第2話 カワイイは正義だ その②


 ──ドボン!


 重いものが着水したような鈍い音に鉄臣の手が止まる。

 彼の目の前で、その身長をゆうに超える高さの水柱があがっていた。


「は……?」


 その水柱は、重力に従って細かい水滴となり、驚きに目を見開く鉄臣の上に降り注いだ。

 豪雨のように叩きつけてくる威力に、体の小さなミクルは耐え切れず落下していく。


 咄嗟に手を伸ばした鉄臣は彼女をすれすれのところで受け止めた。

 その小さな体に耳を近付けると、か細いがしっかりとした息遣いが聞こえてくる。

 まだ息があるようだ。鉄臣は胸を撫で下ろした。


 内かくしに彼女をそっと保護して、水柱へと目をやる。


「なんだよ、アレ……」


 そこには得体のしれない巨大な影が水面で静かにたたずんでいた。大きさは多分3m以上はあるだろう。見ていると不安な気持ちが湧いてくるような漆黒の体に、人型ともいえないような見た目。


 こんな生き物、鉄臣が生きてきた中で見たことがない。恐怖で足が竦むのがわかった。


 ふいにその影がぐるりとこちらを向いた。闇夜をまとった目が射貫くように鉄臣をとらえる。


「ガ……ビ……ガァァァァァァ!」


 その影は、耳をつんざくような呻き声を発して、その長い腕を大きく振りかぶった。


 逃げろ!

 鉄臣の本能がそう叫ぶ。

 彼は脱兎のごとく駆け出した。水に濡れた服が体に張り付いて気持ち悪いが、そんなことも言っていられない。


 空を切った怪物の腕が、走り出した鉄臣の背後の地面を抉る。巨大な衝撃音と地面が揺れる感覚、そして辺り一面に舞う砂埃。

 鉄臣はつんのめりそうになる足を懸命に動かした。


「警察か消防か、どっちに電話すりゃいいんだ!?」


 後ろに手を回して、ポケットからスマホを取り出す。

 だが、また襲ってきた振動で、それが手から滑り落ちてしまった。地面で一度跳ねたスマホは液晶にヒビが入って、それからなにも映さなくなった。


「クソッ!」


 スマホを置いて再び駆け出す。

 怪物の猛攻は止むことなく、地面を抉っている。鉄臣はだんだんと距離を詰めてくるその腕を、なんとかかわしながら走り続けていた。


「……魔法少女を探してほしいクル……」


 弱々しい声が聞こえて、内ポケットを見ると、ミクルがポケットに手をかけて顔を出し、鉄臣を見上げていた。

 まだ彼女の顔色は青ざめている。


「おい、大丈夫か?」

「……だ、大丈夫クル」


 鉄臣は背後を振り返って確認する。

 大きな音と共に、また河川敷に穴が空いた。水面で休んでいた鳥たちもバタバタと飛び立っていく。


「あれはナイトメア。みんなの夢を奪ってしまう悪いやつクル」

「魔法少女にしか、倒せないクル」

「だから、探してほしいクル」


 後ろからは巨大な怪物の攻撃、内ポケットからは妖精のわけがわからない話。

 まるで別の世界に迷い込んでしまったかのようだ。そう錯覚してしまうほどには現実離れしていて、鉄臣は頭が痛くなる思いがする。


「……とにかく、魔法少女とやらを探せばいいんだな?」

「そうクル。これが、教えてくれるクル」


 ミクルは手のひらサイズの星型のコンパクトらしきものを取り出して、鉄臣に見せた。

 ただ、体の小さなミクルの手のひらサイズなので、鉄臣には豆粒ほどの大きさしかないが。


 そのコンパクトは淡い光を放っていた。その光が強く放たれるところに、魔法少女とやらがいるらしい。

 でも、とミクルは続けた。


「ほんとは、魔法少女になる子としか話してはいけないんだクル。だけど、どうしてもお腹が空いて、アンタに話しかけたクル……」


 彼女のアメジストのような瞳が陰る。静かに俯くその姿に、鉄臣の胸が締め付けられた。


 彼女は、たった1人で、魔法少女を求めてこの世界を彷徨っていたのだろう。雨の日も風の日も、その小さな翅を懸命に動かして。


「……不動鉄臣」

「なんだクル?」

「俺の名前、かねおみって言うんだ。魔法少女とやらにはなれないけど、なんかあったら頼っていいからさ」

「……聞いてないクル」


 そう言い放って頭をひっこめたミクル。すぐに、内ポケットからず、と鼻を啜る音が聞こえた。

 しばらくそっとしておいてやろう。鉄臣は棒になりそうな足を叱咤して、走る速度を上げた。


「……っぐ!!」

「かねおみ!!」


 怪物の攻撃で飛び散った瓦礫が、運悪く鉄臣の背中に直撃した。ナイフで貫かれたような痛みに、鉄臣はついその場で膝を折り、手をついてしまう。


 転んだ拍子に内ポケットからミクルが勢いよく飛び出した。地面に叩きつけられた彼女は、きゅぅ、と小さな呻き声を上げてその場で丸くなる。綺麗なグラデーションで彩られていた翅が弱々しく上下していた。


「ミクル……!」


 いつの間にか怪物の攻撃は無差別になっていた。どうやら土煙が鉄臣たちの姿を上手く隠しているようで、視認できないようだ。ただ闇雲に地面を抉り続けている。


 地面を這って、彼女に近付く。彼女の上で地面に蹲り、自分の体で囲いを作った。こうすれば、鉄臣自身が盾になり、ミクルを瓦礫から守ることができる。


 瓦礫が鉄臣に容赦なく降り注ぐ。鉄臣は痛みに顔を顰めた。


「かねおみ……?」


 きょとんとしてこちらを見上げるミクルに、精一杯の笑顔を作った。彼女を安心させられただろうか。痛みで顔が歪んで笑顔からは程遠い出来だが、許してほしい。


 額に血が垂れてくる。どうやら頭のどこかから出血してしまったようだ。


「やめてクル! かねおみが死んじゃうクル!」

 

 ミクルが悲鳴を上げた。

 背中の血も止まらない。傷口なんてお構いなしに降りかかる瓦礫の雨。意識がぼんやりとしてきたのがわかる。


(安心もさせてやれないのか、俺は)


 ミクルが小さな両手で鉄臣の服を掴み、強く引っ張った。だが、それで動くほど鉄臣は軟ではない。


「……カワイイは正義なんだ」

「クル?」

「俺は、カワイイには混ざれない。だからせめて、それを守らせてほしい。それが、俺の今の夢だ」

「……かねおみ……」


 そう言った鉄臣の胸元から、淡い虹色の光が出てきた。それはミクルの持っていたコンパクトに吸い込まれていく。比例するように、しわくちゃでへたっていた彼女の翅が、どんどん美しい輝きを取り戻していった。


「やっぱり、カワイイな」


 鉄臣はゆっくりと目を閉じる。

 最期にこの妖精と出会えてよかった。鉄臣は、薄れゆく意識の片隅でそう思──。

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