十三 消えないまぼろし
勤め先の近くに「トト」という名の喫茶店がある。
シチリア島の写真を何枚も飾った店内には何時もエンニオ・モリコーネが流れていて、フランスの映画俳優フィリップ・ノワレによく似たマスターが、映画の中でノワレが演じた初老の映写技師と同じ格好をしコーヒーを淹れている。ちょっとした映画通なら店名の由来にすぐに気づくはずだ。
マスターは僕より八歳年上だ。二十年前、脱サラしてこの店を始めた。十八歳年下の奥さんと今年九歳になる一人息子がいる。美子と僕ほどではないがマスター夫妻も結構な歳の差婚だったので、僕と美子が一緒になる時には随分と相談にのってもらった。イタリア映画『ニューシネマパラダイス』が大好きで、映画を字幕なしで観るためにイタリア語を学んだほどの熱狂的なファンである。ジョゼッペ・トルナトーレ監督と二人で並んで写った写真が店に飾ってある。
「マスター、あの自転車、そろそろ使うの?」
僕は店の奥に置かれた古いイタリア製の自転車に目を遣った。
「ああ、今年の春に決行する」
マスターはカウンター席に座る僕にコーヒーを渡しながら言った。
「今年、俺と息子の歳は映画が撮影された当時のフィリップ・ノワレとサルヴァトーレ・カシオの歳と一緒なんだ」と、マスターは続けた。サルヴァトーレ・カシオは『ニューシネマパラダイス』で主人公トトの少年時代を演じた子役である。成人したカシオと並んで写った写真も店に飾ってある。
自転車のトップチューブに座りハンドルに
マスターは以前からこのシーンを親子で実体験するのだと公言していた。彼はそのために、九年前長男が生まれた時に、映画に使われた自転車と同じ型のヴィンテージサイクルをわざわざイタリアからとりよせている。
「若い連中がやっているコスプレってやつだよ。ただ俺は……」
……そのシーンが俺と息子の関係の全てを語る。そんな情景の中に身を置いてみたいんだ。俺は自分が愛した古い映画の一場面を借りて、息子と俺のストーリーを共有したい。映画のような、消えないまぼろしをつくりたい……。
「何年か経って俺の息子がこの映画を観たとき、彼は映画の中に見覚えのある構図を発見して驚くだろう。息子は顔に受ける風の優しさを思い出し、背に響く俺の声を思い出す。彼は自分が
何時の間にか店内に居た常連客がみなカウンターの前に集まり、マスターの話に耳を傾けていた。
一九八九年の日本公開以来、僕は少なくとも五十回は『ニューシネマパラダイス』を観ている。この映画を観るためだけに買ったレーザーディスク再生機も未だ捨てていない。
人は未練を捨てて今を生きなければならない。アルフレードのセリフにあるように、郷愁にとらわれてはいけない。ただ、郷愁を捨てる必要はない。それを「まぼろし」として受け容れることができれば、それでいいのだ。それが『ニューシネマパラダイス』のテーマだと、僕は思う。
……映画館・ニューシネマパラダイス座に入り浸っていた少年トトは、映写室の火災で火傷を負い視力を失ったアルフレードの後を継ぎ映写技師として働くようになる。やがて青年となったトトは美しい少女エレナに恋をし、駆け落ちまで約束する。しかし徴兵されたトトは村を離れなければならなかった。兵役を終え村に戻ってみると、エレナは行方不明。映写技師の仕事も他の者に奪われていた。失意のトトに、アルフレードは村を出ろと言う。三十年後、有名な映画監督となったトトはアルフレードの葬儀に参加するため帰郷する。
「お前に電話するといつも違う女性が出る」
母親は息子がいつまでも身を固めようとしない理由を知っている。トトには未練がある。トトはエレナとの思い出に彩られた甘美な郷愁を捨てられない。息子は思い出に
「この村にあるのはまぼろしだけよ」
母親は、息子をそう
ニューシネマパラダイス座の解体に立ち会ったトトは、
僕はこの映画を独りで観る。泣き顔を人に見られたくないからだ。
僕も五十近くまで身を
「マスター、僕がマスターの歳になったら、あの自転車、貸してくれないかな」
「トップチューブにハヤちゃんをのせて走るのかい?」
僕が
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