第25話 逆鱗

 「これは……」


 ミレイが手に口を当て、思わず絶句する。ここは森の村の入口。ミルディアの転移魔法で「黄昏の廃城」近くからここにやってきたミルディア、ミレイ、ヴェルモットの三人の目の前には何体もの死体が転がっている。騎士団の制服を着た者が多い。


 「何てことを……」


 ミルディアが歯を食いしばり、拳を握り締める。


 「帝国に通じている騎士団の仕業だな。自分たちの仲間以外の兵を襲って皆殺しにしたか」


 「そのようです。帝国軍が王国内に入っても抵抗がないように。リミステアに侵攻する前の露払いですね」


 ヴェルモットの肩の上でアーテルが言う。


 「この人、兵士じゃありません!」


 ミレイが血まみれで倒れている男に近づき、叫ぶ。


 「村の者だな。……見覚えがある。我の元に食料を運んでいた男だ」


 ヴェルモットが男の顔を覗き込み、ため息を吐く。

 

 「ひどい。村人まで……」


 「情報がリミステアに漏れぬように皆殺しにしたか」


 「ここにいるのはもう裏切り者の騎士団のみ、ということですか」


 「どうだ?アーテル」


 ミルディアの質問にアーテルはしばし沈黙した後、


 「兵士以外にもまだ生きている人はいます。ですが……」


 口ごもるアーテルにミルディアは「そうか」と一言だけ発して村の中に足を踏み入れる。


 「ミルディア様!」


 「ごめん、ミレイ。少しここで待機しててくれ。ヴェルモットさんもいいですか?」


 「ああ。……やれるのか?」


 「ええ」


 ミルディアは淡々とそう答え、ゆっくりと歩を進める。


 『俺に代われよ、僕ちゃん。お前には荷が重いだろ?』


 心の中でもう一人の自分が声を掛ける。


 「いや、これはがやらなきゃいけない。僕の責任だ」


 ミルディアはそう言って唇を噛み、明かりの点いた家の前に立つと無造作に戸を開け放つ。


 「な、何だ!?」


 家の中にいた男二人がいきなり入ってきたミルディアを見て慌てる。二人とも下着姿だったが、近くに脱ぎ捨てられた騎士団の制服がある。


 「っ!」


 男たちから視線を動かしたミルディアが息を呑む。全裸の女性が二人うつ伏せに倒れていた。まだ十代とおぼしき少女と妙齢の女性。おそらく母娘だろう。母親の方は体のあちこちに切り傷があり、ぐったりとしている。娘の方は痣があり、体を丸めてすすり泣いていた。強姦された後であることは明らかだった。


 「何だ、お前は!」


 男の一人があたふたと立ち上がる。もう一人の方はミルディアの顔を見て、あっ、と声を上げた。


 「ミ、ミルディア様!?」


 驚いた顔でそう言う方の顔には見覚えがあった。マドックの死体を馬で運んだ駐屯兵だ。このビルが帽子を被った小柄な男からこの虐殺を指示されたことはミルディアは当然知る由もなかったが。


 「ご、ご無事だったのですか?}


 引きつった顔でビルがミルディアを見る。ミルディアは冷たい視線をビルに送り、


 「お前たちがやったんだな?」


 と呟いた。自分でも驚くくらい静かな口調だった。そして血の一片も流れていない冷たい言葉だった。


 「い、いえ、これは……」


 ビルが慌てて立ち上がる。その傍らでもう一人の男が床に投げ出してあった剣を取る。


 「今更取り繕う必要はねえよ。もう少佐は動き出したんだ。子爵の息子だろうと遠慮することは……」


 下卑た笑みを浮かべてミルディアに斬りかかろうとする男。ミルディアは心がすうっ、と冷えていくのを感じた。殺意というものが怒りや憎しみから生まれるものだとすれば、これはもはや殺意ですらないのかもしれない。


 「がっ!」


 男が剣を振り上げた途端、その動きがピタリと止まり、体が空中に浮かび上がる。何が起きたか分からぬまま宙づりになった男の顔が苦しみに歪む。見えない手で首を絞められているように息が出来なくなっていた。顔を青くした男の手から剣が落ちる。


 「ひいいっ!?」


 ビルがパニックになりながら剣を掴む。が、すぐにもう一人の男同様見えない手で持ち上げられたように空中に浮かび上がる。


 「く、苦し……」


 手足をバタバタさせながら苦しむビルともう一人の男に歩み寄り、ミルディアは抑揚のない声で呟くように言う。


 「もう一度訊く。お前たちがやったんだな?を。我がフォートクライン家に仕える騎士団のお前たちがやったんだな?」


 「た、助け……」


 ビルが必死に呻く。ミルディアの噛んだ唇から血が流れる。無意識のうちに魔法は発動した。


 「ぁが」


 ボキリとありえない方向に首が曲がり、二人は床に落ちた。ピクリとも動かない二人の体が一瞬で青い炎に包まれ、あっという間に骨も残さず炎と共に消滅する。


 「……」


 ミルディアは無言のまま母娘に歩み寄り、二人に治癒魔法をかけた。傷が癒えたことを確認するとその家を後にし、別の家へ向かう。


 「んぐぁ!」


 明かりの点いている家に乗り込んでは同じことを繰り返し、最後に駐屯兵の兵舎でそこにいた兵を皆殺しにすると、村には朝日が昇っていた。


 「ふう」


 村の広場に立ち、朝日を見上げながら息を吐く。何の感情もなかったはずなのに、ことが終わると涙が後から後から溢れ出てくる。体ではなく心がひどく疲れたように感じた。


 「ミルディア様……」


 背中にミレイの声が響く。


 「待機命令を破り申し訳ありません。お叱りはいかようにも。ですが、あの……大丈夫でいらっしゃいますか?」


 「こいつを責めるなミルディア。お前のことが心配でたまらないようだ」


 ヴェルモットの声も聞こえる。


 「大丈夫、怒ってないよ、ミレイ。でもごめん、今は……僕の顔を見ないでくれるかな」


 「はい」


 ミルディアは二人に背を向けたまましばらく立ち続けた。いつまで経ってもあふれる涙は止まってくれなかった。



 「ミレイにはいつもみっともないところを見られちゃうね」


 革鎧レザーアーマーを着けたミルディアがばつの悪そうな顔で言う。ひとしきり泣いて何とか落ち着いた後、兵舎で装備を整えることにしたのだ。


 「いえ、そのような」


 騎士団の制服に着替え、同じように革鎧レザーアーマーを着けたミレイが答える。二人とも腰には剣を佩いており、ミルディアが魔法をかけてその剣を強化していた。


 「準備は出来たか?」


 ヴェルモットが二人の元にやって来る。彼女は黒衣をまとったままだ。


 「はい」


 「とりあえずどういたしますか?ミルディア様」


 ミルディアはしばし考え、


 「とにかく城とうちの屋敷を攻めている王国軍をなんとかしたい。だけどこの村の人たちもこのままにしてはおけないよな。アーテル、帝国軍の動きは分かる?」


 「ミザークに駐屯している帝国軍は出陣の準備をしてます。今日のうちに王国内に侵攻してきそうですね」


 「兵を一人くらいは生かしておくべきだったな。この件に例のの手の者が関与しているなら、アーテルでも分からないことがあるだろう」


 ヴェルモットの言葉にミルディアは胸が痛む。冷静な判断がまるで出来ず、裏切った兵を皆殺しにしてしまったことに今更ながら後悔していた。


 「す、過ぎたことを悔やんでも仕方ありませんよ。とにかくこれからのことを考えましょう」


 ミレイが慌ててミルディアをかばう。気を取り直し、ミルディアが再び考え込む。


 「とにかく生き残った人たちをここに置いてはいけないな。ヴェルモットさん、一時的に『黄昏の廃城』に避難させていいですか?」


 「やむを得んな。ことが落ち着くまで館にかくまってやろう」


 ミルディアは生き残った村人、全員が若い女性だった、を集め転移魔法で黄昏の廃城に運んだ。迎えに来るまで館でじっとしているように言い含め、ヴェルモットとミレイを連れて今度はリミステア城に転移する。


 「アーテル、アッシュの居場所は?」


 「玄関ホールです。そこで指揮を執ってます」


 その言葉に頷き、直接城内へ転移する。いきなり目の前にミルディアたちが現れ、アッシュは仰天して椅子から立ち上がった。


 「ミ、ミルディア様!?それにミレイも!」


 「アッシュ、無事でよかった。状況はどうなってる?」


 「え、ええと、橋の門は何とか閉めて守りを固めています。ただ城内に王国軍を通じている者がおり、そいつらが橋の守備に就いている兵を後ろから攻撃することがあってその対応に苦慮しています。誰が裏切り者なのかはっきりしないので」


 「ヴェルモットさん、アーテルに誰が敵かを見極めさせて、片っ端から拘束してください。ミレイはその手伝いを」


 「いきなり人使いが荒いな。まあよかろう」


 「かしこまりました、ミルディア様」


 「あの、ミルディア様、これは一体?」


 状況が分からないアッシュがうろたえた様子でミルディアを見る。


 「説明は後でするよ。アッシュはそのまま騎士団を指揮して。アーテル、リミステアに駐屯してる王国軍は全て敵と考えていいのかな?」


 「……そうですね。私は人の心の中までは覗けませんので確かなことは言えませんが、行動を見る限りでは全員ジュダー少佐の命に従っているようです」


 「ジュダー少佐を捕縛もしくは殺害すれば、投降する可能性もあると思う?」


 「私に分かるのは現在の状況だけです。未来のことはお答えできません」


 「悪かった。それじゃヴェルモットさん、お願いします」


 「うむ」


 アーテルを肩に乗せたヴェルモットがホールから外へ出ていき、ミレイがそれを追っていく。ミルディアはその後で門を出ると、浮遊魔法を使って宙に浮き川を越える。眼下に橋の門を破ろうと押し寄せる王国軍の姿が見えた。


 『いい加減俺にもやらせろよ。十三武聖直伝の力、試してみたくてうずうずしてんだからよ』


 心の中でもう一人の自分が訴える。


 「しょうがないな。一発大きいのを放つから、その後で交代しよう。分かってると思うけど、やりすぎないでよ。後退させればいいんだから」


 『村で敵を皆殺しにした奴に言われたくねえな』

 

 「それを言わないでよ」


 軽く落ち込み、ミルディアはため息を吐く。だがすぐに気を取り直し、眼下の王国軍に向けて攻撃魔法を詠唱する。


 「焦熱爆球バーニング・ボム


 王国軍が密集している場所から少し離れたところに巨大な炎の球が着弾し、大爆発する。凄まじい勢いの炎と熱風が王国軍の兵たちに襲い掛かり、あっという間にパニックが起こった。


 「ぎゃあああっ!!」


 「熱い!熱いぃっ!!!」


 身を焦がす熱風から逃げるように王国軍の兵が橋から蜘蛛の子を散らすように逃げていく。ミルディアは橋の前に着陸すると、髪の色が変わって人格が交代する。


 「さて、始めるとするか」


 漆黒の髪を熱風になびかせ、ミルディアは強化した剣を抜いてにやりと笑った。



                 *


 

 「中佐、出陣の準備が整いました」


 帝国北端、ミザークの帝国軍駐屯地。下士官が敬礼をしてガザフ中佐に報告する。ガザフは頷き、指揮官室の椅子から立ち上がる。


 「お待ちを中佐。此度の出陣は戦闘もない形式的な物に過ぎません。中佐自らが赴かれる必要はないかと」


 傍らに立つ副官のロア大尉が進言する。


 「だがリミステアを接収するにあたって、協力してくれたジュダー少佐に礼を言わないわけにもいかんだろう。帝国軍人は礼儀知らずだと思われても困る」


 「私が親書を届ければ事足りるかと。中佐が王国軍の少佐ごときに礼を尽くすことはございません」

 

 ガザフは眉根を寄せて再び腰を下ろす。敵を調略して味方の損害を出さずに戦果を得るというのが最上だとは分かっている。だがガザフは今回のリミステア攻略には釈然としない思いを抱いていた。まず敵の方から自らの領地を明け渡そうと持ちかけるなど聞いたことがない。あのうさん臭い小男がおぜん立てしたことは分かっている。だがあの男は帝国軍人でもなければ、帝国の人間かどうかも定かではない。


 「あのような者がどうやって陛下に取り入ったのだ……」


 ガザフがぽつりと呟く。このミザークに駐屯し、指揮を任されてから一年余りが過ぎたある日、あの小男はいきなり戦略諜報室のリトラー特佐を伴って現れた。対面するなり王国の国境の町、リミステアの駐屯軍の指揮官を調略したとうそぶいた男は「陛下の知己」を名乗って、最後まで本名を明かさなかった。


 「リトルボーイとでもお呼びください」


 卑屈な笑みを浮かべてそういう小男にガザフは嫌悪感を抱いた。爺いのような顔をして何がリトルボーイだ。ボーイというなら隣のリトラーの方がまだ似合いだ。ガザフは戦略諜報室の人間も好きではなかった。小男同士で気が合ったというわけでもなかろうが、リトラーとリトルボーイは長年の友人のように親し気にしていた。


 「しばらくの間、少数の兵で王国との国境付近で小競り合いをしていただきたい。本格的に戦う必要はありません。こちらに気脈を通じている王国軍の兵がリミステアの騎士団を少しずつそちらの攻撃に見せかけて始末していきますので」


 リトルボーイが地図を示しながら作戦を説明する。


 「領主の直属の騎士団を始末すると?」


 「はい。騎士団の中にこちらの手の者を増やし、リミステアを内から崩すのです。町を破壊することなく手に入れられる。理想的な戦果といえるでしょう」


 「簡単に言ってくれる。そう上手くいけば苦労はない」


 「いきますとも。向こうのジュダー少佐はすでに準備をしておられます。多少時間はかかりますが、確実にあの町は落ちるでしょう」


 「ガザフ中佐、リミステアを接収することは皇帝陛下の厳命です。首尾よくあの町を手に入れれば、あなたの昇進は約束されたも同じですよ」


 リトラーがほくそ笑みながら言う。ガザフは渋面を作り、葉巻の煙を吐き出した。国土の拡張が帝国の国是であることは理解している。だが国境に接した町はリミステアだけではない。将来的に王都までの侵攻をすると考えてもリミステアはそれほど重要視する位置にはないと思えた。


 「そこまであの町にこだわるなら増援を寄こしてもらった方が早かろう。あの町にはせいぜい二千余りの兵しかおらん。数で押した方が手っ取り早い」


 「出来るだけ無傷で手に入れるのが重要なのです。リミステア城は堅固ですからね。王都から増援が来れば戦闘が長引くでしょう」


 なぜそこまであの町にこだわるのだ?ガザフはいいようのない違和感を覚え、二人の小男を睨む。だが皇帝の厳命と言われては逆らうわけにはいかない。結局数年をかけて猿芝居のような小競り合いを続け、リミステア兵の相当数を切り崩したあげく、ようやくリミステアを陥落させる日が来たのだ。


 「中佐?」


 葉巻を持ったまま考え込んでいたガザフにロアが声を掛ける。葉巻の灰が落ち、ガザフは頭を振って我に返る。


 「すまん。そうだな。では貴官に任す。ジュダー少佐にくれぐれもよろしく伝えてくれ」


 「はっ!」


 ロア大尉が敬礼し、指揮官室を後にする。ガザフは短くなった葉巻を灰皿に押し付け、苦々しい顔で窓の外を見つめた。


 


 

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る