第12話 違和感
「ミルディア様、お下がりを!」
ミレイが馬をミルディアの前に出し、他の兵が女に対峙する。フレキとゲリも短剣を抜いて女に飛びかかろうと身構えた。
「貴様、何者だ!?」
「
女が懐から何かを取り出し、前方の地面に叩きつける。それがはじけ飛んだと思った瞬間、紫色の煙が立ち上り、ミルディアの鼻にツン、とした臭いが漂ってくる。
「ぐあっ!」
突然フレキとゲリが叫び声をあげ、鼻を押さえて苦しみだした。慌ててミルディアが駆け寄ろうとするが、ミレイに制止される。
「どうした?二人とも!」
「ははっ!特製の匂い玉さ!
女は嘲笑を浮かべ、素早く茂みに飛び込む。ミルディアが追おうとするが、またミレイに止められる。昨日のことを思い出し、ミルディアは思いとどまった。兵が馬から降りて茂みに入るが、しばらくすると戻ってきた。見失ったらしい。
「申し訳ございません、ミルディア様」
「仕方ないよ。向こうの方が手馴れていた。フレキ、ゲリ、大丈夫?」
「あ、ああ。ようやく刺激が収まった。あんなものを用意しているところを見るとあの女、普段からこの森で活動しているようだな」
「ってことは例の盗賊団の……」
「可能性は高いだろうな。ここで何をしてたのかは分からんが」
「陽の高いうち、しかもこないだの失敗から間を置かずまた集落を襲うとは考えづらいが」
「鼻は大丈夫?あの兵の臭いは?」
「まだ鼻の奥が痺れてるような感じで上手く嗅ぎ取れねえ。だが方向はこのままでいいと思う」
「とりあえず進んでみようか。何か手掛かりがあるかもしれない」
ミルディアたちは来た道をさらに進んだ。しばらくするとフレキとゲリがひくりと鼻を動かし、警戒しろ、と告げる。
「どうしたの?」
「血の臭いだ」
「血?」
「ここから続いている。ここでケガをしたか、それとも……」
「分かった。慎重に進もう」
それからさらに少し進み、注意しなければ気が付かないくらいの細い横道にフレキたちは入る。馬を降りてミルディアたちも続いた。
「うっ!」
その先にあるものを見てミルディアは思わず声を上げた。そこには騎士団の制服を着た男が倒れていた。あちこちに傷があり、さらに首から上は繋がっていない。少し離れたところにそれは転がっていた。
「これは……」
「マドックです。間違いありません」
駐屯兵の一人が首を見て言う。早馬で伝令に来た例の男だ。
「こいつはひでえな。だが見事な切り口だ」
フレキが死体のそばにしゃがみこんで呟く。
「ああ、おそらく一太刀。それも一瞬で首を斬り落としてるな」
ゲリも隣に立って同じ感想を述べる。
「さっきの女が?」
ミルディアの言葉にフレキは死体に触れて首を振り、
「いや、傷口の血が完全に乾いている。死後硬直も進んでいるし、おそらく死後一日程度は経っているだろう。食い荒らされた跡もある。夜のうちに狼どもが来たんだろうな」
「行方をくらました直後に殺されたってことか。さっき言ってた別の人間の臭いって……」
「ああ、おそらくそいつが
「また手掛かりが無くなったか。敵はかなり慎重だな」
ミルディアが死体から目をそらしながら呟く。
「こいつをどうする?このままにしとくのも……」
「勿論村に運ぶよ。といってもこのままじゃ流石にね。袋に入れてから馬に積みたいところだけど」
「袋なんざ用意してないからな。村に取りに戻るか?」
「いや、ちょっと待って」
ふと思いつき、ミルディアは辺りを見渡すと手近な木に手を掛け登り始めた。ミレイが心配する声を上げるが、ミルディアは器用に上の方まで登り、視線を巡らす。
「あった」
見覚えのある建物を目にし、ミルディアは地上へ降りるとミレイたちに待機しているように指示してゲリを連れて歩き出す。
「どこへ行く気だ?」
「袋が調達出来そうなところさ。ゲリなら見当が付くだろ?」
「おい、まさか……」
ゲリの顔色が変わる。といっても人間であるミルディアにその変化は見抜けなかったが。
「ふう、結構あったな」
ミルディアが額の汗を拭って息を吐く。目の前の建物を見つめてゲリが信じられないといった風に頭を抱えた。
「正気かミルディア?ここは……」
「そう、『黄昏の廃城』。黒衣の魔女の住処さ」
にこやかにそう言い、ミルディアは廃城の敷地に足を踏み入れた。
*
「陛下におかれましては益々ご健勝のご様子。心よりお慶び申し上げます」
マントを羽織った窪んだ目の陰気そうな男が跪き、わざとらしいくらいの大仰な身振りで言う。ここはモルガノ王国の王都、ルミナスの王城。男を玉座から見下ろし満足げに笑うのは国王のバルゼンド二世である。
「シムノ大神官殿、そのような大仰な挨拶はもう要りませぬ。我が国と貴国はもう兄弟のようなものですからな」
国王の言葉にシムノと呼ばれた男はにやりと笑いを浮かべ、
「ありがたきお言葉。
「教主様には我らのあるべき道を示していただき、心より感謝申しております、とお伝えください」
「ははっ、確かに承りました。猊下のみならず信徒もみな喜びましょう。我らの教えがこの国に広がることを」
「此度の御前会議で正式に発表するつもりです。これで両国の絆はより確かなものとなりましょう」
「真にめでたきこと。両国に栄えあらんことを」
深々と頭を下げ、シムノが言う。だがその口元に意味深な笑みが浮かんでいることに、国王は気づいてはいなかった。
*
「お、おい、待て。ミルディア」
「黄昏の廃城」の中庭を無頓着に進むミルディアの後を追いながらゲリが心配そうにあたりを見渡す。
「分かってるのか?ここは魔女の館なんだぞ。俺たちだってここには足を踏み入れねえってのに」
「そんなに怖がることはないよゲリ。ヴェルモットさんは噂されてるような恐ろしい人じゃないから」
「お前、まさか『黒衣の魔女』と面識が?」
ゲリが驚いたようにそう言った時、風が吹き抜け、ミルディアの前に突然人影が現れる。
「うわっ!」
慌ててのけ反るゲリに対し、ミルディアは落ち着いた様子で目の前に立つ彼女に話しかける。
「どうも、お邪魔します。ヴェルモットさん」
「何の用だミルディア?我のことは忘れろと言ったはずだぞ」
ヴェルモットは苦虫を嚙み潰したような顔でミルディアを睨む。しかしミルディアは涼しい顔で彼女に歩み寄り、
「そんなこと出来るわけないじゃないですか。それに今日はちゃんと用事があって来たんです」
「物好きな奴だな。こんな短期間で複数回ここを訪れたのはお前が初めてだぞ」
「父上は一度しか来なかったそうですもんね」
「何?」
「とりあえず中に入っていいですか?用もあるし、話したいこともあるんです」
「ここまで来てダメとも言えんだろう。……うん?
ゲリに目をやってヴェルモットが言う。ゲリは緊張してごくりと唾を飲みこんだ。
「ミルディア、お前一体……」
「行こうゲリ。大丈夫、取って食われるようなことはないよ」
「当たり前だ。我はそこまでゲテモノ食いではない」
ヴェルモットの言葉に引きつった笑みを浮かべ、ゲリは二人について館に入っていった。そのまま食堂に通されると、テーブルに向かい合う形で椅子に掛ける。
「で、何の用だ?」
「その前にヴェルモットさんにお話しておきたいことがあります」
ミルディアは父グランツがヴェルモットの境遇に心を痛め、自分と同じように救ってあげたいと思っていたこと。しかし何も出来ぬ自分の無力さに憤慨し、同じ無力感をミルディアたちに味あわせないよう、ヴェルモットの話をすることを禁じていたことなどを話した。最初は信じられない顔をしていたヴェルモットだったが、ミルディアの真剣な顔を見て、大きくため息を吐く。
「バカな男だ。我を救うなど、大それたことを。それで勝手に傷ついていたとはな。やはり血は争えんな。ロレンソもお前も本当にお節介だ」
だがそう言うヴェルモットの顔はどこか悲しげで、そして少し嬉しそうにも見えた。
「父はあなたを鬱陶しくなんて思ってません。それだけは信じてあげてください」
「ふ、お前のお節介は父や祖父に勝るとも劣らんな。で、話はそれだけか?」
「あと一つ。先日ここを出た後のことなんですが……」
ミルディアはここを出た後フレキやゲリと出会い、
「ふむ、確かに
「ヴェルモットさん、僕はどうもこの国、いやこの世界に何か大きな変化が起きるような気がしてならないんです。例の天啓は最近ありませんでしたか?」
「いや、ここに引きこもってからは一度も天啓は聞いたことがない。もしかするとあれは一種の魔法なのかもしれんな。なら外部から魔力が入り込めないここにいる我に届かぬのも道理だ」
「そうですか」
ミルディアは残念そうに呟いた。もしかしたらと一縷の望みを持っていたのだが。
「分かりました。で、今度は用事というかお願いなのですが……」
ミルディアは内通者と思しき兵を追っていたが既に殺されていたことを話した。
「袋か。確か村の者が食料を届けてくれた時に使っていたものがあったはずだ。出してやろう」
「ありがとうございます。後でお返しに……」
「いらん。死体を入れた袋など使いたくはないわ」
「それもそうですね。それじゃありがたくいただきます」
ミルディアはヴェルモットが探してきた袋を受け取り丁寧に礼を言った。ミレイたちを待たせてあるので急いで帰らなければならない。
「お前の話は興味深かった。我なりに調べておこう。昔ロレンソが魔道関連の書籍を大量に持ってきてくれてな。一通り目は通したはずだが、何か手掛かりになるようなことがあるかもしれん」
「ありがとうございます。お願いします」
改めて頭を下げ、ミルディアとゲリは「黄昏の廃城」を後にした。少し話が長くなってしまったので、ミレイたちが待ちくたびれているだろう。
「ごめん、遅くなって」
ミレイたちの元に戻ったミルディアはヴェルモットから受け取った袋にマドックの死体を入れ、馬の背に載せた。落ちないよう紐で縛り付けると、これからの動きについて話し合う。
「さっきの女を探したいところだけど、臭いは追えない?」
「あの匂い玉のせいであの時鼻をやられたからな。あの女の臭いをはっきり覚えてねえんだ。悔しいがな」
「今は大丈夫なんだよね?それなら」
あることを思いつき、ミルディアは女と遭遇した場所まで皆と戻る。あたりを見渡したミルディアは茂みの中に入っていき、その奥にある一本の木の周りをごそごそと歩き回った。
「あったあった」
そう言って戻ってきたミルディアの手には一本の矢が握られていた。先ほど顔をかすめた女の放った矢だ。
「これにあの女の臭いは残ってない?」
「なるほど。よく気が付いた。貸せ」
ミルディアから矢を受け取り、フレキが鼻を近づける。
「僅かだが確かに臭うぜ。人間の女の臭いだ」
「よし、じゃあこの臭いを追って、出来れば盗賊団のアジトを突き止めよう」
「お待ちください。その役目は私たちが行います。ミルディア様はこの男の死体を村へお運びください」
ミレイが真剣な顔でそう進言する。でも、と言いかけたミルディアにミレイは首を振り、
「これ以上ミルディア様に危険な真似をさせるわけにはいきません。昨日の二の舞になるおつもりですか?」
ミレイに看病してもらえるならそれも悪くない、などとバカげた考えが一瞬脳裏をよぎったが、すぐに妄想を振り払ってミルディアは大きく息を吐いた。父にも言われたばかりだ。同じ過ちを繰り返さぬことが重要だと。
「分かった、任せるよ。くれぐれも気を付けてね」
「心配するなミルディア。俺とゲリが付いてる」
フレキが不敵に笑う。ジュラの提言でミルディアには護衛としてイアンと駐屯兵二名が付き、残りの者は女を追うことになった。
「ではお気をつけて」
「そっちこそね。何かあったら村へ伝令を」
ミルディアはイアンたち三名の兵と村へ向かった。マドックの死体を馬に載せているので一人は徒歩になる。村に戻るには少し時間がかかるだろう。
「それにしても……」
ゆっくりと馬を進ませながらミルディアは考え込んだ。今度も手際よく内通者が殺されてしまった。自分がマドックの拘束を命じて早馬が到着した時にはもう本人は逃走した後。しかもそれとほぼ同時に刺客が送られ殺されたのだ。あまりにも動きが早い。不自然なくらいだ。
「不自然……違和感……」
『全てを信じるな』
父の言葉が脳裏に甦る。
『どこかに不自然さが出るものだ。それを見逃すな』
慎重に見極めろ。何かがおかしい。
『敵は味方のふりをして近づくものだ』
「敵……味方……」
自害した暗殺者と殺された内通者。あまりにも早い敵の動き。まるでこちらの動きが筒抜けのような……
「待てよ」
不意に昨日のオニキスの言葉が頭に浮かんだ。奴は毒矢を吹く直前、何と言った?
『そいつを口にした瞬間、俺は殺されちまう』
あの場には自分と騎士団しかいなかった。なのに口にした瞬間、というのはおかしくないか?これは違和感だ。なぜ奴はそう言った?
『焦った部下が斬りつけまして』
これはミレイの言葉。毒矢を自分で刺す前にオニキスは騎士団に斬られた。
「まさか!」
あることに思い至り、ミルディアは全身が総毛だった。マドックを拘束するよう早馬を出させたときそれを手配しに行ったのは誰だった?オニキスを外に連れ出すとき兵に物陰へ隠れるよう指示をしに行ったのは誰だった?そして今さっき、自分の護衛にイアンと駐屯兵二名を指名したのは誰だった?
「くそっ!」
ミルディアは焦りながら馬首を返した。驚いたイアンが馬を止めて叫ぶ。
「どうなさいました?ミルディア様!?」
「イアン、付いてきて!そっちのうちの一人はそのままマドックの死体を村へ。もう一人はイアンと一緒に来るんだ!」
叫ぶやいなやミルディアは馬を駆る。イアンと馬に乗った方の兵士は訳も分からずそれに従う。
「間違いであってくれ」
そう願いながらも、自分の考えが間違っていないことをミルディアは確信していた。急がなければミレイやフレキたちが危ない。
「なあ」
ミルディアたちと別れて女の臭いを追いながらしばらく進んだところで、フレキが足を止める。ゲリも同様に止まり、後ろに続くミレイたちを振り向く。
「どうしました?」
ミレイが訊くと、フレキがジュラの方へ近づき、ゲリがミレイの前に立ちはだかる。
「さっきからダダ漏れのその殺気の訳を教えてほしいんだがよ」
フレキが不敵な笑みで馬上のジュラを睨む。
「え?」
フレキの言葉の意味が分からず、ミレイがきょとんとした顔をする。
「動くな嬢ちゃん。死にたくなきゃな」
ゲリがミレイの動きをけん制する。ジュラがそれを見てやれやれといった顔をして首を振る。
「ちっ、出来るだけ殺気は隠してたつもりなんだが、これだからケダモノ野郎は始末が悪いぜ」
「ふん、お前らからは最初から嫌な臭いがプンプンしてたぜ。人間なんざそんなもんだと思ってたから無視してたが、ここまではっきりと敵意をむき出しにされちゃ流石に放っておけねえ」
「どういうことですジュラ!何故フレキさんたちに……」
ミレイが気色ばんで叫ぶ。ジュラとオルバ、そして残りの駐屯兵たちは一瞬顔を見合わせた後、ゲラゲラと笑い、
「まだ分かんねえのかよ中隊長さん。やっぱり栄養が全部胸に行っちまっておつむの方はからっきしのようだな。こんなのを優秀だとかいって隊長にするんだからアッシュの実力も推して知るべしだな」
ジュラがあざけるように言う。オルバと三人の駐屯兵、無精ひげを生やした男と二重顎の太った男、隻眼の痩せぎすの男がそれに同意するように手を叩いた。
「ジュラ……そんなまさか……あなたたち……」
「そういうことだ。さっきのマドックとかいう奴だけじゃねえ。こいつら皆、盗賊団に通じてるってこった」
ゲリが短剣を抜き、臨戦態勢になってジュラたちを睨む。フレキはとっくにやる気になっている。
「あなたたち!恥ずかしくないのですか!仮にも子爵様に仕える騎士団たるものがこんな……」
「貧乏子爵様に仕えてたって将来はたかが知れてるだろうが。それならせめて金くらいはたっぷり貰いたいだろ?面白おかしく生きるためにはな」
「貴様ら!」
ミレイが激昂して剣を抜く。が、ゲリが手でそれを制す。
「落ち着け。敵は五人。全員騎乗してる。普通なら俺とフレキは人間になぞ引けは取らんが、馬上にいるものとそうでないものでは圧倒的な有利不利がある。お前を守っている余裕はないかもしれん。激情に任せて動けば斬られるぞ」
「まさかミルディア様に付いていった者以外全員が敵に通じていたなんて……」
「おめでたいなあ、あんたは。冥途の土産に教えてやるよ。あんたが自慢げに率いてる第三中隊でマドックと通じていない奴なんざほとんどいないんだぜ。イアンともう一人くらいはいたかねぇ?」
「そんな……」
ミレイの顔が青ざめる。自分が若輩なのは自分が一番分かっている。それでも中隊長に取り立ててもらったアッシュのため、そして子爵やミルディアのため、必死に頑張ってきたつもりだった。それが……
「呆けている場合か!ここでむざむざやられればミルディアやその団長とやらの期待を本当に裏切ることになるんだぞ!」
ゲリの檄でミレイは我に返った。そうだ、ここでむざむざ裏切り者たちに討たれるわけにはいかない。ミルディア様やアッシュ団長のためにも。
「威勢がいいなケダモノ。だがてめえらに万に一つも勝ち目はないんだよ。あいつらのアジトを探り当てられちゃ、ちょいとマズイんでね。奴らにはまだ利用価値がある。ここで確実に死んでもらうぜ」
ジュラが笑って剣を抜く。それにオルバと駐屯兵たちも続く。
「来るぞ!」
ゲリが叫ぶのとフレキが突進するのはほぼ同時だった。
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