#51 隠れ里にはいってみよう

「“アルフヘイム”……エルフの郷、森の都市」


 アンブロシウスの言葉を聞いた瞬間、エルはべたりと馬車の硝子ガラス窓にへばりついた。

 四方をオービニエ山脈に囲まれた辺鄙な場所にあるこの盆地は、旺盛に茂り鬱蒼とした森によって埋め尽くされている。

 ちょうど盆地の中央に当る部分には1本の白い尖塔が突き出しているのが見える。そこがアルフヘイムの中心地であり、目的地だ。

 しかしそんな雄大な自然も、特色に溢れた建築物の数々もエルの興味を引くことはできなかった。

 彼の頭の中を占めるのは、いまやただひとつの事柄だ。


「ここが、魔力転換炉エーテルリアクタの生産地……」


 魔力転換炉――幻晶騎士シルエットナイトの、文字通りの心臓ともいえる機関部である。

 大気中に無尽蔵に存在するエーテルを魔力マナという形へ変換する魔導機関。これがあってこそ、幻晶騎士は地上最強の兵器として君臨できる。

 そして彼が求めて止まない、彼の知らない幻晶騎士を構成する最後の欠片ピースでもある。


「製法と共に、生産地も秘匿されているだろうとは思っていましたが……それが、こんなところに」


 王都カンカネンを出てどれほどの距離を進んだだろうか。

 異界じみた巨木の結界に囲まれ、噂にたがわぬ峻峰により隔絶された上に、さらには選び抜かれた戦力により守護される難攻不落の天然の要塞。

 まかり間違っても偶然でたどり着けるような場所ではなかった。


「エルフという民がいると、いま初めて知りました」


 ぶつぶつと情報の整理にふけっていたエルがようやく顔を上げる。

 さらさらと流れる銀色の髪の奥には、異様なまでの熱意を湛えた瞳がある。一言たりとも、一欠片たりとも逃さぬと、無言のままに主張している。

 下手をすると“本当に”食らいつかれかねないほど気迫を前に、いたずらっぽい笑みを浮かべていたオルヴァーは慌てて姿勢を正した。


「エルフの大半はこのアルフヘイムのような郷を定め、ずっとその場所で暮らしてゆくからね。私のように“衛使”として外に出ているものもみだりに正体を現しはしないし、それすらどちらかというと変わり者の部類に入る」

「……それは、魔力転換炉の製法を秘するためですか?」


 ずい、と身を乗り出したエルにオルヴァーが引き気味になっていると、横からアンブロシウスの抑えきれない笑い声が漏れてくる。


「くく、まぁそう急くな。それだけとも言えぬ、エルフはいくらかの理由から自身が大きく動くことを嫌っておる。わしらの側の事情もあってのぅ、裏と表をあざなえてこやつらは歴史から姿を消しおったのよ」


 もといたソファーに戻ったエルは正座して完全に話を聞く体勢をとっている。


「とは言え、残念だけど私自身は魔力転換炉の製法を知らないのだけどね」


 目前で燃え上がる情熱に少し辟易しながら、オルヴァーはあわてて釘を刺した。


「いますぐ話を始めたいのもやまやまだけど、そもそも炉の製法は“衛使”の役を負うものに教えられることはないんだ」


 衛使とは、徒人との橋渡しとして郷の外で過ごすエルフの取り纏めのような役職になる。

 考えてみれば当然のことで、せっかく秘匿している情報をわざわざ外にでるものに教えることはしないだろう。


「そうですか……でも、それは辿り着けば教えていただけるのですよね。楽しみに……本当に楽しみにしておきます」

「楽しみにしているところ申し訳ないがね……君が、必ずしも炉の製法を会得できるとは限らない」


 オルヴァーは少し迷っていたが、ややあって決意と共に言葉を続ける。


「……考えてもみてくれないか、私たち“エルフだけ”が魔力転換炉を製造しているという意味を。それは秘密を守るためだけじゃない、それだけじゃなく……これが“エルフにしかできない”ことだからでね……」

「それならそれでかまいません」


 即答だった。

 何の溜めも迷いもなく、エルは爛と輝く瞳のまま告げる。


「全部聞いて、全部調べて、全部ばらして、全部試して、ダメなら抜け道を探して、それでもダメだったらサッパリと諦めます。まずは全てを聞いてからです」


 オルヴァーは賢明にも、速やかに説得を諦めていた。



 アルチュセール山峡関からアルフヘイムまでは山間をなぞらうように道が整備されている。

 最初はか細い流れがあるだけだった水の流れはいつの間にか大きな流れとなり、道に並ぶようにゆったりとした川を作っていた。

 どちらも共に盆地の中央へと伸びており、その道の上を馬車は穏やかに進んでゆく。


 長閑のどかと形容してもいい景色の中、しかし馬車の内部だけが穏やかならざる熱気に包まれていた。


「目的地につくまでにはまだ時間がある……雑談代わりに、私たちエルフについて少し話そうか。

 そうだね、ときにエルネスティ君、私は何歳くらいに見えるかな?」

「……? 20代の半ばほどでしょうか。30歳にはなっていないと見えます」


 エルは視線をオルヴァーに、それからその長く尖った耳へと向ける。

 小首をかしげて答えた彼に、オルヴァーは少し意地の悪い笑みを向けていた。


「はずれ。正解は、私は今年で87歳になる」


 アンブロシウスよりも年上であるというオルヴァーの言葉に、エルは束の間奇妙な表情を見せる。

 方や髪は白く染まり外見にも年相応のしわが刻まれた姿、方や艶のある金髪で皺一つ見えない若々しい姿をしているのだ。

 隣並ぶ彼らを見て、オルヴァーの方が年上などという発想は間違ってもでてこないだろう。


 冗談を、との言葉は出なかった。驚きはしたが、ある程度予想はできたことである。

 異常なまでに年齢にそぐわない若々しい容姿、エルフ、隠れた民――そこから導かれる答えはひとつだ。


「エルフの民は……もしかして、僕たちよりも寿命が長いのですか」


 むしろオルヴァーが珍しく細い目を見開き、驚きを露にしていた。


「その通り……すぐにそこに思い至るとは、冗談と取られるかと思ったのだけれどね。

 そう、私たちエルフの寿命は君たちに比べてはるかに長くて、だいたい500年ほどになる。それにエルフは歳をとってもあまり外見が変わらなくてね、私もあと数百年はこのままさ」


 表情にこそ出さなかったものの、エルは内心呆れに近い感覚を覚えていた。

 徒人と呼ばれる、一般的な人間の寿命は長くて70年ほどである。この世界では80年も生きれば驚異的な長寿だ。それはドワーフ族であっても同じである。彼らはいわば少し筋肉質な人間だ。

 それらの間に、放っておけば7倍くらいは長く生きる種族が混じっていればどうなるか。しかも外見は若々しいままなのである。

 余計な軋轢を生むだろうことは想像に難くなく、さらにはそれによって不利益をこうむるのはおそらくはエルフの側であろうことも、十分に予想できることだ。

 なぜアルフヘイムは辺鄙な地にあらねばならなかったのか、彼は合点がいったという表情をする。


「だからエルフの民はこうして、隠れ里に住んでいるのですね……」


 眉を下げ、いささか勢いを潜めた様子のエルに、オルヴァーはこともなげなようすで首を振った。


「うん? ああ、そういうわけじゃないよ。エルフの民が隠れ里に住んでいる理由は、エルフたちがとても“面倒くさがり”だからさ」


 姿勢を正してオルヴァーと相対していたエルは、まず首をひねり、腕を組んで、聞き間違いであってくれと半ば祈りながら問いかけていた。


「……えっと、すいません。エルフが、なんですって?」

「面倒くさがりだね」


 先ほどまでの深刻さを含んだ空気は、たった一言で壊滅していた。


「そういってしまうと少し語弊があるかもしれないけど。

 エルフというのは面白い民族で、生きた時間によって精神性が大きく変わってくる。生まれてから100年ほどは徒人とそう大差はないんだ」


 オルヴァーは自分を指差して頷く。

 確かに、彼を見て徒人と大きく違うという印象は感じない。


「でもそこから先は大きく違う。200年、300年と生きたエルフは活発さを失い、周囲への関心を失い、そして自らの中への思索を追い求めてゆくようになる。“面倒くさがり”になってゆくんだ。それはもう、寿命を迎えるころのエルフはほとんど樹木と変わりないとすらいわれるくらいだよ」


 エルはふと窓の外を見る。

 いつの間にか馬車はアルフヘイムの市街地へと差し掛かっていた。


 馬車が走る道を含め、街の内部を走る道は石を敷いて舗装されている。流れ込む川は細かな水路に分けられ、街中を縦横に駆け巡っていた。

 周囲に生い茂る木々は、途中で見かけた巨木ではなく幻晶騎士より少し高い程度の大きさである。

 代わりにひどく節くれだち、幹が豪快に捩れた奇妙な形の木だ。それらの不規則で統一感のない様は、眺め続けていると微妙な不安を感じてしまいそうだ。

 それらは陽光をさえぎることはなく、ここは巨木の森のように暗闇におののくことはない。ふんだんな光の恩恵を受け、根元付近は下草で見えなくなっている。


 木々の間に見える、アルフヘイムの建築物はかなり独特な構成をしている。

 そのほとんどがあの捩れた木と隣り合っている、というよりも建物自体が半ば木と合わさっているような形をしていた。

 木が家の一部を構成しているのだ。それは寄り添う場合もあり、真ん中を貫いている場合もある。

 建材も独特だ。いくらかの特殊な植物そのもの利用して骨組みを作り、木材と石材、そして漆喰しっくいのようなものを組み合わせて建物となしていた。


「森とともにある都市」


 木々と絡むようにして立つ建物。これこそがエルフの精神性から導かれた、彼ら独自の文化の形であった。




 そうして彼らが話し込んでいる間にも馬車は街の中央へと辿り着いていた。

 そこには森とほぼ同化した外観を持つアルフヘイムの建築物の中でも、際立って奇妙な見た目をした建物がある。


「ここがアルフヘイムの中枢機関、“森護府しんごふ”じゃ」


 森護府は自然の色に溢れたアルフヘイムにあって非常に目立つ、穢れなき白亜の建物であった。

 全体的に不規則で緩やかな曲面によって構成されており、螺旋が収束するように中央が尖塔となって高く伸びる形は、どこか巻貝の殻のような生物めいた印象をもっていた。

 下部は大きく膨れており、菌類のコロニーを思い起こさせる縦横に支線が走った構造によって支えられている。そのところどころに、それとわかり難い窓や廊下が存在していた。

 エルにはこれがなにか愉快な生き物の巣のようにも思えたが、馬車の到着を待っていたかのように門扉が開かれたのを見てこれが立派な“人が使う建物”であることを思い出していた。


 建物の奥からは、ほっそりとした人影が僅かな衣擦れの音を伴って歩いてくる。

 オルヴァーは一般の徒人と変わらぬ服装をしているが、アルフヘイムに住むエルフは本来の彼らの文化に則って暮らしていた。

 自然に倣った淡い緑色に染められた布を身に纏い、草木や花を模した装飾品でそれを留めている。


「ようこそアンブロシウス陛下、オルヴァー様。こちらへ……中で大老エルダーがお待ちです」


 馬車を降りたアンブロシウスは鷹揚に頷くと、エルとオルヴァーを引き連れて歩き出した。



 森護府の内部は木材と、外壁にも使われている不思議に艶めいた白い建材が使われている。

 採光についての設計が巧みであるためか、内部には明かりらしきものがないのに暗い印象は全くない。

 反射の具合によっては時折壁が虹色にざわめくのをエルが珍しがって、首をひょこひょこと動かして眺めていた。


 森護府の中央部は大きく吹き抜けの構造になっていた。尖塔の直下にあたるこの場所は仕切りがなく、そのまま尖塔の内部を高く見上げることができる。

 つるりとした質感は、とても人の手で創られた建造物に見えない。もしかしたら、貝殻に近いものを背負った巨大魔獣の遺骸を流用しているのかもしれないと、エルは益体もない感想を抱きつつ歩みを進めていた。



 吹き抜けへとたどり着いた彼らは、その中央部に盛り上がった部分を発見する。

 それを見たエルはまず“祭壇”という言葉を思い浮かべた。あるいは玉座か。

 なぜならその中央には椅子があり、そこに腰掛けるものが居たからだ。


「久しいのぅ、大老エルダー・キトリー。わしが王の座について以来であるから、30年ぶりほどか」


 アンブロシウスが大理石のような質感の椅子に座る人物へと話しかける。

 その後ろではオルヴァーが膝をつき、頭の上で両手を重ねながら深く下げる独特のお辞儀をとってから離れていった。


 大老“キトリー・キルヤリンタ”――“玉座”に座っていたのは、一見して少女のような人物だった。

 彼女の印象を説明するならば、とにかく“白い”。

 肌は森護府の外壁と並ぶほど白く、髪に至っては半ば透き通っている。開いた瞳の奥が銀色の瞳であるとわかったとき、あまりに人間離れした色彩にエルは抑えがたい違和感に襲われた。

 自然の色合いに倣った鮮やかな色彩を特徴とするエルフの服装。彼女はその上に薄い紗のかかった白い布を幾重にも重ね着ている。それは彼女に草木の上に積もった新雪のような儚さを与えていた。


「そう長い時ではない、アンブロシウス。だがお前は老けたものだ」


 弦の調べのように耳に心地よい声。しかしそれは聞くものにどこか不安を感じさせるものだ。

 そこには感情というものがなく、途轍もなく平坦で決定的なまでに熱が欠けている。

 他者への関心が薄れるとは、つまり感情が薄れていくということだ。彼女の声に比べれば、風に揺れる木々のざわめきのほうがまだしも情熱的といえた。


「ご挨拶じゃのぅ、まぁ徒人とはそういうものじゃ」


 長命な種族であるエルフは若さではなく重ねた年齢を重視する。ゆえに“大老”が族の最上位にいるのだが、目の前の人物が一体幾年を重ねた存在なのか、外見からは窺えない。

 オルヴァーの説明を信じるならば、ここまで長じたエルフはおよそ周囲への関心がないに等しいはずだ。


「さて、此度はわしらの要求を聞き入れたこと感謝いたそう」

「よい、大いなる思索の時のために、必要なこともあると理解している」


 彼らは挨拶もそこそこに本題に入ってゆく。

 エルフと徒人の間の取り決めにより、彼らの間では身分の上下については無視される。

 儀礼的なものは極力省かれ、話は非常に速やかだった。


「先に伝わっているかも知れぬが、わしの用件は魔力転換炉の製法よ。それを、ここにいるエルネスティに伝えてもらいたい」


 微動だにしないままキトリーはポツリともらす。


「お前もそれを問うのだな」

「わし“も”とな?」

「そうだ。歴代の徒人の王も一度はそれを問うてきた。毎回連れてくる者は異なるが、史上最高の術士を、騎士を、学者へ伝えよと。そのことごとくが失敗に終わったがお前たちは懲りぬな。いや、常に代は変わっている。それも当然か」


 彼女が大老となる以前から数えて、対面した徒人の王は6人にも上る。

 これはもはや、彼女たちにとっては“恒例行事”といったものだった。


「ふうむ、確かに考えたのはわしだけではなかろうが、それほど困難であったか。しかし此度連れて来るは、将来有望なる子供である」

「……童と」


 話している間も、キトリーの表情は全く動いていない。

 徒人の感覚からしても非常に美しい顔立ちをしているとはいえ、全く表情がないということがこれほど不気味に見えるものか。

 彼女に比べればオルヴァーのほうが比較にならないほど表情豊かである。


「無駄であろう。そも徒人には時が足りぬ、いかに磨こうとも我らの高みまで上れはすまい。これまでの者も徒人としては有能であったのだろう、それを差し置いて次は未熟なる童にたくすなど、まったく理解に苦しむもの」

「まぁそうけち臭いことを言うでない。意外なものが見れるやもしれぬぞ?」

「アンブロシウス、徒人の王よ。“法”の定めにより、お前の言葉は尊重される。しかしそれがあまりに下らぬ場合、我らにも拒否する権利がある」


 話が不穏な方向へと進まんとしていたとき、それまではアンブロシウスの後ろで静かに控えていたエルネスティが立ち上がった。


「では、何か試しをしてはいかがでしょうか。貴方が納得されるだけの試しを、何でも。根拠もなく否定されるのは、僕も本意ではありません」


 そこで初めてキトリーに動きが見えた。僅かに首の向きを変えただけだが、それだけでかなり難儀であるように見えた。

 次の瞬間、さらに驚くべきことが起こった。彼女が大きく腕を上げたのだ。そのままエルを指をさすと、それを何もない空間へとむける。


「童よ、そこに立て」


 エルがアンブロシウスから離れると、キトリーの周囲に異変が発生する。

 ただ腕を上げただけの彼女の周りの空気が歪み、突如としてその場に熱が顕現した。ゆらゆらと橙の輝きを漏らすそれは爆炎球ファイアボールの魔法だ。

 それ自体は驚くべきものではない、火の系統の魔法をつかったというだけだ。だがエルは違えずその状況に異常を発見していた。


「……杖がない?」


 キトリーは“杖を持っていない”。

 魔法の行使に不可欠であるはずの、触媒結晶を取り付けた杖を持っていない。目前の光景には、エルの知る魔法に関する知識に明らかに反するものがあった。


「如何に」


 エルには疑問に囚われている時間はなかった。キトリーの短い問いかけとともに、いつの間にか数十も顕現していた爆炎球が殺到してくる。


 疑問も驚愕も置き去りにして、エルネスティは素早く反応した。

 彼はその全てが自分に向けて飛んできていることを把握すると即座に迎撃のための魔法術式スクリプトを構築、一足踏み出しざまにウィンチェスターを引き抜き、手に馴染む感触を確かめるより先に先端から大量の大気の塊を撃ち放つ。

 単発拡散発射キャニスタショット――同時に多数の魔法を発射するエルの攻撃パターンの一つだ。四方にばら撒かれた風衝弾エアロダムドの魔法が押し寄せる爆炎球を迎え撃つ。

 橙の魔法弾と大気のゆがみが次々にぶつかってゆき、そうなれば次に起こるのは爆炎球の爆発だ。


 すぐさま大気が渦を巻いた。爆発ではない、エルが続けて放った魔法だ。

 大気圧壁ハイプレッシャーウォール大気衝撃吸収エアサスペンションの魔法の応用で、周囲の大気を圧縮することで防壁を作る魔法である。

 広い範囲と大量の大気に影響を及ぼさねばならないため非常に制御が面倒な上級魔法だが、爆発や打撃など面積の広い攻撃に対する防御効果は絶大だ。

 空中に咲き乱れるかと思われた炎の花は、厚い大気の壁に包まれて太鼓を叩いたような低い音を残し、萎れ消えてゆく。


 数多の攻撃魔法と広範囲への防御魔法を続けさまに繰り出したにも拘わらず、エルは涼しげな表情のままだった。


「……“試し”はこれで終わりでしょうか?」


 彼は何が飛んできても対応できるように様々な術式を用意しながら、油断なくウィンチェスターを構えている。

 それを見ても、キトリーはやはり全く表情を動かしていなかった。


「試しは、良し。今まで見た徒人の中ではまだ見込みがある。徒人とは不思議なものよな、長じても及ばぬというのにそれを為す童がいると……誰ぞ、あれ」

「ここに」


 キトリーが呟くと、一人のエルフの男性が速やかに場に現れた。


「この者たちを奥へ案内せよ。魔力転換炉についての知識を所望だ、望むだけ教えてやれ」


 恭しく独特のポーズで頭を下げるエルフの男性。彼はそのままエルとアンブロシウスを森護府の奥へと招く。

 “試し”に合格したのだと理解したエルは、それでもウィンチェスターの構えを解かずに彼の後に続いた。

 奥へ進むすれ違いざまに、アンブロシウスはキトリーの横顔を見上げる。


「いささか、やり方が乱暴ではないかのぅ?」


 いくらか剣呑な響きを帯びた言葉にも、キトリーは視線すら向けることなく応じる。

 外見的には整った顔立ちであっても、表情が、動きがまったくないそれはむしろ不気味さを醸し出していた。


「心配に及ばぬ、あれは所詮“試し”。童が足りぬとも“届く前に消す”つもりであった」


 アンブロシウスは一瞬だけ顔をゆがめたが、すぐにそれを消し去る。こういったことは、年経たエルフとの会話ではつきものだった。

 彼女たちに直接の害意はない。当人が言ったとおりもし防げなくても消すつもりなのであり、それは確実に実行される。

 しかしだからといって、やられた側が納得できるかとは別の話だ。少なくとも不愉快さを感じるのは避け得ないことだろう。

 年経たエルフは効率を重視し感情を全く無視するため、徒人と話すにはしばしば摩擦を伴う。


「“法”の約の下、共に言葉に偽りはなく。ぬしの言葉、信じようぞ」


 アンブロシウスはそう言い残すと、建物の奥へと歩みを進めていった。

 その場に一人残ったキトリーは、彼らが立ち去ると目を閉じ、再び彼女の大いなる思索の時へと舞い戻ってゆく。

 すでに先ほどの一幕への興味は、欠片ほども残ってはいなかった。




 色合い揺らめく廊下を、静かに歩く人影がある。

 先導するエルフの男性の背を確かめつつ、エルはアンブロシウスを見上げる。


「エルフとは意外に過激なのですね」

「アレをエルフの普通と思うな。……いや、似たようなのも多いか、ううむ」


 なんとも気まずげに振舞うアンブロシウスを見て、エルは話を変えることにした。


「そういえば大老様はよく“法”とおっしゃっていましたが、“法”とはなんなのですか?」

「手短にいえば、わしら徒人とエルフの付き合い方、じゃな。広義では互いの貿易の取り決めなども含まれておる」

「ずいぶんと重要で大雑把な代物ですね」

「曰く、エルフとは大いなる知の探求を自らの使命とする民。オルヴァーも言うたじゃろう、幼き頃は活動し経験を増やすことが尊ばれるが、長じるにつれ思索に割く時間が増えてゆく。

 大老ともなれば1日の全てを思索に向けることも珍しくなかろう。そも時間に対する感覚が全く違うからのぅ」


 エルは先ほどのキトリーとの話を思い起こす。

 話している間も視線を向けず、ほとんど動くことのなかった彼女。徒人とは異質な感覚の中に生きる者。


「しかしまぁやつらとて生き物じゃ、食べねば死んでしまう。本来ならば狩をするなり、畑を拓くなりせねばならんのじゃが……そこで“法”よ」


 核心に迫るにつれ、エルの中で嫌な予感が膨れ上がってゆく。


「魔力転換炉、徒人には作るのが困難な部品の製造を行う代価として、わしらは食料や防衛を提供する。そう取り決められておる」

「それでは、エルフは普段何をしてすごしているのですか? ここには畑すらないのでしょう」

「じゃから、やつらが言うたとおり、思索の時であろう」

「(あれ? それやとあのネエちゃんガチ引きこ……いや何も言うまい)左様ですか」


 だんだんとどうでもよくなってきたエルは、目的地はまだかなぁと思いをはせていた。



 エルフの男性につれられて彼らが向かった先は、森護府の奥にある1室だった。殺風景な部屋に机と椅子が並べられている。

 森護府の内装はどこに行っても似たような白い風景であり、慣れないエルたちは既に見分けるのを諦めていた。

 吹き抜けと同じようにここにも柔らかな光が満ち、暗さは全くない。


「大老のご指示により、あなたがたに魔力転換炉についてお教えせよとのことですが」


 彼はやや硬い態度で話し始めたが、キトリーのような突き抜けた非人間さは感じられなかった。

 恐らく100歳は越えている実力者であり、それでいて徒人との会話に困らない程度に感情が残っている者なのだろう。


「うむ、わしはただの付き添いみたいなものじゃ、話は全てそこのエルネスティに頼む」


 彼の視線が、すでに机の上に身を乗り出さんばかりになっている小柄な少年へと向けられる。


「では、まずはどこから始めましょうか」

「全部で」

「ええ、というと」

「1から10まで全部、魔力転換炉に関すること全てです!」


 ついに机の上に正座を始めたエルの勢いに押されつつ、彼はあくまで静かに己の職務を果たすことを決意する。


「承知しました、ではその成り立ちから掻い摘んでお話します――」


 彼は滔々と語り始める。

 魔力転換炉とは何か、エーテルを魔力に変える、その仕組みはどこからもたらされたものなのか。


「我々が魔力転換炉と呼ぶもの、これは元をただせば“生物の心臓”そのものです」


 この世界の生物は例外なく魔力を体内に蓄えている。体内に触媒結晶を持たず、魔法を使うことが出来ないものにも魔力を生成する機能は存在するのだ。

 さらには生物の体の中で、この変換を行っているのは“心臓”であることがわかっている。呼吸と共に体内に取り入れられたエーテルは、心臓に送られそこで魔力へと変化する。


「この変換を行う核心が、我々の心臓にある“触媒結晶”なのです」

「……触媒なのですか? 触媒結晶とは魔力を魔法に変えるためのものでは?」


 エルの疑問も当然だ、人は触媒結晶を用意することで魔法を放つことが出来るようになった。

 そして魔法を発現させた魔力は再びエーテルへと還り世界を漂う。触媒結晶が持つ機能は、炉とは真逆のはずなのだ。


「そうです。しかしある特定の条件下ではエーテルを魔力へと変換するのです。ここで触媒結晶に逆の役割を果たさせるために必要なものは、2つ」


 一つは心臓を絶えず循環する血液。それが持つある種の機能が触媒結晶と反応して“エーテル”を“魔力”という状態へと変える。

 もう一つは魔法術式。生物の脳、本能の領域に刻まれた極めて特殊な術式がそれに影響している。

 そしてこの秘密に気付いた古のエルフの賢者が、原初の魔力転換炉を作り出したのだという。


「原初の魔力転換炉とは、莫大な紋章術式エンブレム・グラフを写した銀の器に、生物の生き血を満たしたものであったと伝えられています」


 それは魔力の生成には成功するものの、道具としては失敗に終わる。

 理由は簡単で、命の下にない血液はすぐに活力を失ってしまうからである。当たり前の話ではあるが、常に生物の生き血を必要とするような道具など到底使えたものではない。

 それからは、古の賢者は血液に代わるものを求めて試行錯誤を続けることになる。


「そこで彼らが起こしたのが、現在“錬金術”と呼ばれている技術体系です。様々な薬液と触媒結晶の反応が試され、エルフにとっても長い間に渡って研究が行われたようです」


 それら偏執的ともいえるエルフの賢者の試みは、長きに渡る研鑽の末に一つの成果を生み出すことになる。

 “血液晶エリキシル”――錬金術によって人工的に生成された擬似血液の完成である。


「後は魔法術式。炉にあるのは命の鼓動を刻み込む尊き式、われわれはこれを“詩”とよんでいます。術式の名は“生命の詩ライフソング”、と」


 生物の本能の領域に刻まれた原初の魔法術式、“生命の詩”。それは器に刻まれる形で保持される。

 だがここで一つ問題が起こる、術式があまりにも巨大すぎたのだ。“生命の詩”をそのまま紋章術式で作り上げた場合、必要とされる銀板は幻晶騎士1騎分よりも嵩張る、壮絶な量となってしまう。

 これを現在の魔力転換炉、人間よりも小さな大きさまで圧縮するためには、それまでとは全く別の方法が必要であった。


「そこで用いられたのがエーテルの影響を強く受けて生み出された至高の金属、精霊銀ミスリルです。そしてこれこそが、我々エルフしか炉を作れない、その理由でもあります」

「金属、なのですよね? それが何故、エルフしか作れない理由になるのですか」

「説明を重ねるより、実演でお見せしたほうが早いでしょう。少しお待ちください」


 そういって、エルフの男性は部屋から出ると一塊の金属を持って戻ってきた。

 一見して銀色の金属に見えるが、それはエルがいままで見たことのあるどの金属とも異なっていた。

 基本は光沢のある銀色をしており、驚くべきことにその表面では虹色の淡い光が揺らめいていた。それは片時も一定せず、常に万色に色を変えている。

 何かしらの特殊な力を秘めていることは疑いようがない。


「精霊銀……昔調べたときには、炉の材料として“精霊石”が必要とありましたが」


 エルはかつて見た、魔力転換炉の説明を思い出しながら呟く。


「精霊石? ああ、あれは世に出すにあたり精霊銀の名を変えた、方便ですよ。

 この精霊銀とはエーテルの影響を強く受ける場所にしか生成されない、極めて希少な金属です。最大の特徴として極めて硬く同時にしなやかで、かの鉄鋼と鍛冶の民ドワーフも鎚をなげるほど頑丈です」


 エルはまだ合点がいかず、じっと目の前の金属塊に見入る。

 ドワーフすら投げ出す硬度の金属、それがどうエルフとつながるかが見えない。


 エルフの男性は突然ぐい、と手を差し出した。周囲の注目が彼の手に集まる。

 何の変哲もない、男性としては色白な手のひら。それが淡い光に包まれる。何らかの魔法が、そこで発動しているのだ。

 彼がそのまま精霊銀の塊をつかむと、それはぐにゃりと、まるで粘土のように容易に形を変えた。


「……途方もなく硬いのでは?」

「叩いて形を変えることは出来ません。しかし精霊銀はエーテルの影響を強く受けた金属、ある種の魔法に反応して粘土のように柔らかくなるのです」

「もしかして、エルフしかできないことというのは……」


 エルは彼の手を見る。

 淡い輝きに包まれた彼の手のひら。やはり杖を持った形跡はなく、彼もただ己の身のままに魔法を使っている。

 その事実に気づくには十分な証拠だった。


「おそらくはご想像のとおりです。我々の体内には魔法を使うための触媒結晶がある。そのため自在に魔法を使いながら精霊銀を加工することが出来ます。これが、徒人にもドワーフにもできない我らの特技ですよ。

 それに他の民は、“生命の詩”を紡ぎながら複数の魔法を使って精霊銀を織ることのできるほどの魔法能力を持ちません。我々は魔法能力でも突出しています」


 エルフは、精霊銀を加工する際に特殊な魔法を駆使し、内部に高密度に術式を織り込んでいる。

 それによって、銀板を使った紋章術式とは比較にならないほど少ない量で“生命の詩”を実装しているのだ。


 それまでは黙って耳を傾けていたアンブロシウスも、この話には思わずふむ、と唸っていた。

 これでは他の民が真似をすることなどできそうにない。そして彼らが情報の提示を拒まない理由も良く理解できた。その自信はそもそも、生物としてのつくりに由来していたのだ。


「製法に関してはこのようになりますが、ご満足いただけましたか?」


 触媒結晶、血液晶、精霊銀。魔力転換炉を構成する諸要素は明らかとなった。

 エルは同時に明らかになった問題点の解決法を考えつつ、興味のままに言葉を続ける。


「炉の出力は、どのようにして決まるのですか? 今挙げたなかのどれを変えれば、出力を上げられるのかという意味ですが」

「主に触媒結晶の大きさと、エーテルの変換効率によりますね。事実、大型で強力な魔獣ほど心臓の結晶が大きいことがわかっていますから。

 あとは変換の核たる触媒結晶ですが、これを“魔獣の体内から採れた”物にすれば変換効率を上げることができます。生物の体内にあることによって、触媒結晶もいくらかの変質をしているようですね」


 ずいぶんと単純な答えに、エルは拍子抜けした気分を味わっていた。


「そんな簡単なことなのに、やっていないのですか?」

「それは、調整が難しいからです」


 現在主流となる魔力転換炉では、鉱山より採掘された触媒結晶を採用している。量的、品質的にも安定しており扱いやすいからだ。

 対して魔獣から採れた触媒結晶を使うのであれば、一般に決闘級以上の大きさを持つ魔獣の心の臓から採れる触媒結晶ならば十分な大きさがある。

 ただし出力が高い反面、魔獣から採れた触媒は品質が非常に不安定である。

 炉として安定して稼働させるだけでも触媒一つ一つにあわせた数多の調整を行わねばならず、さらに出力も最大と最低で波が激しいため、その調整のための仕組みも必要になる。

 簡単にいうと、一つ作るのにも手間がかかりすぎるのだ。

 一つでも多く炉を欲する国家にとって、強力ではあるが数の揃えにくいものよりも安定して量産できるものを重視するのは自明の理であった。


 だが残念なことに、エルフの隠れ里まで突撃してくるレベルのメカヲタクの前では、そんな“普通の道理”は何の意味も持たなかった。

 エルは凄まじい勢いでアンブロシウスへと振り返る。


「つまり理屈の上では“出来るだけ巨きな魔獣の心臓部の触媒結晶”を使えば強力な炉を作れるわけですね。

 陛下、畏れながら僕はこの条件に当てはまる獣に非常な心当たりがあるのですが」

「奇遇じゃな、わしも心当たりがあるぞ。ふうむ、次の質問は心臓部の処遇であろうな? もちろん“残してある”ぞ、ぬしの求めるとびきりをな。

 ……エルネスティよ、確かにこれを使えるならば尋常ならざる炉を作れよう。しかし求めるものを作るは、想像を絶する困難を伴おう。それでも挑むと申すか?」


 いつになく真剣な表情でエルを見つめ返したアンブロシウスだったが、すぐさま諦めたように表情を緩めていた。

 そう、問いかけるだけ無駄なのだ。

 普通ならば挑戦することすら思い至らないし、ただ熱意あるだけではこの遥か手前で諦めることになる。この場にいて尚さらなるを望む時点で、これはもうどうしようもなく“狂っている”のだ。


「良かろう、元はぬしが討ちとりたるものよ。ぬしが使いこなしてみるがいい」


 エルの答えは、聞くまでもなかった。




 アルフヘイムが闇の帳に包まれてゆく。

 アンブロシウスとオルヴァーがかの隠れ里を出るころには、日はすっかりと傾き森は不気味な暗さを纏っていた。

 ランタンをかざした馬車が、ゆっくりと関へと歩みを進める。


「陛下、あのままエルネスティ君を置いてきてもよかったのですか?」

「ふうむ、術式を極めるまで帰らぬと机にへばりつきおるのだ、他にしようがあるまい。わしも忙しい身じゃ、さすがに全ては付き合えぬ」


 あの後、エルは問題の“生命の詩”の術式を教わることになったのだが、これが一筋縄ではいかなかった。

 幻晶騎士を制御する術式よりも巨大な、史上最大規模の魔法術式である。“生命の詩”を複写した書物だけで常軌を逸した物量を誇るありさまだ。

 さすがのエルネスティであってもそれの習得には時間を要し、結果としてアンブロシウスは彼を置いていくことにした。


「案ずるな、宿も帰る伝手も手配してあるゆえ、気が済んだら勝手に帰ってこようぞ。わしらもそれまでに必要なものを手配せねばな」


 アンブロシウスはエルが炉の製法を完全に習得することを微塵も疑ってはいない。

 そうなれば、帰ってきた彼は確実に炉の製造を始める。そのための準備が必要だ。


「ひとつ、鬼が出るか蛇が出るか。楽しみに思わぬか?」

「……私は恐ろしく、思いますね。なにがあの少年をあそこまで駆り立てるのでしょうか」


 アンブロシウスは腕を組み、胸を張って断言した。


「それはわしも怖くて聞けぬ」


 エルネスティがライヒアラへと戻ってきたのは、それから一週間後のことだった。




 大陸の西側に広がる諸国家とフレメヴィーラ王国を分かつ大峻嶺、オービニエ山地。

 険しい山の間を縫うようにして、東西街道オクシデント・ロードと呼ばれる街道が両者をつないでいる。

 比較的通りやすいように、東西街道は山の谷間に沿って作られている。道としてはかなり整備されているのだが、いかんせんそれでも元が険しい場所であるためか、道行くものたちは相応の難儀を強いられていた。


 そんな東西街道を行く馬車の一団があった。護衛に幻晶騎士を従えた、そこそこの規模を持つ集団である。

 商人ではない。連れている荷馬車は少なく、彼らの旅の物資を賄う程度のものだ。

 中央には他よりも大きな馬車があった。装飾こそ質素だが、実にしっかりとした作りであることを見れば、中に乗るのはそれなりに身分のある人物である事がわかる。


 粛々と道を進んでいた一団だったが、峠を超えたところでその大きな馬車の内部から御者へと声が飛んだ。


「おい、馬車を止めてくれ」


 停車の旗が振られ、馬車が次々に停止してゆく。同時に護衛の幻晶騎士は全体を守れるように配置についた。


 ぎしり、と車体を揺らして中に乗っていた人物が降りてきた。

 彼は品良く仕立てられた、高価な布地を惜しみなく使った上等な服装に身を包んでいる。


 だが惜しむらくは、彼が体格に恵まれすぎていたことだ。

 身の丈は2mに迫り、その上全身くまなく鍛え上げられている。まさに野生的、や圧倒的といった表現がぴったりとくる風体だった。

 その彼が元々持っている迫力が小奇麗な服装との不和を呼び、傍から見たときになんとも珍妙な空気を漂わすという悲劇につながっていた。


 そんなことは毛ほども気にした様子がなく、彼は大きく息を吸い込み、胸一杯にためた空気を味わうようにゆっくりと吐き出している。

 肺の膨張と共に鍛え上げられた筋肉が躍動し、汚れの全くない純白のシャツがみちみちと音を立てる。

 悲しいかな、彼のためだけに特注されたはずの服は、圧倒的筋肉の前に風前の灯のごとしであった。


「うまい! 偉大なるオービニエの空気は澄みきっているな! やっぱあんなせせこましい城にいちゃ、息が詰まっちまう」


 峰を流れる風が、豪快に伸ばされた彼の髪を暴れさせる。

 やや赤めの色が混じった金髪は、まるで獅子のたてがみのように大きく広がっていた。


「まったくですね、“殿下”。こいつも普段より調子がいいって言ってますよ」


 背後に控える、護衛の幻晶騎士が同じように深呼吸の真似事をし、魔力転換炉の吸気音を高く響かせた。


「はは、そうだろう! お、見ろよ! 懐かしき我が故郷だ」


 峰からつながる山裾には一面の緑の風景があり、街道と思しき隙間がぽつぽつと見える。

 その中には王都カンカネンとその中央に王城シュレベール城があり、はるか向こうにはライヒアラ学園街までもが小さく霞んで見えた。


「おお、素晴らしきかなフレメヴィーラよ。それでは殿下、目前まで来たことですし、さっさとカンカネンに入ってしまいましょう」

「ケチケチするな、こっちはずっと窮屈と退屈と戦っていたんだ! ちょっとは身体をほぐしておかないと、城に着いた時に動けなくなるぞ」


 悪びれるところなく全身で伸びをしたところで、スパンと軽快な音を立てて胸元のボタンが弾け飛んだ。

 それはこの服を仕立てた、都の服飾職人の絶叫にも聞こえた。


「やれやれ、高額たかいだけで脆い服だな。ガイドシュの流行はいまいち性に合わん」


 そうぼやくと、フレメヴィーラ王国第一王子リオタムスの次男であるエムリス・イェイエル・フレメヴィーラは再び馬車へと乗り込んでいくのであった。






「ただいまおじゃましまーす」


 夕暮れ時のライヒアラ学園街。街のそこかしこに帰宅途中の学生達が見られ、それに合わせて商店が活気に満ちる時間帯だ。

 アデルトルート・オルターも他の学生の例にひょっとしたら漏れなくもない感じで、家へと帰宅していた。

 帰ってきた割に挨拶が奇妙なのは、ここが彼女の本当の自宅ではないからだ。


 アディは勝手知ったる他人の家であるエチェバルリア家へとすたすたと入ってゆくと、夕食の準備をしているセレスティナに軽く挨拶してそのまま奥へと突き進んでゆく。

 とある部屋の前まで来た彼女は立ち止まって息を整えつつ、髪と服装を軽く整え始めた。


 中等部に上がってから伸ばし始めた髪の毛は背中にかかるほどになり、元からの癖っけも手伝って走っている間にすっかり絡まってしまっている。

 彼女は少し苛立たしげにそれを伸ばす努力をしていたが、すぐに無駄を悟って諦めた。

 そして気合を入れるとノックもせずに部屋へと突入していった。



 部屋の中は、一般の民家としては明らかに異常な状態にあった。

 そこそこの広さのある部屋、壁沿いには本棚が並び、窓際に作業机とベッドがある。一人のための部屋としては十分な広さがあるはずだが、いま中央を占めているのは巨大な鎧だ。

 蒼く塗られた装甲を持つ、身の丈2.5mほどの大柄な騎士鎧。その正体はエルネスティ専用の幻晶甲冑シルエットギア“モートルビート”だ。


 酷く馬鹿馬鹿しいことに、モートルビートはその図体を器用に丸め、作業机の上でちまちまとした作業をこなしていた。

 傍から見れば部屋の天井につっかえるような大男が繊細な粘土細工をやっているような状態である。


 その乗り手であるべきエルはといえば、横手のベッドの上にちょこんと座り込み、モートルビートの手の先を凝視していた。

 彼の両手には銀線神経シルバーナーヴが握られ、それはモートルビートへと伸びていた。彼にとっては幻晶甲冑を外から操るなど朝飯前である。


 何故、彼がこのような面白曲芸状態で作業をしているのかといえば、それは“エルフのように魔法を使いつつ手を使って精霊銀を加工する”ためである。

 幻晶甲冑の手は結晶筋肉で動く。それは触媒結晶の一種であり直接魔法を行使できる、つまりは擬似的にエルフと同等の状況を用意できる。

 そのような理由で、ここしばらくのエルの自室では細密な粘土細工を行う巨人鎧とそれを見守るエル、という構図が出来上がっているのだった。



 そんな奇妙奇天烈な光景もアディにとってはすでに見慣れたものであり、何ら気にした様子もなくベッドに向かう。


「エル君おつかれー。今日も作業頑張ってるの?」

「はい、すこしづつでも確実に進んでますよ」


 エルにとっても、“生命の詩”を処理しながら幻晶甲冑で精霊銀を加工するのはそうたやすいことではない。

 彼の限界ギリギリの処理能力と、非常な集中力を保ちながら、あえて処理速度を遅くすることでその負荷に耐えている。そのため長時間の作業は行えず、毎日微々たる歩みを進めている状態だった。

 それでも嬉々として行っていることではあるが。


 さて、そんなエルのところに現れたアディ。彼女自身は炉の製造を手伝えるほどの能力はない。

 またエルはアンブロシウスと炉の製法を広めないということを約束しており、アディはエルがやっている作業の意味を知らなかった。

 つまり、ここに来たのは作業を手伝うためなどではなく。


 ぽすっ、という音を立ててエルの脚の上に何かが乗せられる。もう大体予想は出来ているが、エルは作業の手を止めてそれを確認した。

 果たして、そこにあるのは満面の笑みを浮かべたアディの顔だ。彼女はエルが動かないのをいいことに、膝枕を楽しむ魂胆であった。


「……いつも聞いている気がしますけど、楽しいですか?」

「うんとっても。じゃあ、晩御飯になったら起こしてねー」


 横を向き、わざわざ脚に頬ずりをしてから本当に寝始めたアディに、エルは小さく溜息をついた。

 どのみち彼は作業中は動かないのだから、特に拒否する理由もない。炉の製造を始めてから、この光景も日課になりつつあった。

 エルは彼女の頬にかかる髪の毛をどけ、ついでになんとなく頭をなでる。


 その間もモートルビートは手を休めることなく、黙々と炉の器を作り上げていた。

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