第10話 主の器
雨が降っている。
冷たい雨だ。だが体の芯から火照った今の俺には心地いい。それにこびりついたこのどす黒い血を洗い流すのにも丁度いいだろう。このくそったれどもの血。そして俺自身の血。どちらも薄汚れた野良犬の血だ。
「派手にやったな」
声を掛けられ振り向く。どしゃぶりの雨の中、傘を差して立つアニキの姿がライトに照らされ、暗闇に浮かび上がっていた。瞼が腫れて視界が狭い。
「二度と舐めた真似出来ねえようにしときました」
周りに倒れた血まみれの男たちを見下ろし唾を吐く。唇も腫れていてそれだけで痛みが走る。拳も感覚がない。骨が折れているのは確かだろうが。
「しかしちょいとやりすぎだ。『狂犬』とはよく言ったもんだ。こりゃ落としどころが難しくなっちまった」
「敵に容赦するなって教えてくれたのはアニキでしょう!」
「確かにそうだが、事情が変わってな。オジキは奴らと手打ちをするつもりのようだ」
「今更!?俺たちを焚きつけたのはオジキじゃねえですか!」
「何事にも程ってぇもんがあんだよ。そこを見極められなきゃこの世界じゃ長生きは出来ねえ」
「俺にそんな器用な真似……」
「出来ねえよなあ。だから……」
アニキの手の中で何かが光った。くそ、よく見えねえ。
「お前は長生きできねえんだよ」
破裂音が轟き、俺の意識は闇の底へ沈んでいった。
*
「くそったれが……」
自分の言葉で目が覚めた。何だ?今のは僕が言ったのか?
頭がクラクラする。ここはどこだ?僕はどうなったんだ?体が温かい。いや、誰かがいる。目の前に……
「ふぇ?」
意識がはっきりして目の前の光景を理解した時、頭が真っ白になる。
「うわああああっ!!」
パニックになって飛び起きる。掛布団がはだけ、それが丸見えになる。
「……!お気づきになりましたか!ミルディア様!」
彼女が目を覚まし、僕の顔をまじまじと覗き込む。その目には涙が溜まっている。
「よかった……」
「あ、あの、どういう事か説明してくれないかな?」
僕は顔を背けながら尋ねた。目の前にいる全裸のミレイに向かって。
*
「神の祝福は我らにあり」
静寂に包まれた聖堂に朗々とした声が響く。祭壇の上に立つ男のその言葉に、階下に跪く数名のローブを羽織った者たちが頭を下げる。
「昨夜、新たな預言を授かった」
おお、と感嘆の声が漏れる。
「いかなるお言葉を?」
「神の裁きは着実に世に広まりつつある。選ばれし我々が世界を救う時は近い」
「おお、ついに!」
「だが災いもまた目覚めつつある」
「災いですと?」
「神の御業の障害となるものだ。我らはそれを取り除かねばならぬ」
「その災いとはいかなるもので?」
「許されざる力を持たんとする者だ」
「その者はいずこに?」
「かの国の南……魔女の眠る森の近くにおる、と」
祭壇に立つ男、ネブロ神教の教主ブローネンはそう言って配下のものを
*
「そ、それでどうしてこんなことになってるわけ?」
顔を真っ赤にしたミルディアがミレイに尋ねる。彼女だけでなく自分もまた全裸の状態であった。
「昼間のことは覚えておいでですか?」
「あ、あ~、そうだ!リネン業者の店に行って……犯人を外に連れ出したんだった。それで……」
「オニキスと言う男が吹いた毒矢から私をお庇いになって」
「ああ、そうだった!あの男は?捕えたの?」
「それが……ミルディア様が倒れられて焦った部下が斬りつけまして。その直後に自分で毒矢を胸に突き刺したのです。魔法医に治癒魔法はかけさせたのですが、手遅れでした」
「そうか。手がかりは掴めなかったか。でも僕は運がよかったな。こうして助かったんだから」
そう言った途端、ミレイがミルディアの胸に飛び込んできた。ボリュームのある胸が押し当てられ、ミルディアはパニックになる。
「わわっ!ミ、ミレイ!?」
「申し訳ございません!ミルディア様をお守りすると言っておきながらこのような体たらく……逆にミルディア様に助けられるなど、騎士としてあるまじき不覚」
見るとミルディアは大粒の涙を流してボロボロと泣いていた。年頃の女性が号泣している姿を初めて見たミルディアは焦り、何とかなだめようと優しく声を掛ける。
「い、いや、ミレイが悪いわけじゃないよ。僕の方こそ危険だって注意されてたのに軽率だった。みんなに迷惑をかけて本当に申し訳ないよ」
「いえ!死を賜ってお詫びする失態でございます!」
「冗談じゃない!僕の身勝手な行動で優秀な兵を死なせたとあったら僕の方こそ父上の前で腹を切らなきゃいけないよ。とにかく落ち着いて。それで僕たちはどうしてこんなことになってるの?」
「城内は勿論、集められるだけの魔法医を集め必死に治癒魔法をおかけし、解毒の薬草も煎じたので何とか一命は取り留められたのですが、体温が極度に低い状態が続きまして。人肌で温めるのが最も効果的とお聞きしたものですから、その役を申し出ました」
「僕を温めてくれてたんだね。ありがとう。ずっと傍にいてくれたんだ」
「はい。体がお冷たかったので必死に抱きしめまして……」
「あ、ああ、そう。本当にありがとう。おかげで助かったよ」
あのボリューミーな二つのふくらみがずっと押し当てられていたのかと思うとドキドキが止まらない。いや、この瞬間も同じようにそれが押し当てられているのだ。改めて柔らかな感触を覚え、頭がクラクラする。
「本当に目覚められてよかった……」
自分の胸に顔を埋め涙を流しながらほっとした声を出すミレイ。その様子があまりにも可愛く見え、ミルディアはますます興奮を覚える。まずい、このままでは正気を失いそうだ。
「と、とにかく一度離れて。ちょ、ちょっと刺激が強すぎるんで」
「あ、も、申し訳ありません!」
我に返りミルディアから離れたミレイが布団で体を覆う。とりあえず落ち着いたミルディアは現状を確認するため、彼女に気になっていることを尋ねた。
「今何時?僕はどれくらい眠ってたの?」
「お待ちください」
ミレイが立ち上がり、窓のカーテンを開ける。外には闇が広がっていた。
「もう夜ですね。おそらく数時間はお休みだったかと」
「貴重な時間を無駄にしたな。まったく、こんなんじゃ父上の代行なんてとても務まらない。情けないよ」
「何をおっしゃいます!そもそもミルディア様の推理が無ければあの場所にたどり着くことも出来ませんでした。他の従業員に危害を与えずあの男を連れ出した手際もお見事です。改めて心服いたしました」
「でも結果はこの有り様だ。ミレイが散々止めたのに手前勝手に突っ走って自分の身を危険にさらした。上に立つ者としてあるまじき姿だ」
「それでも!」
ミレイが不意に大きな声を上げ、ミルディアはビクッとして前を向いた。途端にミレイの裸体が見え、慌ててまた目をそらす。
「それでも私は……私たちはミルディア様に心服しております。身を挺して私ごときをお助け下さったこと、心より感謝いたしております。他の騎士も改めてあなた様への忠義を口にしておりました」
「ごときなんて言わないでよ。ミレイたち騎士団はこの町にとってかけがえのない存在なんだから。僕はそんな君たちに忠義を尽くしてもらえるほどの男になれるのかな?こんなザマじゃ自信がないよ」
「そのような悲しいことをおっしゃらないでください」
ミレイがベッドに歩み寄り、そっとミルディアを抱きしめる。柔らかな胸の谷間に頭を押し付けられ、ミルディアは息を呑んだ。
「ちょ、ちょっとミレイ!?」
「私のミルディア様を敬愛する心をお疑いですか?」
「い、いや、そ、そんなことはない。ミレイたちの気持ちはとっても嬉しいよ。だ、だからちょっと……」
「自信をお持ちください。ミルディア様はご立派に子爵様の代行を果たしておられます。ミルディア様を信じぬものは騎士団にはおりません」
「ありがとう。頑張ってみるよ。だ、だからその……」
「ご迷惑ですか?」
「そうじゃないけど、これじゃ落ち着いて話が出来ない。聞きたいことがまだ色々あるし」
焦るミルディアにミレイがようやく腕を離し、隣に座る。彼女の方を見ないようにしながら、ミルディアは気になっていたことを尋ねた。
「病院に行ったエボニーとか言う男はどうなった?」
「詳しいことは分かりませんが、あの店に届けていた住所は出鱈目だったようで、消息は不明とのことです」
「早馬で来た兵士の方は?」
「添い寝をさせていただく直前に連絡がありましたが、昨日村に戻ったことは確かなのですが、いつの間にか姿が見えなくなっているそうです」
「消えた?自分に疑いがかかったのを察知したのか?」
「分かりません。村に駐屯している他の兵が捜索に当たっている模様です」
「そうか……うん、もしかしたら……」
「何か?」
「いや、思いついたことがあるんだけど、今から森に使いを出すのは危険すぎるだろうね。時間がもったいないけど明日の朝まで待つしかないな」
「はい」
「つくづく情けないよ。今日中に動けていれば何とかなったかもしれないのに」
「ご自分を責めないでください。ミルディア様のおかげで私は救われ、皆の忠義も強められたのです。私はミルディア様にお仕えできることを誇りに思っております」
「僕はそんな風に言ってもらえるほどの器ではないよ。まだまだ未熟者だ」
「誰でも初めから全て上手く出来るものなどおりません。ミルディア様は立派に人の上に立つ器をお持ちと思います」
「そう言ってもらえると少し気が楽になるよ。きょ、今日は本当にありがとう。助かったよ」
「いえ、お助けいただいたのは私の方です。改めて御礼申し上げます」
「き、気にしないで。もっと上手くやれればよかったんだけどね。も、もう大丈夫だから……戻ってもいいよ」
「はい。……あの、本当に大丈夫でいらっしゃいますか?何か落ち着かないご様子ですが」
顔を背け腰をもじもじと動かすミルディアを見てミレイが心配そうに尋ねる。ある意味大丈夫ではない。巨乳の美人騎士が全裸で隣に座っているのだ。女性の体を知った思春期の少年が冷静でいられる状況ではなかった。
「もしかして、お辛いのですか?」
状況を察し、ミレイが顔を赤らめながら尋ねる。
「そ、そりゃこういう状況じゃね。僕も男だし」
「は、配慮が足りず申し訳ありません」
「う、うん。分かったら服を着てくれるかな?それで今日はもう……」
「あの……もしよろしければ私が楽にしてさしあげてもよろしいでしょうか?」
「ふぇっ!?」
「お、男の方がこのような状況のままではお辛いということくらいは……存じております」
「い、いやいやいや、それはダメだよ!」
昨夜モリアに慰めてもらった時でも非常な後ろめたさを感じたのに、これはまるで弱みに付け込むような形だ。領主代行として、いや人として許されない。何より自分を許すことが出来なくなってしまう。
「私ではご満足いただけないことは承知しておりますが」
「そうじゃない!そういうことじゃない!どうしてみんな自分をそう過小評価するのかなぁ。女性に、ましてミレイみたいな美人にそんなこと言われたら男なら誰だって嬉しくなるに決まってるじゃないか」
「過分なお言葉。では……」
「でもこれは……こういうのはよくない。何ていうかこう……」
「ご自分の立場を利用して、とお考えですか?」
「そ、そうそう。僕はそんな卑劣な真似はしたくないんだよ」
「恐れながらこれは贖罪の気持ちでも家臣の務めとしてでもありません。私の……個人的な敬愛によるものでございます」
ああ、モリアといいミレイといい、どうして自分なんかにそこまで言ってくれるのだろう。自分にそんな資格はない。今日だってもっと上手く立ち回れれば事件解決に近づけたかもしれないのに。
「重ねて恐れながら申し上げます。自分を一番過小評価なさっておられるのはミルディア様自身かと存じます。私は、いえ、私共はミルディア様にお仕えすることの喜びを持っております。ミルディア様に主たる器があると確信しているのです」
不意に涙が零れた。肩ひじを張って無理をしていた体が緊張から解き放たれたような気持ちになる。
「こ、こんな僕でも……いいのかな?みんなに助けてもらってやっていけるのかな?」
「勿論です。皆、騎士団の者も町の者もミルディア様に付いていきます」
ミルディアは子供のように泣きじゃくった。ミレイはそんな彼をそっと抱きしめ、やさしく頭を撫でる。
「みっともないところを見せちゃったね」
ひとしきり泣いた後、ミルディアはばつが悪そうに頭を掻いた。とても恥ずかしかったが、感情を露わにしたことで気持ちはだいぶ楽になっている。
「いえ、少しでもお役に立てたのなら光栄です」
「少しどころじゃない。心の中の雲が晴れたみたいだ」
「それはよかったです。ですがこちらの方は……」
顔を赤らめながらミレイが視線を下げる。現金なもので気持ちが落ち着いたら別の方が落ち着かなくなってしまった。何せミレイは全裸のままなのだ。
「あ、あはは……こっちも元気になっちゃったね」
「ミルディア様、私は……」
「ちょ、ちょっと待って。ちなみにミレイはその……経験があるの?」
「い、いえ。申し訳ございません」
「謝ることはないよ。でもそれならなおさらダメだ。僕なんかがその……」
「ミルディア様に捧げられるのであればこの上ない喜びでございます」
「でもダメだ。こういう形じゃその……僕が自分を許せない」
「ですがこのままではお辛いでしょう。こうなったのは私の責任でもありますし、その……お気持ちだけでなく体の方も楽になっていただければ嬉しいです」
確かに下腹部は痛いくらいに疼いている。少年の本能は今にも暴発しそうだった。
「じゃ、じゃあお言葉に甘えて。で、でも挿入は無し!そ、そこだけはけじめを付けなきゃダメだ。本当なら我慢しなきゃいけないんだけど、ごめん」
「いいえ、お心遣い、感謝いたします」
炭を熾したように顔を真っ赤に染め、何かを我慢するような表情のミルディアを見つめ、ミレイがふっ、と微笑をもらす。
「やっと笑ってくれた」
そんなミレイを見てミルディアの顔にも笑みが戻る。二人はしばし無言で見つめあい、そっと唇を重ねた。そのままミレイがミルディアを抱きしめる形でベッドに体を倒す。
『やっぱり女の人っていい匂いだな』
ぼうっとした頭でそんなことを考えながらミルディアはミレイに身を任せた。
結局ミルディアの体が楽になれたのは五回も果てた後だった。
*
時は少し遡る。
ミルディア発見の報を城と子爵邸に届けるために村から早馬を出す事になった時、真っ先に手を挙げた男がいた。村の駐屯兵の責任者に許可をもらい、馬を駆ったその男は直接城には向かわず、ある場所へと出向いた。
「失敗?おまけにほとんどが殺されてババノスたちが捕まったというのか?」
「は、はい」
兵士の報告にその男は顔をしかめた。トントンと椅子のひじ掛けを指で叩き、不機嫌そうに足を揺する。
「その場に子爵の息子がいたというのは確かなのか?」
「そのようで」
「ふん、世間知らずのボンボンと思っていたが、少々厄介かもしれんな」
「いかがいたします?ババノスはまだしも他の者が余計なことを漏らせば……」
「始末するしかあるまい。例の店に潜り込んでいるエボニーたちに繋ぎを付けろ。送り先は収監所だろう」
「ババノスは重傷との報告もありますが」
「なら病院にも手を回せ。何としても今夜中に始末をつけるのだ」
「かしこまりました」
「予定よりことが早く動くかもしれん。騎士団の切り崩しはどうなっている?」
「順調に進んでおります。特に第三中隊は大半がこちらに付きました」
「結構。気取られてはおらぬだろうな?」
「はい。ボンクラの団長やお飾りの女隊長は露ほども気づいておらぬかと」
「前に見たあの胸のでかい女か。事が成った暁には傍に侍らすのもよいかもしれんな」
「お好きですな、少佐殿も。私の見立てではあの女、まだ男を知らぬかと」
「それは楽しみだ。俺の色に染め上げるのも一興よの」
「それは、とんでもない淫乱になってしまいますな」
「人聞きの悪いことを言うな。ただ俺のモノがなくては生きていられんようにするだけだ」
少佐と呼ばれた男が醜悪な笑いを浮かべる。この翌日、ミルディアがミレイに向けたものとは正反対の吐き気を催すような邪悪な笑みだった。
「戯れも大概になさった方がよいですぞ、少佐」
「何者だ!?」
いきなり声を掛けられ、少佐と呼ばれた男が笑みを消して叫ぶ。と、いつの間にか部屋の奥に一人の男が立っていた。帽子を被った小柄な男だ。
「お前か。驚かすな。いつここに来た?」
「たった今ですよ。先日、ここにも『門』を設置させていただきましたので」
「転移魔法か。まったく便利なものよな。帝国にいようと一瞬でここまで来られるのだから」
少佐はやや不機嫌そうに小柄な男を見つめて言う。
「それより先ほどのお話、確実にお頼みしますよ。情報が漏れることは避けたいですからな。特に頭目の始末は確実に」
「分かっておる。マドック、すぐに手配を」
少佐の言葉に頷き、マドックと呼ばれた騎士団兵が部屋を出て行く。
「どうも予定外のことが起きているようです。少佐のお見立て通り、ことを早める必要があるかもしれません」
「帝国の方は問題ないのか?」
「そちらが成功すればすぐにも動けるようになっています」
「分かった。子爵がここを出るのは明後日だ。それと同時に動く」
「くれぐれも慎重にお願いしますよ」
小柄な男はそう言って帽子を取り頭を下げた。
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