誠実 二〇二〇年 十月二十八日 ②

 ESで一番難しい作業は、文字を削る作業だと、BackSpaceキーと格闘しながら思う。何週間、場合によっては月・年単位の時間取り組んできた『学チカ』や、膨大な時間から自分の長所・短所のエピソードを、たったの数百文字に収めなければいけない。雅也さんからのおさがりとは思えないくらい綺麗な就活本を、本人の前ではできないくらい雑に開くと、『結論』『背景』『実行策』『結果』と四つの大窓が、学チカのフォーマットとしてページをぶち抜いていた。一度読んでお腹がいっぱいになったことを思い出しページを閉じると、『これで安心!納得内定!』という表紙が飛び込んできて裏返しにする。それを見て拓実が笑った。

「なんや、参考にならんかったか?」

「お前は何書いてんだよ」

 徐々に痛くなってきた尻を上げて元基の隣に座る拓実のパソコンを覗くが、あいつは俺が知らない企業のホームページを開いていた。

「つまんねー」

 手を押さえずに、ふああとマスク越しに大きく欠伸をする。拓実たちがパソコンを取りに戻ってきてから一時間近く経つと、さすがに眠いし腹も空いてくる。たまたま目に入った壁時計は、あと一時間で寮の夕食が締まることを教えてくれた。きりのいいところまで終わらせようと、拓実の方を向く。

「ES書く時さ、拓実はどうやって文字数調整してんの?」

 五日後に提出しなければいけないESは志望動機四百文字、学チカ三百文字だが、一週間後のものは、自己PR三百文字、学チカ五百文字とばらばらだ。

「僕はあらかじめ一通りバーッと書いてから、規定の文字数に調整するかな。そっちの方が、ちまちまやるよりも効率ええやろ」

 なるほど。一時間でできるかは微妙だが、拓実のやり方は今後役に立ちそうだ。

「あと関係ないけど健太郎、昨日飲みかけだったジュース、また放置されとったよ」

 拓実がさっきよりも一つ冷たい声を飛ばす。俺よりずっと綺麗好きだから、たまに俺がゴミを放置して注意される。

「へいへい」と応える隣で大樹が息をつく。疲れが溜まっているのかと思いながら、大樹のパソコンをちらと見た。

「やっぱり」

 大樹が口を開く。

「学校の勉強と就活は全然違うな」

 四人の中だとぶっちぎりの成績を誇る大樹のレポートは、いつ見ても整然としている。

「こないだの面接で、なんで落ちたのかがわからなくてさ。訊かれたことにちゃんと答えても、今朝届いたメールには『誠に残念ながら』の定型文でうんざりしてさ」

 でも、さっきまで大樹は、何も書き込まれていない白紙のWordファイルを、不気味に見つめていた。

「大樹はどこが違うと思った?」

 パソコンを閉じた拓実が訊く。

「一番は評価基準がバラバラなとこだな」

 なぜかこちらを一瞥した大樹と目を合わせられなかったが、言っていることには理解できる。テストであれば数値化されていたり、レポートは明確な採点基準があることで、理解度や偏差値を知ることができる。計算式や解答アプローチの間違いも、解答を見れば似た問題が次来たときに対応することができる。反対に、数字には表れず、明確な正解不正解に分類することができない就活は、受かった人とそうでない人の差がわかりにくい。

「ま、勉強とは別物だろうよ」

 元基は光に浮き出た参考書の傷を舐めるように、指の腹で拭き取った。

「僕は勉強と就活、案外似とると思うけどな」

 そんな二人に対して、机に上半身を寝そべらせた姿勢で拓実は異を唱えた。

「面接で聞かれることなんて大体決まっとるから、対策は立てられるやん。大樹の言う通り、面接官も人間やし、企業によっても評価基準が違うのはほんまやから、ある面接官で百点の受け答えをしたと思うても、違う面接官では七十点くらいにはなる。でも、ゼロ点が百点に反転することはないし、その逆もないと僕は思う」

「なら、対策しておけば、どの面接官でも七十点くらいは取れるってことか」

 理解が早いとばかりに拓実は目を細める。七十点を取れれば面接は通ると、拓実の姿勢が言っていた。

「で、でもさ、人によって違うってことは、運ゲーじゃん。理不尽だと思わないの?」

「正解が明確にされとらん分、大変かもしれへん。けど結局、職場に就いてからの業務も、そんなもんやないの?」

 ぐっと大樹は言葉が詰まり、パーティション越しでも眉がびくびく動いているのがよくわかる。

「納得いかへんようやな」

 大樹は思い出したくもないというふうに、苦々しく顔を変えながら話す。

「こないだの面接は学生二人と面接官一人だったんだけどさ、もう一人がまさかのサークルの同期で――」

「うえぇ~」

 知り合いが同じ面接にいたことを聞いただけで、ジュースが口からこぼれそうだった。「珍しいこともあるんやな」と拓実たちも疲れて重くなった目を見開かせるが、大樹はそのことはどうでもいいとばかりに話を続ける。

「自己PRをそいつが先に話したんだけど、話してることと、実際にやってることが違うんだよ」

 俺は大樹のこの顔を知っている。ついこの前、パソコンに映るスーツ姿の男が同じ顔でレンズのような目を、ぞろりと並べていた。

「そいつが話したのはゲームイベントの主催なんだけど、俺も手伝いしてたからわかんだよ。完全な嘘言ってるわけじゃないから質が悪い。参加者二百人規模とか話してても本当は五十人も入らない会場でやっていたり、計画性や準備の手際をアピールするのに、『事前のトラブルを防ぐために同系統のイベントを運営している知り合いにヒアリングを行い、メンバーとオペレーションの確認を徹底した』とか言っても、実際やったのは前日の準備のついでにやった確認だけだし。っていうかそれ思いついたのもやったのも俺だし」

 喋れば喋るほど、それまで溜めていた大樹の熱がどばどばと飛び散る。

「面接官も質問しながら頷いちゃってるから気味悪くてさ。これじゃ面接というより『誰がうまいこと言えるか選手権』じゃないかって考え出したら、ESが全然進まなかったんだ。ほんと、面接官はどこ見てんだよ」

 ただの言い訳じゃないのか。何色も混ざった水溶液の中に新しく色のついた筆を入れようとしたが、左足のズボンについた皺を見て躊躇った。

――絶対はない。

 とっさに吐き出しそうになるとき、本当にそれは考え抜いたのかと、ズボンを握り締めて問うことがある。

 大樹の話は本当だろう。大樹が知っていることと、友人自身が話したことが噛み合っていない気味の悪さ。そして、それに相槌を打つ面接官。大樹は『どうしてそいつが受かるんだ』という顔をしている。

「それは誠実じゃないんだろうな……」

 ぽつりと零しながら視線を落とすと、拓実の両手にいつの間にかポーチが握られていた。

「ちょっと訊きたいんやけど、大樹は化粧してる女の子とか整形してる女の子は嫌い?」

「は?」

 こいつ何言ってんだ?と書かれた顔で大樹は固まる。

「好きか嫌いかはぶっちゃけどうでもええけど、あの子らって、僕らの想像してる何倍も見た目に気を遣ってるんよ。何の手入れもいらないくらい元の素材が抜群に優れてる子なんて稀も稀で、僕たちがぼーっとソシャゲしてる間、みんな鏡の前で化粧学んで一生懸命服選んでるんよ」

 ポーチのチャックを開け閉めする音が、俺には説教臭く聞こえた。だが、洗面台の前で歯を磨いていたら「メイクをするから」と真子に追い出された時だったり、近くのドラッグストアで列一面に並ぶ化粧用品を見た時、およそ半分の人間が頭を悩ませる事象を、自分は無縁の世界として外から眺めていられた。

「それと同じでさ、自己PRだって最初から面接官が望むようなエピソードを用意できる人はどれくらいおるのかなって?それっぽく加工して、面接官喜ばして、選考突破することのどこがおかしいんやろ?」

 大樹は片目を歪ませながら、拓実の手元を睨みつけて貧乏揺すりしていた。ESでこねくり回した頭で、二人のやりとりをこれ以上続けさせるのは少し疲れた。仄かに色づいた苛立ちを、ため息と混ぜてマスクの下に溶かしながら二人の間に入る。

「拓実はちょっとくらいなら嘘ついてもいいってことだろ。エピソードそのものが嘘ってならだめだけど、エピソード内のことなら少しくらい誤魔化しても、体裁が整ってる方がわかりやすいって」

 面接で盛っていたとしても、話の流れが想像しやすくて、自分の長所、エピソードからの学び、課題の解決、それらを繋ぐ滑らかな一貫性があるのなら。

「そういうことや」

 拓実の手が止まると、横目に映っていた大樹の挙動も治まった。考え込む素振りをやめて頭を上げる。

「拓実は俺が間違ってると思うのか?」

「間違いとかどうでもええけど。なら逆に、大樹はその友達や面接官が間違ってると思っとるんか?」

 それは暗に、結果が全てじゃないのかと聞こえた気がした。結果がついてきてないやり方に意味があるのか、と。

 大樹は水を口に含むと、拭った後の唇の重なりが、元基のルーズリーフの端に引かれたよれよれの線と被った。

「そろそろ食堂行かないと」

 元基がそう言うと、言葉を交わすことなく各々片付けを始める。ペットボトルの底に少しだけ残ったお茶を飲み干しながら、食事の前に注意されたゴミを片づけようと決めた。

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