第18話 天使降臨

 「ちょ、ちょっと待ってください!」


 ミルディアは慌てて立ち上がり、アドジャスターに詰め寄った。だがアドジャスターは涼しい顔をして叩いた手を口元に当て、微笑み続けている。その後ろで手を叩いた音に反応するかのように本棚が目まぐるしい動きで位置を変えていく。


 「僕に超常的な力を与える!?僕にその敵の計画を阻止しろって言うんですか!?」


 「そうだ。まあ正確にはんだがね」


 アドジャスターは淡々と言い、本棚の方に歩いていくとそこから一冊の本を取り出す。


 「まずはこの辺りからいこうか。これは君の世界では使える者のほとんどいない神話級魔法のテキストだ。これを読んで実践を積めば無詠唱でその神話級魔法を自在に使いこなせる。用途は限られるがね。魔法が終わったら体術だ。絶対魔法耐性を持つ相手がいる可能性もある。剣や格闘でも他者を圧倒する力を持ってもらう」


 「待ってくださいってば!僕にはそんなこと無理ですよ」


 「無理じゃない。ここに来たことがその証明だ。君は私が直接呼んだわけではない。ここに入ることのできる人間をこの管理室そのものが選び出すんだ。ゲームマスターの残留思念とでもいうのかな。からね」


 「これまで?」


 「ああ。が世界を滅ぼそうとしたのは今回が初めてではない。あの世界の歴史上何回かその危機はあったんだ。その度に君と同じくそれを阻止する者が選ばれ、ここにやって来た」


 「そんな……何故僕なんです?僕なんかより強い人はいくらでも」


 「まず君がゲームマスターと同じ、であろう元日本人の転生者であり、元の記憶を持っている、正確には思い出したからだろう。人格の変貌はそのためだ。君の場合さらに前世で格闘の才能があったことに加え、現在の君が膨大な魔力を持ち合わせていることも大きいだろうね。それもあの世界の理に囚われない特別な魔力だ。心当たりがあるんじゃないかい?」


 ミルディアは本来魔法を通さないはずの「黄昏の廃城」に転移したことを思い出した。あれが自分の持つ特別な魔力のせいなのか。


 「そ、それにしたってやっぱり納得できませんよ」


 「今まで世界を救ってくれた者も、ここに来る前は普通の人間に過ぎなかったよ。君のような貴族ですらなかった者もいる。しかしここで力を身に付け、世界の崩壊を食い止めた。彼らは後に『十三武聖』と呼ばれた」


 「じゅ、『十三武聖』!?あの伝説の?」


 「ああ。最初の何人かはだが、少なくとも八人は君と同じくあの世界の普通の人間だった。最初は『六武聖』だったのが、世界の危機が訪れるたびに増えていって今は十三なわけだ。だから君が使命を果たせば『十四武聖』になるだろうね」


 ミルディアはあまりのことに絶句した。伝説の英雄「十三武聖」と自分が同じ存在に?冗談にもほどがある。


 「ま、いきなりこんなこと言われても実感が湧かないのは当然だ。しかし君がやらなければ世界の崩壊は止められない。『五種の太祖フィフス・オリジン』が復活する前にそのための儀式を阻止してね」


 「少し……気持ちを落ち着かせる時間をください」


 「いいとも。さっきも言ったが、時間はいくらでもある」


 ミルディアは目を閉じ、大きく深呼吸をした。あまりに荒唐無稽な話に考えが追い付かない。だがこの「管理室」とアドジャスターの存在が、彼の話が絵空事でないことを示しているとミルディアは思った。


 「僕に……出来るでしょうか?」


 「出来るかどうかなんて言ってる場合じゃないよ。やるしかないんだ」


 「!」


 『務まるかどうかなどと考えている時ではない。やるのだ』


 つい先日父に言われた言葉が脳裏をよぎる。ああ、これが自分の運命さだめということなのか。


 「分かりました。僕にしかそれが出来ないのなら」

 

 「ありがとう。それじゃ始めようか」

 

 アドジャスターはにこやかな顔で一冊の魔道書を差し出した。



                *



 「何かの間違いではないのか?」


 広い会議室のような部屋でエルフ族の長老の一人、ラグネイ・アークバルトは渋面を作り、手にした杖でカツカツと床を叩いた。白く長い顎鬚と、細く窪んでいるが鋭い光を保った目がいかにも賢者といった雰囲気を醸し出している。ラグネイは長老の中でも最年長の一人だ。その両側に居並ぶ他の長老たちも一様に動揺した様子で顔を見合わせ、ひそひそと言葉を交わしている。


 「いえ、間違いございません。既に『聖なる光』にてユノの村が消滅したとのこと」


 長老たちの前で片膝を付き首を垂れる若いエルフの男が静かな声で報告する。若いと言ってもエルフ族は長命だ。彼も人間ならば二十歳そこそこといった見た目だが、実年齢は150歳を超える。美しい金髪ブロンドを短く刈り込み、白い貫頭衣の上に軽鎧ライトメイルを付けた整った顔の持ち主だ。


 「オルフェ、このことを他に知る者は?」


 ラグネイの問いにオルフェと呼ばれた若いエルフはしばし考え、


 「村の生き残りの者が僅かと、村に赴いた私を含む自警団の者数名です」


 「生き残った者は?聖真教会の者はおるか?」


 「医療棟へ運びました。みな傷を負っておりますゆえ。教徒であるかどうかは判別出来ません」


 「口止めはしたのであろうな?」


 「は、他言無用と固く申し付けました」


 「ならばよい。特に聖真教会の者には知られるな。まして神官にはな」


 ラグネイはふう、と息を吐き、目を閉じて考え込む。オルフェからもたらされた報告はとても信じられるものではなかったが、自警団の若きリーダーとして長老たちからも一目置かれる彼が虚偽の報告をするとも考えにくかった。


 「で、その後カマエル様は?」


 「村の上空に留まっております。動きがあれば残してきた自警団の者が魔法球にて伝信をしてくる手はずになっております」


 「いかがするラグネイ?他の者にこのことが知られれば混乱は避けられぬであろう。特に神官どもが知ればどうなるか」


 長老の一人がラグネイに尋ねる。他の者も困惑した顔で彼を見た。


 「動きがないうちはとりあえず監視しておく以外手はあるまい。消滅した村の周辺は誰も近寄らぬようにしてカマエル様のお姿を見られぬようにするのだ。オルフェ、予備の団員も動員し、自警団総出で自治領内を巡回せよ。万が一、他の天使が顕現された場合、住民を逃がして同様の措置を講じるように」


 「かしこまりました」


 頭を下げ、オルフェが部屋を後にする。ラグネイは彼が出て行くと他の長老と言葉を交わし、二人の従者を連れて奥の扉に消えて行った。


 「オルフェ!」


 部屋を出て自警団の本部に向かっていたオルフェに同じくらいの年ごろのエルフが近づいてきて声をかける。少し息が荒い。


 「どうした、モリス?」


 「まずいぞ。キーナがユノの村に向かったらしい。しかも『大天使の腕輪』を持ち出して」


 「何だと!?」


 オルフェは驚いて叫んだ。キーナはオルフェの妹であり、自警団の支援をする「婦女後援隊」の副隊長を務める少女だ。尤も彼女もエルフなので見た目はローティーンだが年齢は80を超える。


 「あのバカ!どうしてカマエル様のことを知った!?」


 「いや、正確にカマエル様の降臨とは知らないだろう。おそらく俺たちが血相を変えて戻ってきたので何かあると睨んだんじゃないか」


 「だからって『大天使の腕輪』を持ち出して行く奴があるか!あんなもの、身に着けるだけで……まして発動でもしようものならあっという間に魔力を吸い尽くされて死ぬぞ!」


 「大天使の腕輪」はエルフ族に伝わる聖神具レリックスの一つで、至宝として管理されているものだ。魔力を莫大に増幅し、魔法の威力を飛躍的に高める効果があると伝えられている。


 「聖神具レリックスの勝手な持ち出しは下手をすると追放刑だ。あいつ、何を考えてやがる」


 普段は冷静なオルフェだったが、さすがに感情を露わにしてうろうろと動き回る。


 「どうする?オルフェ」


 「どうもこうも連れ戻すしかないだろう。モリス、村に残したエルバから何か連絡があればすぐ長老たちに伝えるよう、本部にいる者に指示をしてくれ。それから予備の者も含めて全員を本部に召集。自治領全土の巡回をする。組分けまで頼んでいいか?」


 「やれやれ、出来のいい妹を持った親友を持つと苦労するぜ」


 「すまん、後でお前にも土下座して謝らせる」


 「いいよ。キーナちゃんを土下座なんてさせたら女子たちに殺されちまう」


 手を広げてモリスがおどけて言う。キーナは同年代だけでなく、年長の少女たちにもカリスマ的な人気があった。


 「他の女子が何と言おうが、今度ばかりはお灸をすえてやる。すまんが後を頼む」


 オルフェは苦笑いをするモリスに手を振り、馬を調達するため厩舎の方に駆け出して行った。



 「見えてきたわ!あれね!」


 馬を駆り、林道を走るキーナが前方の空を見上げて叫ぶ。頭の両サイドで束ねた肩先まである美しい金髪ブロンドが風に揺れる。袖のない白い貫頭衣を着た彼女の右腕には金色に輝く腕輪が嵌っている。革のベルトで締めた腰の下はスカート状に広がっているが、丈は膝上までしかない。


 「何か起きたとは思ってたけど、あれってまさか十大天使の一体?本で見たことあるわ。確か……カマエル様ね」


 前方の空に浮かぶ物体を見てキーナは呟く。低空に浮かんでいるのであまり遠くからは視認出来ないが、大きく広がった二枚の翼とその後ろに輝く光輪がいやでも目を引く。


 「天使様の降臨なんて普通なら大喜びしそうだけど、お兄ちゃんたちの様子を見るといい状況じゃないんだろうな。まさか何か被害が……」


 その時、キーナが乗る馬が急にいななき、前足を上げて止まった。考え事をしていたキーナはあやうく振り落とされそうになる。


 「ちょ、どうしたのよ?」


 何とかたてがみにしがみつき、キーナは手綱を握る。が、馬はそこから動こうとしない。


 「あれは……」


 キーナは前方に異変があることに気づいた。空間が僅かに揺らいでいるのだ。馬を降りて少し歩くと、急に見えない壁にぶつかったように体が止まる。


 「結界?」


 手を伸ばして触ってみると、確かに見えない壁のようなもので先に進めなくなっている。ここから先の進入を禁じているのだ。


 「お兄ちゃんたちが戻るときに張ったのね。ということはやはりあのカマエル様は危険ということか」


 腕を組み考え込むキーナ。好奇心でこれ以上進むのは危険だろう。何かあると思って興味本位で飛び出したものの、想像以上にまずい事態になっているようだ。


 「あれ?」


 空を見上げていたキーナが眉根を寄せる。視線の先に浮かぶカマエルが少しずつ位置を変えているように見えた。


 「動いてる?」


 嫌な予感を感じ、キーナは馬に飛び乗ると馬首を返した。


 

 「エルバから伝信!カマエル様が移動をはじめたとのこと!」


 長老たちが集まる部屋に本部から自警団のエルフが飛び込んでくる。その知らせに長老たちは一斉に気色ばむ。


 「何だと!?どこへだ?」


 「ゆっくりと東の方向へ移動しているとのこと!」


 「進路上にある村や集落の住民を避難させよ。自警団総出で救助に当たるのだ」


 「了解しました!」


 自警団の青年エルフが飛び出していき、長老の一人がため息を吐く。


 「全く、なぜ十大天使様が我らに害をなすのだ」


 エルフ族は「五種の太祖フィフス・オリジン」の一種、創造神デウルを始祖とし、その最初の眷属たる十大天使によって生を受けたと言われている。当然エルフ族の信仰の対象はデウルであり、十大天使だ。カマエルはその十大天使の一体であり、神の力の代行者と言われる。


 「そもそも本当に天使様なのか?よもやとは思うが魔族が作った偽物などということは……」

 

 「滅多な事をぬかすな!異端審問インクイジティオにかけられたいのか!」


 一人の長老の呟きを、別の長老がたしなめる。とはいえ十大天使は創造神デウル同様、伝説の存在である。実際に見たものなどほとんどなく、少なくともエルフ族がモルガノ王国と盟約を結び今の自治領に定住してからは、天使が顕現したという記録はなかった。


 「とにかく神官どもに知られぬことだ。信徒が見たらどうなるか」


 「だが空を移動しているのだぞ!どの村にだって信徒はいる。聖真教会の耳に入るのは時間の問題だ」


 「神官どもが信徒を扇動しカマエル様の元に向かったら……」


 「被害がどれほど広がるか見当もつかんな」


 長老たちは顔を見合わせ、ため息を吐いた。エルフ族には「聖真教会」という宗教団体がある。エルフ族が創造神デウルの眷属の末裔であるという考えはほぼ誰もが信じていたが、その中でも一部の狂信的な者が立ち上げたものだ。その教義はエルフのみならず「五種の太祖フィフス・オリジン」を含む世界の全てを創造神デウルが創ったというもので、つまりネブロ神教と同じことを言っているのである。絶対神がネブロかデウルかの違いだけだ。 

 

 「消滅しても天罰だといって喜んで受け入れそうだからな」


 最初にカマエルが確認されたユノの村はカマエルが発した光に呑みこまれて消滅した。これは伝承にある「聖なる光」であるとエルフたちは捉えていた。


 「あの狂信者ども。何を言っても聞く耳を持たんからな」


 長老たちが忌々しげに言う。聖真教会で指導的な立場を取る者は「神官」と呼ばれ、信徒たちの崇敬を集めている。教会の力は徐々に大きくなってきており、勝手に異端審問インクイジティオと称して宗教裁判を開いたりし、エルフ全体の指導的立場である長老たちと対立することが増えていた。


 「だが信徒であれ神官であれ同胞には違いない。無駄に死なせるわけにもいくまい」


 その時奥の扉が開き、ラグネイが姿を現した。他の長老たちが彼に注目する。


 「どうだ、何か分かったのか?ラグネイ」


 「天使降臨の記録はやはりない。第一、十大天使様の確かなお姿すら分かっておらん。今ある本に描かれている姿は多分に想像によるものが大きいからな」


 「だが今顕現しているカマエル様は本の姿そのままだと聞くぞ」


 「うむ、だからこそオルフェたちもそう認識したのだからな。だがこれは逆に考えると……」


 「本の姿に似せて何者かが創った可能性があるか」


 「神官どもが聞いたら激怒するだろうな」


 「だからこそ信徒をカマエル様の元に向かわせてはならん」


 「だが悪い知らせだ。カマエル様は移動を始めた」


 「何だと?」


 ラグネイが渋面を作り、イライラした様子でカツカツと杖を突く。


 「避難の手筈は?」


 「自警団を向かわせておる。だが信徒どもに知られれば素直に避難に応じるかどうか……」


 「神官どもを抑える必要があるな。長老血判を取ることを発議する」


 「同意!」


 「同意!」


 ラグネイの言葉に他の長老たちが口々に同意する。長老血判とはエルフ族の最高命令書ともいうべきもので、長老全員の血を魔法陣の描かれた誓紙に垂らして発布するものだ。ここに書かれたことに反抗することは決して許されず、それだけに滅多な事では発行されない。


 「これで自警団には神官を抑え込む大義名分が出来る。すぐに本部に届けよ」


 仲間たちに続き最後に誓紙に血を垂らしたラグネイが従者に命じる。全員の血が揃うと、誓紙に書かれた魔法陣が青白い光を放つ。これで長老血判は有効となる。


 「急げ。これ以上被害を広げるな」


 ラグネイの命に頷き、従者は部屋を飛び出していった。



 「キーナ!」


 移動するカマエルを見上げながら馬を走らせるキーナの耳に叫び声が聞こえる。はっとして馬を止めると、前から同じように馬に乗った兄、オルフェが近づいていた。


 「お兄ちゃん!?」


 「お兄ちゃんじゃない!一体何を考えてるんだ!」


 キーナの前で馬を止め、オルフェが怒鳴りつける。


 「そんなに怒らないでよ。お兄ちゃんたちの様子が尋常じゃなかったから何か大変なことが起こったと思って。確かめたくていてもたってもいられなくなっちゃったのよ」


 「だからって聖神具レリックスを持ち出す奴があるか!体は何ともないのか?」


 「う、うん。さすがにまずいとは思ったけど、何か大変なことが起きてたら困ると思ってお守り代わりというか……」


 「バカ!それがどれほど恐ろしいものかお前は何も分かっちゃいない。とにかくすぐ外せ。そんなものを着けてたら魔力がいくらあっても……」


 「お、お兄ちゃん、あれ!」


 渋々右腕の腕輪に手を伸ばしたキーナがふと空を見上げ、驚いて叫ぶ。妹の視線を追って空に目をやったオルフェも思わず絶句した。少し離れた空に浮かぶカマエルの体の後ろに輝く光輪がその眩さを増し、剣を持った右手が前に伸ばされている。


 「いかん!」


 オルフェが叫び、馬首を返して走り出す。慌ててキーナがそれに続く。


 「お、お兄ちゃん、あれって……」


 「『聖なる光』だ!あれでユノの村は消滅した!」


 「ええっ!?」


 「くそっ!あの先には確かメリスの村が……」


 「ああっ!」


 キーナが叫ぶ。カマエルの持った剣から眩い光の線が地上に向かって放たれ、それが命中した辺り一帯が光の奔流に包まれる。


 「そ、そんな……」


 息を呑み、呆然と呟くキーナ。オルフェはぎりっと歯がみし、手綱をきつく握りしめた。


 「カマエルは止まっている。これ以上被害を出さないためにも先の村の住人を避難させる。キーナ、お前も手伝え」


 「う、うん」


 今の光でどれだけの同胞が消えてしまったのか。考えただけで背筋が寒くなる。キーナは衝撃で混乱する気持ちを何とか抑え、オルフェに付いて馬を走らせ続けた。

 

 


 

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