第19話 狂信者たち

 「竜王炎舞ドラグ・フレイム!」


 ミルディアの詠唱と共に巨大な炎が渦を巻いて放たれる。無限に広がっているのではないかと思える何もない空間に飛び出した炎が虚空に消える。もし炎が向かった先に何かがあれば灰も残さず燃え尽きていただろう。それほどの凄まじい威力だった。


 「上出来、上出来。魔法の方はもう問題ないようだね。ブロイア大陸に戻っても、もう君以上の魔導士はまず存在しないと思うよ。ま、に能力を与えらえた奴は別だがね」


 アドジャスターがパチパチと手を叩きながら言う。ここはあの「管理室」からさらに位相をずらした異空間。管理室にある本を長い時間をかけて読み込み、覚えた魔法を実践するためにアドジャスターが用意した場所だ。


 「自分がこんなことが出来るようになるなんて今でも信じられないですがね。本当に元の世界に戻った時、時間が経ってないんでしょうね?」


 はあはあと荒い息を吐きながらミルディアが尋ねる。膨大な本を読み、覚えた魔法を実践するだけで体感時間で数年がかかった。それでも本棚の本の全てではなく、魔法の習得に必要なものや世界のルールのようなものが書かれたものだけだ。だが不思議なことに「管理室」にいると腹も減らないし、眠くもならない。髪が伸びるなどの外見の変化も見られない。それでも凄まじい量の情報を頭に入れるのはとてつもなく大変な作業だった。


 「心配ないよ。来た時から全く時が変わらないとは言わないが、せいぜい数時間程度のズレさ。さて、それじゃ次は剣技と格闘術といこうか」

 

 「これ以上覚えるんですか……」


 うんざりした気持ちでミルディアは呟いた。腹が減ったり眠くなったりはしないが、疲れないというわけではないのだ。


 「言ったろう?魔法が効かない相手もいるかもしれないって。それに剣や格闘でしか納得させられない種族もいるしね」


 「納得?どういう意味です?」


 「後で分かるよ」


 「でもそういうのって魔法と違って本を読んだだけじゃ身に付かないんじゃ……」


 「だからコーチを用意してある」


 「コーチ?」


 ミルディアが首をかしげると、アドジャスターは笑って指をパチン、と鳴らす。するとミルディアの前に一人の男が突然姿を現した。銀色の鎧に身を包んだ偉丈夫だ。だがどこか様子がおかしい。体が透けているように見える。


 「あれ?この人どこかで……」


 ミルディアは目の前の男を見つめて呟いた。男は黙ったまま微動だにせず立ち尽くしている。その姿にどこか見覚えがあった。


 「見たことがあるだろう?『十三武聖』の一人、剣聖カルルマンさ」


 「ああっ!」


 ミルディアは思わず叫んだ。確かにカルルマンだ。王都に留学していた時、広場に銅像が立っているのを見たことがある。


 「これはカルルマンの生前のデータを忠実に復元したアバターさ。元エンジニアの面目躍如って奴だ。他の『十三武聖』のデータも取ってある。君は彼らから直接教えを乞うわけだ。最高の師匠だろう?」


 確かに伝説と言われる英雄たちから教えを受けるというのは凄いことだ。しかし自分がそれを習得することが出来るだろうか。ミルディアが不安に思っていると


 『俺に代わりな』


 心の中で声が聞こえた。自分の前世、榊 純矢の声だ。


 「しかし……」


 『心配すんな。もう見境なく暴れたりはしねえよ。お前の言うとおりだ。俺はこの世界に転生して前の人生で知らなかった他人からの愛情ってもんを受けて戸惑っていた。だが今の人生を壊したくないっていう気持ちは同じだ。敵がいるってんなら叩きのめしてやる』


 「くれぐれもやりすぎないでよ。僕の言うこと聞ける?」


 『まあ努力はしてやるよ。どっちにしろ格闘なら俺の方が得意だ。より強い方が覚えた方がいいだろ。魔法はお前、剣と格闘は俺。分担していこうじゃないか』


 多少の不安はあったが、ミルディアは了承した。すると髪の色が漆黒に変わり、もう一人のミルディアが表に現れる。


 「さあ、授業開始と行こうか。伝説の剣聖様よ」


 にやりと笑い、ミルディアは拳をパキパキと鳴らした。



               *



 「お兄ちゃん!あれ!」


 オルフェに付いて馬を走らすキーナが前方を指さす。見ると白い祭礼服を着た男を先頭に、数十名のエルフ族の男女が列をなして歩いている。


 「聖真教会!まずい」


 先頭の男は神官だろう。オルフェは舌打ちをして馬を行列の方へ向ける。キーナも慌てて後へ続いた。


 「危険です!逃げてください」


 先頭の神官の男の元に馬を付けオルフェが叫ぶ。男は何かを一心不乱に唱えていたが、オルフェが声を掛けると、じろりと彼を睨む。


 「自警団のオルフェか。何を言っておるのだ。見よ、ついに我らの前に十大天使様が顕現されたのだ。このように喜ばしいことがあろうか」


 神官は空を見上げ、カマエルをうっとりとした表情で見つめる。


 「そのカマエル様の『聖なる光』で二つの村が消滅したのです!近づいては危険なんです!」


 「何を世迷言を!異端審問インクイジティオにかけられたいのか!」


 「本当です!先ほどの光を見なかったのですか?」


 「『聖なる光』は見たとも。あれこそ我らエルフ族にとっての福音である」


 「村が消えたんです!ユノの村では生存者はごく僅かしか確認されませんでした。おそらくメリスの村も」


 「万一それが事実だとしてもそれがカマエル様のご意志なら我らはそれを受け入れるのみ」


 オルフェは頭を抱えた。話にならない。本物かどうかも分からない天使の攻撃で無駄に命を捨てるなど正気の沙汰ではない。狂信というものの恐ろしさをオルフェは改めて思い知った。


 「皆さん、ここで命を捨てるなどデウル様は決してお許しにはなりません。逃げてください。あれは福音などではない!」


 神官を説得するのを諦め、オルフェは後ろに付き従う者たちに声を掛ける。


 「何をぬかす!この背信者め」


 「天使様の福音を否定するなど万死に値する!」


 信徒たちが口々に叫び、オルフェを非難する。完全に神官に感化されている。どうすればいい?オルフェが悩んでいると


 「何で分かんないのよ!お兄ちゃんはあんたたちを助けたいって言ってんのよ!福音どころか危害を与えてる天使とずっと私たちを守るために働いてきた自警団のお兄ちゃんとどっちを信じるの!?」


 オルフェの後ろでキーナが叫ぶ。その目にはうっすら涙が溜まっていた。


 「天使様を愚弄するか!小娘!」


 神官が怒り、キーナに詰め寄る。


 「何が天使様よ!あれを見なさいよ!何も言わずただ村を消しただけの化け物じゃないの!」


 「貴様、もはや許せぬ!」


 「よせ、キーナ!とにかくここは逃げてください。異端審問インクイジティオでもなんでも後でいくらでも受けてあげます。ここは命を守ることを第一に考えてください」


 オルフェがキーナを制し、必死に説得する。だが神官も信徒も聞く耳を持たず歩き続けた。


 「くそっ!この分からず屋ども!」


 オルフェが叫んだそのその時、


 「おーい!オルフェ!」


 遠くから自分を呼ぶ声がしてオルフェは振り向いた。見るとモリスを先頭に自警団のエルフが十人余り馬に乗って向かってくる。


 「全員逃げろ!これは長老たちの命だ。長老血判が発布された!」


 モリスが長老血判の紙を振りながら叫ぶ。


 「長老血判!ありがたい。皆さん、聞いての通りです。避難はお願いではなく命令です。長老血判に逆らうことが何を意味するかはお判りでしょう!?」


 オルフェが信徒たちに声を掛ける。だが彼らは無言のままじっと神官の方を見つめた。


 「長老血判が何ほどのものか。天使様のご威光を疑い逃げるくらいなら血判に逆らう方がましというもの。それに『聖なる光』によって浄化されれば死後我らはデウル様の御許みもとに召される。ここで血判に従う理由などどこにもないわ」


 神官の言葉にオルフェは目の前が真っ暗になった。この者たちはすでに死を覚悟している。カマエルの「聖なる光」で消滅することを歓びだと考えているのだ。


 「どうする?こいつら聞く耳もたんぞ」


 オルフェのところまでやってきたモリスが困惑した顔で言う。と、空を見たキーナが悲鳴のような声を上げる。


 「カマエルが!」


 見上げると、静止していたカマエルがこちらに向かって動き始めていた。さらに光輪が輝きを増している。


 「いかん!早く逃げるんだ!」


 オルフェが叫ぶ。だが神官たちは真っすぐカマエルの方へ進み続ける。


 「くそっ!仕方ない、俺たちだけでも逃げるぞ。この先にもまだ村がある。そこの住人たちを避難させんと」


モリスが焦ってオルフェの腕を引っ張る。オルフェが苦渋の表情で信徒たちを見つめる。もう何を言っても無駄なのか。胸の痛みを感じながらオルフェがやむを得ず彼らの元を離れようとしたとき、


 「ダメっ!」


 突然キーナが叫んだ。神官の前に馬で立ちはだかり、進行を阻む。


 「目を覚まして!ここで死んだって信仰を全うしたことにはならないわ!」


 「ええい、どけ!これ以上神を愚弄すれば天罰が下るぞ!」


 「こんなものが天罰なわけがないわ!」


 「逃げろキーナ!カマエルが!」


 オルフェの叫びにキーナが振り返り空を見る。その視線の先でカマエルが手に持った剣を前に伸ばし始めていた。


 「やらせるもんか」


 ドクン、とキーナの中で何かが弾けた。カマエルをきっ、と睨み無意識に腕を空に伸ばす。と、右腕に嵌められた「大天使の腕輪」が輝き始めた。


 「腕輪が!まさか!やめろキーナ!」


 オルフェが慌てて叫び、キーナの元へ走る。その間にもカマエルの手は前に伸ばされ、剣先が地上に向けられる。


 「聞こえる……これが本物の……」


 キーナの心の中に何者かの声が響き、その言葉を彼女は復唱する。


 「天の咆哮ミョルニル!」


 キーナの叫びと共に雷のような光が彼女の腕から伸び、上空のカマエルに向かう。「聖なる光」を放とうとしたカマエルに命中した雷光はその体を貫き、胴体に大きな穴を開けた。


 「なっ!?」


 そのまま体を傾け落下するカマエルを見て神官が絶句する。信徒たちも跪き、必死に祈りを捧げていた。


 「キーナ!」


 雷光を放った後、気を失ったキーナが馬から落ちる。駆け寄ったオルフェが間一髪で地面に落ちる前にその体を抱きとめた。


 「キーナ!しっかりしろ!キーナ!」


 腕の中でぐったりしているキーナにオルフェは何度も呼び掛けた。



               *



 「もうすぐ門を抜けます」


 夜の街を走る馬車とその周りを護衛する騎士たち。子爵邸を出たフローゼたち一行はリミステアを囲む外壁に近づいていた。前方に町に出入りするための門が見える。


 「止まれ!どこへ行く!?」


 門の前に立つ兵士二人が槍を交差させて騎士たちを阻む。侯爵家の騎士が徽章を見せてオブライエン家の騎士であることを示す。


 「オブライエン侯爵のご息女、フローゼ様の馬車だ。侯爵様より火急の呼び出しがあり、ドリアルに戻る」


 「このような夜半にか?聞いておらんぞ」


 「火急と言ったはずだ。そこを通せ」


 「今、リミステアは封鎖されている。外に出すわけにはいかん」


 「封鎖だと?」


 侯爵家の騎士が怪訝な声を出す。と、リミステア騎士団の近衛部隊のボーンが兵に詰め寄る。


 「おい、その制服、王国軍だな。どういうことだ?この門の守衛は我らリミステア騎士団が受け持っているはずだ」


 ボーンの言葉に王国軍の兵士の一人が不遜な態度で彼の前に立ちはだかる。


 「今日からは我ら王国軍の駐屯部隊が任に当たる。とにかくここを通すわけにはいかん」


 「そんな話は聞いておらん。誰の命だ?」


 「貴様らには関係ない」


 王国軍兵の態度にボーンが同僚のクランとビッシュに目配せをする。二人が動き出したのを確認してボーンが王国軍兵に乱暴に突っかかる。


 「関係ないなどということがあるか!貴様ら、オブライエン侯爵様のご命令に逆らう気か!」


 「俺たちは王国軍だ!我らは陛下の臣下としてここに来ているのだ!誰の命であろうと……」


 王国軍兵が槍をかざし、ボーンをけん制する。と、ボーンはその穂先に血が付いていることに気付く。


 「ここを守っていた俺たちの仲間はどうした!?まさか貴様ら……」


 「おとなしく明け渡せばよいものを無駄な抵抗をするからこうなるのだ」


 「貴様らぁっ!!」


 ボーンが剣を抜く。それを見て他の王国軍兵も門の前から彼の方へ駆け寄ってきた。


 「今です!」


 ビッシュが叫び、クランと共に馬を駆る。ビッシュがボーンと共に王国軍兵に剣を向け、さらに馬を降りたクランが門の閂を素早く開ける。侯爵家の騎士はすぐにその動きに呼応し、王国軍兵をけん制しながら馬車と共に門へ走り出した。

 

 「待て!貴様ら!」


 王国軍兵が制止しようとするが、ボーンとビッシュの奮闘により、馬車は無事に門を抜けて町の外へ出た。


 「クラン!そのまま護衛をしろ!ここは俺とビッシュで抑える!」


 ボーンの言葉にクランは頷き、素早く馬に跨って馬車の後を追った。


 「頼むぞ」


 フローゼたちを見送り、ボーンが呟く。その腹には王国軍兵が突き出した槍が深々と刺さっていた。


 「仲間の仇を討つまでは……たやすく死ぬわけにはいかねえ」


 ボーンは最後の力を振り絞り、王国軍兵に剣を向けて呟いた。



               *



 「出陣の準備だと?」


 バルトア帝国の北端、つまりリミステアとは国境を挟んだ向かい側に当たる都市ミザークの帝国軍駐屯地の本営で、ガザフ中佐は眉根を寄せた。彼の前には帽子を被った小柄な男が薄笑いを浮かべて立っていた。


 「どういうことだ?我らの出陣はもう少し先だったはずだ」


 角ばった顔に、無造作に生やした顎鬚。いかにも叩き上げの軍人といった風貌のガザフ中佐は不機嫌そうに言い、葉巻を灰皿に押し当てる。


 「それが事情が変わったのですよ。向こうの少佐が先走りましてね。まあその前に想定外のことがあったようですが」


 「急に言われても困る。こちらにも支援部隊の手配などの都合が……」


 「手間はかかりませんよ。糧秣りょうまつなども不要ですし、そもそも向こうに戦う意思はないのですから」


 「だが占領した後のことも考えねばならん。内応しているのはリミステアの駐屯部隊だけであろう?」


 「それはまあ。しかし王都へはすぐに連絡はいきません。御前会議も開かれるようですし、王国軍が来るのはこちらの準備が終わってからになるでしょう」


 「貴様の言う『』とやら。信じてよいのだな?」


 「それはもう。陛下も承認なさっておられるのです。ご安心を」


 男の言葉に中佐は苦虫を噛み潰したような顔で答える。最初からこの男は胡散臭いと思っていた。皇帝陛下も何故このような者の言葉をお信じになるのか。中佐は気分が悪くなり、新しい葉巻に火を点けた。

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