おやじの刀が増えたワケ

鈴木怜

第1話

 昔から、おやじは何を考えているか分からないところがあった。

 もう幕府も倒れたというのに、それでも侍という立場に、刀に執着するところとか、一日中ずっと太陽を眺めて動かないところとかだ。

 そもそも、丁稚だったおれがおやじなんて呼んでも許してくれる人間だったことも考えてみれば変なことだった。

 気になって聞いてみたことがある。なんでそんなことをするのか、と。


「この国を憂いているからだ」


 答えはそんなので、おれにはよく分からないものだった。ただ、幕府の世の方が良かったと頭ごなしに決めつけているわけではないらしいことは、ばかなおれにもなんとなく察しがついた。というのも、最近おやじとおれの暮らす街にも届くようになった新聞とやらをまじまじと見つめては、ため息をつくのもよく見た光景だったからだ。


「今は、幕府と政府とでぶつかりあっている場合ではないだろうに」


 きっと、それは、変わりゆく世間に対するものだったのだとおれは思う。目は新聞の論説に向かいながらも、真に見据えていたのは海の向こうの国のことだったのだろう。


 今のおれなら、それがなんとなく分かる。




 ☆★☆★☆




 その晩は、春がすぐそこに迫っているというのにひどく冷えていた。


「今帰った」


 おやじの声がした。


「おやじ、よくお帰りで。あんれ」


 それまで腰にあったのは一振の刀だけだった。だというのに、今日はそれがなんだか増えているように見える。


「刀が分身したんですかい、おやじ」

「刀がそんなことするか」

「すいやせん」

「……ま、分身はしとらんが、増えてはいる」

「ほえ」

「そんな阿呆みたいな顔をするな。……廃刀令に聞き覚えはないのか、お前は」


 そんな新聞に乗ってそうな単語は聞いたことがなかった。もしかしたら、聞いてはいたものの忘れていただけかもしれない。

 とにかく、おれにそんな記憶はなかった。その旨を伝えると、おやじはくすりと笑った。


「そうか。これはな、友の刀なのだ」

「友の刀、ですかい?」

「そうだ」

「その、ご友人? がなんでおやじに」

「聞きたいか?」


 機嫌がいいのか悪いのか分からない、そんな声色でおやじは言った。


「せっかくなんで、お聞きしやす」




 ☆★☆★☆




「『廃刀令が出て久しい。いい加減私も刀を手放さなければならんかもしれん』……今日友のもとへと赴いたら開口一番にそんなことを言われた」

「ほえ」

「分かっているのか、お前は」

「いえ全然」

「だろうな」


 廃刀令というものが刀を捨てるようにという命令だということ、そもそも侍というものが明治の世になってからというものどんどん減っていること、ご友人もおやじも少しずつ首が回らなくなっていること……。

 おれとおやじが囲炉裏に向かって座る。そんななかで、聞くこと聞くことがすべて驚きの連続だった。

 おれの想像以上に世界は変わっていたのだと思い知らされた。


「で、ご友人はなんと?」

「『兵役は民が自ら行う世になった。もう見せ物として生きていくしか、侍には道は残されていないだろう。しかし私は思うのだよ。それは侍なのか、と。道化ではないのか、と』……そう言っていた」

「道化ですかい?」


 おれがまた分からないと顔で表現した。


「おもちゃみたいなものだ」

「おやじはおもちゃ」

「断じて違うが」

「すいやせん」

「……で、だ。友はそうはなれないと言って、刀を置いた」

「へえ。それで、なんでおやじが?」

「なら、くれと言った。それまでのこと」

「くれたんですかい!?」

「くれたんだよ」


 そう言ったおやじは、苦虫を噛み潰したような顔をしていた。


「侍にとって刀は魂。鉄屑と化す前に、せめて己が手に、その魂をくれと言った」

「そうしたら、くれたんですか」

「おうとも。『そっちの方が、ずっといい』……そう言ってくれた。どこまでも、純粋なやつだ」


 おれにはとんと分からない次元の話だった。


「で、どうするんですかい? さっきの話からすると、廃刀令の役人さんが黙っちゃいないでしょうに」

「それが問題だ。だからな、いっそのこと道化を通り越して、芸事の重鎮になってやろうと思うのだ」

「ほえ」


 道化が嫌だという友の刀を譲り受けながら、道化になるといったような気がした。おやじは何を言っているのだろうか。


「確かにいつか侍とて絶える存在であろう。しかし、こんな早くなくてもよいはずだ。それに、道化となろうが、魂が侍であればよいのだ。友は、それも耐えられなかった。それもまた、侍魂というものだろう。だが、それでは誰が侍という生きざまを伝えるのだろうか」


 そうして、おやじは丁稚であるおれの名前を呼んだ。


「……いつか、いつかだ。きっとこの国に、侍が必要となる時がくる。急速に変わりゆく世界において、いつか懐かしい存在を求めるのが人というものだ。お主はそれを、忘れるな」




 ☆★☆★☆




 それから数ヶ月後、おれは丁稚を辞めた。おやじは海を渡ったらしい。会社員として働くようになった俺は、いつしか新聞社で記者をやっていた。


 季節が何度も巡ったある日、おれは映画に出会った。元々流行っていたのは知っていた。しかし、海の向こうのニュースなんてものは、ニュース映画なんかにしなくても情報が入ってくる。わざわざ観なくてもよかったのだ。

 しかし、その日は、戦争の映像があるという売り文句に惹かれた。記者として、見過ごせなかった。

 映画館に入れば、沢山のニュースが一瞬にして流れていく。戦争の映像として、砲撃が止まらないのも目に入った。

 世界の回る速さが、また少し上がった気がした。


 おれは知らなかったが、映画はニュース映画以外にも、物語を映像にして流すものもあった。学の浅さに恥じ入りながら、目に焼きつけるばかりだ。

 そして、その姿は突如として現れた。


 向こうの国の銃使いが主人公の映画だった。


 老け込んでいる。最後に見た姿よりも随分と。しかし、あの右手から繰り出される一閃は、あの佇まいは、間違いない。間違えるはずもない。

 おやじだ。向こうで元気にやっていたのだ。


 映画館を出たおれは、人目もはばからず泣いた。

 敵の役だったが、そんなことはどうでもよかった。



 フィルムを回せば今も、おやじは二本の刀を振っている。

 侍を世に残すため、道化になることすらよしとした己の魂。どこまでも純粋な侍であろうとした友の魂。

 二刀流の剣術でもって、おれの心を踊らせている。

 きっと、おれ以外にも、踊っている心があるのだろう。

 おれはそう信じたい。

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おやじの刀が増えたワケ 鈴木怜 @Day_of_Pleasure

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