第5話 なめんな!

『レディーーーーッ、ファイッ!!』



 アナウンサーの女の声が円形闘技場に響いた。ついに戦いの火蓋が切られたのだ。



 観客席から大歓声が轟いた。だが、それを打ち消すかのように巨大ゴブリンが雄叫びを上げた。



 それは昔、動物園で聞いたライオンのものとは比べものにならないくらいの大声で、しかも凶暴だった。明確な殺意が込められているのが分かる。



 このたったの一吠えでオレのなけなしの勇気は霧散し、代わりに恐怖が全身を支配した。何かのスキルか、それともオレがビビっただけか。とにかく身体が金縛りにでも掛かったかのように、動かない。



 ゴブリンはそれを見てとったのか、薄笑いを浮かべながら、ペロリと舌なめずりをした。そして、前傾姿勢をとり、オレに向かって駆けだした。1トンはありそうな巨体なのに、恐ろしく速い。ダダダダンッという地鳴りとともに大地が揺れる。



 それに対してオレは成す術もなく棒立ちのままの状態だ。マズい、頭が上手く働かない。このままじゃ、ヤラれる!



 ゴブリンは走りながら棍棒を高々と掲げた。オレはそれをただ見上げるだけしか出来ない。



 そしてゴブリンは、躊躇することなく棍棒をオレの頭目掛けて振り下ろした。



(……死ぬッ!)



 そう覚悟した瞬間、突然目の前の景色が変わり、背後で轟音が響いた。



 恐る恐る振り向くと、ゴブリンがこちらに背を向けて立っていた。おそらく、ついさっきまでオレたちがいたであろう場所に棍棒の先がめり込んでいる。



 何が、起こった?



「瞬間転移を使った」



 ジャンヌの声だ。オレの横でオレの身体を支えている。ジャンヌは続ける。



「どうやら自分を中心とした半径10メートルの半球内の任意の場所に自由に転移出来るようだ。キミの瞬間移動もきっと同様に使える」



 ゴブリンは棍棒を持ち上げると、不思議そうに地面の見つめた。キョロキョロと周囲を見回し、棍棒の裏まで見ている。オレたちの死体を探しているらしい。



「ただ、回数制限がありそうだ。さっきは転移先が青い光で示されていたが、今は黄色に変わっている。信号の色の通りならボクはあと2回までしか転移が使えないだろう」



 オレはジャンヌの言った通りに移動先を念じ、意識を集中させてみた。すると、確かに青い光が見える。



「それよりどうする?」とジャンヌが訊いてきた。「キミが戦うのが無理ならボク1人でアイツの相手をするが……」



「お願いします」



 ……なんて言える、わけがない! なめんな!



「ざけんな。ゲームのときと一緒だ。オレが『前衛タンク』をやる!」



「それでこそボクの相棒だ」



 ジャンヌはウィンクをしながらオレに向かって拳を突き出してきた。



 ジャンヌと拳を合わせたオレは、ようやくこちらに気づいたゴブリンを睨みつけた。



「仕切り直しだ。獣魔使いの戦いかた、魅せてやる!」



 決意を新たにしたオレの横にキューちゃんが飛んできた。



「能力に大幅な制限が加えられておる。能力の無駄打ちをしとるとすぐに手札がなくなるぞい」



「了解!」



 オレはゴブリンに向かって走り出した。ヤツのヘイトを稼いでジャンヌに攻撃がいかないようにする。



 ジャンヌの力を借りるまでも無ぇ。オレ1人でもヤッてやるッ!!



 オレの反撃にゴブリンはほんの少しだけ驚きの表情を浮かべたが、すぐに嘲笑に変わった。その舐めきった態度、後悔させてやるッ!!



 ゴブリンはオレの突進を迎え撃つように、ゆっくりと棍棒を天高く持ち上げた。まるでゴキブリでも叩き潰すかのように。



 オレが間合いに入った瞬間、ゴブリンは恐ろしい速さで棍棒を振り下ろしてきた。



 だが、来る場所とタイミングさえ分かっていれば、対処は可能だ。オレは棍棒に向かって右掌を突き出して、叫んだ。



「出でよ! マシュマリオ!」



 瞬時に獣魔のマシュマリオがオレと棍棒の間に召喚された。マシュマリオはマシュマロで出来たバランスボールみたいな獣魔だ。一応申し訳程度にマシュマロみたいな頭と手足がついてはいる。そのマシュマリオの胴体に棍棒が当たった。



 むにゅん。



 マシュマリオの身体が強烈な棍棒の一撃を柔らかく受け止めた。そして--。



 ぽよよんっ。



 と、衝撃をそのまま跳ね返した。



 マシュマリオは防御特化の獣魔だ。物理攻撃をその衝撃のまま跳ね返すことが出来る。



 ただ、2回連続で攻撃を受けると、ダメージを受けてしまう。



 視界の端にマシュマリオの名前と数字が浮かんだ。カウントダウンだ。現在『2:57』とあり、下一桁が1秒ごとに1ずつ減っている。クールタイムがあるようだ。これが制限か。次に攻撃を跳ね返せるのは3分後、てことか?



 オレに攻撃を跳ね返されることなど夢にも思わなかったであろうゴブリンは、バランスを崩し、タタラを踏んだ。



「戻れ! マシュマリオ!」



 今のうちにマシュマリオを戻す。だが、追撃の手は緩めない!



 オレは姿勢を低くして右掌を地面につけた、ついでにその手首を左手で握る。そして、ゴブリンを睨み、叫んだ。



犬飼イヌカイ陽里ヒサトの名において命ずる。出でよ--」



 ゴブリンの視線がオレの手元に移った。それを見て、思わず笑みがこぼれそうになるのを堪え、詠唱を続ける。



「鷹の爪!!」



「ぐギャァァァぁァァッ!!」



 ゴブリンが大きく叫び、仰け反った。



 鷹の爪は1メートル大のナイフのように鋭いトウガラシの獣魔だ。それが3本。ゴブリンの背中を引っ掻いた。



 よし! 引っかかった!



 オレの獣魔は別に掌を向けた場所にしか召喚出来ないわけじゃない。思い通りの場所に召喚出来る。



 さっき、マシュマリオの召喚先に掌を向けたのはこのためのフェイクだ。まんまと騙されやがって。ざまあみろッ!



 ちなみにこれをゲームでやると主にオッサン視聴者がチャンネル登録をしてくれる。



 それは置いといて、鷹の爪はカプサイシンの効果で追加で継続ダメージが入る。大したダメージじゃないけどな。けど、ジワジワと体力を削られるのは決していい気分はしないだろう。



 ゴブリンが忌々しげに鷹の爪に向かって棍棒を横薙ぎにした。



「戻れ、鷹の爪!」



 棍棒が空を切る。目標を捉えられずに空振りしたゴブリンは、怒りの咆哮を上げた。おー、怒ってる。怒ってる。



 怒りの矛先を失ったゴブリンの双眸がオレを睨みつけてきた。ヘイトがオレに移ったのと、殺意の色がより濃厚になったのが分かる。



 だけどもうビビらねぇ。喧嘩と一緒だ。一発いいのが入れば怖さなんてどこかに吹き飛ぶ。



 ゴブリンが棍棒を持ち上げた。ワンパターンな奴だ。まあ、奴の身長が4メートルでオレが1.4メートル。この身長差なら上から下への攻撃がメインになるのも当然か。



 ゴブリンの棍棒が天を突くかのように高々と持ち上げられようとしている。最高点に達した瞬間が勝機だ。オレは勝利に向かって叫んだ。



「合わせろ、ジャンヌ!」



「了解、ヒサト!」



 ゴブリンはオレに向かってもう一度吠え、棍棒を両手で握り直し、高く、高く、掲げた。



 今だ!!



「出でよ、ライどん!!」



 ゴブリンの遥か頭上に、雷雲に乗った小鬼が出現した。虎皮のパンツに緑色のアフロヘアー、頭からツノを生やしたライどんだ。ライどんはすかさず背中の太鼓をバチで叩いた。



 その直後、周囲が蒼く激しく輝き、稲光がゴブリンの棍棒に直撃した。続いて「ドドンッ!!」と激しい雷鳴が大気を震わせ、ゴブリンは棍棒もろとも炎に包まれた。



「たたたたッ!!」



 上空からジャンヌの奇妙な掛け声が聴こえた。空に転移し、何か四字熟語を書いたのが分かる。



 青空に『青天霹靂せいてんのへきれき』の文字が書かれている。



 え? その筆って空中にも文字が書けるのかよ?!



 と、驚いたのも束の間、青空から雷が落ち、ゴブリンに直撃した。



「グギャァァァァァァァァァァァッ!!!!」



 ゴブリンが絶叫を上げ、地響きを立てながらその場に倒れ伏した。



「やったか?!」



 空から『空中歩行』で降りて来たジャンヌが要らないフラグを立てた。



「お前、それ言うなよな」



 オレたちは笑顔で再び拳を合わせた。


 



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