九  寿ぎ       2017年 9月

「生後六か月なら、もう長旅も大丈夫だ。うちのヨッコが保証する」

 九月中旬、弟から電話をもらった。お袋が孫を抱っこしたいと駄々をこねているぞと、弟は陽気な口調くちょうで言った。

 弟は酒蔵さかぐらを経営している。中堅の酒造メーカーだが、製品がヨーロッパの品評会で受賞するなど評判は上々で、けっこう繁盛しているようだ。

御前おめさん、電話、代わってくんねかの」

 佳子さんの声がした。弟のカミさんだ。佳子という名前の読みが美子と同じヨシコなので、実家では僕の妻を「ヨシちゃ」、弟のカミさんを「ヨッコさ」と呼んで区別している。佳子さんは越後にあまたある酒蔵さかぐら中一番の美人女将びじんおかみと言われている。四十代後半だが、三十四、五にしか見えない。容姿だけではない。気さくな性格も評判だ。

 弟は受話器を佳子さんに渡した。

兄様にさま、ヨシちゃに代わってくんね? ハヤちゃんの様子を知りてっけに」

 完璧な中越弁ちゅうえつべんだ。東京の下町生まれだが、地元の人々はみな、彼女が生粋きっすいの越後人だと思っている。

 佳子さんは二人の子供を育てた。長男も次男も国立大学の医学部に在学中だ。二人とも頭はもちろん、性格も抜群にいい。佳子さんは美子の育児アドバイザーである。弟の妻なので形式的には義妹ぎまいだが、美子は彼女を「姉さん」と呼ぶ。

いさぎいい? ただの馬鹿へっとだがね。あの御亭ごて、親父の会社がつぶれて借金ができたすけに直ぐに田舎に帰って親の面倒をみねっけばなんね。君に迷惑をかけられねっけに別れてくれてって、さっさと大学やめて帰っちまうんだもん。怒らんが当たりだべ? 手紙のひとつもくんねやんだよ。憎っくいすけに、こっちも電話一本かけねかった」

 僕らの結婚式の日、佳子さんは、大笑いしながら昔話をした。

 父の会社が倒産した一か月後、弟は大学を中退して田舎に戻り父の知り合いが経営する酒造会社に就職した。その際、二年間付き合っていた佳子さんと別れている。

 佳子さんの方は、大学を卒業後、一般企業には就職せず商社の重役だった父親のつてで通訳や翻訳の仕事を得て生計をたてていた。

「別れて六年経った時に、ひょいっと思い出したんだがね。憎っくて憎っくて仕方しかたねくて、恨み言の一つでも言ってやろと思って新潟に行ったんらて。家に上がり込んで文句のいっつぉけ言って、気が付いたら夜の十時らねか。あの御亭ごて母様かさまに、へえ遅いっけに泊まってけって言われてそ。それが運のきらった」

 佳子さんの話には嘘がある。

 佳子さんは弟と別れた次の日に「私、何時までも待っていますから」と新潟の母に電話をしている。あれだけの器量好きりょうよしだ。引く手あまただっただろうに、佳子さんは恋愛も見合いもせず、弟を待っていた。

 六年後、ようやく借金の片が付いたと、母は佳子さんに電話した。

 翌日がたなで新潟を訪ねた佳子さんは、恨み言なんか一言も言っていない。

 母は弟を隣に座らせ、息子の嫁になってくれと畳に手を着いて頼んだ。

「そのつもりで来ました。親からは帰って来るなと言われています。お嫁に貰っていただかないと困るんです」

 佳子さんは東京の実家に戻らずそのまま泊まり込み、三日後に入籍した。一か月後、弟と形ばかりの小さな結婚式を挙げている。

 弟は当時、杜氏とうじの修業を始めたばかりだった。持ち前の旺盛な探求心に加え大学で専攻していた化学の知見もあって、彼は醸造家じょうぞうかとしてたちまち頭角とうかくを現した。やがて彼は後継者がえて廃業寸前だったつく酒屋ざかやを譲り受け、酒蔵さかぐらあるじとなった。弟に酒蔵の経営を勧めたのは佳子さんだ。

 佳子さんには商才があった。

 洋酒とまがうような洒落たデザインの四合瓶よんごうびんを造らせ、翻訳や通訳の仕事で知り合った外国人を総動員して世界中に配らせた。佳子さんが売ったのは弟の会社の酒だけではない。国内有名酒蔵の製品を各国に紹介し、各企業の海外取引の仲介もしている。弟の酒蔵さかぐらが繁盛したのは、語学に堪能で商才にけた佳子さんのおかげだ。

 佳子さんが選んでくれたチャイルドシートに隼人を座らせ、早朝、秋の関越道にカローラを走らせた。全てのサービスエリアに寄り、隼人にミルクを飲ませ、おむつ替えをしながらの道中だったので、実家に着くまで六時間かかった。隼人はミルクを飲むとき以外はほとんど眠っていた。

 実家の玄関先で、母が僕らを出迎えた。 

「半年ぶりだねえ。ハヤちゃん」

 隼人が生まれた二日後、母は佳子さんに連れられて、まだ産院にいる孫の顔を見に来た。産院近くのホテルに二泊して新潟に帰っている。

 新潟で隼人は離乳食デビューをした。

 女三人が大騒ぎしながらこしらえたスプーン一杯の十倍粥じゅうばいがゆを隼人はニコニコしながら、あっさりと食べた。女たちは歓声をあげ、バンザイをした。十倍粥に使ったコシヒカリは二キロ四千円もする献上米けんじょうまいだった。

「離乳食は朝ごはんのとき、あげるのよ」

 万が一アレルギーがでたときに、病院が開いていないと困るからだ、と佳子さんは美子にアドバイスした。

「今日は、近くの小児科が遅くまで開いているから」

 確認済みだと佳子さんは言った。

 晩餐の食卓には鯛の尾頭付おかしらつきが並んだ。母が祝いぜん一式を仕出しだし屋に頼んだのだ。

「俺たちの祝言しゅうげんの時より百倍も豪儀ごうぎ御馳走ごっつぉだぜ」

 弟が呆れ顔をした。

「隼人の初宮参はつみやまいりに行けなかったし……」

 隼人の初宮参りの時、母は上京できなかった。足を捻挫ねんざして歩けなかったのだ。初宮参りには父方の祖母が付き添うのが仕来しきたりなのに。当時、母はそう言って悔しがった。

「初孫の時も二人目の時も、うちはまだ貧乏で大した百日ももか祝いができなかったからね。隼人のは、もう二百日ふたももか祝いになっちゃったけど」

 隼人を抱いて上座かみざに座った母が珍しく真面目な顔で言った。

……母さん、これは母さんのお祝いだね……

 僕は口に出さずにそう言った。

 どんなに辛いことも、母は笑いとばして生きて来た。自分の人生は間違っておらず、諦めず投げ出さずに生きていれば、それは必ず自分にむくいてくれる。母はそう確信していた。母と同じ生き方をしている女性が僕の周りには何人もいる。美子もそうだし、佳子さんも綾もそうだ。人生を決して否定するな……彼女たちは僕にそう教えてくれる。

「ハヤちゃんとさま、おめでとう」

 佳子さんの寿ことほぎに皆、「おめでとう」と唱和しょうわした。

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