第9話 竜公女

 「また発症者デベロッパーが出たと?」


 モルガノ王国の北に位置する聖竜公国。その聖都ヴァミンガムにある聖竜城の玉座に座る女性が眉根を寄せて言う。見た目は人間に似ているが、左右の側頭部から生えた太い二本の角と臀部の上から生えた強靭な尻尾が彼女が竜人族ドラグニュートであることを示している。褐色の肌とエメラルドグリーンの瞳が美しい。


 「はい、北の町ドレアの民とのこと」


 玉座の前に跪く同じく竜人族ドラグニュートの侍女が報告する。彼女の角は短く上を向いているが、玉座に座る者のそれは側頭部から前方向へやや下向きに弧を描いて生えており、太く長い。角の太さと長さは力の象徴であり、玉座に座る女性の地位と力が高いことを示していた。


 「してその者は?」


 「警備隊によって殺処分されたのことです」


 「そうか、やはり助けられなんだか」


 玉座に座る女性、聖竜公国の君主である大公ドグラマイザ三世の娘、竜公女アニメラは沈痛な面持ちで呟いた。人間でいえば二十代半ばの見た目をしているが、彼女の年齢は優に100歳を超えている。エルフ族同様彼女たち竜人族ドラグニュートも長命な種族なのだ。


 「今月に入りこれで三例目か。これまではその場で対処できておるが、もし同時に複数の発症者デベロッパーが現れたら対処出来ぬ事態も起こりえるやもしれんな。国内ならまだしも他国に出られたら大問題になるであろう」


 「各地で警備隊の数を増やし対応を強化はしておりますが」


 「対処療法ではいずれ限界が来る。原因の究明はまだ進んでおらんのか?」


 アニメラが右手に視線を送り、詰問する。玉座の右手に控えた初老の男、無論彼も竜人族ドラグニュートだ、がばつが悪そうに俯きながらぼそぼそと話す。


 「申し訳ございません。発症者デベロッパーの死体を解剖し、詳しく調べてはいるのですが、何せこれまでこのようなことは一度も経験がなく……」


 「そんなことは分かっている。だがこのままでは我が国そのものが崩壊しかねん。いや、場合によってはこの世界自体もな」


 アニメラの凛とした美貌が苦悩の色を浮かべる。猫の目のように瞳孔が細くなり、美しさの中に怖さを感じる。男はますます委縮し、乾いた声で報告を続ける。


 「呪いの類でないことは確かなようですが、それ以上のこととなると未だ何も。特殊な魔力の波動も認められませんし、正直現状ではお手上げです」


 「違った角度からのアプローチが必要かもしれんな」


 「はい。それで先日、古竜占術の者に伺いを立ててみたのですが」


 「占いババか。何か言うておったか?」


 「はい。人間の男が光明をもたらすであろうと」


 「人間?まさか人間ごときがこの事態を収めるというのか?」


 「そこまでは……」


 「ふん、所詮は時代遅れの占いだ。まあ話半分に聞いておく。引き続き研究を続けよ」


 「はっ」


 恐縮する男を尻目にアニメラは玉座から立ち上がった。胸を覆うだけのトップスと短いボトムだけのいわゆるビキニスタイルの彼女の見事なプロポーションの体が横を向き、そのまま歩き出す。即座に傍に控えた侍女が付き添い、共に脇へと消えていく。左右に控えた家臣たちはアニメラを見送ってほっと息をついた。


 半年ほど前から聖竜公国では一つの問題が発生していた。


 竜人族ドラグニュートは「五種の太祖フィフス・オリジン」の一種、大神竜ウルブアスの末裔とされているが、ウルブアスは一匹の巨大な竜だった。その両翼は二つの山の頂にかかり、その口から放たれた火炎は湖を干上がらせたという。その眷属として生まれた竜たちも巨体と強靭な力を持っていたが、長い時を経る中で彼らの子孫は徐々に小型化し、人間に近い見た目へと変化していった。人間が爆発的に増えこの世界を掌握するに従い、人間と同程度の大きさになった竜人族ドラグニュートは破壊衝動を抑え、聖竜公国を建国した。


 そうして長い間人の世界で独立した国を守ってきた彼らであったが、半年ほど前から竜人族ドラグニュートが突然、かつての竜の姿に変貌するという事象が見られるようになった。大きさこそ元のサイズとさほど変わらないものの、理性を失い、見境なく暴れまわるようになるのだ。今では失われた火炎を吐く能力も持ち、周囲を危険にさらすことから「発症者デベロッパー」と呼ばれるその症状に陥ったものは殺処分が下されることになった。原因も元に戻す方法も分からず、増え続ける発症者デベロッパーは徐々に体を大きくしていった。


 この現象は「先祖返りリヴァージョン」と呼ばれ、公国の竜人族ドラグニュートたちを不安にさせた。何とか拘束し元に戻す方法が見つかるまで隔離したいと願うアニメラの思いとは裏腹に巨大化、凶暴化の一途をたどる先祖返りリヴァージョン発症者デベロッパーたちは警備隊による殺害しか対処できなくなっていたのである。


 「ふう……」


 玉座を離れたアニメラは大浴場へと向かった。体を覆う僅かな布を脱ぎ去ると、付いてきた侍女が恭しくそれを受け取る。気分が優れないとき湯あみをするのがアニメラの習慣であった。


 『こんな時に父上がおられたら』


 アニメラは心の中で呟く。父である大公ドグラマイザ三世は長い間病で臥せっている。竜人族ドラグニュート特有の病気で治療法は確立されていない。それ以来アニメラは竜公女として国の運営を担ってきたのだ。


 ザアッ


 十人は余裕で入れる大きな浴槽の脇の椅子に座り、体に湯をかける。腰まで伸びたピンク色の髪が褐色の肌にまとわりつく。熱い湯が染み入るようで心地よい。


 「失礼いたします、アニメラ様」


 浴場のガラス戸が開き、侍女のパメラが入ってきた。アニメラよりも薄い褐色の肌に青い髪。歳はアニメラより一回り若い。


 「お背中をお流しいたします」


 タオルを持ちアニメラの背後にかしずいたパメラが石鹸を取りタオルにそれを塗りつけて泡を立てる。シミ一つないアニメラの張りのある肌にタオルを優しく当て、そっと上下させる。


 「ああ……お美しい」


 パメラがうっとりとした表情で手を動かす。そのうちタオル越しではなく直接手のひらをアニメラの肌に当て、慈しむように撫でまわし始めた。そしてその手が前へと回る。


 「お、おい、パメラ」


 考え事をしていたアニメラが刺激で我に返り焦った声を出す。パメラの手はいつの間にか彼女の乳房を掴み、もみ始めていた。


 「そ、そこは自分で洗う」


 「ああ、申し訳ございません。つい我を忘れてしまいまして」


 「お前というやつは。油断するとすぐにこうだ」


 「アニメラ様にこうしてお仕えできる幸せが私を冷静ではなくしてしまうのです。ああ、心からお慕い申しております、アニメラ様」


 上気した顔をアニメラの背中に近づけ、呆けたように呟くパメラ。その間も胸をもむ手は止まらない。


 「そ、その気持ちはありがたいが、こういうのはちょっと……」


 「家臣の中にはそろそろお世継ぎを生んでいただかねばならないなどと不敬なことを申す者もおるようですが、全く言語道断です!このお美しい肌を男にさらすなどとんでもないこと!」


 「べ、別に不敬ではあるまい。大公家を存続させるためには世継ぎは必要だ」


 「アニメラ様!まさか心に決められた方がいらっしゃるのですか!?」


 「そ、そんな者はおらん。今はそのような時ではない」


 「申し訳ございません。詮無きことを」


 「だがいずれは考えねばならんだろうがな」


 「ああ!出来るならば私めがアニメラ様の……っは!重ね重ね申し訳ございません!これこそ不敬というもの!処罰はいかようにも」


 「よい、そちの忠誠はありがたく思うておる。しかしもう少し節度を持て。まずは胸から手を離せ」


 アニメラは苦笑して言った。重苦しかった気持ちが少し楽になった気がする。心の中でパメラに感謝しつつ、アニメラはセクハラ侍女の手を逃れて湯船に身を浸した。



                *



 「全員配置に付きました」


 ミレイが敬礼をして報告する。目の前の看板を見つめ、ミルディアは緊張した面持ちで頷いた。ミルディアの推測通り収監所と病院のシーツを貸出ししているリネン業者は同じであった。それがこの「ロッド・リネンサプライ」という店である。リミステアのリネン業をほぼ一手に請け負っている老舗だ。ミルディアは第三中隊を率いてこの店に向かい、周囲を包囲した。


 「思った以上に広かったですね。増援を呼びますか?」


 ミレイが周囲に散った隊員を見ながらミルディアに尋ねる。大量のシーツ類を洗濯するため、「ロッド・リネンサプライ」は事務所の裏に大きな工場が併設されていた。その敷地はかなりの広さとなり、連れてきた第三中隊十名あまりが全員で包囲してもある程度の距離を取る必要があった。


 「いや、出入り口は限られてるからそこを押さえておけば大丈夫だろう。僕の予想では店全体が事件に関わってるわけじゃないと思うんだ。おそらく盗賊団、というより奴隷商人と繋がっている奴が潜り込んでいるんだろう」


 「はっ。しかし攻撃魔法を使う者がいる可能性は高いです。やはりミルディア様が直々においでになるのは危険かと」


 「危険は承知しているけど、これは父上から代行の任を受けて最初の仕事だからね。自分自身が関わったことでもあるし、この手で解決したいんだ。我儘なのは分かってるけど、やらせてほしい」


 「分かりました。警備には万全を尽くしますが、くれぐれもお気をつけて」


 「ありがとう」


 ミレイに微笑みかけ、ミルディアは店のドアをノックする。返事が来ると共にミレイがドアを開け、ミルディアとミレイ、ジュラの三人が店内に入る。


 「何か御用で?」


 兵士の姿を見て痩せぎすの初老の男がおびえた様子で尋ねる。


 「ある事件の調査をしています。お伺いしたいことがありまして」


 ミレイが周囲を注意深く見渡しながら男に言う。事務所は大した広さはなく、中には数名の女性が机に向かっているだけだ。事務係だろう。


 「主はどちらに?」


 「今、工場の方に行っております。どのようなことでしょうか?」


 「こちらでは中央病院と収監所にシーツを納めていますね?」


 「はい、確かに」


 「昨夜そちらに納品に行った従業員を知りたいのです。こちらで分かりますか?」


 「病院と収監所ですか?少々お待ちください」


 男が目配せすると、女性の一人が書類の束に手をやりその中から一枚の紙を出して持ってくる。昨夜の勤務シフト表らしい。


 「ええ、と……病院の方はエボニー、収監所へはオニキスが行っておりますが」


 男がリストを見ながら答える。


 「その二人は今どちらに?」


 「エボニーは夜勤明けで帰っておりますが、オニキスはまだ工場にいると思います。明けが一時間後になってますので」


 「ミレイ!」


 ミルディアが叫び、ミレイが頷いてジュラに合図をする。ジュラが外に飛び出すと、ミルディアはエボニーという男の住所を聞き出す。


 「この二人は昔からこの店で?」


 「いえ、半年くらい前でしたか、急に雇ってほしいと。ほぼ同時期だったと記憶していますが」


 「ミルディア様、例の拉致事件が起き始めたのが丁度その頃と聞いております」


 「いつも病院と収監所を担当していたんですか?」


 「いえ、休みの関係もありますし……ああ!思い出しました。そういえば昨日二人とも納品先を変更してくれと言ってましたね」


 「決まりみたいだね。お邪魔しました。申し訳ありませんがその二人はこちらで連行させていただきます」


 「え、ええ?」


 戸惑う男に一礼してミルディアとミレイは外に出た。裏手の工場に向かうと、ジュラがこちらに走ってくる。


 「出入口は固めました。今のところ目立った動きはありません」


 「注意を怠るな。オニキスという男は収監所へ行った方だ。毒を所持している可能性がある」


 「他の従業員を危険にさらすわけにはいかない。いきなり兵士が入っていったら警戒される。まず僕がオニキスを外に連れ出すよ」


 「危険です、ミルディア様!奴が抵抗したら……」


 「工場で見境なく暴れるような真似はしないだろう。毒には気を付けるよ」


 「お一人で行くことはおやめ下さい!お願いです」


 「じゃあ俺が付いていきますよ。兵士に見えなきゃいいんでしょ?」


 ジュラがそう言って制服を脱ぎだす。


 「下は脱げないですけど、まあ少しは誤魔化せるでしょう」


 「頼むぞジュラ。くれぐれもミルディア様を危険にさらすな」


 「お任せを、隊長」


 ミルディアはジュラと顔を見合わせ、工場のドアを開ける。途端にむわっとした熱気を感じる。工場は広く、あちこちから湯気が立ち上っていた。大きな木の桶がいくつも置かれ、その中に湯が張られている。大勢の従業員が台の上に立ち、桶に入れられた布を木の棒で押したり回したりしている。


 「すいません、ご主人はどちらでしょうか?」


 近くの桶の前で作業をしている中年女性に声をかけると、彼女は額の汗を拭き、黙って指を伸ばした。その先に身なりのいい男性が立っているのが見える。


 「失礼します。ここのご主人でいらっしゃいますか?」


 男は肯定し、怪訝そうな顔をする。が、すぐに顔色を変え、


 「ま、まさか!ミルディアさ……」


 大声を出しかけた男にしっ、とミルディアは慌てて指を口に当てる。どうやら主人はミルディアの顔を知っていたらしい。


 「僕をご存じでしたか。なら話は早い。実は協力していただきたいことがあって」


 「は、はい。私に出来ることでしたら」


 ミルディアは微笑みながら主人に話をする。聞いていた主人の顔がみるみる驚愕の色に染まっていった。



 「おい、オニキス」


 主人が桶から上げた布を台車に乗せて運ぶ一人の男に声をかける。髪を伸ばした暗い雰囲気の男が振り向くと、主人の後ろに若い男性が立っている。


 「こちら、新しく町に出来る旅籠のご主人の息子さんでな。宿が出来たらうちと契約をしたいとおっしゃってくださってるんだ。その前にうちの商品を確認したいらしくてな、お前もうすぐ上がりだろう。倉庫にご案内してあげてくれんか。そのまま上がっていいから」


 「分かりました。こちらへ」


 陰気そうな声で答えると、オニキスは若い男を案内して裏口の方へ歩いていく。


 「あそこが倉庫です」


 外へ出たオニキスが指をさし、後ろの男を振り返らずにそのまま歩き続ける。


 「時にオニキスさん」


 工場と倉庫の中間あたりに来たところで若い男が声をかける。


 「何か?」


 「


 はっ、としてオニキスが振り向くのと同時に若い男、ミルディアが手を掲げる。それを合図に工場と倉庫の陰に隠れていた第三中隊の兵が一斉に飛び出し、オニキスを取り囲んだ。


 「ちっ!これだけの気配に気づかないとは俺もヤキが回ったぜ」


 オニキスが毒づき、懐から短剣を取り出す。ミルディアの作戦は客のふりをしてオニキスを外に連れ出し、包囲するというものだった。主人が上手く芝居をしてくれたので助かった。ミルディアがオニキスを引き付けている間にジュラは外へ出て裏口付近にいた兵を建物の陰に隠したのだ。


 「無駄な抵抗はやめろ。昨夜収監所で盗賊の男二人を殺したのはお前だな!?」


 「思った以上に早くバレちまったな。騎士団を甘く見てたぜ」


 「お前とエボニーの雇い主は誰だ?奴隷商人か?」


 「そこまで気づかれてちゃ言い逃れは出来ねえな」


 オニキスは短剣を構えながらじりじりとミルディアから遠ざかる。が、周囲は完全に兵に囲まれているので逃げ場はない。


 「奴隷商人の名を言え!そいつは帝国の人間か!?」


 ミルディアの隣に立つミレイが剣を向けて詰問する。オニキスはにやっと笑い、短剣を地面に落とす。


 「そいつを口にした瞬間、俺は殺されちまう。ま、どっちにしろ逃げ切るのは難しそうだ。だが一人くらいは……」


 嫌な予感がミルディアの体に走る。


 「道連れにしてやる!」


 オニキスが目にも止まらぬ速さで懐から何かを取り出した。それが吹き矢だと気づく前にミルディアの体が動いた。


 「危ない!」


 兵士たちが飛びかかる前にオニキスの吹いた毒矢がミレイに向かって飛んでいく。一瞬反応が遅れたミレイの体を、ミルディアが体当たりで突き飛ばした。


 「ミルディア様!」


 絹を裂くようなミレイの悲鳴が響く。肩に激痛を覚え、ミルディアはそのまま意識を失った。

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