第15話 絡み合う悪意

 目の前に自分がいた。


 逆さまに宙に浮いている自分が、自分を見つめている。いや、正確には自分とよく似た男というべきか。なぜならその男の髪は黒く、目つきも恐ろしいほど鋭かったからだ。


「あなたは誰だ?なぜ僕の中にいる?」


 ミルディアは目まぐるしく色彩を変える空間の中をふわふわと漂いながら目の前の男に尋ねる。


 「俺はお前だよ。?」


 自分と同じように頭を下にして漂う男が不敵な笑みを浮かべて言う。


 「違う!僕は……僕はあんな恐ろしいことはしない!」


 「するさ。いや、


 「違う!」


 「認めろよ、俺。お前は……」


 海中を沈んでいくようにゆっくりと二人の体は逆さまの恰好で落ちていく。そしてその先、深い深い底にまばゆい光が溢れていた。


 「僕(俺)は……」


 光がミルディアたちの方へ爆発したかのように広がってくる。そして二人の意識は溶けあい、光の中へゆっくりと吸い込まれて行った。



                 *



 マドックの死体を載せた馬を引き、その駐屯兵、ビルは森へたどり着いた。死体をどこへ運んだものかと思っていると、仲間の一人が声を掛けてくる。


 「おう、帰ったのか?ミルディア様たちは?」


 「それがな」


 ビルはミレイたちがリリスを追っていき、ミルディアは自分たちと一緒に戻るはずだったのが急にイアンたちを連れて引き返したことを話した。


 「はん?お前らあの女と示し合わせてミレイ隊長たちを討つつもりだったんだろ?それがミルディア様に気づかれた、ってことか?」


 「かもな。まああの女隊長はともかく、ミルディア様もやっちまったら面倒なことになるんじゃねえかって思ってな」


 「興味深いお話ですね」


 「うお!」


 いきなり背後から声を掛けられビルたちは飛び上がった。いつの間にか帽子を被った小柄な男が自分たちの後ろに立っている。


 「誰だ、貴様!?」


 ビルが剣を抜き、男に向き合う。


 「そう怯えることはありません。そうですね、少佐殿の使い、といえばお分かりいただけますかな?」


 男は帽子の下の小さな丸眼鏡をつい、と指で持ち上げにこやかに言う。


 「少佐殿の?じゃあ……」


 「あの女と組んで邪魔者を消すということに異存はありませんが、確かに今子爵の息子を殺してしまうのは時期尚早かもしれませんね。しかし気付かれたとあっては仕方ありませんか」


 男は顎に手を当てて考え込みながら、馬の背の袋に目をやる。


 「これはマドックとかいう男の死体ですか?」


 「は、はい」


 「万一のことを考えてあやつにもうひと働きしてもらいますか。ふうむ、やはり予定を前倒しにするしかないかもしれませんねぇ。少佐も勝手に動いてしまったようですし」


 独り言ち、男がビルに近づいて何事かを囁く。それを聞いたビルの顔がみるみる固まっていく。


 「責任は私が取ります。すでに王国軍は動いていますから、問題はありません」


 「少佐殿の命と受け取ってよろしいのですね?」


 「そうです。速やかにお願いします。誰もこの村から逃がさぬように」


 「分かりました。仲間を集めて今夜中に」


 「頼みましたよ」


 男はビルたちの元から離れ、村の外れへ歩いていく。頭の中で修正された計画をまとめながら、ふう、とため息を吐く。


 「それにしてもこう目まぐるしく王国と帝国を行き来しては流石に疲れますねぇ。あの方も人使いが荒い」


 独り言ちた後、男はパチン、と指を鳴らす。と、近くの茂みが僅かにザザッと揺らめいた。


 「ファントム、もう一仕事だ。万一子爵の息子たちが逃げのびてきたら、絶対に町へ向かわせるな。敵が複数なら無理に仕留めなくてもよい。そうだな、明日の朝まで足止めできればそれで十分だろう。行け」


 もう一度茂みがざわめき、男は満足げに頷いた。



               *



 「傷はふさがったようだな」


 「黄昏の廃城」の一室。ヴェルモットは上半身裸になったミレイの体に触れ、淡々と言った。ミレイは腕を回したり脇腹を触ったりしながら信じられないといった顔で頷く。


 「は、はい。信じられません。あれだけの傷がまるで何事もなかったかのように完治するとは……」


 ミルディアが発動した転移魔法は彼の思惑通り、ミルディアとミレイをこの「黄昏の廃城」へと飛ばした。「黒衣の魔女」を目の当たりにして腰を抜かすほど驚いたミレイだったが、ミルディアがヴェルモットと面識があったことにさらに驚いた。ヴェルモットは二人の状態を瞬時に見抜き、二人を館に入れた。意識のなかったミルディアは浮遊魔法でヴェルモットが運んだ。


 「かなりの重傷だな。少し本気を出すとするか」


 ヴェルモットはそう言ってベッドに横たわらせたミルディアに最上級の治癒魔法を施した。刺さった矢が押し出され、傷口がみるみる塞がっていく。


 「ほう、大したものだ。これだけの治癒をすれば魔力が枯渇して逆に命の危険に晒されるものもいるが、こいつの生命力はほとんど衰えておらん。やはりこいつの魔力は普通の人間とは違うようだな」


 ヴェルモットが興味深そうに言う。


 「ミルディア様!」


 傷がふさがり、顔色が戻ってきたミルディアの顔をミレイが涙を流しながら覗き込む。


 「騒ぐな。次はお前の番だ。お前とて軽いケガではないぞ」


 ヴェルモットは呆れたようにそう言い、ミレイにも治癒魔法を施した。そして現在に至るのである。


 「ありがとうございました、ヴェルモット様。ミルディア様と私を救っていただき感謝のしようもございません」


 「気にするな。ミルディアには少しばかり借りがある。お前はついでだ。しかしあれだけの傷を治癒してもさほど生命力が落ちてないようだな。お前も中々の魔力量と見える」


 「で、ですがこれだけの治癒魔法、王都の魔法医にかかればかなりの金額を要求されるはず……ついでで治していただくレベルの話では」


 「金になど興味はない。我はここで静かに暮らせればそれでよい」


 「失礼ながら噂の『黒衣の魔女』とこのように普通にお話しできるとは思ってもおりませんでした」


 「ミルディアに感謝するのだな。お前一人が迷い込んできても助けてやったかどうかは分からん」


 「あの……ミルディア様とヴェルモット様は一体どういう?それにここに来た時のことも全く訳が分からなかったのですが……」


 「あいつとは少し昔話をしただけだ。ここに来たのは……まあ後で本人に聞け。目を覚ましたらな」


 ヴェルモットにそう言われ、ミレイはベッドに横たわるミルディアを見つめる。傷は回復したはずなのに、一向に目を覚ます気配がない。


 「傷は治癒されたはずなのに、どうして目覚めないのでしょうか?」


 「さてな。こいつは少し普通の人間とは違っているようだからな。正直、我にも分からん」


 「まさかこのままということは……」


 「だから分からん。だが何故か心配はいらんような気がする。そのうち目を覚ますと理由もないのに信じている自分がいる。我ながら不思議な気分だ」


 「ヴェルモット様、ミルディア様のことをお頼みしてよろしいでしょうか?」


 「うん?」


 「私は町へ、城へ戻らねばなりません。恥ずかしながら我が部下の大半が裏切り、盗賊団と通じておりました。このことを一刻も早く子爵様やアッシュ様にお伝えせねば」


 「やめておけ。傷が治ったとはいえ、その代償でお前は大量の魔力を消費した。とても体力まで回復させてやる余裕はない。今の状態で出て行っても町まで歩くなど到底出来んぞ。途中で夜になって狼に襲われるのがオチだ」


 治癒魔法は術者が魔法をかけられる本人の魔力を使い、回復力に変換させる反応魔法だ。それはその人の体力、生命力も同時に消費させることになる。


 「ですが!」


 「せっかく助けてやった命を粗末にするな、などとは言わんが、お前が死ねばここまでお前を必死に連れてきたミルディアも悲しむのではないか?」


 「うっ……」


 正論を言われ、ミレイは言葉に詰まった。確かに全身に疲れを感じている。馬もない今の状態では町まで行くのは難しく思えた。


 「とにかく体を休めろ。中庭に温泉がある。後で入るがいい。我は少し調べものがある。食堂に飲み物を用意させるからしばらくは安静にしておくことだ」


 ヴェルモットはそう言って部屋を出て行った。ミレイは唇を噛み、ため息を吐いて眠り続けるミルディアの顔を見つめた。



                *



 「くそっ!こいつのらりくらりと!」


 ゲリがいら立った声を上げる。白と黒の仮面を付けた怪人はイアンとゲリの二人を相手にしつつ、決して踏み込みすぎずに飛び回っている。それでいてどちらかが町へ向かおうと突破を試みれば最優先でそれを妨害に来る。怪人の目的が二人の足止めであるのはもはや明らかだった。


 「こいつ、俺たちの事情を知っているのか?最悪の展開だ」


 イアンも焦りの色を浮かべて走り回る。敵の絶妙な攻撃で馬が怯えさせられ、暴れた馬から振り落とされてしまったのだ。馬はそのまま逃げ去ってしまった。


 「せめて殺す気で来れば」


 敵が自分たちを仕留める気で攻めてくれば、最悪刺し違えてでも相手を止めておくことが出来る。が、怪人は一定の距離を保ち続け、その暇さえ与えてくれない。


 「ゲリ殿!」


 業を煮やしたイアンはゲリの元に走り、小声で囁く。


 「自分が使える最強呪文を唱えます。同時に奴に突っ込みますから、その隙に何とか脱出を」


 「無茶だ。その傷で強力な魔法を放てば体へのダメージは計り知れん」


 「どちらにせよ馬を失った私では町にたどり着けません。とにかくミルディア様たちのことを城へお伝えしなければ」


 「俺一人では信用されんと言ったのはお前だぞ」


 「背に腹は代えられません。とにかく……」


 「待て、様子がおかしい」


 ゲリが怪人を見ながら警戒する。あれだけ動き回っていた怪人がじっと佇んでいるのだ。ゲリの野性の本能が危険を告げる。


 「いかん!離れ……」


 そう言いかけた時、怪人の周囲に幾つもの輝く魔法陣が浮かび上がった。しかも普通の魔法陣より遥かに紋様が細かく、複雑だ。


 「oṃ」


 言葉かどうかも分からない音声を怪人が短く発し、両手の剣を掲げて円を描くように回す。と、突然周りの景色が歪み、同時にゲリとフレキを激しい眩暈が襲う。


 「くっ、精神魔法か」


 「あれだけ動き回りながらこれだけの強力な魔法を発動する準備を……」


 眩暈で立っていられなくなり、イアンはその場に跪く。ゲリもバランスを崩して馬から落ちてしまう。


 「うう、……これは!?」


 ようやく眩暈が治まり立ち上がったイアンは周囲を見渡して愕然とした。先ほどまでと風景がまるで違っている。空は不気味な紫色の雲が浮かび、周囲の木々は生き物のように枝をうねうねと動かしている。さらに気分が悪くなるような低い音が流れ、心が乱された。


 「やられた!幻覚魔法だ!」


 イアンが唇を噛みしめ唸る。


 「幻覚か。周囲の風景全てが幻という訳か」


 イアンとゲリは不気味な様相の幻覚の森を慎重に進み始める。だがどれだけ歩いても景気は一向に変化せず、脇の茂みに立ち入ってもまた同じ風景が広がるだけだった。


 「どうやら同じところをぐるぐると歩かされているらしいな」


 「まずいぞ。足止めという意味ではこれ以上ない攻撃だ」


 「しかしイアン、これなら直接攻撃されても反応できんぞ」


 「いや、これだけ広範囲に幻覚魔法を展開させているとなると術者はその維持だけで手一杯のはずだ。動くことは出来まい」


 「なら逆にこちらから攻撃するチャンスということか」


 「ゲリ殿、臭いはどうだ?奴の臭いを辿って居場所を突き止められないか?」


 「……ダメだ。おかしな臭いが充満して鼻が利かん」


 「五感全てを狂わせる幻覚か。これほどの使い手が敵にいるとは」


 「こんなことをしてる暇はねえってのに。ミルディアたちが本当に死んじまうぞ」


 二人は周囲を見渡しながらこの状況を抜け出す策を考えた。しかし答えは見つからず焦りと時間だけが積み重なっていく。


 『ミルディア様……』


 矢傷を受けて倒れたミルディアの姿を思い出し、イアンは悲痛な面持ちで彼の生存を祈った。



                *


 

 気が付くと真っ白な床の上に倒れていた。


 どこかは分からないが、とてつもなく広い部屋らしいということは周りを見渡して察しが付いた。両側の壁には延々と続く高い本棚が並んでおり、天井は高くて見えない。照明があるようには見えないのに明るいのが不思議だった。


 「何だ、ここは?」


 呆然とし、ミルディアはふらふらと歩き出した。本棚には見たことのない文字が背表紙に書かれた立派な装丁の本がぎっしりと詰まっている。


 「え?」


 ミルディアは何気なくそのうちの一冊を手に取って驚いた。本の中にも表紙と同じく見たことのない文字が並んでいるが、なぜかそこに書いてあることの意味が理解できたのだ。

 

 「どういうことだ?これは」


 混乱しながら隣の本を見てみる。やはり内容が理解できた。

 

 「懐かしいだろう?日本語だよ」

 

 「え?」


 いきなり声がして、ミルディアは驚いて振り向いた。

 

 「な……」

 

 いつの間にかミルディアの前に一台の重厚な机があり、その後ろに一人の男が座っていた。ウェーブのかかった前髪を一筋長く伸ばし、薄い銀縁の眼鏡をかけた肌の白い男だ。頬が少し窪んでいるがさほど不健康なイメージはない。


 「ようこそミルディア君。ここに人が来るのはいつ以来だろうねぇ」

 

 男は静かに微笑みながら手にしていた本をパタンと閉じた。

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