#52 鬼神降臨

 ライヒアラ騎操士学園の一角を、1機の幻晶甲冑シルエットギアが軽快な足取りで歩いてゆく。

 最近のライヒアラ学園街においては幻晶甲冑はさほど珍しいものではない。銀鳳騎士団ぎんおうきしだんの砦建設現場などもそうだが、学園内のみならず街中でも利用され始めておりあちこちで見かけることができるからだ。

 しかし、その中でもこの機体だけは別である。

 蒼い色をした装甲を身に纏った戦闘用の形状、なかでもたった3機しか現存していない最初期モデルのうち1機、それがこのエルネスティ・エチェバルリア専用機である“モートルビート”だ。


 エルネスティとモートルビートは既におなじみとなった道を進みライヒアラ騎操士学園、その騎操士学科の工房を目指している。

 ちなみに砦は現在絶賛建設中なので、彼らは相も変わらず工房を占拠し続けていた。

 本日のエルネスティはずいぶんと機嫌がいいらしく、重々しい鉄の足音の間から軽快なリズムの鼻歌が漏れ聞こえてくる。

 時折モートルビートの足取りが不自然なステップを踏んでいたりと、傍から見れば少々奇妙な浮かれっぷりであった。


 モートルビートは両の腕にそれぞれ大きな木箱を抱えている。エルネスティの一人くらいならば軽く納まりそうな大きさだ。

 それが彼の上機嫌の原因であろうことは、周囲の人間にも容易に推察できた。



 彼は浮かれた様子のまま工房までたどり着き、入り口から仁王立ちで奥へと呼びかける。


「こんにちは! 親方親方、いませんか~?」

「んなキンキン声で叫けばねぇでも、聞こえてるっつうんだよ」


 工房の奥からは親方ことダーヴィド・ヘプケンが耳を押さえながらのっそりと現れる。

 エルは木箱を下ろすと、そのままモートルビートから降り立った。


「すいません、一刻もはやく親方にお見せしたいものがあって……あれ? なんだか工房が静かですね」


 彼は首をかしげると親方の後ろの空間を見回した。

 いつもならば工房の中には、銀鳳騎士団に属する幻晶騎士シルエットナイトが並べられているはずである。

 その足元では乗り手である騎操士ナイトランナーと機体を整備する鍛冶師たちの間で怒号が飛び交い、常ににぎやかさの絶えない場所であったはずだ。

 それがこの日はどういうわけか幻晶騎士は1機もおらず、騎操士はおろか鍛冶師たちの姿も少ない。


「嬢ちゃんから聞いてねぇのか? あれだ、ちょっと前にカルディトーレ、カラングゥールが正式に発表されただろ」

「はい、いくらか生産も始まっているんですよね」

「おう、それで量産に入る前に現地で新型機の性能を見せて回るってことになってな」


 量産機の世代交代自体は国策でありいずれ実行されることだが、如何せん生産が追いつくまでは時間がかかる。その前に説明もかねて各地の騎士たちに最新型の性能を披露しようという試みが行われていた。


「基本は国機研ラボから人を回してるらしいんだが、さすがに国中となると広すぎて人がたりねぇんだとよ。で、うちのもアレだ、真っ先にカルディトーレとカラングゥール回してもらっただろ? あれで協力してくれって話になったんだよ」

「そういえばそんな話を聞いたような気がします」

「んでおめぇ、何作ってたんだか知らねぇがずっと引きこもってただろ。その間に陛下から正式に命が下ったからよ、エドガーとディーの野郎で相談して出撃することにしたってわけよ」

「なるほどわかりました、お勤めご苦労様です」

「おう、お疲れ……じゃねぇだろ、それでいいのか騎士団長様よ?」


 親方は暢気に答えるエルの様子にあきれたといわんばかりだ。

 銀鳳騎士団は一般的な騎士団とはかなり性格を異にする集団である。

 一応は騎士団長であるエルを頂点とした命令系統をなしているのだが、当の騎士団長が自由さに満ちているため正しく機能しているとはいい難い。

 さらにいえば双子は“騎士団長補佐”なる役割を振られて騎士団に所属しているものの、実際はエルとともに自由要員であったりする。

 実質的に指揮系統が明確になるのは各中隊長から下というのが、銀鳳騎士団の現状であった。


「確かに僕は騎士団長ではありますが、その本分はむしろ設計です。僕がいなくても陛下からのご命令をしっかりとこなす、皆さんは非常に心強く頼もしいですね!」

「そうかよ。つうかその台詞、そのまんまキッドのやつの予想通りじゃねぇか。

 ああそうだ、それであいつら気合十分って感じで“アレら”を持ち出してったぜ」


 親方は些か投げやりに応じていたが、途中でふと思いだしたように付け加える。


「ああ、アレらも完成したばかりですし試運転にちょうどいいところでしょう。動作確認をしておいてくださいと、皆に頼んでありましたしね」


 言いつつ、エルは持ってきた木箱を開いていた。

 その中に詰め込まれているのは、大量の紙束だ。一枚たりとて白紙はなく、そのどれもが文字と図面で埋め尽くされている。それらはどうやら何かの設計図のようだった。


「さて、皆さんも頑張っているようですし、僕も僕の本分を頑張りましょう!」

「おめぇがそれで良いってのなら良いけどよ。んでこいつはまたなんつう量だよ。ツェンドルグに並ぶ、いや越える勢いじゃねぇか。次はどんなひでぇもんを作ろうっていうんだ」


 図面を見る前に、親方は木箱を睨んでいわく言いがたいため息をつく。

 テレスターレ、ツェンドルグと機体開発が進んでゆくに従って、エルの設計はどんどんと大仰なものになりつつある。

 図面の量だけでもこれがどれほど恐るべきものか、大まかに想像がついていた。


「今回のものは、これまでとは毛色が違います」

「これ以上何を変えようってぇんだよ」


 呆れの混じった親方の言葉に、エルは苦笑しながら首を振った。


「ええと、毛色が違うというのはそうではなくて、これは量産を考えていません」

「んなもん、今までもそうじゃねぇか」

「いえ、それでも結局は手直ししましたよね? これは後から量産用に調整することも考えていないんです。そもそも2機以上は“作ることすら”できないでしょう」


 数枚の図面を拾い読みしていた親方が、話の流れに違和感を感じて顔を上げる。


「……おい、そりゃどういうことだ?」

「そろそろ僕のための、僕だけの機体を、作ろうと思いまして」


 親方は視線を手元へと落とす。

 彼は頭の中で先ほどのエルの言葉を反芻する。エルのためだけの機体、その言葉に名状しがたい悪寒を感じた親方は、今度こそ図面の精読を始めた。

 すぐに彼はバネ仕掛けの玩具のような勢いで顔を上げることになる。


「やりやがったな……おめぇ、しょ……いや本気か? そりゃあ“坊主のためだけ”のものになるだろうよ、こいつぁ」

「ええ、勿論ですよ。本気も本気、何から何まで僕の思うとおりに作ってみようかと」


 額に冷や汗を浮かべながら、親方は劇物でも取り扱うかのような慎重さで手の中の図面を元に戻す。


「おめぇの機体ってことはこいつは騎士団長機ってことだろ。普通そういうのは旗機っつって騎士団の顔みてぇなもんになるんだがよ。こいつはひでぇツラもあったもんだぜ」

「それほどでもありませんよ」

「一文字も誉めてねぇよ」

「それはさておき。親方、陛下にも個人用の機体の建造許可は取ってあります。さぁ、銀鳳騎士団のお仕事を、始めましょう」

「……おう、了解だ。騎士団長様よぅ」


 親方はつい吐きかけたため息を抑えると、覚悟を決めた。銀鳳騎士団ができたときから、いつか訪れるかもしれないと予想はしていたことである。

 彼には、これまでも異形の機体を手がけ数多の革新的な幻晶騎士を完成させてきた自負がある。

 たとえそれがいままでに輪をかけてひどい代物であったとしても、簡単に退くわけにはいかないのだ。


 さっそく周囲に号令をかけ始めた親方の後姿から、エルは図面の一枚へと視線を転じる。

 そこに描かれているのは、彼の起源ルーツを形にした、この世界にあらざる機体の姿。


「いよいよ、ですね……」


 親方の後を追い、蒼い鎧が歩みを再開する。




 木々が旺盛に繁茂する、複雑に入り組んだ森。その中を必死の形相で進む集団があった。

 普段、行き交うもののいない森の中はお世辞にも歩みやすい状態とはいえず、起伏に富んだ地面がしばしば彼らの歩みを阻む。

 飛び出した木の根に、突き出した石に何度も足をとられそうになりながらも、彼らは少しでも前へ進もうともがいていた。

 この歩みに目的地があるわけではない。彼らはどこかにたどり着こうとしているのではなく、逃げているのだから。


 ――決闘級魔獣という、形ある災害から。


 フレメヴィーラ王国の中央を走る大動脈ともいえる東西フレメヴィーラ街道。

 数多枝分かれした、その支流のひとつからさらに分かれた小さな道のさらに末に位置する、とある小さな村。気まぐれな商人が時たま顔を出す以外は、人の流れも絶えがちな辺鄙な場所である。

 立地の関係からか魔獣が現れることもまれであり、村は平穏そのものといった様子だった。ほんの1日前までは。

 突如として村に現れた巨大な決闘級魔獣が、一夜にしてそれを地獄に変えてしまった。


 少なからず犠牲を出しつつも、村人たちは必死に逃げ出した。

 巨体を持つ決闘級魔獣に追われないよう、障害物である木々の茂る森の中へと。村の規模が小さすぎるため、ここには避難用の砦すらない。

 あとはただひたすらに追いつかれないことを祈りながら、当てのない旅路を進むだけだった。



 その少女も、逃げだした村人のうちの1人だった。

 年のころは13といったところ、家事の手伝いをしていたのかエプロンをつけた姿のままである。

 長時間に及ぶ逃避行により彼女の足は血の通わぬ棒のように固まり始め、疲労は意識を霞ませてゆく。

 いま少しでも立ち止まれば、彼女は二度と歩みを再開できないだろう。

 何度、前を進む両親に助けを求めようと思ったことかわからない。それをしなかったのは、両親の背にはすでに彼女の弟妹が背負われていたからだ。

 自分が姉であるというわずかな矜持。それが彼女に小さな力を与えていたが、それも限りなく限界に近かった。


 疲労の極致にあるのはなにも彼女だけではない。彼女の両親や、周りにいる村人たちにしても全員、疲労の色が濃い。

 いつ果てるとも知れない逃避は想像以上に彼らの体力を削っていた。


「街道だ、街道に出たぞ……!」


 その時、前方から聞こえてくるかすれた叫びがどよめきとともに彼女の耳に届いた。

 道なき道から多少なりとも広い道にたどり着き、彼女を含む全員がそこで力尽きるようにへたり込む。

 ここまで強行軍で歩み続けた彼らは、不気味な森から人が作り出した場所に辿り着いたことで緊張の糸が途切れてしまったのだ。

 魔獣が追ってくる気配がないこともその大きな理由であった。

 一度緩んだ緊張はそう簡単には戻らない。多くの村人が街道に膝をつき、もはや一歩も動くことができずにいる。


 九死に一生を得た、そんなささやかで苦い安堵も長くは続かなかった。

 彼らは気づいてしまったのだ。地に着いた膝を通して伝わってくる小さな地面の揺れに。耳朶に届く遠雷のような低い唸りに。

 連続して打ち鳴らされ轟く音。とても人間や、それと近い大きさの獣が立てることのできる音ではない。

 それができるのは、彼らが遭遇した災害と同種か、それ以上の存在だけだ。


 誰もが動くことを諦めていた。彼らはとうに限界を超えてしまっている。

 少女も地面にへたり込み、じっと地面を見つめたまま顔を上げることすらできないでいた。顔を上げてしまえば恐ろしいものをみてしまう、そんな思いから。

 この状況から希望を抱くには、彼女はあまりに無力に過ぎた。


 諦め果て、終わりを待つだけだった彼女の手に、ふと小さな手が重ねられる。

 びくりと震え身じろぎ、視線をめぐらせるとそこには彼女の小さな弟妹の姿があった。

 強ばりながらも力を失わない視線を道の先へと注ぐ姿を見て、彼女は少しだけ力を取り戻す。

 何のためにここまで逃げてきたのか。諦めるためではないはずである。どんなに最悪でも、せめて弟妹だけでも――。

 彼女はそんな想いを杖として、悲鳴を上げる己の身体に力をこめる。

 下がっていた視線を上に上げ、自分たちに訪れる運命をひたと見据える。


 次の瞬間、悲痛に彩られていた彼女の表情は、ぽかんとした間の抜けたものへと変化していた。

 あまりにも追い詰められていた彼女たちは、唸りのごとき足音を立てるのは魔獣だけではない、という至極単純な事実を失念していたのである。

 災害ともいえる巨大な獣に立ち向かうため、鋼鉄の鎧と結晶質の筋肉を持つ騎士もまた、巨大な重量を持っているのだ。


 少女は目にする。騎士の背に掲げられた旗を。

 見間違えようなどない、草木を示す葉と剣、盾を組み合わせたフレメヴィーラ王国の国旗。その下に記された、剣を抱き翼を広げる銀の鳳の紋章。

 救いの騎士は現れた。民を護るために存在する強大なる力が、絶対の窮地へと届く。

 悲鳴はすでに、歓喜の声へと転じていた。




 人気のない村の中を、我が物顔で闊歩する巨大な存在がいる。

 それは遠くから見ると、まるで岩が動いているかのようだった。表面に小さな刺がびっしりと生えた、ずんぐりとした円錐形をした“殻”を背負っているからだ。


 殻の下面からは同色の甲殻をもつ脚が生え、その根元には甲殻に覆われた身体とやや小ぶりな頭がある。

 正面に飛び出た2本の腕は殻と同じく刺に覆われた巨大なはさみとなっており、先ほどからギチギチと耳障りな音を発しながら盛んに振り回されていた。

 大きさこそ違えど、その姿は地球のヤドカリによく似ている。

 この魔獣の名は撃刺巻貝デッドリーシェルケース、別名“村喰らい”とも呼ばれる、特に人間にとって危険な決闘級魔獣である。


 その理由は、それがもつ習性にあった。

 撃刺巻貝は主に数匹単位の小規模な群れで行動するが、その“巣”としてある程度開けた場所を求める習性をもっている。

 そう、人が心血を注いで拓いた村は、それらにとってまさに絶好の住処となる。巣分けの時期ともなると、毎年どこかの村が襲われ被害に遭ってきた。

 そうしてついた仇名が“村喰らい”である。


 この村を占拠したのは5匹ほどの小規模な群れだった。

 巣分けにより放浪の旅に出たそれらが、この場所に辿り着いたのはただの偶然だ。

 それらは巣として絶好の条件を持つ開けた場所――村を見つけると、まずはそこに住み着いていた“小さな生き物”を蹴散らした。

 いくらかは捕食したものの、それはあまりに小さく撃刺巻貝にとっては十分な量とはいえない。すぐに興味を失い、あとは逃げるに任せていた。

 それらはすぐに自らの作業に熱中し始めた。

 “巣”となる場所をより平らに均しだしたのだ。大ぶりな鋏を器用に動かし、邪魔な建物を壊してゆく。

 ほどなく村は完全な廃墟と化し、撃刺巻貝にとって理想的な“巣”へと変貌していた。


 巣を持ったそれらが次に行うのは、やはり狩りである。

 撃刺巻貝の攻撃方法は特殊だ。そのためにも、それらは遮蔽物の少ない場所を“巣”であり“罠”として求める。

 それらが主に餌とするのは、同じく決闘級に位置する巨大な獣であった。それを“巣”まで誘い出して倒す。

 そうやってそれらが意気揚々と出発しようとしたとき、それは起こった。


 村へと続く細い道の果てを、風塵を散らしながら走る者がいる。


 撃刺巻貝の胡乱げな感覚も異変を感じ、盛んに周囲を見回している。

 今まさに狩に出ようとしていたそれらにとって、“わな”へと向かってくるものは全て飛んで火にいるなんとやらである。


 その間にも激音は高まってゆき、ついに村の入り口をくぐり、侵入者がその全貌を顕わにする。

 それは、1騎の騎馬であった。

 後方に荷馬車を牽き力の限り疾走する、撃刺巻貝にも匹敵する巨大な騎馬。


 そして、それは単なる騎馬というにはあまりにも奇妙な形状をしていた。言葉通り馬に騎手が乗っているのではなく、本来馬の首があるべき場所に人の上半身が備え付けられている。

 まさに人馬の騎士としか表現しようのない、異形の存在。

 それこそがフレメヴィーラ王国王下直属騎士団が一つ、銀鳳騎士団が誇る最新鋭の幻晶騎士“ツェンドリンブル”の勇姿である。


 ツェンドリンブルは人馬騎士の試作第一号機である“ツェンドルグ”を元に操縦系を1人乗りとし、さらに様々な調整を加えて再設計された量産向けの機体である。

 量産機と銘打たれてはいるものの、実は魔力転換炉エーテルリアクタを2基搭載する超高額機体であることに変わりはない。

 そのため生産数はさほど多くはなく、実質は個人の専用機も同然の状況にある。

 巨大な荷馬車キャリッジを牽き、この場に現れたのはそんな数少ない機体のうち1騎だった。


「エドガーさん、ディーさん! 準備はいいな? ちょっと乱暴に切り離すぜ!」


 拡声器を通して、ツェンドリンブルから若い男性の声が響く。ようやく声変わりを経たかどうかといった、少し幼さを残した澄んだ声だ。

 ツェンドリンブルの騎操士であるアーキッド・オルターは、一人乗りに改装された操縦席の中で複雑なレバー操作をこなしていた。

 その操作に応じ、馬体に取り付けられた連結機構がいっせいに駆動を始め、後部との接続部を次々に切り離してゆく。

 荷馬車の下部からは火花と金属同士が摩擦する絶叫が響き、あわや横転するかと思えるほど急激に速度を落とす。

 もうもうと土煙を上げ、かろうじて速度を落としきった荷馬車を村の中央に残して、人馬の騎士はそのまま村の中を駆け抜けていった。



 撃刺巻貝は飛び出た黒い目を忙しなく動かし、土煙越しに侵入者の様子をうかがっていた。

 大した知能をもたないそれらにとって、同族以外の動くモノは全て“敵”であり“餌”である。

 もちろん、それらにツェンドリンブルと荷馬車の正体など理解できようはずもない。ただ侵入者が二つに別れ、片方がその場に残って動かないということだけを認識している。

 さらにいうならここはそれらの領域、“わな”だ。ここからは戦いではなくそれらの狩りが行われるのである。


 外見から“ヤドカリのような”と表される撃刺巻貝だが、後ろに背負った円錐形の“殻”と呼ばれる部分は、実は腹部が巨大化し表面が硬化したものである。自前であり、何物かの宿を借りたわけではない。

 そしてこの殻こそが撃刺巻貝にその名を与える、特徴的な機能を有している部分なのだ。


 陸棲に適応した、撃刺巻貝の肺が大きく空気を吸い込む。その体内では複雑に張り巡らされた気管が蠕動し、吸い込んだ空気は腹部に、それから殻の表面各所の孔へと送りこまれる。

 それらは歩行脚と前脚を畳み、身体を殻に潜ませてゆく。そうすれば体は殻に守られ防御姿勢となると共に、殻は垂直方向を向く。

 魔獣が魔獣と呼ばれる所以、魔法の存在。それらは殻の表面に送り込んだ空気を孔から吐き出す際に、大気操作系の魔法を使用した。

 物理法則と乖離して発生した急激な膨張圧力が、表面をびっしりと覆う細かな刺を凄まじい勢いで吹き飛ばす。

 撃刺巻貝の名に違わず、撃ち出された強烈な刺の豪雨が周囲の空間へと襲いかかった。



 置き去りにされた荷馬車には、布の覆いを被せられた荷物が2つ載っていた。

 撃刺巻貝の攻撃が被せられた布の覆いを打つ。荷馬車の全体に隙間なく刺が突き立ち、先ほどまでの撃刺巻貝の姿と入れ替わったかのような刺々しい姿へと変貌してしまっていた。


 撃刺巻貝は殻に篭ったまま、獲物の様子を伺っている。

 先ほど飛ばした刺は単なる飛び道具ではなく、内部に毒を持っている。なにせ決闘級魔獣には分厚い表皮を持つものが多く、何本か刺さった程度では何の痛痒も感じはしない。

 だがそれが毒をもっていれば話は別だ。僅かでも体内に侵入した毒は、いずれ相手の体の自由を奪う。撃刺巻貝自身には解毒機能が備わっているため影響はない。

 ゆえにこそ逃げ場を残さない全包囲攻撃を行い、あとは相手が倒れるまで殻に篭もって身を守る。それが撃刺巻貝の狩りの常套手段であり、開けた場所を好む理由であった。


 ハリネズミと化した荷馬車は身じろぎもせずに沈黙していた。

 撃刺巻貝はじりじりと包囲を狭めてゆく。それらの本能が、これほどの数の刺を浴びて無事なものはいないと教えていた。

 今こうして近づく間にも刺が持つ毒が全身に回り、もはや動くこともできないだろうと。


 最も前に出ていた1匹がその鋏を突き立てんと近寄ったところで、突如としてそれまでは沈黙していた荷馬車が甲高い音を立て始めた。

 表情などないが、撃刺巻貝は警戒しているようにピタリと動きを止める。

 それが知る由もない理由により、音は急激に高まってゆく。魔力転換炉に接続された吸排気機構が出力を上げ、炉で生成される魔力マナも増してゆく。

 布の下に潜む、鋼の騎士が目を覚ます。


「村人の苦しみ、とくと思い知れ……行くぞ、“アルディラッドカンバー”!!」


 瞬間、吹き飛ばされるように布の覆いがひるがえった。

 覆いの下から現れた純白の装甲が眩しく陽光を反射する。結晶質の筋肉が一斉に躍動を始め、弦楽器のような高さと低さの交じり合う独特な駆動音が奏でられる。

 第1中隊長専用機“アルディラッドカンバー”――以前に戦闘で大破したエドガーの愛機“アールカンバー”の後継機ともいうべき機体である。

 外観はアールカンバーに似せたものとなっているが、内部は最新鋭の量産機であるカルディトーレそのものであり、それを騎操士であるエドガーに合わせて改修を施したものだ。


 膝立ちの姿勢をとって荷馬車に載っていたアルディラッドカンバーは、クラウチングスタートに近い要領で飛び出していった。

 生命のない機械である幻晶騎士にとって、撃刺巻貝の毒などまったく意味を成さない。動きに支障をきたすこともなく、撃刺巻貝との間合いを一瞬で詰める。

 もとより素早さに長けているわけではないそれが反応する前に、アルディラッドカンバーは左腕につけた小ぶりな盾を振り上げた。

 凧型カイトシールドに近い形状の盾。しかし小型化と共に細く、鋭い形状へと変化したそれはほとんどやじりに近い代物と化している。


 助走の勢い、綱型結晶筋肉ストランド・クリスタルティシューのバネ、その全てを一点に集めた痛烈な一撃が唸りを上げて叩き込まれる。

 剣よりも頑強なつくりをした盾が殻へと突き刺さり、硬質な衝撃が魔獣の全身を揺るがした。

 破砕音と共に、殻に縦横に罅が走る。内部に存在する器官に傷がついたのか、あちこちから体液が噴出していた。

 殻の内部にあるのは腹、つまり生物としての急所中の急所である。自慢の防御が破られ生命の危機を感じ取ったそれは、躊躇うことなく逃げにかかっていた。


 それを見逃すエドガーではない。彼の操作に従い、アルディラッドカンバーの肩周りを覆う特徴的な装甲がいっせいに動き出す。

 それは、可動式追加装甲フレキシブルコートと呼ばれる追加装甲である。

 アルディラッドカンバーに搭載されたものはさらなる改良を施された最新型だ。可動式の装甲に囲まれるように、裏側に魔導兵装シルエットアームズが内蔵されている。

 装甲の展開と共に魔獣を睨みすえた魔導兵装は、照準機構の導きのままに法弾を撃ち放つ。


 橙の尾を曳いて、撃ち放たれた炎弾が飛翔する。それは狙い過たず殻の損傷した部分に直撃した。

 炎弾は術式に従い、自身を炎と爆発のエネルギーへと変換する。突き刺さり、殻の内部で発生した爆発は撃刺巻貝の腹部を粉砕し、殻ごと粉微塵に吹き飛ばした。

 半身を紅蓮の炎と化しながら、撃刺巻貝が絶命する。

 同族が一瞬で倒されたのを見た他の撃刺巻貝たちは、泡を噴きながら一斉にその場から逃走を始めていた。



 そこで、荷馬車からもうひとつの音が発生する。後方に残っていた布の覆いが取り払われ、もう1機の騎士の姿が顕わとなった。

 純白の騎士アルディラッドカンバーとは違った、鮮烈な紅の鎧が日の下で煌く。


「逃がしはしないさ、エドガーにばかり活躍させるわけにもいかないしね。私の“グゥエラリンデ”の力も、とくと味わっていってくれたまえ!」


 アルディラッドカンバーよりも分厚く、重い鎧に身を包んだ紅の騎士が立ち上がる。

 最新鋭の量産機、カラングゥールを元としてディートリヒのために改修が施された、第2中隊長専用機“グゥエラリンデ”だ。

 可動式追加装甲も、盾すらも持たない完全攻撃型の構成。近接戦闘を重視し、筋力の増大が図られたグゥエラリンデは自身の莫大な重量をまったく感じさせない、軽快ですらある動きで逃げ出した撃刺巻貝のうち2匹へと迫ってゆく。


 それらはとっさの反応で鋏での迎撃を試みた。

 硬く、巨大な鋏はそう易々と砕けるものではない。にも関わらずグゥエラリンデはまったく速度を落とさぬまま、ただ背面武装・風の刃カマサを起動していた。

 圧縮された大気の刃が放射され、突き出された鋏へと直撃する。鋏が弾き飛ばされたことにより空いた空間へと、グゥエラリンデは強引に身をねじ込んでいた。

 その両の手に抜き放った剣が閃く。

 撃刺巻貝の鋏は確かに強固であり、グゥエラリンデであっても破壊することは容易ではない。だが、その根元は別だ。

 剣は正確に鋏の根元の関節を捉え、それを切り裂く。魔獣の自慢の鋏が切り飛ばされ宙を舞う。


 舞うような動作でグゥエラリンデは剣を引き戻し、再び構えなおした。

 そこから回転の勢いを加え、流れるように振り下ろされた双剣が、そのまま2匹の撃刺巻貝の頭部へと吸い込まれてゆく。

 近接特化の構造は伊達ではない。強力な筋力が身体に勢いを与え、力を与え、激しい威力を与えた。甲殻で覆われているはずの頭部があっさりと粉砕され、2匹は即座に絶命する。



 見る間に過半数の魔獣が葬られ、残った2匹は互い違いの方向に逃げ出していた。

 それらが知恵を絞ったわけではなく、単に真ん中に固まっていたものたちから滅ぼされた結果だ。

 それらは歩行脚をせわしなく動かし、意外な素早さを発揮して森の中へと逃げおおせんとしていた。


 そこで、村へと再び雷鳴が帰ってくる。荷馬車を切り離した後走り去っていたツェンドリンブルが、向きを変えて戻ってきたのだ。

 ツェンドリンブルにとっては都合のいいことに、魔獣にとっては不運なことに、1匹の逃げ道とツェンドリンブルの進路が一致した。

 ツェンドリンブルは既に十分に突撃の体制を整えていた。

 長大な騎槍ランスを構え、十分な助走により完全に最高速度まで達している。

 回避などもはや不可能であった。突き出した槍が撃刺巻貝の真芯を捉える。

 速度の乗った騎槍突撃ランス・チャージは易々と甲殻を粉砕し、殻を破砕し、撃刺巻貝を文字通り“両断”するとそのまま蹴り飛ばし踏み砕いた。

 残骸と化した魔獣が勢いよく空を舞う。生存など、見るだに不可能だ。


 それを視界の端に捉えながら、エドガーは逃げ出した最後の1匹へと炎弾を撃ち放っていた。

 撃刺巻貝は甲殻を身に纏っている、流石に炎弾のみで倒せるほど弱くはない。

 それはエドガーも理解していた。炎弾は直撃を狙ったものではなく、撃刺巻貝の“足元へと”突き刺さる。爆炎が吹き上がり、足元から強かに煽られた魔獣がその場でもんどりうってひっくり返った。

 それは混乱に陥ったが、本能的に危機を感じ殻に引っ込んでの防御姿勢をとろうとした。


 炎弾の後を追って、グゥエラリンデが走る。

 肩、それと腰の装甲の一部が展開し、後方に向かって大きく開く。一瞬の吸気音が高らかに鳴り渡り、続いてグゥエラリンデの背後に爆炎の光輪が閃いた。

 それは瞬く間に陽炎と化したが、その間にグゥエラリンデは恐るべき速度へと加速を果たす。

 全ての勢いを乗せて、グゥエラリンデは渾身の突きを放つ。それは最後に残った1匹の身体に深々と突き刺さり、その命脈を絶っていた。



 魔獣が滅び去り、村には静寂が戻っていた。

 しばらくして騎士団に護衛された村人が村へと戻ってくる。

 彼らは後からやってきた騎士団と合流を果たし、保護されていた。物資を載せた馬車が次々に到着し、騎士が幻晶甲冑を起動して村の復興に取り掛かる。

 それらを見守りながら、銀鳳騎士団はツェンドリンブルに荷馬車を接続しながら村より離れる準備をする。

 今回の件は突発的な事態であり、彼らの役目は他にあるのだ。


 その時、村人の輪の中から数名の子供が走り出てきた。

 一人の少女と、彼女と手をつないださらに幼い子供が二人。

 何かを言っている。それは移動の準備をする銀鳳騎士団の騎士たちには聞こえなかったが、彼らは機体の腕を振り上げて応じていた。


 幻像投影機ホロモニターのすみで彼女たちが大きく手を振っているのを見ながら、銀鳳騎士団は凱旋してゆく。




 フレメヴィーラ王国の王都、カンカネンにある王城シュレベール城。

 国王であるアンブロシウスは、執務室にて書類を捌いていた。

 ペンが走る音だけが静かに響く中、扉からのノックの音が彼の耳に届いた。一つ息をつき、ペンを脇に置くとそのまま視線を上げる。


「よい、入れ」


 扉を開けて現れたのは、ディクスゴード公クヌートだった。

 年齢の割りに矍鑠かくしゃくとした彼は、ピンと姿勢を伸ばして一礼すると傍らに携えた書類をアンブロシウスの元まで運ぶ。


「新型機の披露と、その途中でおきた魔獣災害についてご報告にあがりました」


 報告書を受け取り、アンブロシウスはさっと目を通してゆく。


「ふうむ、ほう、かちあったのは銀鳳騎士団か。どれ……なるほどのぅ」


 そこに書かれているのは先日のツェンドリンブル、アルディラッドカンバー、グゥエラリンデの戦果についてだ。

 カルディトーレ、カラングゥールの改造機であるアルディラッドカンバー、グゥエラリンデの戦闘能力のみならず、ツェンドリンブルを用いた場合の運用効果について、いくらかの検討案が上げられている。


「このツェンドリンブルというのは、例の馬を一人乗りにしたのであったか。相当な遠隔地まで騎士を輸送できると……炉を二つ使うからと、躊躇しておる場合ではないやも知れんのぅ。

 それとあの騎士団はどうにもエルネスティが目立っておるが、それ以外の騎操士もなかなかのものだな。機体も、単騎の性能向上が目覚しい。これならば、先の案もいけるやもしれぬ」

「は、十分に検討に値するものと。念のため生産数の試案は出しております」


 新型の量産機であるカルディトーレ、カラングゥール。

 当初計画されたのは、国内のカルダトアとカルディアリアを解体し順次新型へとバージョンアップしてゆくという、順当な計画案であった。

 そこで問題になるのがツェンドルグを祖とする人馬系の機体だ。

 これらは“炉を2基必要とする”という大きな問題を孕んでいる。簡単に量産するわけにはいかないのだ。

 それでありながら、今回のような“他騎士の運搬”という唯一無二の価値は無視できるものではない。今後の生産計画において、人馬系の取り扱いは悩みの種であった。


 そこで今回の事件だ。実際の運用結果を受けて、彼らは生産計画を修正することを決めた。

 計画は単純だ。カルディトーレの導入により、今後は単騎ごとの戦闘能力が向上する。そこで騎士の配備数を問題のない範囲で減らし、その分余剰となる炉を人馬系の生産に回す。

 製造ペースの問題から当分の間は生産数も少数に留まり効果も薄いだろうが、ツェンドリンブル運用による即応性の向上は、国内の安定強化に大いに役立つことであろう。


「第1期の生産計画はこれでよかろう。あとは現地の評判を見ておいおい変更すればよい」

「御意。至急、国立機操開発研究工房シルエットナイトラボラトリへと調整を伝えましょう。

 それと、製造と配備の試験にはまずはセラーティ侯に協力させればよいかと。かの領地は広さもありながら魔獣も多く、これまで多くの騎士を配置せざるを得ませんでしたからな。平地も多くよく人馬の効果が見られるかと」

「よかろう、それで進めよ。それと最初のうちはこまめに報告を上げるよう、伝えておけ」


 既に大方は想定された話であるため相談はよどみなく進み、各地への通達が決定されてゆく。

 小一時間ほどの間に、大方の話がまとめられていた。


「これでよかろう。じきに、国内の騎士は新たな姿へと生まれ変わる。良い、頃合であるのぅ。今ならば憂いなくあの話も進められよう……クヌートよ、追って連絡するゆえ人を集める準備をせよ」

「は、陛下。では……」


 アンブロシウスの態度にある予感を抱いたクヌートは、深く一礼して部屋を辞してゆく。

 後に残ったアンブロシウスは、ゆっくりと椅子にもたれかかっていった。




 後日、シュレベール城の一角に体格に恵まれた男性の姿があった。


「やはり国許は落ち着くな! 昨日までの窮屈な生活を思えば夢のようだ!」


 フレメヴィーラ王国第4王位継承者、エムリス・イェイエル・フレメヴィーラその人である。

 彼は大きく伸びをして解放感を全身で表現すると、そのまま機嫌よく大またに歩みを進めてゆく。


 そんな彼の格好はといえば、頑丈だが加工の難しい魔獣の革を使用した最上級の装備である黒鱗獣革鎧ブラックスケイルレザーをつけ、その上に申し訳程度に品よく仕立てられたマントを羽織り、腰には飾り気の少ない実用一点張りの剣を下げているといったものだ。

 この鎧は大柄な彼の体格に合わせて特注された装備ゆえ値段こそ高価なものではあるが、仮にも“王城”にて王族の一人がとる格好としては些か粗雑な感は否めなかった。

 それがしっくりときているのは、まったく彼の人徳がなせる業であろう。


 とにもかくにも、彼は見るからに上機嫌であった。

 つい先日まで他国に留学に出ていた彼は、留学先の流行にあわせて仕立てられた窮屈な服を着て行動していた。

 それは仕立てこそ一級品ではあるものの彼の骨太な体格に合っているとはいい難く、さらにいえば彼の好みからも遠く離れたものだった。

 王族としては甚だ悲しきことに、彼の好みは“頑丈さ”や“動きやすさ”など、非常に実用性に特化した感がある。

 その意味では、特注で作らせたこの鎧は軽くて動き易く、それでいて極めて頑丈であるなどまさに彼の好みを最大限まで表現したものである。


 身体に馴染む装備と、それをつけた高揚感を伴って彼は王城をのっしのっしと横断し、目映い笑顔を浮かべてとある一室の扉を勢いよく開く。

 その中には彼を呼び出した本人である国王アンブロシウスを始めとした王族、そしてディクスゴード公爵を始めとする上級貴族の姿があった。

 彼はにかっと笑みを浮かべ、全体を見回し。


「おう親父! じいちゃん! 久しぶりだな、帰ってきたずべぐぁ!」


 言い終わる前に、アンブロシウスが投げた杖が彼の脳天を直撃し、すっ飛んでゆく破目になっていた。



 杖がぶつかったところを押さえて悶絶するエムリスを横目に、アンブロシウスは頭を抱える。


「この馬鹿孫エムリスは……いまだそのような言葉遣いをしおって。留学先で何も学んではこんかったのか!?」

「申し訳ありません陛下……何度も言い聞かせてはいるのですが」


 父親であるリオタムスも実に気まずげな雰囲気である。

 彼の上の息子であるウーゼルは落ち着いた性格をしており品格も王族にふさわしいのだが、下の息子は違っていた。

 誰に似たものか、豪快というよりは粗雑といっていい性格はなかなか直らず、ついには最終手段である他国への留学まで実行したのだが。


「マルティナの性格からいって、教育に手を抜いたわけでもなかろうて……あれでも無理であったか」


 アンブロシウスはクシェペルカ王国に嫁いだ娘のことを思い起こしながら呟く。

 マルティナはリオタムスの妹であり、エムリスにとっては叔母にあたる。彼女はクシェペルカの王族に嫁いでおり、かの国はフレメヴィーラ王国と縁戚関係にある友好国である。

 エムリスは成人を迎える15のときよりこちら3年ほど、その叔母を頼って留学に出ていたのだが、今の一幕を見る限りその成果は怪しいものだった。


「まったく誰に似おったことやら」

「陛下です」


 来ると思っていなかった合いの手にアンブロシウスが振り返ると、そこには常の通りの無表情のクヌートがいる。


「陛下です」


 アンブロシウスは何事もなかったかのように目をそらすのだった。



 しばしの後には、エムリスは涼しい顔で立ち直っていた。


「エムリスよ、おぬしまさかクシェペルカでもそのような態度でおったわけではあるまいな」

「あー、いえ、さすがにそのようなことはないですよ、俺……ワタシだって、時と場合は選びます。さきほどは久しぶりにみなの顔を見て、少し舞い上がってしまっただけだ……デス」


 微妙に片言な喋り方で話すエムリスに疑わしげな場の視線が集中したが、当人は何も気にしたところなく胸を張っている。

 珍しく、アンブロシウスが先に白旗をあげた。


「……それはあとでゆっくりと話そうではないか……さて、本日皆に集まってもらったのは他でもない」


 問題児の行動によりいったんは緩んだ空気を、咳払い一つで切り替える。


「わしがこの国の王位を継いでより、36年の月日が流れた。そろそろ、頃合であろう。わしは王位を引退しようかと思う。次なる王はそこにいる我が息子、リオタムスである」


 場に息を呑む気配が流れる。

 アンブロシウスの言葉はそう唐突なものではない。この場に集まったものたちも、ある程度は予想していたことである。


 フレメヴィーラ王国の王位は世襲制である。基本は長子相続だ。

 王位継承権は国王の長子を第一位とし、その兄弟姉妹が男女を問わず順に第二位、三位と続く。現国王に孫までいる場合は、子供たちの後に続いて順に第~位と継承権が設定されてゆくことになっている。


 王位を譲る場合に、最も多い理由は高齢による引退だ。

 かつてこの国が建国直後の混乱にあったときには、国を率いる若く強力なリーダーを欲していたがために国王は老齢で衰える前に王位を譲る慣習があった。

 アンブロシウスは当年とって58歳、この世界においてはかなりの高齢に属する。そういった意味でこの王位継承の話はきわめて順当なものであった。

 だが、いまだ覇気に漲る彼の姿を知るがゆえに、周囲は納得しつつももどかしい思いを抱えている。それは彼が非常に有能であり、偉大な王であったという証でもあった。



 いくらかの感傷を引きずる沈黙を破り、リオタムスが前に進み出た。

 姿勢を正し、父であり、王であった男に向けて深々と最後の礼をとる。王冠を受け継いだ後は、たとえ父親相手であろうとも王が頭を下げることは許されない。

 今このときに、最高の敬意をこめて、彼は礼を終える。


「お受けします、陛下……いえ、父上」

「うむ、王の椅子に座ったからとて油断することなく、よく勤めるが良い。さて正式な式典は後に回すとして、ぬしらもわが息子とともに、この国をよく支えていって欲しい。頼んだぞ」


 アンブロシウスが周囲を見回すと、集まった貴族たちは一斉に膝をつき、頭を垂れた。



 “獅子王”アンブロシウスの退位は後日に国内の隅々まで通達され、同時に新王リオタムスの即位が伝えられた。

 民の多くが偉大な王の功績を讃え、そして次代の王へと期待をかける。それと前後して、最新鋭の量産型幻晶騎士の配備が各地で進められつつあった。


 新たな王、新たな騎士。

 フレメヴィーラ王国は建国以来最大となるであろう、大きな転換期に差し掛かっている。

 誰もがいっそうの安定を、そして大きな躍進を夢見る発展の時代へと進んでいくのであった。










 アデルトルート・オルターは昼下がりのライヒアラ騎操士学園を横断し、騎操士学科の工房を目指して歩いていた。

 彼女が所属している銀鳳騎士団の拠点に向かっているわけだが、彼女の目的は騎士団自体にはあらず、当然エルネスティがいる場所を目指しているのである。

 以前は自宅に引きこもりっぱなしであったエルネスティは、次は新型機の開発へと移っており最近は工房にへばりついている。

 工房へ向かえば、きっとそこで親方に無茶な指示を投げているはずだった。


 彼女が工房にたどり着くと、そこには普段よりもいっそう慌しげな様子の鍛冶師たちの姿があった。

 ここしばらくかかりっきりである新型機の製造に何らかの大きな進展があったのだろう。そこかしこで怒号のごとき指示が飛び交い、まさに何かが始まらんとしている。


「こんにちはー。エル君いますかー」


 彼女が手近にいた顔見知りの鍛冶師に問いかけると、彼はひとつ頷いて工房の最奥を指差した。


 アディの視線が、指の先を追って移動する。

 最奥部には1機の幻晶騎士がある。製造途中であるためか、あちこちに布の覆いが取り付けられた機体だ。

 少々特異な形状をしたその機体のために大きく空間が取られており、さらに改造が施された特殊な整備台に腰を下ろしていた。

 その機体の上方にはクレーンから鎖で吊り下げられたなんらかの機器があり、ゆっくりとした速度で降ろされているところであった。

「おう、そのままゆっくりと降ろせ、ゆっくりとだ、場所合わせろ! よし、取り付け始めろ!!」


 親方の指示が工房を割らんとするかのごとき声量で放たれ、機器が機体の背に開いた空間の高さまで降ろされる。

 機体の肩周りにいる鍛冶師の幻晶甲冑が慌しく作業を始め、それに何かを取り付けていった。


「吸排気機構の取り付けはおわったか!? おうし、基底運転はじめんぞ! おら、とっとと銀線神経シルバーナーヴつなぎやがれ! 魔力の伝達がはじまっちまうぞ!!」


 アディはゆっくりと、最奥部へ向けて歩みを進める。

 彼女は先ほどクレーンで下ろされていた機器に見覚えがあった。先日までエルネスティが苦心惨憺して手作りしていた、大きな卵形の物体だ。

 エルネスティの傍らで彼の作業を見てきたアディは、ある程度は幻晶騎士に関する知識をもっている。

 彼女は先ほどの親方の言葉から、今取り付けられた、つまりエルネスティが作っていたものが魔力転換炉であることに気付いていた。

 さらにそれが一般的な炉の大きさより遥かに巨大であること、そして一般的な幻晶騎士では腹部に魔力転換炉を備えていることを思い出す。

 つまり、この機体は腹部に収まりきらないほどの大型魔力転換炉を、無理やり背中に格納しているということだ。


 そうして彼女があれこれと想像している間にも、工房の内部に吸排気機構が立てる甲高い騒音が満ち始める。

 一般的な幻晶騎士であってもその騒音は無視し得ないものである。それが特に大型の炉を備える機体ならばどうなるか。

 炉は快調に出力を上げ、それに伴って劈くような気流の大合唱が始まる。

 すぐにそれは全ての音を圧する絶叫へと変化し、周囲にいる鍛冶師たちもたまらず耳を押さえていた。


 ふと、鼓膜を圧迫する音が止んだ。

 それと入れ替わりに、機体の拡声器を通して涼しげな鈴の音のような声が聞こえてくる。


「魔力の伝達を確認、最低容量確保しました。大型炉“皇之心臓ベヘモス・ハート”は休眠状態へ移行し、通常炉での起動を行います」


 エルネスティだ。彼はすでに機体の操縦席に乗り込んでいるのだろう。


 そして――十分な魔力を得た機体が、目を覚ます。

 機体の各所から結晶質の筋肉が収縮する、弦楽器を掻き鳴らしたかのような音が響いてくる。


 最初に動いたのは腕。それも大型炉を収納すべく、背中に増設された部位から生えた奇妙な形状の腕が――4本。

 この機体は普通の四肢を備えた上に、さらに4本の腕を持っているのだ。合計6腕の異形の機体である。


 絡みついた支えの鎖を解き、妙に長い異様な腕が伸ばされてゆく。よく見ればその手にはまるで刃物が並んでいるかのような、細く、長く鋭い五指を備えていた。


 続いて動作は全身に及び、機体を覆っていた布が滑り落ちてゆく。

 全身に巨大な金属の鎧を装備した姿が露わとなる。そのまま全体を見れば、鎧も一風変わったものだった。

 装甲板を重ねて配置するやりかたは他の機体にも見られる構造だが、この機体ではそれが特に多い。そのうえ見たこともない意匠や配置がそこかしこに見られ、この機体の特異性を高めている。



 そうして全身を観察していたアディの視線が、ある1点で止まった。

 この奇妙な幻晶騎士の頭部。そこには。


「人の……顔?」


 歯を剥き出しに、威嚇するような表情をとった仮面。人の顔を模した意匠が顔面部に据えられていたのだ。


 一般的に、幻晶騎士の頭部は視界を得るための装置である、眼球水晶を設置、保護するための部位である。

 そのため防御力が優先されることが多く、顔面は面覆いバイザーと呼ばれる装甲板により覆われていることが大半だ。

 かりに意匠を持たせるとしても、多くの場合は面覆いに対して行われる。

 この機体は、装甲になるとも思えない人の顔を模した仮面をつけ、さらに外側に兜を装着している。

 そのひどく人間くささを感じさせる構成に、アディはどこか恐ろしげな印象を感じていた。




 操縦席の奥で、エルネスティは笑みを浮かべている。

 いや、むしろ笑っていた。笑い続けていた。どこまで笑っても笑いが止まることはない。

 別に何か可笑しなことがあるわけではない。ただひたすらに、どこまでも嬉しいからだ。

 彼がいままで求めて止まなかった、彼の手による、彼のためだけのロボット。

 慌てて拡声器を止めていなければ、この馬鹿笑いが外部に漏れてしまっていたことだろう。

 彼は先ほどからずっとこの調子で笑い続けながら、彼が座る操縦席の周囲に頬ずりしたり撫で回したりにまにましながら幻像投影機の様子を見たりしていた。


 そこはあの奇妙な機体の操縦席である。

 外見から奇妙な機体ではあったが、中身はさらに輪をかけて奇妙であった。

 中央にエルが座るシートがあり、その左右には操縦桿がある。さらにその横手には“鍵盤楽器のように、規則的な配置でキーが並べられた”謎の機器があった。

 まさか、さすがのエルネスティでも幻晶騎士で演奏会をやる気はない。

 この機器の名は操鍵盤キーボードという。その名のとおり、彼の前世である地球文明における、コンピューターへの入力機器を模した装置だ。


 追加で4つの腕をもつのみならず、この機体は各所に特殊な装置が山のように搭載されている。

 それらを制御するためにはもはや従来の制御機構では完全に追いつかなくなっていた。そこで彼は前世から馴染みの深いこの機能を持ち込んだのだ。

 のみならず、この機体の全身の各所には大量の装備を統括する補助機能として、小型の魔導演算機マギウスエンジンが多数搭載されている。

 それらをあわせて操鍵盤を用意しさらに直接制御フルコントロールを加えてやっと、この異常な装置の塊は動くことができる。

 もはや、エルネスティ以外の人間には指一本すら動かせない代物なのだ。


「お誕生日おめでとう、僕のロボット。僕の相棒。僕の――」


 この機体が、奇妙な外見を持っているのは当然のことである。

 この機体は、エルネスティのためだけに存在する。

 その機能も、外見も、全てに彼の思いが反映されている。


 だからこそ、エルネスティはこの機体に彼の起源を刻み込んだ。

 彼の起源、すなわち、こことは別の世界からつながる、魂。


 この機体は、この世界では幻晶騎士シルエットナイトと呼ばれる存在だ。

 だがしかしその姿は、確かに――“鎧武者”と呼ぶべきものである。


「――“イカルガ”!」


 鬼面六臂の鬼神が、異世界で産声をあげる。

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