第27話 奪還

 鬼神の如く、とはまさにこのことだろう。


 リミステア駐屯部隊の王国軍兵ラビンは震える足を必死に動かしながらそんなことを考えていた。何が起きたのかはっきり分かった者はほとんどいなかったろう。リミステア城に続く橋の入口の門を破ろうとしていた時、いきなり巨大な炎が近くで弾け凄まじい熱風が襲ってきた。そしてパニックになって逃げだそうとしているといきなり剣を構えた黒髪の若い男が現れ、自分たちに斬りかかってきた。抵抗する者もいたが、瞬く間に斬り伏せられた。


 「逃げるな!迎え撃て!!」


 部隊長が馬上から必死に叫ぶが、従う者はほとんどいない。橋の前にいた兵はあらかた逃げるか斬られるかして黒髪の男の周囲は無人状態になっていた。


 「弓だ!弓兵、矢を放て!」


 部隊長の命令で弓を番えた兵士が前に出る。わらわらと逃げる味方の兵の間を縫うように狙いを付け、男に向かって矢を放つ。


 「ふん」


 逃げる味方のせいでまとまった隊列が組めなかったものの、何十本もの矢が雨のように降り注ぐ。だが男は不敵な笑いを浮かべると、手にした剣を目にも止まらぬ速さで振り回し、飛んでくる矢をことごとく切り落としていく。


 「薄いぜ。俺に当てたきゃ最低十倍は射ってこい」


 そううそぶいた次の瞬間、男の姿が掻き消えた、ように見えた。凄まじいスピードで駆け出したのだと気付いた時には数十名の兵が斬り払われていた。


 「ひいいっ!!」


 ラビンは恐怖で腰を抜かしへたり込んだ。が、それが却って幸いした。膝を付いた自分の頭の上を猛スピードで剣が通り過ぎ、目の前の兵の胴体が真っ二つになる。背筋が凍る思いだった。


 「た、退却っ!」


 男が間近まで迫り、部隊長が悲鳴のような命令を叫ぶ。だがその命令が発せられる前に、すでに王国軍兵は潰走状態だった。それが結果的に功を奏し、逃げる兵士が肉の壁となって男の進行を阻む形となった。部隊長は慌てて馬首を返し、リミステア城から離れていく。


 「ちっ!逃げ足が速え!」


 我先にと逃げ出していく兵士たちを睨みながら男が呟く。戦意を消失した相手をこれ以上追撃するのに興が削がれたか、男は剣を収めてふう、と息を吐いた。


 「ひいい」


 数多の同僚の死体に囲まれ、ラビンは涙と鼻水を流しながら這うように進んだ。男が追撃を止めてくれたため九死に一生を得た彼はそのまま一目散に駐屯地へと逃げ帰った。


 『もういいだろう。代わってくれ』


 心の中でもう一人の自分が言う。ある程度暴れられて満足したか、黒髪が濃茶色ブラウンになり、ミルディアは本来の人格に戻った。


 「さて、とりあえず城はこれで落ち着いたな」


 ミルディアは浮遊魔法で川を越えると城内に戻った。玄関ホールではアッシュが縄で縛られた騎士団兵を尋問していた。傍らには険しい顔をしたミレイが立っている。


 「ミルディア様」


 ミルディアに気付いたアッシュが駆け寄って来る。


 「裏切り者はこれだけ?」


 縛られた兵を見つめながらミルディアが言う。ざっと三十余名といったところか。


 「はい。これだけの内通者がいたとは。騎士団を預かる者として面目次第もございません」


 アッシュが頭を下げる。ミルディアはアッシュの肩に手を置き


 「気にしないで。どうやらかなり前から徐々に敵の息がかかったものが送り込まれていたようだ。実際、内通者はまだまだいるし」


 「え?」


 「ミレイ、ここにいる者の中で第三中隊の所属はどれくらい?」


 「14、いえ15名です。ジュラの言葉が本当であれば残りの十名あまりも敵側という事になります」


 「そういえばイアンは!?ゲリと一緒にこっちに向かっていたはずだよね?」


 ミルディアがはっとして叫ぶ。ミレイも顔色を変えて狼狽えた。


 「ヴェルモットさん!」


 ミルディアが辺りを見渡して叫ぶ。と、ヴェルモットは正面の大階段からゆっくり下りてくるところだった。


 「何だ、騒がしい」


 「すいません、すぐ探してほしい人が。アーテル、イアンとゲリは今どこにいる?」


 「……森のはずれを歩いていますね。大分疲労しているようです」


 ヴェルモットの肩の上でアーテルが答える。


 「歩いて?二人とも馬に乗っていたはずじゃ……」


 「よく状況が見えません。ということはおそらく……」


 「の手の者の襲撃を受けた、と考えるべきだろうな」


 ヴェルモットがアーテルを撫でながら言う。


 「でも無事なんだよね?」


 「はい。負傷はしていますが命に別状はないかと」


 「よかった。フレキは?自分の集落に戻ってる?」


 「待ってください。連続して視ると力を消耗しますので……。いけませんね。どうやら囚われているようです」


 「囚われてる!?誰に!?」


 「王国軍のようです。……連中、獣人族ワービーストの自治領を封鎖するように関所を作っているようですね」


 「何だって!?」


 「すぐ助けに行かないと!」


 ミレイが焦りながら叫ぶ。


 「まあ待て。フレキというのはお前と一緒に我のところに来た人狼の仲間か?」


 ヴェルモットがミレイを制すように言う。


 「ええ。負傷して自分の集落に戻ってもらったんですが」


 「アーテル、その人狼を捕らえた王国軍の思惑は分かるか?」


 ヴェルモットの言葉にアーテルはしばし沈黙し、


 「私には人の心までは読めません。ですがフレキという獣人を捕らえた指揮官の男はミルディア様を探しているようです」


 「僕を?」


 「フレキからお前とミレイが森で重傷を負っていると聞いたのだろう。なら目的はお前たちの死体探しだろうな」


 「勝手に殺さないでほしいですけどね」


 ヴェルモットの言葉にミルディアが苦笑する。


 「そうなるとフレキとかいう獣人を捕らえた理由も想像がつくな」


 「というと?」


 「自治領を封鎖したところを見ると、連中は獣人族ワービーストを支配下に置くつもりだろう。貴族殺しはその恰好の理由になると思わんか?領主の息子ならなおさらだ」


 「フレキに僕を殺した濡れ衣を着せるつもりですか!」


 「おそらくな。死体がなければ罪をでっちあげることが出来んから必死に探してるのではないか?」


 「ならその思惑を叩き潰してやりましょう」


 ミルディアが怒りに満ちた目で拳を握り締める。


 「落ち着け。我の想像が当たっていればお前の死体が見つからない限り奴らは獣人を殺さんだろう。それより先に市内の王国軍を無力化した方がいい」


 「そうですね。子爵邸の様子も気になりますし」


 ヴェルモットの言葉にアッシュが同意する。


 「ところでミルディア様、そろそろ状況の説明をしていただきたいのですが」


 アッシュがヴェルモットを見ながら言う。先ほどから彼女のことが気になっているようだ。ミルディアは自分の前世やこの世界の成り立ちの部分をぼかし、魔女を集めて世界の崩壊を止める使命を託されたことを告げた。


 「俄かには信じられないお話ですね。そのアドジャスターという人物はつまり神の代行人ということですか?」


 「まあそういう感じかな。その神はデウルでもネブロでもないけどね」


 「我も自分の身に起こった事実がなければ容易には信じられない話だがな。さて、次はどうする?やはり子爵邸の王国軍を追い払うか?」


 「そうですね。父上やフローゼの行方が気になります。王国軍の動きはと無関係ではないでしょうし、駐屯部隊のジュダー少佐を拘束して話を聞きたいところです」


 「ここの守備はいかがいたします?一時的には撃退出来ましたが、また侵攻してくる恐れは十分あるかと」


 ミレイの発言にアッシュが頷く。


 「内通者は拘束できたし、橋の門を固めれば簡単には突破されないだろう?アッシュとミレイはここで城を死守して。ヴェルモットさんは僕と子爵邸へ来てください。先ほどと同じように内通者を見極めて拘束してもらいます。王国軍は僕が撃退しますから、向こうの騎士団に後を任せて一気に王国軍の駐屯地へ乗り込み少佐を確保。これでどうです?」


 ミルディアの提案にミレイとアッシュは頷く。が、ヴェルモットは難しそうな顔で意見を述べる。


 「しかし少数精鋭と言えば聞こえはいいが、実際手数が少なすぎるな。子爵邸の兵を追い払うのはいいとしても、駐屯地に乗り込むのにお前だけというのはさすがに心許なかろう」


 「では子爵邸を取り戻した後、獣人族ワービーストの自治領を解放して彼らに助力を頼むというのはいかがでしょう?」


 ミレイの提案にミルディアが頷く。


 「うん、フレキのことも気になるしね。そうだ、アッシュ、森に何人か兵を出せない?イアンとゲリを保護したい」


 「分かりました。王国軍が退いている今なら大丈夫でしょう」


 「それじゃここを頼むよ。ヴェルモットさん、行きましょう」


 ミルディアはヴェルモットの手を取り、転移魔法を発動させる。瞬時に城内から子爵邸の前へ移動し、正門前にいた王国軍兵がいきなり現れた二人に驚愕する。


 「な、何だ!?」


 慌てて剣を抜く兵士にミルディアが攻撃魔法を放ち昏倒させる。ヴェルモットも素早く魔法を唱えて兵士を眠らせた。


 「流石ですねヴェルモットさん」


 「ふん、今のお前に言われると皮肉にしか聞こえんがな」


 周りにいた兵をあらかた片付け、二人は子爵邸に入る。中にいた王国軍兵や内通していた騎士団兵を倒して敵の数を減らしていく。


 「父上は、フォートクライン子爵はどうした!?」


 拘束した王国軍兵の一人にミルディアが詰問する。


 「バ、バーナード中尉が屋敷の外に連れ出した。そのあとは知らん」


 「フローゼは?ここにオブライエン侯爵の令嬢がいたはずだ」


 「それこそ知らん!」


 「ミルディア、こいつらに訊いても無駄だ。こいつらが知ってるならアーテルが知らんはずがあるまい」


 ヴェルモットがミルディアを諫める。ミルディアは唇を噛んで頷いた。


 「カーライルやここを守備していた騎士団がいたはずだ。アーテル、居場所は分かる?」


 「隠し部屋に潜んでおられるようです」


 「敵はあらかた制圧しました。後は彼らに任せて獣人族ワービーストの自治領に向かいましょう」


 ミルディアは隠し通路を通り、カーライルたちがいる隠し部屋へ向かう。ドアを開いた途端、喉元に剣が突き付けられた。


 「うおっと!」


 「ミ、ミルディア様!?」


 剣を構えたリカーが驚きの声を上げる。


 「申し訳ありません!追っ手かと」


 「はは、この状況じゃ無理ないよ」


 「ミルディア様、ご無事でしたか」


 カーライルがホッとした表情で頭を下げる。


 「カーライルも無事でよかった。モリアや他の使用人たちは?」


 「隠し通路で別棟の地下へ避難させました。外部の者があそこを見つけることは困難かと」


 「よかった。とりあえず皆無事なんだね?」


 「はあ。ですが……グランツ様が王国軍に連れ出されてしまいました」


 「知ってる。でも王国軍の元にはいないようだけど」


 「は?それはどういう……」


 「詳しい話は事態が落ち着いてからする。リカー、とりあえず屋敷の中にいる敵は無力化した。内通者も拘束しているから、守備態勢を整えてくれ。ここは任せる」


 「は、はっ!かしこまりました。あの、ミルディア様。そちらの女性は……」


 リカーがミルディアの後ろに立つヴェルモットを横目で見ながら尋ねる。


 「それも後で話すよ。とりあえず僕たちの味方だ。じゃあよろしくね」


 ミルディアはそう言って隠し通路に戻り、屋敷から外へ出る。


 「それじゃフレキを助け出して獣人族ワービーストの自治領を解放しましょう」


 「やれやれ、数十年ぶりに館を出たと思ったらこんなにこき使われるとはな」


 ヴェルモットが苦笑しながら言う。


 「すいません。非常事態ですので」


 「まあいい。久しぶりに生きている意味を感じていられるからな。とことん付き合ってやろう」


 ヴェルモットはそう言ってミルディアの差し出した手を取った。



                *



 「何だと!?」


 レグル少尉が目の前の男に向かって訝し気な目を向ける。帽子を被った小柄な男、自称リトルボーイだ。


 「ですから子爵の息子は生きていると言ったのですよ。これ以上捜索に兵を割いても時間の無駄ということです」


 「なぜ貴様がそんなことを知っている!?」


 「なぜと言われると説明が難しいのですが、事実死体は見つかっていないでしょう?おそらくここに攻め込んでくると思いますよ。獣人族ワービーストを解放するためにね」


 「攻めてくるだと?バカな。たかが貴族の息子一人に何ができる。リミステア騎士団は事実上崩壊状態だろう」


 「それがそうでもなさそうでしてね。それに今のミルディア殿は普通の人間ではありません。ここにいる兵士ではとても食い止められんでしょうな」


 リトルボーイが薄笑いを浮かべながら淡々と言う。


 「世迷い言を。貴様、何が目的だ!?}


 レグル少尉が苛たしそうにリトルボーイを睨む。その視線をひょうひょうとした様子で無視し、リトルボーイはさらに言葉を続ける。


 「信じなくとも結構ですが、その場合少佐の目論見は潰えることとなりますな。帝国側にも迷惑がかかると思いますが」


 少佐の名前を出され、少尉が口ごもる。いら立ちながらやむを得ないという口調でリトルボーイに尋ねる。


 「どうすればいい?何をしてほしいのだ?」


 「お分かりいただいて助かります。捕らえている獣人をお借りしたいのですよ。そうすれば必ず少尉のお力となりましょう」


 「子爵の息子が生きているならあれを捕らえている意味はない。分かった、好きにしろ」


 「感謝いたします」


 リトルボーイは一礼してレグル少尉の前から立ち去る。森の外れにある王国軍の仮兵舎に向かい、簡素な造りの監房に囚われているフレキの下に足を運んだリトルボーイは見張りの兵士を少佐の名前を出して追い払うと、中に入ってフレキを見下ろす。鎖につながれたフレキはぐったりとして意識を失っていた。元々の負傷に加え、ミルディアたちの居場所を聞き出すための拷問を受け、息も絶え絶えといった状態だった。


 「ふむ、意識がないようですね。都合がいい」


 リトルボーイは気を失ったフレキの顎を上げ、懐から取り出したカプセルを口に含ませると、傍らにあった木製のカップに入った水を流し込む。一瞬むせたようた反応を見せたフレキだが、リトルボーイが喉を刺激し、水と一緒にカプセルを飲み込ませた。


 「ぐうっ……」


 カプセルを飲んだフレキの体がひくりと動き、手足が痙攣したようにヒピクピクと動く。それを見てリトルボーイが怪しげな笑みを浮かべる。


 「ふふ。さて、の前に効果を試させてもらいますよ。せいぜい頑張って暴れてくださいね」


 リトルボーイはそう言うと鍵も閉めずにそのまま監房から出て行った。

 

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