誠実 二〇一九年 二月十日 ①

   二〇一九年二月十日


「飛行機がさ、地面に着陸する時ってすごく揺れるし、腕に力がはいるよね。そうやって踏ん張らないと、シートベルトしてても体のバランス崩しちゃいそうでさ」

 シャワーの後に触れた真子の肌は、砂がついていないことを除けば、ラグビーで縺れ合った時と同じ熱を持っていた。その熱を冷ますかのように、真子は買い込んだビールを一気にあおる。本当は体がくたくたでさっきまで意識が朦朧としていたのに、明りを落としてもなお、真子は新しい酒に手を伸ばしていて、俺もアルコールを流し込んだ。

「なんの話?」

「いや、それと同じでさ。セックスしてるときも、どこかに掴まってないとスポーンって抜けちゃいそうなことがあるじゃん」

 と、真子はいつもよりも少し低い疲労感を感じさせる声で、すっかり元気の失った俺の下腹部を一瞥する。整った顔立ちを情欲に染め、空に漂う幸福という幸福を全て貪り尽くすように体を重ねた。

 濡れない、痛いだけのセックスにはもう戻れない。

「ずーっと腰が浮きっぱなしだったっていうか、初めて健太郎の重さを感じた気がした時、不思議と安心してた。いや、逆かな。私が安心したから、重さを預けてくれたんだ」

 アルコールが血液の流れを一気に加速させる。

「なんかここ一カ月くらいさ、私もそれっぽい素振りを見せてるのに、全スルーされてたからどこかおかしいとは思ってたけど。納得した」

 全開にした窓から吹き込んでくる風が、さっきよりも冷たい。

「初めてした高校の彼女と、いけなかったんだよ」

 今まで入院するような大きな病気に罹ったことも、怪我をしたこともなかった。だから、自分が圧倒的少数派であるという、過去から積み重ねてきた場所が脅かされる感覚に、ずっと怯え続けなければいけなかった。

「次の日から雰囲気悪くなって、結局次のデートの時に別れようって言われて。その彼女だけじゃない。次の時もダメで、おかしいんじゃないのって言われた」

 病院にかかるべきという正論よりも、打ち明けなければいけない恐怖が遙かに凌いだのは初めてで、飼い慣らしていたリードの先を、突然経験したことのない強い力で引っ張られた。

 誰に言えばよかったのだろう。

「自慰してる時はおかしいとこなんて全然なかったから、余計こんがらがってさ。『ああ、俺は人から見えないだけで異常なんだな』って。思わないほうがどうかしてるよ」

 それでも、今回はいける気がした。精力剤を使わなくても、今までとは違う体勢から見下ろす真子を想像するだけで、下腹部がズボンの下で膨らんでいた。

「自分でもどうして真子とはなのかはわからない。でも、すっげえ安心した。ほんと、まじで」

 同時に、思い込み一つでいかに脆くなる自分を、檻か何かで永遠に閉じ込めたくなった。

 と、俺にとってこんな気持ち悪い話をしてしまったが、一体何になるのだろうか。ただ、くだらないだけじゃないか。

 真子は頷くだけで、ずっと黙って聞いていた。呆れて言葉が出ないだけ、なのか。朝目覚めて、荷物が消えていたらどうしようか。

 すると、真子が俺の肩を掴んで自分の元に寄せる。俺の側頭部は、なすがまま彼女の脚の上にのっかっていた。火照った耳が、脚の毛穴に触れてむずがゆい。それに、すごく窮屈だ。

「大変だったね」

 果てることのない欲と矛盾する体に、何度もどかしさを覚えたか。

「不安だったのね」

 一時間前まで大きく、熱く沸いた部屋とは思えないほど静かだ。今は世界に二人しかいない。

「頭ではわかっていても、どうしようもないことはあるよね。熱出すから修学旅行が嫌いだったり、次の週はグループで変に気を遣われたりするのが嫌になったり、ほんと。一昨日も体調崩すんじゃないかって、頭の中そればっかりだったよ。違うのは心配の色がピンク色かそうじゃないかだけかな」

「最後のはいらないだろ」

 上から酒臭い息が、吹きかかる。正直、今日一番興奮した。

 もし真子に、なんの謂われもない困難が振り付けたら、その時はできる形で支えよう。彼女にどうしようもできないことは、俺にも解決できないことの方が多いだろう。性の悩みが男女で違うように。

 それでも、話を訊いてくれた真子には感謝している。

 もし、いつかこの時間を思い出す時がきたら、それは猛烈に欲求不満な時か、あるいは、俺個人の力ではどうしようもない事態から、天国のようなこのベットともう一度繋がりたい時だろう。

 どっと疲れが襲ってきた頭で、そう考えた。

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