第10話 お弁当はみんないっしょに食べましょう その②

 お昼休み。鉄臣は屋上で1人立っていた。鞄を抱え、キョロキョロと辺りを気にしている。さながら泥棒のようだが、鉄臣にとっては重要な問題だった。

 誰もいないことを確認してから、鞄のファスナーを開ける。すると、小さな妖精ミクルがひょっこりと顔を出した。新緑のような翅を動かして辺りを飛び回り、ぐぐ、と大きく伸びをする。


「やっと出られたクル!」

「ごめんね、ミクル。お待たせ」


 彼女は解放感に浸っているのか、いつもより上空へと飛んでいく。見えなくなっていく彼女の姿を目で追うが、ちょうど太陽の角度と重なり、鉄臣は眩しさで目を細めた。


「気をつけろよ」

「わかってるクル」


 声だけが聞こえてくる。体の小さな彼女はかなり遠くまで行っているらしく、もうその姿は視認できない。鉄臣は柵を背もたれにして座り、鞄の中からお弁当を取り出した。

 黒い無地の弁当包み。本当は部屋に隠してある「バッキー」というバクを模したゆるキャラの包みを使いたいのだが、いつ何時誰に見られるかわからない。そんな中で使用するわけにはいかなかった。


 鉄臣は結び目を解き、箸箱を横に置いた。今日はミクルの分を作るついでに自分の分を作ったのだ。

 鉄臣は、冷凍食品や作り置きなどを使って、彩りや栄養を考えるのが好きだった。その方が、見た目もカワイイ上に体にも優しい。そして、自分が蓋を開けたとき、つい頬が綻んでしまう、その瞬間がなによりも好きだった。


 鉄臣が包みを解いていると、彼の頭上に影が落ちる。鉄臣の目にミルクティーのような明るい茶色の髪が飛び込んできた。


「ここにいたのか、番長」


 祐介、と鉄臣がその名前を呟く。今朝もあったばかりの彼は、また気まぐれに鉄臣の元へとやってきたらしい。

 青柳祐介は、鉄臣の横に腰を下ろし、ポケットからメロンパンを取り出してその封を切った。


「なんで」


 零れ出た鉄臣の疑問の声は、決して拒絶の意図からのものではない。

 祐介はその持ち前の明るい性格のお陰で、いつも輪の中心にいた。現に休み時間には、彼の席に入れ替わり立ち替わり人が訪れていて、常に違う顔が彼の近くにあった。特に昼休みなんかは顕著で、いつも大きなグループを形成しては、その中心でいつも笑っていた。

 そんな彼が、日差しが強く、人のいない屋上なんかにわざわざ来るメリットなんて、微塵もないはずなのだ。


 だが、肝心の祐介は鉄臣の疑問もどこ吹く風で、空を仰ぎ見て菓子パンを齧っている。


「せっかく同じクラスになれたんだし、一緒に食べようかなと思って」

「そうか。クラス替え」


 鉄臣はぼんやりと呟き、卵焼きを口に運ぶ。甘い砂糖の香りが口の中にじんわりと広がり、鉄臣の頬が緩んだ。

 友人のいない鉄臣にとっては、クラス替えというイベントに縁がない。どうせ誰とも話さないのだから、クラスが変わっても変わらなくても鉄臣にとっては同じことだった。


「番長は、孤高って感じだもんな」

「…孤高、か」


 祐介がケラケラと笑う。

 本当の孤高であれば、カフェに入りたいとかキャラクターものの小物を持ちたいだとかそんな小さな悩みなんて持たないはずだ。

 鉄臣は、そんな湧き出てきた感情を押し込めるように、卵焼きを嚥下した。

 祐介はそんな鉄臣の横顔、いや、箸で掴んでいるお弁当の中身を見ている。鉄臣は、怪訝そうに額に皺を寄せた。


「なんだ?」

「……それ、ずっと美味そうだと思ってたんだよ」


 そう言って祐介が指差したのは、卵焼きだった。太陽の光を浴びてつやつやと輝いている表面には、適度に焦げ目もついている。その上、卵焼き自体もふっくらと焼き上げられていて、それが見る人の食欲をそそるものになっていた。

 鼻をひくつかせ羨ましそうに視線を向けてくる祐介に、鉄臣は一言、食うか、と尋ねる。


「いいのか?」

「俺はいつでも食えるから」

「サンキュ」


 ニカリと人好きのする笑みを浮かべた祐介は、卵焼きを少し粗雑につまんで口に放り込む。そしてすぐにその表情がとろりと蕩けた。


「うま……」


 頬を緩ませながら咀嚼する。

 全身で美味しいを表現するその表情が、今朝の小さな妖精とダブって見えた。

 そういえば、飛んでいってしまった彼女は、今頃どこにいるのだろうか。


 あたりを見渡す。するとすぐ上空あたりで、ふよふよと浮遊する彼女の姿があった。目が合ったミクルは口をパクパクと動かし、親指を立てウィンクを飛ばしてくる。


「ご・ゆ・っ・く・り・ク・ル? なんだそれ」

「番長?」

「いや、なんでもない」


 祐介にそう言って視線を向けると、もう彼女はいなくなっていた。またどこかへ飛んでいってしまったらしい。せっかくお昼まで待ってくれたのに、一緒に食べられなかったことが申し訳なかった。


 ふいに、隣で菓子パンを食べていた祐介の頭が、糸の切れた人形のようにがくんと垂れた。俯いたまま微動だにしない、そんな様子のおかしい彼に、鉄臣は彼の肩を軽くゆすった。


「大丈夫か?」


 鉄臣の声に彼がゆっくりと面を上げた。だが、彼の色素の薄い瞳は虚ろで、ぼんやりと遠くを見つめている。

 快活な表情はなりを潜め、別人かのようなその表情に、鉄臣は背筋にゾッと冷たいものが走った。


「青柳……?」

「おれ、あいつと、おひるごはんたべるやくそくしてたんだった」

「──っ!!」


 温度のない声色でゆっくりと呟いた祐介は、食べていた焼きそばパンの具材を落としながら、ふらふらと屋上の出口へと向かっていく。


「おい、どうしたんだよ」


 腕を掴んで引き留めるが、人間離れした力で振り払われてしまった。痛みから鉄臣の顔が歪む。鉄臣が怯んだ一瞬の隙に、祐介は屋上を出て行った。


 1人取り残された鉄臣は、痛む腕を擦りながら点々と続く焼きそばの痕跡を視線で辿る。


「なんだあいつ……こぼしながら行ったぞ」


 ブレザーのポケットからティッシュを取り出して、落ちていた欠片を拾い上げた。コンクリートについたソースの痕を軽く拭う。


(……青柳は他の友人とお昼を食べる約束をしていたんだ。特段変なことはない、はずだろ)


 そう自分に言い聞かせたが、鉄臣は胸になにかが引っかかっているように感じた。先ほどの祐介の様子がどうしても拭えない違和感となり、自分の中でモヤモヤと大きくなっているのだ。


 持っていたティッシュを見つめる。


「……様子見に行くだけ。なにもなかったらここに戻ってくる」


 だから、もし、周りからどう思われようが、傷つく理由なんてない、と。そう自分に言い聞かせた。

 そして鉄臣は落ちている焼きそばを拾いながら、彼の痕跡を辿るため屋上を後にした。



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