第5話
「アリウス。お前のために家庭教師を雇ったぞ」
「へ…?」
とある日の夕食の席で、俺は唐突に父親であるアイギスにそう言われた。
俺が光属性の上級魔法の魔導書をねだろうと口を開いた同じタイミングでそんなことを言われ、俺は一瞬時を止めてポカンとしてしまう。
「む?アリウス?聞いているか?」
俺がいつまで経っても反応しないので、アイギスが怪訝そうに顔を覗き込んでくる。
「はっ、す、すみません…」
俺は我に帰って、アイギスに聞き返す。
「家庭教師、ですか…?」
なんだろう。
貴族の作法とか、そういうのだろうか。
だとしたら魔法の訓練の妨げになるから正直気が進まない。
断りたいのだが、しかし、アイギスは今、『雇ったぞ』と過去形を使った。
つまりもうすでに家庭教師との契約は済ませてしまっているのだろう。
「そう、ですか…わかりました」
俺は頷いた。
まぁ、仮にも俺は貴族の息子だ。
豊かな生活と引き換えにそういうまどろっこしい事もやらなきゃいけないのは仕方がない。
ここは大人しく、受け入れておくことにしよう。
「うん、よし。お前のために、帝国魔法試験に合格したベテラン魔法使いを雇ったからな。よく学ぶのだぞ」
「へ…?」
またしても、困惑。
「ん?どうした?嫌だったか?」
再びアイギスに顔を覗き込まれ、俺は自分の勘違いに気づく。
「ま、魔法の家庭教師ですか…勘違いしてました…」
「そうだぞ?なんだと思ったのだ?」
「てっきり礼儀作法か何かだと…」
「はっはっはっ。違う違う。作法?そんなものは瑣末なことだ!!わざわざ人から教わることでもない!!」
そう言ってアイギスはひとしきり笑ったあと、ぐびぐびと酒をグラスに注がずに、ラッパ飲みする。
…確かに、どう見ても作法とかを重んじていないこの父親が、礼儀作法を俺に仕込もうとするわけないか。
「こら、アイギス。行儀が悪いですよ。アリウスちゃんとイリスに悪影響です。もう少しきちんとしてください」
ゲラゲラ笑いながら酒を飲んでいるアイギスを、シルヴィアが嗜めた。
「お?そうか?すまんすまん」
アイギスは平謝りしつつも全然反省している様子はない。
「あうあー!」
そんなアイギスを見て、シルヴィアの腕の中のイリスは可愛らしい鳴き声をあげている。
「あら、よしよし、イリスちゃん」
「あうあー!」
「イリスちゃんはお父さんみたいに行儀悪い人になっちゃダメですよ〜?わかりましたか〜?」
「あうあー!」
「うふふ、かわいいでちゅねぇ〜」
「あうあ〜」
シルヴィアが言葉をかけるたびにいちいち可愛い反応を見せてくれる我が妹イリス。
俺は愛おしい母娘のやりとりを横目に、アイギスに言われた家庭教師のことについて考える。
「別にいらないんだけどなぁ…」
誰にも聞こえないようにぼそっと呟いた。
俺は魔法は誰かに習うまでもなく独学で構わないと思っている。
その根拠は、すでに俺が火属性と水属性の魔法を、初級から上級魔法までほとんど会得してしまっていることだった。
また光魔法もすでに中級までほぼ全て使えるようになっており、残るは上級魔法だけ。
魔導書が手に入り次第すぐにでも訓練を開始しようと思っている。
これまでの経験上、光属性の上級魔法を全て会得するのに、三ヶ月もかからないだろう。
「今からでも断るか…しかし、どうやって…?」
出来ることならこの話を断りたいのだが、しかし、口実がない。
俺は自分が火属性と水属性の上級魔法をほとんど使えることを両親にも明かしていないため、彼らはいまだに俺が初級魔法といくつかの中級魔法を使えるだけだと思い込んでいる。
だから、良かれと思って今回の話を持ってきたに違いなかった。
「お父様…話は嬉しいのですが…」
「ふふふ…!アリウス。魔法の実力者からよく学び、お前は最高峰の魔法使いになるのだぞ?何せ、お前はトリプル。三つの属性を扱える、歴史上にも数名しか存在しないような逸材なのだからな!!」
「…」
俺がアイギスに家庭教師の話を断ろうと口を開きかけるが、アイギスが嬉しげにそんなことを言っているのを聞いて、断るに断れなくなる。
アイギスとしては、本当に俺が喜ぶと思ってしたことなのだろう。
「…」
しばらく食事をとりながら自分なりにいろいろ考えて、俺は少し考え方を変えることにした。
「むしろ、いい機会か…」
俺はいまだ領地の外に出たことがない。
いわゆる箱入りの状態で、世間知らずだ。
だから、外からくる家庭教師から色々外の世界の知識を吸収できるかもしれない。
また、魔法に関しても、ただ単に魔導書通りに魔法を発動するのみならず、何か役に立つ技を盗めるかもしれない。
自分自身の訓練は家庭教師に魔法を習う合間にでもやればいい。
そんなふうにマインドを変えた俺は、アイギスに行った。
「お父様。家庭教師をつけてくれてありがとうございます。精一杯学ぼうと思います」
「おう!!頑張れ!応援しているぞ!」
俺の答えに、アイギスが嬉しそうににかっと笑った。
「元帝国魔道士団所属の魔法使い、エレナと申します。よろしくお願いします」
アイギスが雇ったという家庭教師は、一ヶ月後にやってきた。
美人だ。
ものすごく美人なお姉さんだった。
「あなたがアリウス様ですね…これからよろしくお願いします」
「…はい」
初めて俺はエレナと向かい合った時、思わず見惚れてしまった。
「うおっ、こりゃ滅多に見ない別嬪だ…」
俺だけでなくアイギスもエレナの容姿に鼻の下を伸ばしており
「こら、アイギス。あなたには私がいるでしょうが」
とシルヴィアに嗜められていた。
エレナは身長170センチくらいの長身の女性で、体型も出るところは出て引っ込むところは引っ込んでいる理想型。
燃えるような赤い髪の毛で、その容姿は、きめ細かく見惚れてしまうほどに美しい。
この人が少なくとも一年以上俺の家庭教師となり、住み込みで魔法を教えてくれるのかと思うと、ちょっと昂る気持ちを抑えられない。
まじでグッジョブ、アイギス。
「さあさあ、エレナさん。ようこそこんな辺境の地まで来てくれました。お腹が空いたでしょう?食事でもどうぞ。その後に部屋にも案内しますからね」
「ありがとうございます」
エレナがやってきて初日は、丸一日歓迎会に使われた。
アイギスとシルヴィアは豪勢な食事をエレナに振る舞い、そして屋敷の空室で1番広い部屋をエレナにあてがった。
さらにはエレナ専用の使用人も二人つけていた。
「あ、ありがとうございます…まさか、ここまで…」
エレナは少し異常なまでの歓迎っぷりにかなり驚いている様子だった。
そしてエレナがやってきた翌日の昼下がり、俺はエレナに連れ出されて屋敷から少し離れば場所にある広場へとやってきた。
今日がエレナによる最初の授業となるようで、座学の前に俺の現在の魔法の実力を確認しておきたいということらしかった。
「改めて自己紹介です。エレナです。貴族ではないので家名はありません。以前は帝国魔導師団に勤めていました。よろしくお願いします」
胸に手を当て洗礼された所作でお辞儀をするエレナ。
「よ、よろしくお願いします…アリウス・エラトールです」
俺も以前にシルヴィアから習った作法で、エレナに対してお辞儀をした。
「それではアリウス様。まずは魔法を教えるにあたってアリウス様の実力を確認しておきたいと思います」
「あ、アリウスでいいよ…」
様付けで呼ばれるのはちょっとむず痒い。
というか少し距離を感じて寂しくなるので、出来れば名前で呼んでほしかった。
「そうですか。ではアリウス、と」
「うん…俺もエレナでいい?」
「はい、構いません」
エレナが首肯して、話を進める。
「アリウス。ご両親に尋ねたところ、あなたはすでに独学で魔法を勉強し、そして初級魔法と中級魔法のいくつかを使うことができるとおっしゃっていました。それは本当ですか?」
「はい。一応…」
「そうですか。では見せていただけますか?」
「わかりました」
俺は頷いて、まずは火属性の初級魔法を一通りエレナの前で披露した。
それから中級魔法もいくつか、エレナの前で発動した。
「どうでしょうか?」
「素晴らしいです」
終わってみると、エレナはパチパチと拍手して俺を称賛した。
「すでに中級魔法まで使えるのですね。独学でここまでできるようになった子供の話は久しく聞いていません。アリウスはとても優秀なのですね」
「そ、それほどでも…」
エレナに真顔で褒められて俺は不覚にも照れてしまう。
誤魔化すように頭をかいていると、エレナは何かを考えるように腕を組んだ。
「アリウスの適属性は火属性でしたか…私は光属性に適性がある光の魔法使いですが……しかし、どの属性も修行の方法は基本同じです。経験なども交えて出来るだけわかりやすく教えて、必ずアリウスを立派な魔法使いに」
「あ、ちょっと待ってください」
俺は何やら勘違いしている様子のエレナを途中で遮った。
「ん?なんでしょう?」
「エレナ。俺は火属性の魔法使いってだけじゃないです」
「む…だけじゃない…?まさか…」
エレナが何かを察する中、俺は実際に見せた方が早いと水属性の初級魔法を使う。
「ウォーター」
「…っ!!」
俺の手のひらからぴゅううと水が出た。
エレナが目を見開く。
「水属性の魔法!?ということは…アリウスはダブル…!?」
「ええと…」
「そう、だったのですね…!アリウス…あなたにはとんでもない魔法の素養が…!これは家庭教師としてますます気合がはいって」
「あ、ちょっと待ってください」
「…?」
何やら興奮気味にぶつぶつと呟き出したエレナに俺は再び待ったをかける。
「実はですね…」
「な、なんですか…?まだ何かあるのですか…?」
エレナがごくりと唾を飲む中、俺はやはり言葉よりも実際に見せた方が早いと短く詠唱をした。
「ライト」
光属性の初級魔法、ライト。
発動と同時に、俺の手からぱああと眩い光が出た。
「おわかりいただけましたか?俺、実はトリプルなんです」
「…」
「あれ、エレナ…?」
「…」
エレナは口をあんぐりと開けて固まっていた。
私の名前はエレナ。
ただのエレナ。
貴族ではないので家名はありません。
とある理由で帝国魔導師団をやめた私は、次の職を探していました。
帝国魔導師団は、帝国のために敵と戦い、国に利益をもたらすために組織された一流魔法使いの集団です。
魔法の才能を見出され幼少期から魔法の訓練を施された私は、国の命令で各地を飛び回り、そして的の魔法使いと戦って始末してきました。
命懸けでとても殺伐とした日々でした。
そんな血生臭い日常に嫌気が差してきた私は、帝国魔道士団を辞めて、普通の魔法職につくことにしました。
お給料はあまり高くなくてもいいから、平和な職に就きたい。
そんな一心で職探しをして見つけたのが、辺境の地…貴族家エラトールの屋敷で家庭教師としてエラトール家の御曹司に魔法を教えるというものでした。
お給料は申し分なく、平和な仕事という条件にも合致していたので、私はすぐに応募しました。
元帝国魔導師団という肩書きのおかげか、一月ごにエラトール家から手紙が来て、私は無事に家庭教師として雇われることになりました。
「これからは田舎でまったり暮らすの。ふふ。楽しみだわ」
私はすぐに帝都内に借りていた家を引き払ってエラトール家の領地へと向かいました。
「わぁ…長閑でいい場所…」
ついてみるとエラトール家の領地には想像通りの光景が広がっていました。
巨大な建物ばかりの光景に飽き飽きしていた私にとって、畑や森ばかりが広がった長閑な景色はとても新鮮で癒しを与えてくれるものでした。
私は領民たちに道を尋ねてエラトール家の屋敷を目指しました。
エラトール家の領地に住んでいる人々は、皆とても優しく、余所者の私に優しく道を教えてくれました。
「元帝国魔道士団所属の魔法使い、エレナと申します。よろしくお願いします」
領地の中心付近にあったエラトール家の屋敷は、帝都にあった貴族家の屋敷と比べると見劣りしますが、十分すぎるほどの気品を備えた外観でした。
「あら、エレナさん!お待ちしておりました!いらっしゃい」
「ようこそ、このような辺境の地まで!」
領民たちの様子からなんとなく想像はしていたのですが、雇い主のエラトール一家の人々は信じられないほどにいい人たちでした。
アイギス様とシルヴィア様は、帝都からやってきた私を労い、1日を費やして歓迎してくださいました。
たくさんの豪勢な食事を振舞っていただき、さらには私のために広い部屋も貸し与えてくれました。
それだけじゃありません。
なんと私のために専属の使用人を二人もつけてくださったのです。
それは信じられないような歓迎ぶりで、正直戸惑ってしまいました。
そして同時に、これだけ良くしてもらったからには、精一杯彼らの息子のアリウス様に魔法を教えて、立派な魔法使いに育て上げようと決心しました。
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