第21話 絡みつく闇

 目を覚ますと見覚えのある天井があった。


 自分の部屋ではない。はて、どこの天井だったかとぼんやりした頭で考える。意識がはっきりしてくるにつれ、「管理室」での出来事を思い出しミルディアははっとして起き上がった。自分の体を見ると見覚えのない白いシャツを着ている。ベッドに寝かされていたようだ。


 「ここは!」


 ようやく記憶が戻りミルディアは周囲を見渡した。そうだ。ここは先日泊まった「黄昏の廃城」の部屋だ。ということは……


 「転移は上手くいったんだな。でもあれ……夢じゃないんだろうな」


 あまりにも荒唐無稽な経験をしたので今でも夢だったのではないかと思うところもある。だが体を起こして手元を見たミルディアはあれがまぎれもない本当の体験であったことを信じざる負えなくなる。そこにアドジャスターに渡された魔女の二つ名を記した本があったからだ。


 「ふう、それにしても皆大丈夫だったかな」


 「管理室」に呼ばれる前のことを思い出し、ミルディアは自分の体をあちこち確かめる。深々と刺さっていた矢傷はきれいに無くなっている。期待通りヴェルモットが治癒魔法をかけてくれたようだ。この分ならミレイも大丈夫だろう。安心しミルディアは安堵のため息を吐いた。


 「しかしな……」


 アドジャスターが言っていた六人の魔女。あの本に書かれていた「黒衣の魔女」がヴェルモットであることはほぼ間違いがないだろう。すでに出会っているという赤文字で書かれているのが証拠だ。だがそれはつまりヴェルモットの魔女としての能力を覚醒させるために、彼女に性交を迫るということになる。


 「命の恩人にどの面下げてやらせてくれなんて言えばいいんだよ」


 やはりこの世界のルールはクソゲーだ。ミルディアは今度は懊悩のため息を吐く。本当に出来るものならゲームマスターを問い詰めたいところだ。そもそもその前にこんな話をどうやって信じてもらうかの方が難しそうだが。


 「お、起きたか」


 「うわあああああっ!!」


 いきなり声を掛けられ、ミルディアは思わず絶叫した。振り向くとヴェルモットが部屋の入口に立っている。


 「何だいきなり?傷はふさがってるはずだぞ」


 怪訝な顔でヴェルモットが近づいてくる。ミルディアは胸の鼓動を抑えながら平静を装って礼を言う。


 「あ、ありがとうございます。ここに転移出来たんですね、僕。よかったです。あの、ミレイは?」


 「そっちも治してやったよ。おい、あの女にミルディアが起きたと伝えてこい」


 ヴェルモットが言うと、傍を飛んでいた邪妖精ダークフェアリーがキキ、と声を上げ、パタパタと部屋を出ていく。


 「伝えてこいって、邪妖精ダークフェアリーってしゃべれるんですか?」


 「片言ならな。こっちの言葉を理解してるんだ。そこまで知能が低いわけじゃない」


 ヴェルモットが淡々と言い、ベッドのそばの椅子に腰かける。改めて見ても美しい。少し冷たい印象を受けるもののその美貌は思わず見とれてしまうほどだし、黒衣から覗くきめ細かい白い肌もまさにシルクのようだ。


 「どうした?人をじっと見つめて。……お前、雰囲気が変わったな。いや、雰囲気というより全てが変わった感じがする。魔力も明らかに増大しているし、体つきまで違う。寝ている間になぜこんなに筋肉が付いている?一体何があった?」


 じっとミルディアを見ながらヴェルモットが詰問する。一目で見抜くとは流石だ、とミルディアは感心した。さて、どうやって話を切り出そうかと思っていると、


 「ミルディア様!!」


 部屋の外から叫び声が聞こえ、慌てた様子でミレイが飛び込んでくる。


 「ああ、ミレイ、無事で……えぇっ!!?」


 ミレイに顔を向けたミルディアは思わず絶叫した。飛び込んできたミレイは一糸まとわぬ姿だった。


 

                 *



 「くそっ!やっぱり追ってきやがったか」


 夜の街道を走りながら侯爵家の騎士が後ろを振り向いて叫ぶ。リミステアの門を抜け町の外に出たフローゼたちだったが、しばらく走った頃、背後から王国軍の追手が迫ってきたのだ。フローゼの乗った箱馬車を囲むように並走する四人の騎士が合図をし、後ろに続くリミステア騎士のクランと共に速度を落とす。


 「マーク、お前はこのままフローゼ様の護衛を。俺たちで奴らを足止めする」


 侯爵家の騎士が叫び、マークと呼ばれた騎士が頷いて再加速する。箱馬車の前に出たマークを見送りながら残りの騎士たちが追手に向けて馬首を巡らす。


 「すまない、クラン殿。付き合わせてしまって」


 「何を。元はと言えば我らの仲間がしでかした不始末。詫びるのはこちらです」


 侯爵家の騎士たちとクランは剣を抜き、追っ手に相対した。敵の数は十騎余り。彼我戦力差は三倍といったところだ。


 「ふん、オブライエン侯爵家の騎士の力、舐めるなよ」


 自らを奮い立たせるようにそう言い、騎士たちは追手に向かって馬を走らせた。



 「皆、大丈夫でしょうか」


 揺れる箱馬車の中でフローゼが祈るように呟く。マーク以外の騎士が追手を引き留めるため残ったことを彼女は理解していた。その細い肩を抱くようにして執事のゼラスが安心させるように言葉をかける。


 「心配はいりません、お嬢様。我が侯爵家直属の騎士はたとえ王国軍の騎士であろうと引けを取るものではありません」

 

 そう言うゼラス自身、おそらく敵の数が味方を大きく上回っているであろうことは理解していた。こんなことなら護衛の数をもっと増やしておくべきだった。気心の知れたフォートクライン子爵家へ行くので油断があったのは否めない。しかしこのような謀反が起こるなど到底想像は出来なかった。


 「きゃあっ!」


 突然馬車が止まり、フローゼは座席から投げ出されそうになって悲鳴を上げた。自らの体でフローゼを包み衝撃を和らげたゼラスが顔をしかめながらドアに手をかけ、外の様子を伺う。


 「どうした?何故止まる!?」


 ドアを開けて問いかけるが、御者も馬を止めているマークも答えがない。不審に思ったゼラスが馬車を降りて目を凝らすと、「ひっ!」と叫び声を上げた。


 「お嬢様!お逃げ下さい!」


 ゼラスがとっさに叫ぶ。御者もマークも、さらに彼が騎乗している馬や馬車を引いている馬までが首から上が無くなっていた。馬車が止まるのとほぼ同時に切断されたのだ。


 異変を察知したフローゼが馬車から飛び出す。次の瞬間、箱馬車の荷台がぐしゃっと真上から潰された。フローゼが悲鳴を上げる。


 「お嬢様!」


 ゼラスが慌ててフローゼに駆け寄る。飛び散った破片が当たり多少の出血はしていたが、大事には至っていないようだ。


 「失礼。加減が難しくてね」 


 夜の闇の中から声が響く。恐怖に震えながら声のした方を見ると、馬車の前に月明りを受けて何者かが立っていた。


 「何者です!?」


 フローゼが恐怖を振り払い気丈に叫ぶ。そのフローゼを守るためゼラスが前に立ちはだかって手を広げた。


 「フローゼ・オブライエン侯爵令嬢でいらっしゃいますね?初めてお目にかかります」


 澄んだ男の声が響く。ゆっくりと近づいてきたその姿を見て、フローゼが息を呑む。ゼラスも目を見張り、思わずたじろいでしまう。


 「まさか……魔族!?」


 近づいてきたのは若い男だった。だがその耳はエルフ族のように長く、目は血のように赤く光っている。皮膚の色は青く、爪は獣人族ワービーストのように鋭く伸びていた。頭には竜人族ドラグニュートのように角が生え、さらに背中には黒い翼があった。


 「いかにも。しかしこの短時間でリミステアを脱出するとは見事ですね。フォートクライン子爵はよい部下をお持ちのようだ」


 薄笑いを浮かべて魔族の男がさらに近づく。


 「バカな。何故こんなところに魔族が」


 ゼラスが冷や汗を流しながら呻く。自分はどうなっても構わないが、何としてもフローゼは助けなければ。しかし目の前の男は魔族だ。しかもかなり上級の。どうすればいい?緊張と恐怖で上手く頭が働かない。


 「ですが今お父上の元に戻られるのは少々困るのです。リミステアの異変を王都に知られてはこちらの計画が狂いますので」


 「私を殺すのですか?」


 フローゼが魔族をまっすぐ睨みながら問う。正直腰が抜けそうなほど恐ろしいが、下手に逃げようとしても危険なだけだ。魔族は最下級の魔獣から最上級の純魔族まで存在するが、上級になればなるほど人間に近い姿を取る。魔法や魔族に詳しくないフローゼでも目の前の男が最上級の純魔族であることはひしひしと感じられた。


 「いえいえ。ここであなたを殺してしまっては私が困るのですよ。個人的にね」


 「どういう意味です?」


 「幼馴染であるあなたを殺したと知ればミルディアは我を忘れて私を殺しに来るでしょう?頭に血が昇った相手を殺しても面白くないですからね」


 「ミディ!?ミディを知っているのですか!?」


 「ええ。よく知っていますよ。。ですが町を逃げ出せたのはあなたにとっても幸運でしたね。帝国の人間は品性に欠ける者が多いと聞きますし、私の手に落ちた方がよほどマシというものです」


 魔族がくすくすと笑いながら言う。


 「帝国?やはり騎士団の裏切りには帝国が関与しているのですか?」


 「まあそうですね。そっちは私とは関係ないんですが、この状況を利用させてもらうことにします」


 「私たちをどうするつもりです?」


 「少しの間監禁させていただきます。その後は状況次第ですね。まあ、来ていただくのはあなた一人で構わないんですが」


 そう言って魔族はゼラスに向けて手を伸ばす。


 「いけません!爺やに手を出すなら私もここで死にます!」


 フローゼがゼラスの前に出て手を広げる。


 「気丈な方だ。流石は侯爵令嬢。いいでしょう。ゲストが一人増えたところで困りはしません」


 「あなたお名前は?」


 「これは失礼。まだ名乗っておりませんでしたね。私は六魔星の一人、ヴァイスハイト。ヴァイスとお呼びください。以後お見知りおきを」


 ヴァイスハイトと名乗った魔族が丁寧に頭を下げる。


 「ヴァイス、あなたがミディとどういう関係が知りませんが、彼に手を出したら私が許しません」


 「ふふ、とは言っても彼と私は戦う運命にあるのですよ。ご安心を。あなたを人質にして一方的に蹂躙するような真似は致しませんから」


 不敵に笑うヴァイスをフローゼは睨みつける。悔しいが自分にこの男を倒すことも止めることも出来はしない。


 「では私の別荘へご案内しましょう。侯爵邸よりは手狭かと思いますが、ご容赦を」


 ヴァイスが手を掲げる。と、フローゼとゼラスを包むように地面から黒い布のようなものが現れ、二人を覆い尽くす。


 「ミディ!」


 ミルディアのことを思い、フローゼが声を上げる。そんな彼女と執事を包んだ黒い影が収縮し、二人の姿がその中に消える。


 「ふ、さて。お膳立てが揃うまではゆっくりさせてもらうか。どう動くか楽しみにしてるよ、


 ヴァイスは楽しそうに笑うと、自らも黒い影に包まれてその場から姿を消した。



                  *


 「王国軍がこちらに向かっています!」


 部下の報告にアッシュは渋面を作る。リミステア城内は王国軍と通じてアッシュたちを裏切った騎士とそうでない騎士が争いを始め、橋の入口の門を閉める際には抵抗する内通者側の騎士との攻防で双方に負傷者が出ていた。


 「ここまで王国軍と繋がってる奴が多いとは。団長としてグランツ様に合わす顔がない」


 中庭に騎士団を集めた際、三割近くの兵が招集に応じなかった。森の村に駐屯している者を除いても、これは異常な事態だ。さらに橋の門を閉めようとした際に兵が味方に斬りつけ、妨害しようとした。この時点でアッシュは一定数の部下が寝返ったことを確信した。


 「しかしなぜ王国軍が我々を?王都からの命令でしょうか?」


 部下の問いにアッシュは首を振る。


 「いや、王家が子爵様を糾弾したければ堂々と使者を送ればいい。こちらに裏切ったものとそうでないものがいる点を考えても、裏にいるのはおそらく……」


 「まさか帝国!?リミステアの駐屯部隊が丸ごと帝国に調略されたんですか?」


 「丸ごとというより責任者のジュダー少佐が取り込まれたんだろうな。あの男は財貨に貪欲で、変にプライドが高い。辺境のこのリミステアに派遣されたことを面白く思っていないようだと聞いたことがある」


 「帝国に寝返ってそれなりの見返りと地位を得ようってことですか」


 「おそらくはな。副長のバーナード中尉を始めとした配下がそれを諫めないというのも問題だがな」


 状況からみてリミステアの駐屯部隊はほぼ完全にジュダー少佐の意に沿って動いているようだ。思ったより王国軍の士気と忠誠心は高くないのかもしれない。部下に裏切られた自分に言えた義理ではないが。


 「城内に王国軍を入れたら終わりだ。身内の恥は俺たちの手で取り除く。裏切り者は全て拘束、もしくは斬れ」


 「はっ!」


 とはいえ寝返った者の数がどれくらいか全く把握できないのが厄介だ。誰を信じて誰を疑えばいいのか分からない状況では統率の取れた動きがしづらい。今アッシュは城の玄関ホールに陣取っている。誰が敵か味方か判別できない状況では狭い詰所の中にいるのは危険だと判断し、信頼のおける部下と共にここで指揮を執ることにしたのだ。


 「子爵邸の様子が気になるが、この状態では確認に行くことも出来ん。あちらにも王国軍が攻め入っている可能性が高いというのに」


 苛立ちながらアッシュが口を噛む。グランツの安否が気がかりだ。それにミルディアとミレイの行方も分かっていないという。


 「村の駐屯兵から連絡はないのだな?」


 「は、もう昏くなっておりますし、この状況ではこちらから伝令を出すことも出来ません」


 「とにかくここを死守だ。正面の橋を突破されなければこの城は落ちん」


 しかし、とアッシュは心の中で呟く。王国軍が丸ごと敵に回っているとすると状況は絶望的だ。町の出入り口はおそらく王国軍が固めているだろう。この変事が王都に伝わるのはかなり時間がかかると見た方がいい。こちらの援軍は期待できないということだ。兵糧が尽きるまで籠城したとしても持ちこたえられるかは分からない。それにグランツがすでに捕縛されていた場合、彼を人質にして開城を迫ってくることも十分考えられる。グランツ自身がそれを望まなくても王国軍が町に火を放ち、市民を人質にすれば要求を呑まざる負えなくなるだろう。


 「八方塞、か」


 部下に聞こえぬよう小さな声でアッシュはそう呟き、拳を強く握りしめた。

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