第35話 傷

 「なるほど。これは興味深い代物ですな」


 トータ君が「封魔の水晶球」を見つめながら呟く。スフィーは不思議そうな顔で目を瞬いた。


 「どうだ?共鳴出来そうか?」


 ヴェルモットの問いにトータ君はゆっくりと頷き


 「ええ。というよりこの聖神具レリックスはおそらくご主人様のためにあると言ってもよいでしょう」


 「わ、私のため?」


 「はい。これは儂の推測ですが、そもそも聖神具レリックスとは覚醒した魔女の補助のために作られたものではないでしょうか?」


 「魔女の補助のため、か。なぜそう思う?」


 ヴェルモットが険しい顔で尋ねる。


 「ミルディア殿の記憶によれば現在は領主の手にあるとはいえ、これは元々獣人族ワービーストに伝わったものとのこと。その獣人族ワービーストの中からそれに対応する能力の魔女が生まれたことは偶然とは思えません。そしてこの水晶球のことを思い出しここに持ってこられたのがもう一人の魔女となれば、何者かによって長い時間をかけて仕組まれたと考えられましょう」


 「ミルディアによれば世界の危機はこれまでも何度か訪れたらしい。そしてその度にあいつのように『管理人』とやらに選ばれた者が魔女を従えてその危機を救ったというが……」


 ヴェルモットの顔がますます険しくなる。何かを考え込んでいるようだ。


 「失礼ながらヴェルモット殿、あなたの身に付けている黒衣はもしや……」


 トータ君の言葉を遮るようにヴェルモットが手を伸ばす。


 「ミルディアにはまだ言うな。不確かな情報で混乱させたくない」


 「かしこまりました」


 それだけが理由ではなさそうだがな、とトータ君は心の中で呟いた。そんなトータ君をアーテルがヴェルモットの肩の上からじっと睨む。


 『分かっとる。余計な詮索はせんよ』


 アーテルに目で返事をし、トータ君は改めて「封魔の水晶球」に目を移す。


 「儂を仲介役にしてご主人様とこの水晶球の力をリンクさせます。今のところご主人様の防御の力は物理的な攻撃に対しての方が強いようですが、この聖神具レリックスを使うことで魔法に対する効果も飛躍的に高まり、全体的な底上げにもなるでしょうな」


 「このリミステア全体を強固な結界で包むことも可能か?」


 「恐らくは。ですがそれほど大規模な結界を張るとなると、ご主人様はここから動けないでしょうが」


 「我たちが第三の魔女を連れて戻ってくるまで帝国軍を防いでくれればいい。頼めるかスフィー?」


 「は、はい。私にできるのならば喜んで」


 スフィーが緊張しながらもしっかりと頷く。


 「聖神具レリックスとのリンクにどれくらいかかる?」


 「さて、やってみないと何とも言えませんが、今、ヴェルモット殿の魔力に反応している状態を解除してからになりますからな。数時間はいただきたいところです」


 「アーテル、帝国軍はどれくらいでここに来る?」


 「もう森は抜けたようです。1時間もかからないでしょう」


 「やはり今向かっている部隊は直接撃退させる必要があるか」


 ヴェルモットは思案気な顔で顎に手をやる。今の自分とミルディアの力なら700名程度の兵は相手に出来るだろう。スフィーが「封魔の水晶球」とリンクするまでに増援が来る可能性も低い。


 「スフィー、お前は聖神具レリックスとのリンクに集中しろ。帝国軍は我とミルディアで防ぐ」


 「は、はい」


 不安な気持ちを抑え込むように頷くスフィーの頭に手を置くと、ヴェルモットは再び浮遊魔法を使い、リミステア城へ向かった。



                 *



 「納得がいきません!」


 エルフ族の自治領内。聖真教会の神官室でシャルナが机を叩き、大神官に詰め寄る。白髭を伸ばした大神官はため息を吐き、彼女をなだめるように手を広げる。


 「致し方あるまい。こちらが『長老血判』に反したことは事実。追放処分を受けた信徒がこの自治領以外で生きていくのが難しいのはお前にも分かっていよう」


 「だからといってキーナの釈放を認めるなど!」


 「こちらの罪を不問に付すと言われれば従う以外あるまい。それにキーナは無罪放免というわけではない。聖神具レリックスの無断持ち出しの罪に問われることになるらしい」


 「私はこの手であいつを裁きたかったんです!」


 「お前の個人的な感情のために他の信徒を犠牲にするわけにはいかん。自重せよ、シャルナ」


 シャルナは憤怒の表情で唇を噛み、もう一度机を叩いて神官の部屋を出て行く。それを見送り、大神官はやれやれと言った顔で頬杖をついた。


 「くっ!千載一遇のチャンスだったのに」


 怒りが収まらぬまま教会の廊下を歩くシャルナが悔し気に吐き捨てる。と、突然背後から彼女に声が掛けられた。


 「ご機嫌が悪いようだね、シャルナ」


 「え?」


 驚いて振り向いたシャルナの目に白い神官服を着た若い男が映る。


 「スピネル様」


 穏やかな笑みを浮かべる男にシャルナが首を垂れる。スピネルと呼ばれたこの男は大神官の補佐をする神官長の地位にあるエルフだった。細い目と白い肌が特徴の整った顔立ちをしており、信徒の女性から絶大な人気を得ている。


 「大神官様の部屋から出てきたようだが、例の少女の件かな?」


 「は、はい。キーナを異端審問インクイジティオに掛けられないのが納得いかなくて」


 「ふむ。確かに天使様に弓を引くような者に罰を与えられぬなど耐え難い辛さだね。まあ君の場合は私情も多分に混じっているようだが」


 「そ、それは……」


 「素直な感情を表すことは悪ではない。だが神に仕える者が私情をもって他者を断罪することは許されないことだ」


 「はい」


 「しかし君の気持ちもわかる。あの少女とは幼馴染だったね」


 「そうです。親同士が古くからの付き合いで」


 「かの事件は私も耳にしたことがある。不幸なことだ」


 「私は……キーナを許すことが出来ません」


 シャルナは唇を噛んで拳を震わせた。元々キーナとシャルナは幼いころから親同士の付き合いもあって仲の良い友人として育った。しかしシャルナの両親が聖真教会の信徒となり、キーナの両親にも熱心に入信を勧めるようになってから様相が変わった。キーナの両親は聖真教会のあり方に疑問を持ち、入信を拒み続けた。それに対し両親に従順であったシャルナは親と同時に入信し、親友のキーナを勧誘した。


 「一緒にデウル様に祈りを捧げようよ」


 そう言われてキーナは戸惑った。両親からはシャルナの一家と距離を置くように言われていたのだ。しかしシャルナと疎遠になるのが嫌だったキーナは両親に内緒で教会に足を運んだ。無論両親には秘密にしていたのだが、近所の者の証言である日それがバレてしまった。


 「何を考えているんだ、お前は!?」


 両親に叱責され、キーナは家に軟禁された。そしてそれを知ったシャルナは自分の両親に泣きながらそれを訴え、シャルナの父親がキーナの家に乗り込むという事態が起きる。


 「子供を軟禁するとは何事か!」


 「子供を使って娘を勧誘するような奴に言われる筋合いはない!」


 かつては良好な関係だった二つの家族は聖真教会によって引き裂かれた。父親同士の言い合いは激化し、ついにはシャルナの父親がキーナの父親を近くにあった花瓶で殴るという事態になった。


 「お父さん!」


 陰でそれを見ていたキーナは思わず飛び出し、頭から血を流す父親に駆け寄った。


 「ち、違うんだキーナ。これははずみで……」


 慌てて言い訳をするシャルナの父だったが、キーナはもう冷静さを失っていた。


 「うわあああああっ!!」


 怒りで暴走したキーナの魔力は攻撃魔法を生み出し、シャルナの父親を炎で包んだ。すぐにキーナの母親が気づいて消火したが、彼は大火傷を負い、回復魔法がかけられたものの足に障害が残ってしまった。キーナの魔力が子供とは思えないほど強力だったためだった。


 この事件は集落で大問題となり、長老会議で処断が話し合われた。特に議論の中心になったのがシャルナの父親とキーナの罰についてである。エルフ族の間には同胞に対する魔法攻撃を厳しく禁じる掟があった。強力な魔法を操るエルフ族だからこそ、争いごとに魔法を使うことは危険が大きかったのだ。


 「事情はどうあれ、同胞への魔法攻撃は最大のご法度。子供だからと言って許すわけにはいかんだろう」


 「だが同情の余地はあろう。掟は大切だが、情けを欠いた裁きは今後の団結にしこりを残すことになる」


 「それに事件の根幹には聖真教会が関わっておる。自分の娘を使い、幼子を入信させるなど由々しきことだ」


 「神官の力が増大するのは我等にとっても問題となる。教会の力を削ぐためにもあの男には厳罰を科すべきであろう」


 自分たちの影響力の低下を恐れた長老たちは同胞に暴力を振るったシャルナの父親を追放処分とした。ちなみに負傷したキーナの父親は回復魔法で事なきを得ていた。


 「キーナについては事情を鑑み、魔力のコントロールが未熟な子供であることも考慮し、厳重注意処分とする」


 とはいっても何らかの処罰が行われたわけではなく、事実上の無罪放免と言ってもよかった。これにはシャルナが猛烈に反発した。


 「どうしてキーナがお咎めなしでお父様が追放なの!キーナの父親は回復したでしょ!お父様は足に障害が残ったのよ!!」


 シャルナの怒りは尤もだった。自治領以外でエルフ族がまともに生きていくのは難しい。まして足を悪くした父親に厳しい生活が待っていることは想像に難くなかった。シャルナの母親は父親の面倒を見るため、共に自治領を出ていき、シャルナは神官の家に預けられることになった。


 「あいつのせいで」


 シャルナの怒りはキーナに向けられ、その憎悪の炎は時が経つにつれ大きくなっていった。罪人の娘の烙印を押され、教会以外では白い眼を向けられて生きたシャルナと、自警団のリーダーとなった兄に続き自らも婦女後援隊の副隊長に任命されたキーナ。お互いの生き方の差もシャルナの怒りを増幅させる要因となっていた。


 「父は……ここを追放された後、病にかかり亡くなりました。まだ500歳にもなっていなかったのに。母は元々罪に問われたわけではなかったので父の死後戻ることを許されましたが、すっかり体を弱くして。今もほぼ寝たきりです」


 顔を歪めながらシャルナが言う。父が罹患したのは回復魔法が効かないエルフ特有の病であった。


 「君の気持ちもわかる。無念であったろうね。だが我々は神の御使いとして同胞を正しく導かねばならない。裁きに私情を挟んではならないよ」


 スピネルが言い含めるように優しい口調で言う。


 「キーナは天使様に弓を引きました。私情ではなく、神に仕える身として許すわけには参りません」


 「うむ。君の父上の件といい、今回といい長老たちは我々聖真教会の力を削ぐことに重きを置き、正当な処断を下していないように思えるね」


 スピネルが腰を落とし、シャルナに顔を近づけて囁くように言う。


 「そのような者たちが我ら同胞を正しく導けると思うかい?」


 「い、いえ。神の代弁者たる我々こそがエルフ族の未来を正しく示せるものと考えております」


 「その通りだ。だが大神官様はどうにも弱腰に思える。どう思うね?シャルナ」


 「は、はい。今回もあっさりキーナを長老たちに引き渡しましたし」


 「そうだね。私はこの現状を憂いているんだ。おそらくデウル様も今の教会の在りように御心を痛めておられるのではないかと思う」


 「ど、同感です」

 

 「今、聖真教会には改革が必要なんだよ。私は同胞たちの未来のためその先陣を切ろうと考えているんだ。シャルナ、私に協力してくれないかい?」


 「わ、私でお役に立てることならば喜んで」


 「ありがとう。きっと我等には神の祝福があるだろう」


 スピネルはそう言って怪しい笑いを浮かべた。だがぼうっとして彼の言葉を聞いているシャルナはその笑みの裏にある邪悪な気配に気づくことは出来なかった。

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