第34話 異変
「これが
リミステア城の宝物庫の奥に置かれたガラスケースの中にその水晶球はあった。手の平に載せられるほどの大きさで、透明な中に黒くたゆたう炎のようなものが見える。
「私自身はこれが使われたところを見たことがありませんが、ロレンソ様は非常に貴重なものだと生前おっしゃっておられました。私が執事としてお仕えして間もないころでしたが」
カーライルが昔を懐かしむように目を細めて言う。
「確か『封魔の水晶球』と呼ばれていたかと」
「『封魔の水晶球』。ヴェルモットさんの魔力を完全に閉じ込められるくらいだからやはりすごい代物なんですね」
ミルディアが慎重にガラスケースを外し、水晶球を見つめる。
「この水晶球と今のスフィーの能力を合わせることが出来れば少なくとも魔法攻撃に対しては無敵だろう。リミステア全体を防御することも無理な話ではない」
ヴェルモットの言葉に頷き、ミルディアがゆっくり「封魔の水晶球」を持ち上げる。大きさの割にずっしりと重い。
「スフィーと合流してやってみましょう。帝国軍が来るまで時間がありません」
そう言って宝物庫を後にしようとしたミルディアの体がぐらりと揺れる。あっ、と思った時にはバランスを崩し、水晶球が手から零れ落ちた。
「うわっ!」
慌ててキャッチしようとするミルディアだが水晶球は指の間をすり抜けてしまう。だが床に落ちる直前、カーライルが必死に手を伸ばし、何とか落下は免れた。
「ご、ごめん。ありがとう、カーライル」
「いえ。それよりも大丈夫でございますかミルディア様?お顔の色が優れませんが」
水晶球を大事に抱えながらカーライルが心配そうに言う。
「無理をするなミルディア。連続して転移魔法を使っている上に先ほどの戦いでの疲労もあろう。これ以上は体が持つまい」
ヴェルモットがミルディアの腕を持ち体を起こさせる。
「ですが」
「それにこいつはすぐには使えんようだ」
「え?」
「今これが落ちそうになった時とっさに魔法で止めようとしたんだが反応しなかった。こいつは今も我の魔力を封鎖しているのだ」
「『黄昏の廃城』の結界はそのままですもんね」
「ああ。まずこの設定を解除せんといかんだろう。トータならこいつを使えるかもしれん。我がスフィーのところにこいつを持っていくからお前は少し休んでいろ」
「すいません」
ヴェルモットに水晶球を託し、ミルディアはカーライルに肩を借りて宝物庫を出る。と、ヴェルモットの肩に乗ったアーテルが去り際に話しかける。
「ミルディア殿、あなたはこの世界で使えるほぼ全ての魔法を使用できるはず。体力を手っ取り早く回復する手も分かっておりましょう?騎士道精神もご立派ですが、時間がないことが自明の今、遠慮なさるべきではないかと」
アーテルの言葉にミルディアは顔をしかめる。確かに「管理室」で膨大な書籍を読破したミルディアはそこに書かれていた魔法のほぼ全てを習得した。だから魔女の力を解放する方法をアドジャスターから聞いた時は驚くと同時にどこか予感めいたものを感じてもいた。体力を急速に回復する魔法があったからだ。その方法は魔女の力の解放同様、異性と体を重ねることだったのである。ミルディアとヴェルモットが体を重ねて顕現したアーテルはその知識を当然のごとく持っていた。
「……お前の言うことは分かるが」
「何だ、そんな便利なものがあるならさっさとやれ。水晶球の再設定にどれくらいかかるか分からんし、事によっては今向かって来ている帝国軍は直接相手をせねばならん」
ヴェルモットはそう言ってベランダに出ると、スフィーが待機している
*
「どういうことだ?何故ルメーラが!?」
アニメラが困惑しながら走る。その後を
「危険ですアニメラ様。お下がりください!」
侍女たちが必死に止めるが、アニメラは聞く耳を持たず走り続ける。
「ルメーラ!」
息を切らせながらアニメラがルメーラの部屋のドアを勢いよく開ける。中には数名の武装した兵士がおり、その先にルメーラがいた。だが彼女はすでに普通の姿ではなかった。
「何てことだ」
アニメラが呟き、ドアに思いきり拳を叩きつける。ルメーラの体は二倍近く大きくなっており、背中からは黒い翼が伸びている。目も赤く血走り、口からは長い牙が生えてきていた。
「
「アニメラ様、ここは危険です。退避を」
兵士の一人がアニメラを部屋の外に出そうとする。その手を振りほどき、ルメーラに駆け寄ろうとするアニメラだったが、追い付いてきた侍従や侍女が必死にそれを引き留めた。
「いけません!もはやルメーラ様は……」
「処分するというのか!ルメーラを!」
「
「そのようなこと……」
涙を溜めたアニメラが歯を食いしばったその時、ルメーラの体が急激に膨張した。顔も完全にドラゴンのそれと化し、四肢も太くなる。
「いかん!」
兵士が槍を向け、魔法を唱える。
「アニメラ様!お下がりを!」
侍女たちが必死にアニメラを室外に引き出す。完全にドラゴンと化したルメーラが耳をつんざくような咆哮を上げ、兵士たちが魔法を放つ。
「
数名の兵士が同時に唱え、構えた槍の先から雷撃が放射される。
「ルメーラ!!」
侍女たちに引きずられながらアニメラが絶叫する。が、変貌を遂げながら巨大化するルメーラは兵士らが放った雷撃を弾き飛ばし、さらに膨張を続ける。
「バカな!雷撃の斉射を食らって無傷とは」
「いかん、部屋が壊れる!退避だ!!」
指揮をする兵士が叫び、全員が一斉に部屋を飛び出す。ルメーラは壁を破壊し、さらに廊下や天井までも突き崩しながらさらなる叫び声を轟かせた。
「そんな。これほど巨大な
降り注ぐ瓦礫を避けながら兵士が息を呑む。アニメラも目を見開き、怪物と化した従妹を見つめる。
「これではまるで……大神竜様かその最初の眷属たちではないか」
アニメラが見る影もなく変貌したかつての従妹を見上げながら呟く。ルメーラは顔を上に向けると大きく吠え、巨大な火柱を口から吐き出した。
「きゃあああっ!!」
パニックを起こした侍女たちが悲鳴を上げる。その声に反応したかルメーラが下を向いた。
「落ち着け!あいつを刺激しないようゆっくりこの場から逃げよ!」
アニメラが叫び、兵士たちが先導して侍女や侍従たちを下がらせる。ルメーラが破壊した天井から曇った空が見え、雲の隙間から一条の光が差し込む。それがスポットライトのようにアニメラを照らし、まるで舞台でルメーラと対峙しているかのように見えた。
「落ち着けルメーラ。分かるか?私だ。アニメラだ。必ず元に戻してやる。だからそのままじっとしていろ。お前をむざむざ殺させは……」
必死に説得を試みるアニメラだったが、ルメーラはわずかに目を細めると再び天を仰いで凄まじい咆哮を上げる。ばさっと巨大な翼がはためき、その巨体がゆっくりと宙に浮く。
「いかん!あいつを、ルメーラを外に出すな!!」
アニメラが叫ぶ。だが兵士たちは侍女たちを逃がすのに精一杯でまともに攻撃が出来ない。他の兵もこの混乱の中すぐに駆け付けることは不可能だった。
ガアアアッ!!
大きく翼を広げ、巨竜と化したルメーラが大空へ羽ばたく。それによって起こされた突風がさらに聖竜城のあちこちを破壊する。
「行くな!ルメーラ!!」
アニメラの血を吐くような叫びも空しく、ルメーラは炎を吐きながら聖竜城の上空から街の方へと飛び去って行った。
*
「自分で呼び出しておいて今更だけど本当にいいの?モリア」
自室のベッドの前に立ち、ミルディアが尋ねる。目の前に立つモリアは初体験の時と同じく全裸で髪をほどいている。モリアは微笑みながら頷き、
「勿論です。お話は聞いております。ミルディア様のお役に立てるなら喜んで。それにこれはリミステアを守るためでもあるのでございましょう?」
モリアをカーライルに呼びに行かせたとき、ミルディアは事情を包み隠さず伝えた。危険はないと思うが、相手の体力を奪って自分が回復するという手前勝手な魔法であることも。
「私がミルディア様のお力になれるのならこれほどの名誉はございません」
「ありがとう。きっとみんなを守るからね」
ミルディアは礼を言って魔法を発動させる。光る魔法陣が体の前に浮かび上がり、それがゆっくりと移動してモリアの腹の辺りに当たる。
「この魔法陣を刻印された相手と体を重ねることでその人の体力を吸収するっていう魔法だ。申し訳ないけどことが済んだらきっとひどく疲れると思う。ごめんね」
「お気になさらず。今はミルディア様の一刻も早い回復が必要でしょう」
「ありがとう。じゃあいくよ」
ミルディアはモリアを優しく抱きしめ、ベッドへ誘う。体力回復が目的とはいえ相手も気持ちよくしてあげなければいけないだろうと思い、愛撫をしようとするが、時間がないことが頭をよぎり集中できない。
「ミルディア様、無理をなさらないでください。ご自分の目的のため、なさりたいように致してくだされば」
モリアがミルディアの頭を優しく撫でながら微笑む。ミルディアは自分の浅はかさにカッと顔が赤くなった。一度や二度女性を抱いたからといって何をいい気になっているのだ。自分は彼女たちの厚意に甘えているのに過ぎないのだ。ならば自分に出来ることを精一杯やろう。それが今のところ彼女たちに報いるための唯一のことだ。
「ごめん。モリアにはいつも助けられてばっかりだ」
ミルディアはモリアを強く抱きしめ、自身を沈み込ませる。モリアの体に刻印された魔法陣が光り輝き、ミルディアの中に力が流れ込んでくるのを感じた。
「いかが……ですか?回復なさいました……か?」
息も絶え絶えと言った様子でモリアが尋ねる。紅潮した顔が妖艶で思わず息を呑む。
「う、うん。大分力が戻ってきた気がする。ありがとう。疲れてるだろ?ごめんね」
正直言えば今のミルディアの力を完全に回復させるにはまだまだ足りなかったが、これ以上モリアの体力を奪うわけにはいかない。これだけ回復すればとりあえずは動けるだろう。
「いえ……少し休ませていただければ……大丈夫です。それより……」
モリアはのろのろと体を起こし、ベッドから降りようとする。
「まだ動いちゃダメだよ」
「いえ、ここに……いては邪魔になりますので。隣のソファで……休ませていただきます」
「邪魔?」
ミルディアが首をかしげるのと同時にドアがノックされる。びっくりして振り向いたミルディアに対し、モリアはよろよろと立ち上がって「入ってください」と声を掛ける。
「失礼します」
「ミ、ミレイ!?」
ドアを開けて入ってきたのはミレイだった。騎士団の制服を脱いでシャツと短パンだけの恰好をしている。
「丁度いいタイミングです。後はお願いします」
「モリア、これは一体どういう……」
「今のミルディア様のお力を回復させるのは私一人分では到底足りないと思いましたので、ミレイ殿に声をかけさせていただきました。事情をお話したらすぐに了承なされて」
「い、いや、しかし」
「ミルディア様。不肖このミレイ、ミルディア様とこのリミステアのためお役にたてることを誇りに思います。どうか御存分に私の力をお使いください」
ミレイが敬礼して真剣な目でミルディアを見つめる。
「だ、だけど、今回はこの前みたいに……看病だけじゃ済まない。実際に体を重ねないと……」
「無論、分かっております」
「でもそれじゃ」
「私はミルディア様に捧げられることを光栄に思っております。ましてこのリミステアを守るためにお役にたてるとあればこれ以上の喜びはありません」
ミルディアは胸がぎゅっと締め付けられるような思いがした。モリアやミレイの献身に自分は値するだけの人間だろうか。彼女たちの思いに応えられるのだろうか。
「私はヴェルモット様のような能力はございませんが、身命を賭して騎士団の務めを果たす覚悟です」
ミレイはそう言って服を脱ぐ。まばゆいその裸体を目にして、ミルディアは自分を叱り飛ばした。思いに応えられるかなどと言っていてどうする。自分はこの世界を崩壊から救う使命を託されたのだ。彼女たちを含めた大切な人々を守るために命を懸けてなしとげねばならない。主君が臣下より覚悟を決めなくてどうするのだ。
「分かった。ミレイの覚悟、僕がしっかりと受け止める。必ずみんなを守って見せるから」
「はい」
ミルディアは改めて自分の使命を果たすことを誓い、魔法を唱える。魔法陣が浮かび上がり、ミレイの体に刻印された。
「優しくするから」
そう言ってミレイを抱きしめ、ミルディアは二回戦に挑んだ。
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