第七章 強く立ち上がる意思
げほごほ、と咳き込む。喉が焼けつくような痛みがするが、血は吐いていない。薄い毒が体に回っている状態だと医者から言われたが、特効薬がないとも聞いた。
お兄様から呼び出されてたヴァネッサが部屋に戻ってくる。ベッドから身を起こすのを部屋に居たエルリア姉様に手伝ってもらう。
「ヴァネッサ、おかえりなさい。お兄様からは何か聞いた?」
「スレイ、この国を出よう」
「え?」
その言葉に私もエルリア姉様も息を飲む。
「ワタシのために、女王をやめてほしいの。お願い、スレイ。後の面倒ごとはスヴェンさんが任せていいって言っていたし」
「ヴァネッサ……」
「この国はスレイを大事にしてくれない。この国はスレイを救ってくれないの。ワタシの魂である貴女を、大事にしてくれないッ!」
「確かに、今の情勢はスレイを大事にしてくれませんわ。スレイにとっての幸せを考えるなら、国外に出たほうがきっといいですわ」
「私の幸せ……」
そういえば、私の幸せを一番に考えなくなったのはいつからだろう。お父様とお母様が亡くなってからだろうか。国を第一に、国民を第一に、とできうる限りのことをしていた気がする。
どうあがいても自分は王族として育てられたから、だからこそ、使命があると。そう思って生きてきたからだ。
「私、幸せになってもいいのかな」
ぽろぽろと零れ落ちる涙。ぐすぐすと拭いながら、ヴァネッサとエルリア姉様の服を掴む。
「みんなで、幸せになりたい。みんな一緒の幸せが良い。ヴァネッサが居て、エルリア姉様がいて、お兄様も、お兄様の仲間もいて、幸せに過ごせるそんな場所。そんな場所を今度は私が作るの」
「スレイ……」
「姫様」
「だから、みんなで幸せになろう。ね、私達は逃げたんじゃなくて、もっといい選択肢を取るの」
そう言って、部屋のクローゼットを開ける。クローゼットの敷板を外し、そこからいくつかの書類を取り出した。その書類を口元に隠すように持っていき、いたずらっ子のように微笑む。
「ふふ、お母様の隠し金庫。実は外の国にあるって言ったら、驚く?」
お母様が、外国から政略結婚で呼ばれた人だったの、王族だけの内緒の話だもの、ね?
その言葉に驚いたようにしているヴァネッサとエルリア姉様の手を引く。
「さぁ、準備しましょう!荷物は最小限、大事なものだけ持って。
ヴァネッサ、やっとあなたのものだけになれるわ。ずっと待たせてごめんね?」
「ううん、ううん……ぐず、いいの、ありがとう……」
「エルリア姉様もずっとついてきてくれてありがとう。これからも、一緒に居てほしいわ」
「勿論ですわ!ずっとお傍で見守りますからね」
「お兄様が来るまでの間、ちゃんと地盤を固めてお迎えしなきゃ」
そう振り返って微笑む姿は、柵から外れてとても軽く、楽しそうに見えた。
深夜。月明りとランタンの明かりのみが部屋を照らす。
「ワリー」
「おっ、準備できたのか?」
荷物をカバン一つにまとめたアルバートが、片手にカバンと、腕の中に抱えて眠るエリザの姿があった。すやすやと眠る少女は何事もないかのようにぐっすりだ。
「ぐっすり眠ってるな」
「深夜だからな。女王たちと一緒にここを出る。あとは頼むぞ」
「あぁ、わかってるって!それに俺もすぐに追いつくしさ」
アルバートをそっと抱きしめる。しばらく会えなくなるその体温が惜しいと感じた。
「国見届けてスヴェンと逃げて出てきたら真っ先にアルを探すよ」
「女王が俺たちにも居場所を作ってくれるっていうからそこに居てもいいし、外の国を見て歩いても良いしな。エリザもいろんな景色が見れるだろうし」
「それもいいかもな。何にせよ、先に逃げていてくれる選択をしてくれたこと、ありがとうな」
「構わない。こっちこそ、エリザのためにありがとうな」
「良いって。少しの別れだけど、なんか寂しいな……」
そう零した俺に、アルが頬に軽くキスを落とす。
そのキスが何処かくすぐったくて笑ってしまった。
「またお帰りを言う日を待ってるからな。行ってくる、ワリー」
「あぁ、またな。アル」
朝になり、女王が居なくなったことに城は大騒ぎになった。
王権はどうする、これからの会議は、国はどうなる、その白羽の矢は王族とされていたスヴェンと名乗りを上げたヴィクターに向いた。
そもそもの王位継承はどのようにして行われるかという話である。
王位継承者にはとある毒が利かない。体質ともいうべきものらしく、魔法とも呼ばれている。神聖な儀式で作られた聖水を飲み干して、その王位についてもいいという証明とするのだが、その聖水。王家の血が一滴でも流れていないものが飲むと毒となり、命をむしばむのだ。
その裏で、ミーツェの処刑が行われたのは言うまでもない。
広間でその儀式の準備が行われている間、別室に通されると、そこには紅茶を飲んでいるレリアント、ジルコニア、トプソンの三人が居た。
「おや、スヴェン様」
「……レリアント」
ソリッシュ、ルーベル、ウォレスを連れた俺は席に座らずに口を開いた。
「ミーツェを、死ぬまで利用したな、貴様」
「本望でしょう、彼女も。最期まで自分のやりたいことが出来たのですから」
「貴様のせいで、あんなに思い悩んだ女王が、俺の妹が国を出ることになったんだぞ!!貴様のせいでな!」
レリアントの胸倉を掴み上げれば、彼は冷たい瞳で呆れたように口を開く。
「その妹を最初追い詰めようとしていたのは貴方だというのに?ミーツェの件だって、貴方が叶えてくれない願いだからと彼女は言っていたんですよ」
それに、私は別に何もしていないでしょう?と、ひらりと手を振ってみせるその男から手を離した。事実として、『彼がやった証拠はどこにもない』『ミーツェが独断でやったことであり、手伝ったジルコニアとトプソンの証拠すら残っていない』のだ。
「……何もしていない貴様らが、何の苦労もなく全てを手に入れようとしている、それは事実だろ」
その言葉に、ぴくり、とトプソンが反応した。
「苦労もなく?ティリヌ達が本当に何の苦労もしていないと?……ティリヌが怠惰だとでも言いたいのですか?ティリヌの頑張りを、苦労を、全てを見ていない貴方が言うのですか!?」
「ティリヌ」
レリアントがトプソンに視線をやれば、トプソンは深呼吸を何度か繰り返し落ち着いてみせる。
「……失礼しました」
そこで扉は開かれる。
「スヴェン様、レリアント様、支度が整いました。広間へお越しください」
そう伝えてくるメイドに、レリアントはゆったりと席を立つ。
「では行きましょうか」
外へ出ていく3人を見つめながら、意を決したように自分も広間へと向かう。
「坊ちゃん、俺ちゃんも付いてるからネ」
「そりっしゅもいるー」
「大将!最後まで見届けるんだろ!?」
「あぁ。見届ける。この国の歩みを」
まぁ、危なくなったら逃げるけどな。そう少しだけ笑いながら歩いて行った。
「両者揃いました」
その言葉に広間は緊張が走る。
簡易的に作られた祭壇には二つの金のカップがある。
そのカップ両方には水が入っているようだ。
祭司が祭壇の前に立ち、並び立つように言ってくる。隣に立つレリアントは至って平然であり、緊張も知らないように軽く微笑んでこちらを見てくるのを、思わず視線をそらした。
「両者、聖水をお飲みください」
レリアントが先にカップを手に取り、それにならって自分もカップを取る。
一気にあおり、平然としているレリアントに周りがざわつく。
その言葉を聞きながら、一気に水を飲み干す。少ししょっぱいだけの水だったが、これが王族ではない者には毒になるのは聊か信じられない。
「両者、生存。王族の、王家の血が認められます。ここに王位継承権を持つものは二人!」
祭司の言葉に周りのざわつきは大きくなる。
「レリアント様が王族なら順当にいけばレリアント様か?」
「いや、市民の間ではスヴェン様も名が挙がっていると」
「だが、後ろ盾がない以上スヴェン様は難しいだろう」
祭司はまた口を開いた。
「女王が居ない以上、今、王を新たに決める必要があります。スヴェン様、貴方には王になる意思がおありでしょうか?」
「王になる、意思……」
元より、王の器ではないと思っていた。そもそも革命だって先に行く道は王制じゃない、民主制だ。そこに王が居る必要は、俺には、ない。
「……王は必要ない。この国に必要なのは、もっと民に寄り添える民主制だ」
その言葉に周りがざわつく。予想だにしていない言葉だったのだろう。
祭司はレリアントの方に視線を移す。
「僕は王が必要であり、王制である必要がある、と考えます。故に王位継承権を行使できるのであれば、僕は王になりたいと考えている」
そういってレリアントはこちらに視線を向けてきた。
「民主制、王の居ない市民主体の道、確かに良いでしょう。ただ、今それを構築するには大きな混乱が起きる。今すぐに、とは無理な話なんですよ」
「今すぐに、じゃなければ良いのか」
「時期はあります。何事にも。貴方はしなければならないことはいくつ見えていますか?」
「いくつ……」
「僕にはすべてを解決する手立てがある」
そう言い切るレリアントに息を飲む。
「僕は、そう、育てられたんです。だから必ず上に立たなければならない」
「なんで、そうまでして」
「母との約束ですよ」
見ていてもいいですよ、最後まで。僕はこの国を立ち上げなおしますから。
そう言い切ったレリアントの言葉に、祭司は意を決したように口を開いた。
「ヴィクター・レリアント。貴方を王として認めましょう」
その日、新たなる王が誕生した。
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