六分の二刀流

くらんく

最終決戦

 砂埃舞う神殿の跡地に佇む二人の男。

 世界の命運を握るのはどちらなのか。

 それは最後にこの場所に立っていた者だろう。


 向かい合う二人の視線が交差する。

 永遠とも思える沈黙。

 それを破ったのは引き抜かれる大剣が鞘を掻き鳴らす重厚な音だった。


 黒髪の青年は細身だが引き締まった肉体をしており、身の丈に迫ろうかという大剣を片手で軽々と操る。

 その様はまるで肉体の一部を動かしているようだった。


 全身を黒く染め上げる青年の服は、至る所に斬撃により破れた形跡がある。

 この場所に辿り着くまでに幾多もの敵と渡り合ってきたのだ。

 だが、漸くこの場所を訪れた時にはすでに邪悪なる儀式が終わっていた。

 間に合わなかった。


 世界を破滅に導く災厄の王。

 それを復活させ肉体に宿すことで、神にも匹敵する力を得る。

 かつての同胞が犯した禁忌の所業。

 彼を止めることは叶わず、目の前にはかつての面影を残した悪鬼がいるだけ。


 ならばもう戦うしか道はない。

 友は救えなくとも世界は救うことができる。

 

 儀式直後の今はまだ、完全に力を掌握できていない。

 身に余る強大な力を必死で肉体に押さえつけている。


 今しかない。

 今ここで友を斬る。

 それが青年にできる唯一のことだった。


「行くぞ……」


 重心を下げ、大剣を構える。


「我が二刀流の前に散るがいい」


 白髪の男も構えを取る。

 額からは2本の角を生やし、肌は死人のような灰色。

 露わになっている男の上裸は、浮き出た筋肉の凹凸が鎧の様に見える。


 そして天に掲げた2本の剣。

 幼いころから欠かさぬ鍛錬の末に手にした武の極地。

 彼が信じてきた己の強さの象徴。

 だがそれこそが彼の闇だった。

 

 更なる強さを求め、辿り着いたのが悪鬼羅刹の力の継承。

 溢れる力と引き換えに、肉体はその姿を変えた。

 面影さえあれど、そこには鍛錬に励む生真面目な男はいない。


「……」


 大剣を構えていた男は静かにそれを下ろした。


「どうした。怖気づいたか?」


 その言葉にも青年は答えようとしない。


 再び訪れた沈黙の中で青年は指を差す。


「……?」


 男は指の先にあるものを思考し、それが自分のことだと理解した。

 だが、青年の行動の意味を分かりかねる。


「お前……」


 青年が呟くように溢す声が、風音の合間を縫って耳に届く。


「腕6本じゃん」


 雷に打たれたような衝撃が男に走った。

 幼いころから振るってきた剣。

 その二刀を掲げる腕が6本になっているのだ。


 男は強大な力を手にして異形へと成り果てた。

 それは偏に強くなるため。

 そのためなら家族も友も捨てられた。

 

 だが己の技の極みである二刀流を捨てることはしなかった。

 これこそが自らのアイデンティティであると認識しているからだ。


 だからこそ青年の言葉に狼狽えた。

 6本の腕を有していながら二振りの剣で戦うのは果たして正しいのか。

 男はそんな考えを振り払うように答える。


「だ、だからどうした」


 青年はしばらく黙ったが、意を決したように言葉を紡いだ。


「腕が6本あるのに剣は2本っておかしいだろ」


 青年の冷静な言動に惑わされぬようすぐに言葉を返す。


「貴様も両腕で1本の剣を握ることがあるだろう」


「じゃあお前は腕3本で1本の剣を持つのか?」


「……そんな時もあるかもしれない」


「つまり普段は4本余るのか?」


「……そういうことになる」


 男の答えが歯切れ悪くなってきた。


「その4本はどうするつもりだ」


「いつでも相手を攻撃できるよう拳を握って待っている」


「剣を握ったほうが良いだろうに」


 それは即ち六刀流のススメであった。


「今は二刀流だが、将来的には六刀流になる」


 青年に促されて六刀流に至ったなどと後々言われるのは癪なので、もともとその予定であったような口ぶりをした。


「そうか……」


 青年はどこか納得いかないような表情だが引き下がった。


「話は終わりだ。そろそろ行くぞ」


 そう言って男は再び2本の剣を天高く掲げる。

 慣れ親しんだ独自の構え。


 だが、そこには違和感があった。

 

(残りの4本の腕はどうすればいいんだ……)


 今までは考えもしなかった疑問が脳内を駆け巡る。

 腕が増えたときに使わない腕の位置は、形は、力感はどうすればいい。


 当然その疑問に答えられるものはいない。

 彼以外に腕が6本になった人物はいないのだから。


 一度気を取りなおそうと構えを解く。

 その瞬間、透かさず青年が声をかけた。


「本当にその腕で合ってるのか」


 はじめは意味が分からなかった。

 だが、その言葉を理解するにつれて奇妙な感覚が腕に広がった。


 俺の腕は6本。

 使用しているのは2本。

 この2本は以前から俺が使っている2本なのだろうか。

 それとも新しく生えた2本なのだろうか。


 何度か握っている剣を持ち換えてみる。

 だがすべての腕が同様の反応を示す。

 どの腕も一様に自分がオリジナルだと主張するのだ。


 困惑する男に青年は追い打ちをかける。


「寝るときは腕が邪魔だがどうするんだ」

 

「うつ伏せで寝るから問題ない」


「手洗いが面倒くさそう」


「ちゃんと全部洗えばいいんだろ」


「爪切りも時間かかるな」


「3本ずつやるから時間は一緒だ」


「目は2つしかないのに?」


「それは……」


「そもそも爪切り3つも持ってないでしょ」


「……」


 男は言葉に詰まる。


 人間は3か所を同時に見ることはできない。

 たとえ腕が6本に増えたとしてもその事実は変わらない。

 爪切りなどという簡単な作業でも、手間は3倍に増え効率はそのままだ。


 神に匹敵する力を得たはずの彼は絶望に打ち震えた。

 いくら強大な力があっても日常生活すら満足にできない。

 所詮は身に余る力だったのだ。


 男は両の手から剣を落とした。

 

「この剣は爪切りと同じだ。もし剣が6本あったとして、俺にそれを扱うことができただろうか。いや、きっと不可能だ。


 俺は二刀流を極めたと思っていた。だが実際はそうじゃない。たった二刀までしか扱えなかったんだ。


 その先を見ようともせずにただ限界を決めただけ。それの何が極みか。俺の努力は未だ六分の二で止まっているんだ」


 独白を続ける男の周囲から黒煙のような靄が溢れ出す。

 実体を持たないそれは怨嗟の声を叫びながら空中へと霧散していく。


 やがて男を囲むように漂っていた邪気が晴れた。

 雲の切れ間からは陽の光が差し込む。

 

「俺はまた鍛錬を続けるよ。六刀流も爪切りもきっとマスターしてみせる」


 男の顔は憑き物が落ちたように晴れやかだった。

 儀式の代償か異形の姿は変わらない。

 だが彼はそんなことは気にしなかった。


 男はゆっくりと歩き出した。

 そして青年の元に近づくと、6本の腕で強く抱きしめた。


「ありがとう。お前のおかげで目が覚めたよ……」


 男の灰色の頬に涙が伝う。

 それは太陽に照らされて、ダイアモンドの様に輝いていた。


 男は2本の剣を拾い、別れの言葉も告げずにその場を後にした。

 きっといつの日か、その剣が6本になる日が来るだろう。

 

 そして世界には平穏が訪れた。

 青年の獅子奮迅の活躍により邪なるものを退けたのだ。


「なんだそりゃ」


 残されたのは青年は、一人呆気にとられて立ち尽くしている。

 光差す神殿には沈黙だけが流れていた。

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