第22話 動乱の予兆
「はあ……」
ミレイは温泉に浸かりながらため息を吐いた。ミルディアの転移魔法で「黄昏の廃城」へ来たミレイはヴェルモットの治癒魔法によって回復し、一晩泊めてもらうことになった。同じように治癒魔法をかけてもらったミルディアが目を覚まさず心配でたまらなかったが、ヴェルモットに諭され体を休めることにしたミレイは中庭に温泉があるという彼女の言葉を思い出し、疲れをとるため入浴していた。
「ミルディア様……」
自分の部下の大半に裏切られたという事実がミレイの心に重くのしかかる。ミルディアは慰めてくれたが、やはり自分の不甲斐なさに泣きたくなるほど腹が立つ。ミルディアを危険にさらしたのも己の未熟さゆえだと思うと、自分に対する怒りで身もだえしそうだ。
「いかん、のぼせてきたな」
頭がぼうっ、となり、ミレイは湯から立ち上がった。起きてしまったことを悔やんでも仕方ない。これからどうするかを考えなければ。頭を切り替え、用意してもらったタオルで体を拭いていると
「キキ……」
「どうしたのです?」
ミレイが問いかけると
「ミルディア、オキタ。ミルディア、オキタ」
と繰り返した。
「本当ですか!?」
ミレイは弾かれたように屋内へ戻り、ミルディアの寝ている部屋へ向かった。
「ミルディア様!」
ドアを勢いよく開けると、ベッドの上で体を起こしたミルディアの姿が見えた。思わず目に涙が溢れる。
「ああ、ミレイ、無事で……えぇっ!!?」
自分を見て目を見開くミルディアの胸にミレイは飛びこんでいった。泣きながら彼の体を強く抱きしめる。
「よかった。本当に」
「あ、ああ。お互い助かってよかった。ミ、ミレイ。気持ちは嬉しいんだけど少し離れてくれるかな」
戸惑うミルディアの言葉を聞いてミレイは我に返り、自分が裸のままだということに気付く。
「し、失礼しました!」
慌ててミルディアから離れ、自分の部屋へ向かうミレイ。ほっとして息を吐くミルディアにヴェルモットが厳しい目を向ける。
「話の腰が折られたが、きちんと説明してもらうぞミルディア。お前のその変貌について」
ヴェルモットの言葉にミルディアはドキリとする。ヴェルモットが六人の魔女の一人である以上、「管理室」での出来事を話さないわけにはいかない。どうやって話せばよいかとミルディアが悩んでいると
「先ほどは失礼しました」
着替えたミレイが戻ってくる。騎士団の制服ではなく、ヴェルモットに借りたであろう無地の白い貫頭衣を着ている。
「黒じゃない服もお持ちなんですね」
「ロレンソが用意したものだ。我は滅多に着ん」
「あの、どうしていつも黒い服を?」
「話せば長くなる。それより話を逸らそうとしているのが見え見えだぞ」
誤魔化しきれなかったか。まあどちらにせよしなければならない話だ。
「正直、とても信じてもらえないような話なんですが」
「お前がここに来た時から信じられんことばかりだがな」
「これはとびきりです。初めに言っておきますが僕は頭がおかしくなっているわけじゃありませんので」
「そこまで突拍子もない話なら面白そうだな」
「ヴェルモットさんにも関係のある話です。一笑に付さず聞いていただけますか?」
「よかろう」
「あの、ミルディア様。私も伺ってもよろしいですか?」
おずおずとミレイが尋ねる。ミルディアは悩んだ。正直ミレイには直接は関係ない話だ。だが世界を巻き込む大波乱に立ち向かうに当たって、事情を知る味方は多いにこしたことはない。
「うん、聞いてもらおうか。本当に信じられないような話だけど、僕は真面目だからね」
「はい、勿論です」
ミルディアは「管理室」に呼ばれてからのこととアドジャスターの話を二人に説明した。最後の魔女の力を覚醒させる方法については言葉を濁したが。案の定二人は険しい表情になり、しげしげとミルディアの顔を見た。
「確かにとびきりだな。あまりにも突拍子が無さ過ぎる。お前が狂ったと考えた方がよほど自然だ」
ヴェルモットが怪訝な顔で言う。ミレイも口には出さないが、とても信じられないといった顔をしている。
「まあそう思いますよね。自分でも未だに信じられないくらいです。でもこの本が嘘ではない証です」
ミルディアは六人の魔女の二つ名が書かれた本をヴェルモットに差し出した。中身を見たヴェルモットの顔がひくり、と歪む。
「確かにお前を着替えさせた時こんな本はなかったな。何が書いてあるのか分からんが」
いくらヴェルモットでも日本語は読めないだろう。自分の二つ名が書いてあると告げると興味深そうにその文字を指でなぞる。
「これだけじゃ、まだ弱いですかね。ちょっと試してみてもいいですか?」
「何をだ?」
ミルディアは直接は答えず、ベッドを降りて部屋を出た。ヴェルモットとミレイがその後に続く。
「これでいいか」
食堂に入ったミルディアはテーブルの上の大皿に盛ってあるリンゴを手に取った。怪訝そうに見つめるヴェルモットたちに向き合い、リンゴを握った手を前に差し出す。
「
ミルディアが唱えると、リンゴの周りに文字の書かれた小さな輪が二本現れ斜めに回転する。ミルディアが手を離すと、リンゴはその場に留まった。よく見るとほんのわずかに落ちていっているのが分かる。
「これは!」
ヴェルモットが目を見張る。ミレイは何が起きているのか分からず呆然としていた。
「リンゴの時間の流れを遅くしました。多分やろうと思えばもっと広い範囲に効果をもたらせるはずです」
「信じられんな。これは我も文献でしか見たことのない神話級魔法だ。しかも発動させるにはかなり複雑な魔法陣を構築する必要があるはず。それを無詠唱で使うなどありえん」
ヴェルモットが困惑した様子で言う。
「これだけじゃまだ信じてもらえないですかね。ちょっと外に出ましょう」
ミルディアはそう言って館の外に出た。門に向かって歩き、敷地を出ると中に向かって手を翳す。
「ヴェルモットさん、この『黄昏の廃城』は
「あ、ああ」
「
ミルディアが唱えると、光の球が手の先に現れそのまま前に飛んでいく。敷地の外から放たれたそれは何の抵抗もなく敷地内に入り、ヴェルモットたちの近くまで来て消えた。
「バカな。こんな初級魔法があっさりとこの館の結界を突破するとは」
ヴェルモットが驚きの表情を浮かべる。
「これで信じてもらえましたかね」
ヴェルモットの元に戻ったミルディアが苦笑しながら言う。
「信じざるを得んな。それで、お前は世界の崩壊を止めるために我を含む六人の魔女を探し出すという訳か」
「僕には荷が重すぎますがね。でもやらなければ世界が終わってしまうと言われては覚悟を決めるしかありません」
「ミルディア様、及ばずながら私もお力になりとうございます」
ミレイが跪いて言う。
「ありがとう。大変な戦いになると思うけど、助けてくれる?」
「勿論でございます」
「それで我がその魔女として、真の力を覚醒するにはどうすればよいのだ?」
「えっと、協力していただけるんですか?」
「正直もう我は世界がどうなろうと大して興味はないが、まだ我の知らぬことがあるのならそれを知りたいとは思う。長い間ここでくすぶっている間にすっかり無くしたと思っていた好奇心や探究心が頭をもたげたのでな。それを思い出させてくれたお前に礼をするくらいは構わんとも」
「ですがかなり大きな……世界を巻き込む戦いになると思います」
「ここで暮らすようになってからは争いも厄介ごともない毎日がありがたかったが、不思議なものだな。お前によって変化がもたらさせると、今度は新たな刺激を求めている自分に気付く。お前とならその世界を救うという突拍子もない話に乗ってもいいと思えるのだ」
ヴェルモットが少し遠い目をして微笑む。
「ありがとうございます。正直自分一人ではどうすればいいか全く分かりませんし」
「どちらにしろ六人の魔女の助けがなければ『
「確かにそうなんですが……」
「歯切れが悪いな。魔女の力の覚醒とやら、それほど困難なのか?」
「い、いえ、困難、ということはないのですが……」
顔を赤くして口ごもるミルディアを見て、ヴェルモットはにやりと笑う。
「はあん、そういうことか。随分な役得じゃないか」
「か、からかわないでください!こんなことどうやって説得すればいいか」
「え、ええと……どういうことですか?」
何も分からずにいるミレイが首をかしげる。
「ふふ、可愛い部下に教えてやったらどうだ?世界を救うための方法を」
からかうヴェルモットにミルディアはますます赤くなり、ため息を吐く。その様子を見てミレイもようやく気付いたようだ。
「え、え?それってまさか……」
ミレイの顔もみるみる赤くなる。そんな二人を見てヴェルモットはからからと笑った。
「笑いごとじゃないですよ!わ、分かってるんですか?ぼ、僕はあなたに……」
「分かってるさ。前も言ったろう?
「納得できるんですか?いくら世界を救うためとはいえ、その……」
「我は気にせん。お前になら抱かれても一向に構わんさ」
妖艶な笑みを浮かべ、ヴェルモットはミルディアの顔を覗きこむ。ミルディアは緊張し、ごくりと唾を飲み込んだ。
「どちらにせよ我の力を覚醒させるためにはしなければならんのだろう?我もこれ以上の力があるというのなら見てみたい。遠慮はいらんよ」
ミルディアの中で使命感と欲情、理性と罪悪感がごちゃ混ぜになって葛藤する。確かに世界を救うためにはヴェルモットの力の解放が必要だ。だからと言ってそれを口実に女性を抱くということが許されるのか?
「迷っている暇はないんじゃないか?こうしている間にもその敵とやらの手先は暗躍してるのだろう?」
「そ、そうだ!みんなの様子が気になる。町もどうなっているか確かめたいし、とりあえず転移魔法で戻ります」
「ミルディア様、私も!」
ミレイが敬礼をして叫ぶ。
「まあ待て。敵がすでに動き出しているなら我の力があった方がよかろう。町に戻るのは我の力を解放してからのほうがいいんじゃないか?」
「それはそうですが時間が」
「さっきお前が使った『
「確かに。でも本当にいいんですか?」
「構わんと言ってるだろう。そんな調子であと五人の魔女をどうやって口説くつもりだ」
「分かりました。ヴェルモットさん、僕、ちゃんと責任は取りますから」
「ガキが生意気を言うな。一度抱かれたくらいでごちゃごちゃ言うようなことはせん」
「自分なりのケジメです。他の魔女にことが終わった後で腹を切れと言われたら言う通りにするつもりです」
「重いな、お前は。もう少し役得だと思って喜べ」
「そんなことできませんよ」
「ミルディア様……」
ミレイが悲しげな顔でミルディアを見つめる。
「お前もそんな顔をするな。別に魔女以外の女を抱いちゃいかんというわけでもあるまい?」
「な、な、な、何を言ってるんです?ヴェルモットさん!」
「そ、そ、そうですよ。わ、私は別に焼きもちかそういうのじゃなくてですね」
真っ赤になって慌てる二人を見てヴェルモットがほう、と顔をほころばせる。
「何だ、お前ら。もう出来てるのか?」
「い、いえ、そういう訳では……」
慌てるミルディアに対し、ミレイはただ黙って俯く。
「とにかくこれは必要な儀式と思って深く考えるな。ほら、いくぞ」
ヴェルモットに手を引かれ、ミルディアは館の中に戻った。これからこの美しい魔女を抱くのだと思うと興奮と後ろめたさが混じりあった複雑な感情が心をかき乱す。ミレイは二人を見送り、自分を落ち着かせるため大きく息を吐いた。
*
「どこへ連れて行く気だ?」
子爵邸から連れ出され箱馬車に乗りこまされたグランツは隣で短剣を突きつけるバーナード中尉を睨んで尋ねる。後ろ手に拘束されているので逃げ出すことが出来なかった。
「とりあえずは我々の駐屯地へお越しいただきます。その後は少佐と向こうの方との話し合いで決まるでしょう」
「向こうの方?帝国の将校か。ミザークの何とか言う奴だな?」
「本当に賢明ですな、子爵殿。大きな戦闘をせずにあなたを拘束できたのは僥倖でした」
バーナードが笑いながら短剣を振る。グランツがリミステアを出るのを待って襲撃をする予定だったのは市内での王国軍と騎士団の戦闘で町を必要以上に破壊するのを避けたかったからだ。グランツが城で指揮を執っていればこの反乱計画もすんなりとはいかなかっただろう。
「いつの間にこれほど多くの騎士団を調略した?私やアッシュに気付かれずここまで背信者を作るとは信じられん」
「まあ少しずつこつこつと、ですよ。ここ数年で騎士団のメンツがかなり入れ替わっているのをご存じでしょう?」
「数年前から帝国軍との小競り合いがあって死傷者が出ているからな。……まさか!?」
「ええ。ミザークのガザフ中佐とはだいぶ前から話し合いを持っていましてね。こちらとの戦闘はシナリオに沿っているのです。王国軍の兵にはほぼ死傷者が出ないようにね。そして騎士団の方は……」
「帝国軍ではなく、後ろからお前たちに討たれたということか。その度に自分たちの息のかかった人間を騎士団に送り込んだな?」
「そういうことです。新しく入った騎士団兵は最初からあなたに忠誠など誓っていないのですよ」
グランツは顔を歪め、悔しさに身もだえした。これほど長期間に亘って陰謀が仕掛けられていたとは。その違和感に気付けなかった自分が口惜しかった。
「おっと!」
いきなり馬車が急停車し、バーナードはつんのめった。その隙をついて、グランツがバーナードの頭に思い切り頭突きを喰らわせる。
「ぐあっ!」
倒れこんだバーナードに体を横に倒したグランツが思い切り蹴りを入れる。馬車のドアを突き破り、バーナードが外に投げ出された。
「に、逃がすな!」
転がりながらバーナードが叫ぶ。だが馬車から降りたグランツに向かっていくものは誰もいない。バーナードは勿論、当のグランツも不審に思って前を見る。と、馬車の周囲を固めていたはずの王国軍兵の姿が一人も見当たらなかった。
「ど、どういうことだ?皆どこへ行った?」
バーナードが狼狽して叫ぶ。と。馬車の前に誰かが立っているのが見えた。帽子を被った小柄な男だ。
「な、何者だ!?……お、お前は!」
バーナードが驚いたように目を見開く。小柄な男は薄い笑いを浮かべ
「ごきげんよう、バーナード中尉。私を覚えておいでですかな?」
「どういうつもりだ!?部下たちをどこへやった!?」
「邪魔なので消えていただきました。無論あなたにもそうしていただきます」
「何だと!?私は少佐の命で……」
「ええ。ですから困っているのですよ。少佐は少々ことを急ぎすぎましたのでね。計画の見直しに苦労しているのです。せめてそこのグランツ子爵だけはこちらで確保させていただきます」
「少佐を裏切るつもりか!?」
「裏切るとは人聞きの悪い。そもそも今回の件を少佐に持ち込んだのは私ですからね。裏切られたのはむしろ私の方です」
「……貴様只者ではないな」
馬車を降りたところでじっと男を睨んでいたグランツが呟く。
「初めまして、フォートクライン卿。一目で私の力に気付くとはさすがですね。少佐などは未だに分かってらっしゃらないというのに」
「何が目的だ?なぜこのリミステアを混乱させる?」
「大いなる目的のためです。そのためにはあなたの存在は大きな抑止力になる。そう、ミルディア君に対してのね」
「ミルディアだと?」
「そういうわけで一緒に来ていただきますよ。手荒な真似はいたしませんのでご安心を」
「訳が分からんが、ミルディアの行く手の妨げになるのならばおとなしく言う事を聞くわけにはいかん!」
グランツはそう言って全力で駆け出す。息子のためなら逃げるという恥さらしな真似も厭うことは無かった。
「ご立派です。ですが逃がすわけにはいきません」
男がそう言ってパチンと指を鳴らす。するろグランツの足元に巨大な魔法陣が浮かび上がり、グランツはその中へ吸い込まれるようにして地面に消えて行った。
『これでよし。ヴァイスハイトは嫌がるでしょうが背に腹は代えられませんのでね』
心の中で呟き、男はバーナードを見やる。バーナードは「ひっ!」と声を上げ、よろめきながら逃げ出した。グランツとは違い、誇りも何もないみっともない逃走だ。
「やれやれ、人間というのは本当にいろんな奴がいるものですね」
苦笑した男が人差し指を伸ばす。と、そこから放たれた光線が逃げるバーナードの胸を貫き、その体が炎に包まれる。断末魔の叫びを残し、バーナードは骨も残さずこの世から消滅した。
「いよいよ始まりですね。忙しくなりそうです」
男は帽子を目深にかぶり直し、夜空を見上げて呟いた。
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