第31話 守るもの

 「可愛い?」


 ミルディアが老いた亀を見ながら呟く。愛らしさがないとは言わないが、猫の可愛さとは全く違う感じがする。女の子の「可愛い」感覚はよく分からないな、とミルディアは困惑した。当の本亀ほんにんは気のせいかやれやれ、といった顔で首を振っているように見えた。


 「本当に使い魔ファミリアが出たのね。ミルディア様、私これでお役に立てるでしょうか」


 「あ、ああ。勿論。ええと、君の能力はどういうものか説明できる?」


 ミルディアの問いに老亀はふむ、と頷き


 「はい。儂の、つまりご主人様の力は『防御』。魔法、物理攻撃、精神攻撃、その他あらゆるものから防御するための能力です。あらゆるものにその力を付与できますな」


 先日、上級魔法を防いだ防御魔法を見れば納得の能力だ。


 「戦いにおいては非常に有効な能力だね。期待してるよ」


 「ありがとうございます!じゃあ名前を付けてあげないとね。ミルディア様、どんな名前がいいでしょう?」


 「君の使い魔ファミリアだから、好きなように付けてあげればいいよ」


 「私、学がなくてあまりいい名前が思い浮かばないんです。ミルディア様に付けていただければ嬉しいです」


 「僕が?う~ん、アーテルはラテン語で『黒』だったからな。亀だとテストゥードー、になるのかな」


 そう言った途端、また胸に違和感がよぎる。何だこれは?僕はどうして……


 「ミルディア様?」


 スフィーが心配そうに声を掛ける。一瞬意識が飛び、ミルディアはぼうっと虚空を見つめていた。同時に胸によぎった違和感のことが霧散してしまう。


 「あ、ああ、ごめん」


 「テストゥードー、ですか?ちょっと言いにくいですね」


 「そうだね。ええと……年を取ってるようだしイメージとしては『玄武』って感じだけど」


 「ゲンブ、ってあまり可愛くないです。……すいません!文句ばっかり」


 スフィーがはっとして頭を下げる。全裸のままなので小ぶりな乳房がプルン、と揺れ、ミルディアは今更ながら目のやり場に困り、横を向く。


 「い、いや。スフィーが気に入らないと能力が十分に発揮できないかもしれないしね。見たところこいつ陸亀っぽいな。単純に英語ならトータスだけど……」


 「トータス……じゃあトータ君っていうのはどうでしょう!?」


 「スフィーがいいならそれでいいんじゃない?」


 「儂としては『玄武』の方がしっくりきますがの」


 老亀が渋い声で言う。


 「ダメよ。そんなの可愛くないもの。あなたの名前は『トータ君』。決まりね」


 スフィーがにこにこしながらトータ君の頭を撫でる。反射的にかその途端頭が甲羅の中に引っ込む。


 「本当に亀だな。とにかく無事にスフィーは魔女の力に目覚めた。まだ体が痛いだろうけど動ける?」


 「は、はい。ちょっと歩きづらそうですが。すいません」


 よろよろとスフィーがベッドから起き上がる。


 「無理しないで。それは僕のせいだから。ごめんね」


 「い、いえ。私が望んだことですから」


 ミルディアが手を貸し、スフィーは立ち上がる。がやはり痛みがあるせいかふらついてミルディアの体に倒れこんでしまう。


 「す、すいません」


 「だ、大丈夫。ゆっくりでいいから」


 柔らかいスフィーの肌が押し当てられ、胸がドキドキと高鳴る。体は正直なもので一度したばかりだというのに股間のものは勢いよく天を向いていた。


 「あ、あの服を……」


 抱きついた拍子にミルディアの股間に視線が向いてしまったスフィーが恥ずかしそうに言う。ミルディアは慌ててスフィーをベッドに座らせ、脇に置いてあった服に袖を通した。


 「それじゃ行こうか。大丈夫?」


 着替え終えたミルディアが同じく服を着たスフィーの手を取って尋ねる。こんな時でなければゆっくり余韻を楽しみたいところだが、そもそもこんな状況でなければ彼女と体を重ねることもなかっただろう。


 「おう、終わったか。無事に覚醒したようだな」


 部屋から出てきた二人を見てヴェルモットが声を掛ける。スフィーの手の上に乗ったトータ君をアーテルが興味深そうに見つめる。


 「初めまして。私はヴェルモット様の使い魔ファミリア、アーテルと申します。よろしく」


 「儂はスフィー様の使い魔ファミリア、トータです。よろしく」


 「トータじゃなくてトータ君、ね」


 スフィーが甲羅を撫でながら訂正する。


 「自分で君付けするのはさすがに勘弁してほしいですな」


 トータ君が首を曲げ、心なしかしかめ面に見える顔で言う。


 「仕方ないね。じゃあ自分ではトータでいいよ」


 「さて、破瓜の痛みで動くのは辛かろうが、のんびりもしておられん。すまんがすぐその力を見せてもらうぞ」


 「ヴェルモットさん、だからもう少し言葉を選んで」


 ミルディアが動揺しながら抗議する。


 「言い方を変えても同じだろう。そもそもその痛みはお前の……」


 「分かった。分かりましたから」


 あたふたするミルディアを見て、スフィーがくすりと笑う。この人の力になると決めたのは間違いではなかったと思う。


 「ご主人様、獣人が二名、こちらに近づいております。慌てておる様子ですな」


 アーテルが目を細めて告げる。それを聞いて一堂に緊張が走った。


 「もしかしてフレキが」


 「うむ、見つかったのやもしれんな」


 ミルディアたちは長に礼を述べて家の外に出た。集落の入口に向かうと、アーテルの言った通り二人の獣人が慌てた様子で走って来ていた。


 「ああ、ミルディア様、よかった。フレキが……」


 熊の顔をした巨体の獣人が息を切らせ報告する。


 「見つかったか?」


 「はい。ですがあまりにも危険な臭いがしたので目視できる距離までは近づけませんでした。あれは尋常じゃない。完全に正気を失っているようです」


 「場所は?」


 「林道の先。王国軍が関所を作っていた場所の近くです。そこらに王国軍の兵士の死体が多数……」


 「遅かったか。ヴェルモットさん、スフィー。とにかくフレキを止めます。いいですか?」


 「うむ。二人連れての転移は問題ないか?」


 「大丈夫、だと思います。スフィー。僕の手を握っていて」


 「は、はい」


 スフィーは右手を差し出し、ミルディアの左手を握る。右手はヴェルモットが取った。


 「アーテル、フレキが囚われたっていう関所のあった場所をイメージして僕に送って」


 「かしこまりました」


 アーテルが言うと、ミルディアの頭の中に王国軍が作った関所の映像が浮かぶ。


 「それじゃいきます」


 目を閉じ、心の中で呪文を詠唱する。と、三人の姿は瞬く間にその場から掻き消えた。


 「何だ、あれは」


 転移が終わり、破壊された関所から少し進んだミルディアたちは前方に巨大な毛むくじゃらの獣を視認し、思わず立ちすくむ。さしものヴェルモットも緊張した面持ちをして呟いた。


 「あれがフレキだっていうのか。一体何をされたんだ」


 身の丈数メートルの暴れる獣人を見てミルディアも思わずたじろぐ。


 「いかんな。このまま進むとあいつ、町の方へ出るぞ」


 ヴェルモットがフレキの前方に目をやって唸る。ミルディアは頭を巡らし、何とかフレキを傷つけずに止める方法を考える。


 「トータ君。君の防御能力だけど」


 ミルディアは自分の考えをヴェルモットとスフィーに話す。二人は頷き、それぞれの役目を果たすため動き出した。


 「それじゃ行きましょう。くれぐれも気を付けてくださいね」


 ミルディアが二人に念を押して浮遊魔法でフレキを追い越す。その間にヴェルモットも浮遊魔法を使い、フレキの前に回り込んだ。ヴェルモットの姿を捉えたフレキが咆哮を上げ、腕を振り回す。鋭い爪がヴェルモットの鼻先をかすめる。


 「ちっ、こんなもんに当たったらひとたまりもないな」


 フレキの爪を躱しながらヴェルモットが舌打ちをする。そうして彼女がフレキの注意を引いている間にミルディアは上空に浮かび、上級魔法を放つ準備をする。


 「ごめん、フレキ。少し我慢してくれ」


 ミルディアが苦渋の表情で言う。


 「地を穿て!地烈断破ドラスティック・ラプチャー!」


 ミルディアが放った攻撃魔法がフレキの目の前の大地に炸裂する。凄まじい爆音と共に地面がえぐれ、深さ数メートルの大穴が開く。


 「拘束バインド!」


 時を移さずヴェルモットがフレキに魔法を放つ。光のロープのようなものを生み出して相手を一時的に拘束する魔法だ。腕を振り回していたフレキはバランスを崩したところに体を拘束され、目の前に開いた穴に落下する。穴の深さは丁度巨大化したフレキの背丈と同じくらいだ。このままでは拘束が解ければ腕を伸ばして簡単に出られてしまうだろう。


 「過重力オーバー・グラビトン!」


 そこにさらにミルディアの魔法がフレキに放たれる。自然の何倍もの重力負荷を与える魔法で、普通の人間なら地面に叩きつけられて圧死してしまうほどの威力があるが巨大化したフレキの体はその負荷に耐えた。しかしえぐられて脆くなったフレキの足元の地面は過重力がかかったフレキを支えることが出来なかった。


 「ガアアッ!」


 フレキの足元が崩れ、穴の深さが1.5倍ほど増す。もう手を伸ばしても地面に手が届く深さではなかった。


 「グウウッ」


 落下の衝撃で拘束が溶けたフレキが穴の壁に爪を立て、よじ登ろうとする。それを見たミルディアが走って追いついてきたスフィーに向かって叫ぶ。


 「スフィー、トータ君!頼む」


 「分かりました。行くよ、トータ君」


 スフィーが目を閉じて手を前に伸ばす。トータ君が目いっぱい首を伸ばして口を開く。


 「守りの加護よディバイン・ブレス!」


 スフィーの体から光の粒が放たれ、フレキが落ちた穴に注がれる。と、穴の壁が鋼のように固くなり、フレキの爪が刺さらなくなった。


 「すごいな。自分の身を守るだけじゃなくて、あらゆるものの防御が出来るなんて」


 ミルディアが感心して呟く。覚醒したスフィーの能力はあらゆるものに「防御」の効果を与えるものだった。自分の考えた策が可能だと知り、ミルディアはこの作戦を二人に頼んでいた。


 「ごめんな、フレキ。必ず助けてやるからな」


 ミルディアは苦渋の表情を浮かべ呟いた。

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