢を伸ばし、苦しむマガツイカルガへと迫った。


「くくく、どうだい? 動けないだろう。そうだ、君はひれ伏すのだ。見たまえ、真なる神秘ミスティックの姿を! 何ものも抗うことのできない至上の力を!」


 幻晶騎士を越える長大な肢。先端には鋭い爪がある。巨大な存在の前には、嵐の衣などなんの役にも立たない。ひたすらに圧倒的な力によって、全て破壊されるのみ。


「人も、巨人も、獣も! あらゆるものが私たちの前に跪く。私たちは王……統べる者なのだから。そうだ、小王などと与えられた役ではない。我らこそが普く魔なるものの王……“魔王”である!!」


 “獣”――否、“魔王”が肢を振り下ろす。瞬間、マガツイカルガが弾かれたように動き出した。


「う、動いてる!? でも、反応は薄いし……」


 確かにマガツイカルガは動いている。しかしそれはただ推進器を動かしているだけといった印象だ。姿勢制御は乱暴であるし、目を瞠るような機動性も鳴りを潜めている。


「魔導演算機、干渉……制御権を。魔法術式、爆炎、大気操作……」


 エルは半分眼を閉じ、瞑想するような様子で演算を続けている。機能不全を起こしたマガツイカルガを動かしているのは、ほぼ彼の力によるものだ。それでも推進器を動かすので精いっぱいといった状態である。


 かろうじてといった形であれ、魔王の肢から逃げ回るマガツイカルガを見て小王は目を剥いていた。


「なぜ、なぜ逃げられる! 滅びの詩を聞かない存在が、この世界に在るというのか」


 直前までの余裕はどこへやら、驚愕はすぐに焦りへととってかわった。


「どうやら逃げるだけみたいだね! だが、それでも……」


 魔王は肢をうごめかし、執拗に攻撃を加える。唸りを上げて振るわれる攻撃を、鬼神は炎放ちかわしていった。


 やがて、彼の懸念が現実のものとなった。足元から微かな揺れが伝わってくる。魔王の巨体が不気味な鳴動を起こしているのだ。


「これ以上は、持たないか。もういい、戦い方を変えるんだ!」


 周囲に圧力を与えていた、滅びの詩がおさまってゆく。同時に飛翔騎士たちは息を吹き返し、元の動きを取り戻していた。それはマガツイカルガも同じこと。


「ふぅ、やっと鬱陶しい頭痛がなくなったし。これから反撃ね!」

「どうやらそうそう長くは使えないようですね。もしかして、元々あの魔獣の能力ではないのかもしれません」


 マガツイカルガが旋回する。機体の調子は戻っており、あらゆる機能、性能を発揮するのに支障はない。

 再び推進器を目いっぱいに動かすと、魔王へ向かって突撃した。


「滅びの詩を、超えるか。だが我ら魔王、詩しか能がないわけではないよ……!」


 蠢く肢の先端に光が現れる。魔法現象に独特の淡い発光を起こし、直後に渦巻く炎が湧き起こった。


「多い!」


 無数の肢から無数の法弾が放たれる。まるで炎の壁が現れたかのように、恐るべき勢いで迫ってきた。

 マガツイカルガは全身の推進器を巧みに使い、小刻みに動いて見せた。濁流のような炎弾をかわし、時に弾く。全ての法弾を相手にする必要はない。幻晶騎士の大きさに対して当たるものなど限られているからだ。


 炎の壁を突き抜けて、マガツイカルガはさらに進む。そうすると次は、周囲の大気がねじ曲がった。

 大気系の法撃だ、魔法現象により生まれた恐るべき圧力が空間そのものを押しつぶしてくる。その威力は嵐の衣など歯牙にもかけない、圧倒的な力でねじ伏せにかかっていた。


「に、逃げ場がない!?」

「推進器を! 逆進させます!!」


 さしもの鬼神とて、周囲もろとも押しつぶされては耐えきれない。衝撃波となって押し寄せる大気を、推進器の炎と“嵐の衣”によって受け流す。それでもしかし、大きく後退することは避けられない。


 なんとか体勢を立て直し、マガツイカルガは魔王を睨む。魔王は数多ある肢を伸ばし、感情のない眼はどこを見ているのかすら不明だ。


「邪魔な詩がなくなったと思ったのに、次は法撃が来るし!」

「少し奇妙ですね。あの魔獣……魔王は、いくつもの魔法を操っていました」


 巨獣を睨みながら、エルはわずかに考える。魔獣とはそもそも“魔法現象を操る獣”のことである。しかし操ることのできる魔法の種類は多くない。大半の魔獣が、得意とする一種類の魔法を用いてくるのみだ。

 どれほど強大であろうとも獣は獣、様々な魔法を行使するためには知恵が必要なのである。


「知る限り、複数種類の魔法を操る魔獣などいません。もしも小王があの魔獣……魔王を完全に掌握しているのだとすれば」


 ならばもしも、魔獣由来の強大な魔法能力を人の知恵をもって操れるのだとしたら――。


「これは少しばかり、厄介かもしれませんね」


 エルは空を覆う巨体を睨み、呟いたのだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る