第9話 お弁当はみんな一緒に食べましょう その①


 今日から新学期だ。

 不動鉄臣は制服に身を包んで、通学路を歩いていた。日差しがぽかぽかと暖かく、街路樹の側にはたんぽぽなんかも咲いている、春らしい日だ。


「こんなとこに入れられるなんてひどいクル」


 手に下げた通学鞄から、ミクルが顔を覗かせる。アメジストの瞳をチカチカと輝かせ、不満げに頬を膨らませていた。

 鉄臣は辺りに誰もいないことを確認してから、鞄の中の妖精に話しかけた。


「ごめんね、ミクル。ちょっとだけ我慢しててよ」


 鉄臣の通学鞄には、ミクルとミラクルコンパクトが入っていた。

 朝、コンパクトを置いて登校しようとした鉄臣に、ミクルが猛反対した末の折衷案だ。


 鉄臣としては、そんなファンシーなものを持ち歩いて誰かに見られてしまうリスクを考えると、是非置いていきたいのだが、「取りに帰る間に誰かが怪我したらどうするクル!」と論破されてしまったのだ。


 せめてポケットの中に、とごねる妖精に、鞄の中から出ないでくれと頼み込むのはなかなか骨が折れた。お陰で少しご機嫌ナナメになってしまったのだが。

 鉄臣はそのときの苦労を思い出して、苦笑いを浮かべた。

 頬を膨らませていかにも不機嫌ですといった雰囲気を醸し出す妖精の頬を優しくつつく。


「その代わり、ミクルの分のお弁当作ってきたからお昼は一緒に食べよう」

「カネオミはお弁当が作れるクル?」

「下手の横好きってやつだけど」

「すごいクル!」


 機嫌を直したミクルが鞄の中に頭を突っ込むと、ゴソゴソと何かを漁っているような音が聞こえてきた。すぐに白くて小さな包みを持った彼女が顔を出す。

 ソースやマヨネーズなどを詰め替えて持ち運ぶ用の小さなケースを、お弁当箱の代わりにしていた。鉄臣にとっては一口サイズだが、体の小さな彼女にとってはぴったりの大きさだった。

 我ながらいいチョイスだろう。


 鉄臣は、今にも包みを開きそうな彼女に「せめて昼まで待ってくれよ」と軽く釘を刺す。


「でも、カネオミはおうちでお弁当作って平気クル?」


 鉄臣が母親に自分の趣味を内緒にしていることを言っているのだろう。痛いところを突かれた鉄臣は苦笑いを漏らした。


 確かに彼女の言う通り、鉄臣は家族に見つからないように、夜遅くに内緒で料理の練習をしていた。レシピ本と材料をお小遣いで買って、睨めっこしながら作ったのはいい思い出だ。

 ただ、偶然母親に見つかってからは、手伝いも兼ねて鉄臣が作ることもあるのだ。


「母さんには、筋肉増強のためのメニューを作ってたら上手くなったって言ってるんだ」

「それで誤魔化せるクル?」

「はは、俺の母親だし」


 ミクルは昨日の母親の様子を思い出したのか、「納得クル」と呟いた。そして、包みを宝石箱を見る子どものように眺めている。

 彼女の美しい新緑のような翅が淡く光を放ちゆっくりと上下しているのを見て、鉄臣は笑みを零した。


 春風が吹く道をゆっくりと歩く。レンガで舗装されたそこは、鉄臣が歩く度に小気味いい音を鳴らしていた。たまに、ミクルの鼻歌が聞こえてくる。聞き慣れないメロディだが、なんだか懐かしいと思える不思議な歌だ。

 鉄臣は心地いいその音楽に耳を傾けながら、足を動かした。


 そのうち、彼の目の前に大きな坂が見えてくる。「三年坂」と呼ばれるそれは、山に沿って高く、そして長く伸びていた。昔はこの坂がもっと長く、上って下りるのに3年かかったという逸話からそう名付けられているそうなのだが、鉄臣が知る由もない。


 その坂の頂上に、鉄臣の目的地、「坂の上高校」があった。名前の通り、坂の上にある学校のため、窓から街が一望できるのが売りだった。


 彼の隣を青いスクールバスが走り抜けていく。さすがに学校の近くにもなると、ぱらぱらと人がまばらに歩いていた。

 坂の下に駐輪場があり、自転車通学の生徒はそこに止めて、坂を登る。鉄臣は徒歩通学なので、その中に紛れて学校へと向かうのだ。


 だが、鉄臣の周りだけ、心なしか他人と距離があった。具体的に言うと、鉄臣を中心とした半径1mほどぽっかりとした穴が空いているように、人が彼を避けて通っていくのだ。


 鉄臣は居心地が悪そうに、一つ溜息を零す。彼のただでさえ濃い皺のある眉間に、さらにそれがくっきりと刻まれていた。人を殺めてきた裏社会の人間のような風格だ。彼のがっしりとした体格も相まって、余計それに拍車をかけていた。

 この顔つきと体格のせいだ。鉄臣は眉間を指で挟み、その皺を消すようにそっとマッサージした。


 ふと背中に衝撃を感じて、鉄臣は振り返る。そこには、ちょうど彼の肩くらいの身長の男子生徒が、体をガタガタと震わせてその場に立ち竦んでいた。


「あ…ぁ…」


 どうやら立ち止まってマッサージをしていた鉄臣の背中に、彼がぶつかってしまったようだ。ぶつかった当の本人は、大きく目を見開いて、声にならない声を漏らしている。まるで、熊か殺人鬼にでも会ったかのような形相に、鉄臣はちくりと胸が痛むのを感じた。


「おい、だいじょう……」

「す、すみませんでした!!」


 鉄臣がその手を伸ばす前に、彼は勢いよく垂直に頭を下げ、何度も平謝りしながら逃げていく。猛スピードで駆け出した彼の背中は、つんのめりながらもだんだん小さくなっていった。

 その場に取り残される鉄臣。居場所を失った彼の手が、だらりと垂れた。


「うっわ、さすが番長」

「早速1人泣かしてんじゃん」


 周りからの奇異の視線、ひそひそと囁かれる悪評。一連のやり取りを見ていた周りの生徒が変な噂を立てている。きっと今日の昼休みまでには、全員に知れ渡っていることだろう。

 鉄臣が牽制の意味も込めて視線を投げると、蜘蛛の子を散らすように退散していった。そんなことをやっても意味はないとわかっているのだが。


 鉄臣は、学校で番長と呼ばれている。

 180をゆうに超える身長、恵まれた体格、そして彼の強さを象徴するかのような鋭い目つき。その顔つきのせいで、登校初日にガラの悪い不良グループに絡まれ、若干15歳で返り討ちにしてしまったのはあまりにも有名な話だった。

 その後も、彼の顔は難癖をつけられやすいのか、よく絡まれては喧嘩をする、そんな日々だった。そのうち、噂に尾ひれがついて、鉄臣に近付く人間はいなくなってしまったのだ。


 それでも構わない、と鉄臣は思う。鉄臣自身、誰かと仲良くなれたとしても、この喧嘩に明け暮れる日々に巻き込んでしまうのは申し訳ないと感じているからだ。


「おはよ、番長」

「…おはよう、青柳」


 だが、そんな彼を知ってもなお、付き合いをやめようとしない物好きな人間もいる。今、鉄臣に声をかけてきた「青柳祐介」という男だ。

 鉄臣より頭ひとつ分ほど小さな彼は、耳元のピアスを光らせて人好きのする笑顔を浮かべている。


「今日も逃げられたのか?」

「…まあな」

「はは、相変わらず絶好調だな」


 祐介がケラケラと笑った。ミルクティーのような淡い茶色に染め上げ、綺麗に整えられた髪がさらりと揺れる。


「ま、気にすんなって。そのうちみんなわかってくれるさ」


 元気づけるように胸を軽く叩かれ、鉄臣は思わず笑みを零す。彼の快活さは、鉄臣の沈んだ気持ちを吹き飛ばしてくれるような気がした。祐介が鉄臣の肩に手を回す。その顔を覗き込んで、優しく微笑んだ。


「行こうぜ、学校に遅刻するだろ」

「そうだな」


 鉄臣もまた彼の肩に手を回す。くすぐったそうにはにかみながら、2人は学校へと向かった。




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