第26話 沁みこむ毒

 「お顔の色が優れませんね、お姉さま」


 聖竜城の廊下ですれ違いざま、竜公女のアニメラはそう声を掛けられた。竜人族ドラグニュートの国、聖竜公国の聖都ヴァミンガムにそびえる聖竜城は昨今の先祖返りリヴァージョン現象に対応するため緊張した空気に包まれている。病床の父に代わって国政の指揮を執るアニメラにとっては多忙な日々が続いていた。


 「心配するなルメーラ。少し寝不足なだけだ」


 アニメラは無理に笑みを作って答える。そんなアニメラを心配そうに見つめる女性はルメーラ。アニメラの父ドグラマイザ三世の妹、ナタリムの娘、つまりアニメラの従妹いとこにあたる。露出度の高いアニメラの格好に対し、ルメーラは足元までを覆う、薄い生地の袖が羽のように広がった水色のワンピースを身に付けている。角も太さはあるが、アニメラに比べると短く、上を向いている。肌も褐色のアニメラに対し、雪のように白い。


 「ご無理はなさらないでくださいね」


 そう言って会釈し歩いていくルメーラを、アニメラの侍女パメラが苦々しい顔で睨む。幸いルメーラはその悪意に満ちた表情に気づかず去っていった。


 『汚らわしい半竜人ハーフドラゴンが』


 口には出さずパメラがルメーラを罵る。ルメーラは大公家の血を引くナタリムと人間の間に生まれた半竜人ハーフドラゴンである。竜人族ドラグニュート、とりわけ大公家やそれに近い人間でいうところの貴族階級の者は、人間を下等な種族として見下す傾向がある。竜公女に仕えるパメラもその感情が強く、竜人族ドラグニュートを束ねる立場の大公家の生まれでありながら人間と結ばれたナタリムやその子であるルメーラを嫌悪していた。

 

 『竜人族ドラグニュートの面汚しめ』


 常日頃からそう思っていたが、仮にも相手は大公の妹とその娘だ。侍女の立場で公に批判できる訳もない。さらにアニメラを病的なまでに慕うパメラにとって、アニメラを慕って聖竜城で仲睦まじく過ごすルメーラの態度や、そんなルメーラを本当の妹のように可愛がるアニメラの様子には我慢がならなかった。


 「ナタリム様のご息女とはいえ、人間の血が流れる者を聖竜城に留め置くのはいかがなものと」


 一度どうにも堪えきれずアニメラにそう進言したことがあったが、アニメラには一喝されてしまった。それ以来、パメラはより一層憎しみの感情をルメーラに向けるようになっていた。


 「ルメーラ……様のおっしゃる通りです、アニメラ様。少しお休みになられた方が」


 パメラが泣きそうな顔でアニメラに言う。ここ数日碌に休んでいないことを彼女は知っていた。


 「うむ、流石に根を詰めすぎたかな。ルメーラにあんな顔をされては堪らん。少しだけ横になるとしよう」


 自分ではなくルメーラの名前を出したアニメラに、パメラはショックを受ける。言いようのない憎悪の念が心の中で膨らむ。


 「何かあったら遠慮せず、すぐに起こせ」


 自分の寝室の前でパメラにそう命じ、アニメラがドアの向こうに消える。承諾の意を示し深々と頭を下げたパメラの顔は醜く歪んでいた。


 「くそっ!」


 廊下を鬼のような形相で歩き、パメラが吐き捨てる。あのような半竜人ハーフドラゴンの女がアニメラの寵愛を受けていることがどうにも我慢が出来ない。しかし相手は大公家の血を引く者だ。指一本触れることも出来ない。ましてアニメラの怒りを買ったらと思うと身震いがする。


 「何かお悩みのようですな」


 いきなり背後から声を掛けられ、パメラは驚いて振り向いた。ここは一本道の廊下だ。近くには部屋もない。今通った場所に誰もいるはずがない。


 「何者だ!?」


 手にしていた三叉の矛を向け、パメラが叫ぶ。その視線の先に一人の男がいた。帽子を被った小柄な男だ。


 「人間だと!?バカな!なぜこの聖竜城に人間がいる!?」

 

 パメラが顔を歪め、矛を男に突き出す。男はまるで動じず、笑みを浮かべたままその突きを躱す。いや、躱すというより真っすぐ後ろに体を引いたように見えた。だが足は動いていない。まるで立ったまま何かに後ろから引っ張られたようだった。


 「何だと!?」


 「そう興奮なさらずに。私は怪しいものではありません。こちらのロド殿の招きで参った者でございます」


 誰もいなかったはずの廊下にいきなり現れて怪しくないもないものだが、男は音付きはらった様子でそう言う。パメラは警戒したままゆっくり矛を下ろす。


 「ロド殿の招きだと?」


 ロドとは聖竜城に努める魔法医兼技術者で、先祖返りリヴァージョン現象の原因究明をアニメラに任されている男である。


 「貴国で先日来問題となっている先祖返りリヴァージョンについて有用な情報をお持ちしましたので」


 「何?なぜ人間があれのことを知っている?」


 「詳しくは申せませんが、あれはある人間たちの仕業なのです」


 「何だと!?」


 「奴らは『魔女』と呼ばれる魔導士を使い、この国に混乱をもたらそうとしているのです。私はその者たちを掃討するために行動している組織の一員でして」


 「俄かには信じられん話だ」


 「ごもっともです。が、危機は確実に迫っております。私はこの事態に対抗するため、対策をもって参じたわけでして」


 「対策だと?」


 いつの間にかパメラは目の前の小男の話に引き込まれていた。柔和な話し方につい耳を傾けてしまう、謎の魅力がこの男にはあった。


 「ところで先ほど険しい顔をなさっておいででしたが、もしかしてどなたかお気に障る方がおられるのでは?」


 「貴様には関係ないことだ」


 「ええ、ええ。それはそうなのですが、こうしてお近づきになれたのも何かの縁。私でよろしければ何かお力になりたいと思いまして」


 「人間ごときが出しゃばる問題ではない!」


 「ですが、先の先祖返りリヴァージョンについて、有効な対策を見つけることが出来ればアニメラ様もお喜びになりましょう?」


 「それが私のことと何の関係がある!?」


 「試していただきたい薬包がありまして。出来れば位の高い竜人族ドラゴニュートにご協力を願えればと思っていたのですが」


 男はそう言って懐から小さなカプセルのようなものを取り出す。


 「薬包?」


 「はい。これをあなた様のお方に処方していただければ、と。成功すればアニメラ様のお役に立てますし、うまくいかなくてもあなた様のご心痛が和らぐことになりましょう」


 「貴様!ル……あのお方に毒を飲ませろというのか!」


 「滅相もない。あくまで先祖返りリヴァージョンを抑えるための協力をお願いしているだけでございます。ロド殿の認可も取っております」


 薄ら笑いを浮かべる男の言葉に、パメラの心が乱される。普通に考えれば承諾などするはずもない話に、何故か逆らう気が起きない。さっきから頭もぼうっとしていて正常な思考が働かなくなってきていた。


 「これを……飲ませればよいのか?」


 「はい。それでアニメラ様のご心痛もあなた様のご心痛も無くなるのでございます」


 男が差し出すカプセルをパメラは手を伸ばして受け取った。そうだ、これでいい。あの汚らわしい半竜人ハーフドラゴンをアニメラ様の前から排除せねば。パメラはカプセルを握り締め、虚ろな笑みを浮かべた。



                *



 「良い様だな、キーナ」


 木製の格子の向こうに膝を抱えて座るキーナに神官服を着た少女が声を掛ける。キーナと見た目は同じくらいだ。青い目とキーナより薄い色の金髪の美少女である。もっともエルフ族なので年齢は人間で言えば高齢になるが。


 「シャルナか。さぞ気分がいいでしょうね。私をこんな所に閉じ込めて」


 キーナが僅かに視線を上げて呟く。薄汚れた貫頭衣を身に着け、足には足かせが嵌っている。頭の両サイドで束ねられていた金髪はほどけて乱れていた。


 「ああ。いい気分だとも。小さい頃から目障りだったお前を異端審問インクイジティオにかけられるのだからな」


 シャルナと呼ばれた少女は得意げな顔でキーナを見下ろす。


 「私は間違ったことはしていない。デウル様に背くようなことはね」


 「それは審判の場で明らかになるわ」


 シャリナはそう言い残し、キーナが捕らわれている独房の前を離れた。



 「キーナを釈放してください!」


 エルフ族の長老たちが集まる会議場でキーナの兄、オルフェが叫ぶ。その剣幕にラグネイを始めとした長老たちが渋面を作る。


 「聖真教会の連中が納得すまい。下手に釈放すれば暴動になりかねん」


 「キーナは連中を助けたのですよ!」


 「だがカマエル様に攻撃魔法を放って撃墜したのは事実。神官どもは発狂しそうなくらいに怒っておる」


 「『大天使の腕輪』を付けていたとはいえ、キーナの魔法で撃墜されるようなものが本物の十大天使のはずがないでしょう!」


 「口が過ぎるぞ、オルフェ。ここに聖真教会の者がおらんからよいものの」


 「それにその『大天使の腕輪』を持ち出したことも問題になっておる。勝手にあれを持ち出した罪は免れんぞ」


 「それは承知しています。ですがそれは聖真教会の異端審問インクイジティオとは無関係のはず」


 「それはそうだが……」


 「それにカマエル様から逃げることは『長老血判』で採決されたはず。それに反した聖真教会の信徒も罰せられて然るべきでしょう」


 「ふむ、それはそれとして糾弾し、キーナの罪はあくまで『大天使の腕輪』の無断の持ち出しによるものとして、こちらで預かるというのが落としどころだろうな」


 ラグネイが顎ひげを撫でながら言う。他の長老も同意を示し、オルフェは少しホッとした。


 「交渉には儂が赴こう。兄であるお主が行っては感情的になる恐れがあろう」


 「お願いします」


 ラグネイに頭を下げ、オルフェはキーナの身を案じて唇を噛んだ。



                  *



 「迎えが来るという話ではなかったのか?」


 騎兵を率いるロア大尉が顔をしかめる。前もって聞いていた通り内通していた王国軍兵があっさりと国境の関所を通し、王国内に踏み入った帝国軍は森を進み、村へとたどり着いていた。だがここで駐屯している兵が彼らを先導しリミステアの市内へ入るという手筈と聞いていたのに、誰も出てくる気配がない。


 「様子を見て来い」


 ロアに命じられた配下の騎兵が村を見て回る。しばらくして騎兵は怪訝な顔で帰ってきた。


 「大尉、妙です。あちこちに兵や村の者と思しき死体が転がっていますが、他には誰もいません」


 「生きている者がいない?リミステアの騎士団もか?」


 「はい」


 「どういうことだ?ここを破棄してリミステア市内に戻ったということか。それなら町の門もこちらの手のものが抑えているということになるが」


 「いかがいたします?市内の鎮圧が完了していなかった場合、門での戦闘になることも考えられますが」


 ロアは考えこんだ。予定ではここにいる騎士団兵がリミステアに入る門を開けさせ、一気に市内へ突入して内通している王国軍と共にリミステア城を陥落させるはずだった。だがここがもぬけの殻というのはどうにも気になる。何か手違いが起きたのか。なら安易に兵を進めるのは危うい。何せロアが率いてきたのは僅か騎兵200と歩兵500のみなのだ。敵の領地を攻めるにはあまりにも少ない。最初からまともな戦闘は想定していないのだ。


 「とりあえず森を抜け、リミステアの郊外に進軍する。それから市内の様子を確認することとする。誰かミザークに戻りこの状況をガザフ中佐に報告せよ」


 「はっ!」


 騎兵の一人が敬礼をして駆け出す。ロアは嫌な予感を感じながら、他の兵を率いて村を後にした。

 


 

 

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