第14話 絶望

 「ミルディア様!」


 イアンが叫び、ミルディアに駆け寄る。ミルディアの脇腹には一本の矢が深々と刺さっていた。


 「ちいっ!あの玉の影響で気づくのが遅れた。あそこだ!」


 ゲリが歯ぎしりをし、少し離れた茂みを指す。と、ガサリと音がして先ほど遭遇した赤毛の女が弓を構えた状態で姿を現した。


 「いつまで経っても来やしないから様子を見に来てみりゃなんて有様だい。ひどいもんだね」


 あちこちに転がる死体に目をやりながら女が毒づく。


 「リリ……ス」


 よろよろと体を起こしながらジュラが女の方を見て呟く。


 「敵の前で人の名前を呼んでんじゃないよ!まあ知られたってどうってことはないけどね」


 リリスと呼ばれた赤毛の女はつがえた矢をミルディアたちの方へ向けたまま鼻で笑う。


 「なんてザマだい、ジュラ。ふん、あんた以外は全滅かい。ババノスといいあんたといいもう少し出来る奴だと思ってたんだけどね」


 「うるせえ。……想定外の事態だったんだよ」


 「悪態をつける余裕があるならさっさと馬に乗って逃げな。こいつらはあたしが足止めしといてやるよ」


 「待て!」


 フレキがジュラを止めようと手を伸ばす。


 「動くんじゃないよ!手負いのあんたらが飛び込んでくる前に一人二人殺すのは訳ないんだからね」


 「くっ!」


 フレキが悔し気に手を止める。ジュラは片手だけで苦労しながらも何とか馬に跨った。


 「覚えてろ。必ずこの借りは返すぞ」


 憎悪のこもった目でミルディアたちを睨み、ジュラは馬を走らせる。その姿が視界から消えるまで、誰も動くことが出来なかった。


 「さて、今日のところはこれで引くとするよ。手負いとはいえ一人であんたら全員の相手をするには疲れそうだからね。匂い玉も品切れだし」


 「逃がすと思うのか!」


 フレキが怒りの叫びを上げる。


 「無理しなさんな。それにあんたはともかくその坊やと胸のでかい女、早く手当てしないと命に係わるよ。いや、坊やはもう手遅れかねえ」


 リリスがあざ笑い、素早く茂みの奥へ姿を消す。一息つく暇もなく、イアンは蹲ったミルディアの体を支え、苦渋の表情を浮かべた。


 「かなり傷が深い。内臓を傷つけている恐れがある」


 矢を抜けば大量に出血してしまう恐れがある。イアンは治癒魔法が使えない自分の無力さを呪いながら唇を噛む。


 「どうする?このままでは……」


 ゲリが焦りながらイアンとフレキを見る。


 「城へ……向かって」


 青い顔をしたミルディアが必死に言葉を絞り出す。


 「ミルディア様!しゃべられては……」


 「早く……父上に知らせないと。明日父上は王都へ向かってしまう。騎士団の……かなりの者が……裏切っている恐れが……」


 グランツが王都へ向かうとなれば当然騎士団が護衛に付く。単に盗賊団と通じているだけでなく、もっと恐ろしい事態になっている危惧をミルディアは感じていた。


 「どちらにしろここにいても助からん。俺が行こう。この中じゃ比較的傷は浅い」


 「僕も行こう。こう言っては何だが君一人ではすぐ信用されないかもしれない。それに一人では危険かもしれない」


 ゲリの言葉にイアンが続く。


 「ごめんなさいイアン……お願い」


 痛みをこらえながらミレイが頭を下げる。


 「隊長、無理をしないでください。必ず助けを呼んできます」


 「フレキ、お前はこの二人を守れ」


 「いや……フレキも傷は浅くない……それに……君たちの集落も心配だ。奴らがどう動くか……戻って警戒するよう……伝えて」


 「ですが重傷のお二人をここに置いていくわけには!」


 「城への報告は最優先だ。それにここにいても助かる見込みはない。それなら城とフレキたちの集落、両方に行った方が助けを呼べる可能性が高まる」


 「分かりました。全速力で城に向かいます。フレキ殿も大丈夫ですか?」


 「ああ、馬に乗る位は問題ない。治癒魔法は使えないが、傷に効く薬草なんかに詳しい爺さんもいる。そいつを連れて駆け戻ってくるぜ」


 「頼む……よ。あとイアン」


 「はい」


 「フローゼに謝っておいて。また話が出来なくてごめん、って」


 「かしこまりました。行こう、ゲリ殿」


 イアンとゲリ、そしてフレキはそれぞれ馬に跨り、城と月狼族の集落へ向かって走り出した。ミルディアは矢の刺さった脇腹を押さえながら座り込み、ミレイと寄り添う。


 「大丈夫?ミレイ」


 「申し訳……ございません。ミルディア様……」


 ミレイの頬は涙に濡れていた。何と言っていいか分からず、ミルディアはそっと肩を抱き寄せる。


 「私は……愚か者です。中隊を任され……自分なりに頑張ってきたつもりが……部下のほとんどに裏切られて……それを気づきもせず、ミルディア様をこのような目に遭わせてしまい……」


 「しゃべらないで。ミレイのせいじゃない」


 「いえ、私は……隊長どころか……騎士団である資格すらなかった……申し訳……ございません」


 「そんなことはないよ。だってミレイはずっと……今も父上と僕に忠義を尽くしてくれてるじゃないか。ジュラたちとは違う……アッシュの見る目は……確かだったと思う、よ」


 「ミルディア様……」


 「ぐぶっ!」


 ミルディアが吐血する。やはり傷は相当深いようだ。


 「ミルディア様!」


 『こいつはさすがに……まずそうだな』


 心の中で呟き、ミルディアはミレイに心配をかけまいと無理に笑みを作る。だが助けが来るまではまだ時間がかかるだろう。それまで体が持つだろうか。


 『ここで死ぬわけにはいかない。父上の期待を裏切らないためにも』


 朦朧とし始めた意識の中でミルディアは頭をフル回転させる。何としてもミレイを助けなければ。そのためにはどうすればいい?


 『治癒魔法……魔法……』


 はっ、とある考えが浮かび、ミルディアは瞬時にその可能性に賭けてみることを決断した。ミレイの顔を見つめ、真剣な顔で話しかける。


 「ミレイ、僕に考えがある。上手くいくかどうかは分からないけど、試してみる価値はある。僕にしっかり掴まっていて。いい?」


 「は、はい」


 ミルディアは最後の力を振り絞り、精霊魔法の詠唱を始めた。もう意識を保っているのも限界だ。これが失敗すればもう助かる見込みはないだろう。


 「頼む」


 精霊魔法が発動する。と同時に視界が暗黒に包まれ、ミルディアの意識はその暗黒の中へと沈み込んでいった。



                 *



 「くっ、これしきのことで」


 馬を飛ばすイアンが傷を押さえながら吐き捨てるように言う。馬で森の凹凸のある道を走ることがこれほど傷に響くとは。気を抜くと痛みで意識を失いそうだ。


 「イアン、町へ出るならこの先の獣道を抜けた方が早い。道は悪くなるが大丈夫か?」


 ゲリが右前方を指さして言う。


 「勿論だ。これくらいで泣き言を言っていられるか」


 イアンは己の迂闊さを呪いながら答えた。最初にリリスとかいう女に遭遇した時、逃げたあの女を駐屯兵が追っていった。しばらくして逃げられたと言って戻ってきたが、あの時に自分たちを襲撃するための打ち合わせをしたに違いない。匂い玉もその時受け取った可能性が高い。フレキとゲリの嗅覚を逆に利用して待ち伏せしている場所までおびき出し、ジュラたちと挟み撃ちにする手はずだったのだろう。だがフレキたちがいち早くジュラたちの殺意に気づいたため、予定より早く襲撃することになったのだ。「いつまで経っても来やしない」とリリスが言っていたのがその証拠だ。


 「俺がもう少し注意深くしていれば」


 正直少し前から中隊の中の雰囲気がおかしいとは思っていた。あからさまにミレイのことを悪く言う者もいた。イアンは憤慨して注意し、揉め事になりかけたこともあった。だが中隊の大半が盗賊団に通じ、隊長を裏切っていたとは夢にも思わなかった。まったく何という体たらくだ。


 「イアン!止まれ!」


 自己嫌悪に苛まれながら痛みをこらえて走り続けていたイアンはゲリの叫びで我に返り、手綱を引いて馬を止めた。横を見ると、同じように馬を止めたゲリが緊張した面持ちで前を見つめている。


 「どうした?ゲリ殿」


 「ヤバい臭いがしやがる。……来るぞ」


 ゲリがそう言うと、前方の茂みが揺れ、そこから奇怪な格好をした人影が飛びだしてくる。


 「何だ!?奴は」


 イアンが驚いて叫ぶ。そいつは見るからに異様な人物だった。顔には右半分が真っ黒、左半分が真っ白に塗られたのっぺりとした仮面を付け、フードの付いた萌黄色のマントを頭から被っている。そして両腕の部分からは幅の広い剣がにょっきりと生えているように飛び出していた。


 「気を付けろ。この臭い……マドックとかいう奴を殺したのはこいつだ」


 ゲリの言葉にイアンが息を呑む。一瞬でマドックの首を斬り落としたとゲリは言っていた。相当の手練れということだ。そして残念ながら状況から考えてこいつが自分たちの味方であるという可能性はほぼないだろう。


 「この急いでるときに!」


 「イアン、奴は俺が引き付ける。その間に町へ走れ」


 「しかし!」


 「急がんとミルディアとミレイが死ぬぞ。日が暮れればケガで動けない人間など狼の格好のエサだ」


 「分かった。まず俺が牽制で魔法を放つ。その後奴を引き付けてくれ」


 「よし、では行くぞ」


 「爆風散ブラスト・ボム!」


 イアンが風の攻撃魔法を詠唱する。風の塊を放って敵の前で破裂させるもので、殺傷能力は低いが敵の体勢を崩すにはもってこいの魔法だ。


 「はあっ!」


 風の爆発で茂みに叩きつけられた仮面の怪人にゲリが馬に乗ったまま突進する。その隙にイアンは町の方へ馬首を返した。が、


 「何!?」


 すぐに起き上がった怪人は向かってくるゲリを無視し、信じられないスピードでイアンの馬に向かって走り出した。あっという間に追いついた怪人が両手の剣を振り回してイアンを攻撃する。


 「くっ!」


 何とか剣で受け止めたものの、馬は足を止められてしまった。怪人はそのまま行く手を塞ぐようにイアンの前に立ちはだかる。


 「こいつ、まさか俺たちを足止めするのが目的か!?」


 ゲリは怪人を睨み、焦りの色を浮かべて唸った。



             *



「おいおい、何だこりゃ?」


 自分たちの集落へ馬を走らせていたフレキは行く手にある物を見て驚愕した。自分たちの集落に続く道に大勢の兵が動き回り、太い丸太を組み合わせて柵のようなものを作っている。


 「さっきからやけに人間臭いと思ってたがこれほどとはな。まだ鼻が本調子じゃねえようだな」


 顔をしかめて馬を止め、兵士たちのところに歩みよる。フレキの顔を見て兵たちがぎょっとした顔をする。


 「おい、何の真似だこりゃ?俺は自分の集落に急いで帰らにゃいけねえんだが」


 「獣人族ワービーストか。外に出ていたものがやはりいたか」


 指揮官らしき男がフレキに近づき、じろじろと顔を見ながらふん、と鼻を鳴らす。フレキはおや?と思った。ミレイたちと微妙に制服が違う。それに襟にある徽章は子爵家のものではない。


 『王国軍か』


 フレキは心の中で呟いた。バルトア帝国と国境を接するリミステアには常時二千人を超える兵が常駐しているが、その大半は王都から派遣された王国軍だ。アッシュ率いる子爵家直属の騎士団は二百名あまりしかいない。


 「今日から、正確には明日からだが、ここに関所を設けることになった。反対側の道にもな」


 王国軍の指揮官は横柄な口調でそう告げる。


 「何だと?」


 「お前らはこれから許可なく自分たちの自治領から出ることは出来なくなる、ということだ」


 「おい、ちょっと待て!俺たちはこの森のほぼ全てを活動範囲にしてるんだぞ!迷惑行為を働かない限り自治領外の森も自由に行けると領主の子爵家とは盟約が……」


 「だからそれが明日からは許されんと言っているのだ!」


 「事前通告もなしにそんな横暴な話があるか!子爵と話をさせろ」


 「やかましい!これ以上邪魔するようなら拘束するぞ!」


 「ちっ!お、おっと、こんなことをしてる場合じゃねえ。軍がいるなら好都合だ。この先で子爵家の息子のミルディアと騎士団の中隊長が重傷を負って倒れてる。すぐ救援を出してくれ!」


 「子爵の息子だと?」


 「ああ!盗賊団の女に襲われたんだ。かなりヤバい状態だ。急いで魔法医を……」


 「そうか、それは好都合だな」


 「何?」


 指揮官が邪悪な笑みを浮かべてそう呟く。この時フレキには三つの不幸が重なっていた。一つは急な関所の設営に驚いたのとミルディアたちを心配する気持ちが強かったあまり、集中力が欠如していたこと、二つ目は先ほどの匂い玉の影響がまだ残っており、目の前の男のどす黒い悪意に気付くのが遅れたこと。そして三つ目は怪我のため本来の動きが出来なかったことである。


 「貴様!」


 男の邪悪な心に気付いたフレキが短剣を抜こうとする。が、それより早く男が合図をし、複数の兵士が一斉にフレキに襲いかかった。


 「ちっ!」


 兵士たちが突き出してくる剣を避けようとしたフレキだったが、怪我の影響は思ったよりも大きく、一本の剣が避けきれずに太腿に突き刺さった。


 「ぐああっ!」


 火傷を負った足にさらに傷を負い、さしものフレキも激痛で跪く。そこに兵たちの剣が無数に向けられる。


 「殺すな!生きたまま捕えるのだ。子爵の息子が襲われて死んだとなれば一大事。王国軍の名に賭けて?」


 「き、貴様ら!子爵の息子が死にかけてるんだぞ!!子爵が知ったら……」


 「心配はいらんよ。明日子爵はこの町を離れる。


 「なん……だと?」


 指揮官の言葉にフレキは絶句した。盗賊団と騎士団が繋がっているなんてものじゃない。もっと遥かに大きくて暗い闇が自分たちを包んでいることを感じ、フレキは戦慄した。


 「牢に入れておけ。子爵の息子の死体が見つかったらきちんと断罪してやる。貴族殺しの凶悪犯としてな」


 不敵に笑い、指揮官は去って行った。襲いかかりたいと心から思うフレキだったが、無数の剣に囲まれていては身動きが取れなかった。


 『すまんゲリ、俺はここまでのようだ。一刻も早く城に行って助けを呼んでくれ。ミルディアたちが危ない』


 しかしそのゲリも謎の怪人に阻まれ城にたどり着けていないことを、フレキは知る由もなかった。



                *



 「ここは……?」


 霞む視界の中でミレイは呆然と呟いた。いきなり目の前が真っ暗になったと思ったらまたすぐ明るくなり、気が付くと周りの風景が変わっていた。何が起きたのか分からず、ミレイは混乱しながら辺りを見渡す。


 「やれやれ、今日は本当におかしな日だな」


 突然声がしてミレイは驚きのあまり「ひっ!」と声を上げた。ゆっくり視線を上げるといつの間にか目の前に人が立っている。


 「な、な……」


 「何だ、死にかけてるじゃないか。この短時間に何があった?ミルディア」


 淡々とした口調で、ミレイの前に立つ女性が言う。


 「あ、あなたは……」


 「ようこそ我が館へ。我はヴェルモット。『黒衣の魔女』といった方がわかりやすいかな?」


 ヴェルモットは微かな笑みを浮かべ、おどけた風に頭を下げた。

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