第5話 迫る侯爵令嬢

 「ちょ、ちょ、ちょっと待って!」


 あまりに奇想天外なセリフを聞いて一瞬頭が真っ白になったミルディアだったが、ようやく正気に返ると自分に抱きつく少女の手を引き離す。


 「今なんて言った?聞き間違えじゃなければ……」


 「だ・か・ら、私を押し倒してって言ったの!」


 「自分の言ってる意味が分かってる!?仮にも侯爵様の令嬢ともあろう人が……」


 「爺やみたいなこと言わないで」


 「ゼラスさんが聞いたら卒倒するよ、多分」


 ふう、と息を吐きミルディアは頭を抱えた。目の前の美少女、フローゼ・オブライエンはフォートクライン家にこのリミステアを割譲した名門貴族、オブライエン侯爵家の一人娘である。前述のような理由からフォートクライン家はその勃興期から侯爵家とはとりわけ縁が深く、両家の人間の往来も盛んであった。そんな中でもミルディアとフローゼは歳が同じであることもあってほとんど幼馴染と言ってもいいくらいの親密さをもって育った。ミルディアが昨年の中等部卒業まで王都の貴族学校に留学し、フローゼと同級生であったことも大きかった。ちなみにゼラスとはフローゼ付きの執事で、彼女は「爺や」と呼んでいる。


 「大体どうしてフローゼがここにいるのさ?」


 「お父様の親書を子爵様にお届けに来たのよ。そうしたらミディが行方不明だって言うじゃない!もうびっくりして。とりあえずお屋敷で見つかるまで待たせてもらおうと思ったの。そうしたらさっき早馬が来てミディが見つかったって連絡があったから……」


 自分が「黄昏の廃城」に飛ばされたのはもう夕方だったから、ほぼ入れ違いでリミステアに着いたのだろう。


 「心配をかけてごめん。でもそれとさっきのセリフはどう関係があるわけ?」


 「ああ、ごめんなさい。そもそもそれが目的で来たのよ。元々は別の者が親書を届ける予定だったんだけど、どうしてもミディに会いたくて、お父様に強引にお願いしたの」


 「だから何で?」


 「ここじゃ何だからお部屋で話しましょ」


 フローゼはミルディアの手を引き、大階段へ向かう。勝手知ったる何とやらで、そのまま階段を上ってミルディアの部屋へまっすぐ進む。


 「あの、父上に帰還の報告をしなきゃいけないんだけど……」

 

 「私の話の後にして。どうせ行ったら叔父様、じゃない子爵様のお小言が長くなるんでしょ?」


 もう長い付き合いだ。父グランツの性格もフローゼは熟知している。幼い頃は悪戯をして一緒に雷を落とされたこともある。自他ともに厳しいグランツは侯爵令嬢にも忖度というものをしなかった。オブライエン侯爵もそんなグランツの性格をよく知っており、それを好ましく思っていた。北端のビスクの統治を任せたのも侯爵本人より王家の意向が働いたものだったが、侯爵自身グランツの能力を買っていたため賛同したのである。


 「で、話って?」


 自分の部屋のソファに座り、疲れた様子でミルディアが尋ねる。向かいのソファに座ったフローゼがぐい、と身を乗り出して話し始めた。


 「実は縁談が来てるの」


 「縁談?君に?」


 「そうよ!貴族の家に生まれたんだから政略結婚させられる可能性は考えていたわ。でもね!」


 「待って待って。でもフローゼは一人娘だろう?確かお兄さんは……」


 「ええ。私がまだ小さい時に病気で亡くなったわ。それからお母様も病気がちになってその後お父様は子宝に恵まれなかった。お母様が亡くなってから側室も何人かいたみたいだけど、やっぱり子供は出来なかったわ」


 「じゃあフローゼが結婚したらオブライエン家は……」


 「だから婿を取るのよ!私が嫁ぐんじゃなくて婿養子を取るの!」


 「ああ、そうか。そりゃそうだよな。名門のオブライエン家を途絶えさせるわけにはいかないもんね」


 「ええ。で、私はてっきりミディが来てくれると思ってたのよ」


 「え?え?」


 「だって小さいころからずっと一緒に過ごしてきたし、フォートクライン家とうちは浅からぬ関係じゃない!子爵家を守るためにベルゴ兄様は嫁を取ったから、うちに婿入りしてくるのはミディしかいないって思ってた。疑いもしなかったわ」


 「いや、そんな話は聞いたことがないよ。父上も一言も言ったことはない」


 「それがおかしいのよ!こんなにずっと一緒だったのに。それが急に縁談ですって。相手は誰だと思う?ハーゼン辺境伯の次男坊よ!」


 「ハーゼン辺境伯か。噂で聞いたことはあるよ。王国の西方に広い領地を持ってる実力者らしいね」


 ミルディアが聞いた噂はそれだけではない。ハーゼン辺境伯は上昇志向の強い貪欲な男で、周りの貴族を蹴落として男爵から成り上がった人物らしい。証拠はないが暗殺や謀略を用いて出世したと陰口を叩くものも多いという。


 『辺境伯なら侯爵家に取り入るため息子を差し出すくらい平気でやりかねないな』


 ミルディアは心の中で呟いた。一方のフローゼは怒りを隠しもせず愚痴をまくしたてる。


 「で、ちょっと調べさせたんだけど、その次男坊ってのがまた最悪なのよ。でっぷり太ってて、異常なくらいの女好き。お付きの侍女には片っ端から手を付けているらしいわ。それでいて陰険なサディストって噂よ。領民の評判も最悪!お父様ったらどうしてこんな話を受けたのかしら。信じられないわ」


 確かに妙な話だ。ミルディアの知る限りオブライエン家の現当主、つまりフローゼの父であるバクスター侯爵はグランツほどではないが厳格で、高潔な人物だ。名門なのもあって王国内では強い発言権を持つ。そんな侯爵が大事な跡取りとなる婿養子に成り上がりのハーゼン辺境伯の息子を選ぶとはどうしても思えなかった。


 『さらに上位の者からの圧力?侯爵家にそんなことが出来る人物は限られている。その人物に辺境伯が根回しを……?いやしかしそれほどの人物を動かすだけの代償が辺境伯にあるとは……』


 ミルディアは頭の中で考えを巡らせた。侯爵家の縁談に口を出せる立場ではないが何か嫌な予感がする。


 「だからどうしても納得出来ないのよ!」


 「うおっ!」


 いつの間にかフローゼがソファから立ち上がりミルディアの目の前に立っていた。考え事をしていたミルディアは虚を突かれ、思わずのけぞる。


 「叔父様も叔父様よ!もっと早くミディを婿にってお父様に言ってくれたらよかったのに」


 「それは……家格を気にしたんじゃないかな?うちは子爵だし」


 「ハーゼンの禿げ親父だって元は男爵じゃない!貴族としての品も叔父様の方がずっと上よ!」


 「禿げ親父って……」


 確かにハーゼン辺境伯は見事なスキンヘッドだと聞いたことがあるが。


 「だからミディ、私をすぐ押し倒して!」


 「だからなんでそうなるんだよ!?」


 「既成事実よ、既成事実。私がミディの子を身ごもればお父様だってこんなバカな縁談は断るでしょ?」


 「無茶言わないでよ!侯爵様の同意もなしにそんなことしたら僕の首が飛ぶよ!」


 「ミディなら大丈夫よ。お父様だってよく知ってるし」


 「そう言う問題じゃないだろ。それにそんなことになったらハーゼン辺境伯の怒りを買う。内戦を起こすつもり?」


 「うちとミディの家が組めば辺境伯なんて敵じゃないわ」


 「だからそういう問題じゃないんだって!」


 「何よ!ミディは私が大事じゃないの!?デブで陰険な禿げ親父の息子と結婚させてもいいの?」


 「そ、そうは言ってないけど……」


 「私を……好きじゃないの?」


 潤んだ目でそう聞いてくるフローゼに言葉が詰まる。こういうのはずるい。元々子供のころからの付き合いだ。誰が見てもはっとするほど美しく成長した彼女のことを異性として意識していないと言えば嘘になる。なぜか昨夜見たヴェルモットの裸体が頭をよぎり、ミルディアは慌てて頭を振る。


 「はあ……いいフローゼ?よく聞いて」


 一瞬誘惑に負けそうになるのを必死に堪え、ミルディアはフローゼの肩に手を置き、言い含めるようにゆっくり言葉を紡ぐ。


 「僕も今回の縁談はおかしいと思うよ。僕がどうこうじゃなくて、こう言っちゃなんだけど成り上がりのハーゼン辺境伯の家との縁談っていうのは侯爵様らしくない。推測にすぎないけどこの話の裏には王国でも有数の力を持っている人物が絡んでる気がする。侯爵家に圧力をかけられるほどのね」


 「お父様に圧力をかけられる人なんて……」


 「杞憂であればそれに越したことはないんだけど、もしこの推測が当たっていたら軽率な行動はその人物を敵に回す危険がある。だから慎重に事を見定める必要があるんだよ」


 「でも……」


 「縁談が来たと言ってもすぐに結婚ってわけじゃないんだろう?しばらく時間を稼ごう。侯爵様も今回の話は決して積極的ではないと思うんだ。例えばフローゼが病気だとか言ったら口裏を合わせてくれるんじゃないかな?」


 「それじゃミディに会いに来れないじゃない」


 「どこに誰の目が光ってるか分からないからね。あまり頻繁にここに来るのはまずいと思うよ」


 「じゃあお見舞いって名目でうちに来て。それならゆっくり既成事実を……」


 「だから軽率な行動は控えようって……」


 ミルディアがため息を吐いてそう言ったとき、ドアがノックされた。慌ててフローゼの肩から手を離し、一つ咳払いをしてから「どうぞ」と答える。


 「失礼します、ミルディア様」


 入ってきたのはメイド服を着た若い女性だった。端正な顔立ちに細いメガネが良く似合っている。ミルディアの世話係のメイド、モリアである。


 「ああ、モリア。どうしたの?」


 「侯爵家のゼラス様がおいでです。フローゼ様のお迎えに」


 「爺やが?もう、来なくていいって言ったのに」


 「行きなよ。話の続きはまた今度」


 「しょうがないわね。ミディ……私、本気だからね」


 フローゼはそう言い残し部屋を出て行く。それを見送ったミルディアははあ、と息を吐きソファに座り込んだ。どっと疲れた気がする。


 「それからミルディア様。リミステア城から連絡が。子爵様がお待ちとのことです」


 モリアが淡々と告げる。げえ、とミルディアは舌を出した。この上父の長い小言を聞かされるのかと思うとうんざりする。


 「分かった。でも少しだけ待ってくれるよう伝えてくれないかな?父上をお待たせするのは心苦しいけどちょっとだけ。ちょっとだけ休ませてほしい」


 「畏まりました。伝令の者に伝えてまいります」


 恭しく頭を下げモリアが出て行く。本当に疲れた。昨日から異常な出来事が起こりすぎた。ああ、このまま寝たいなあ。でも父上が……


 …………。


 「失礼します、ミルディア様」


 遠慮がちなモリアの声で目が覚める。いつの間にか寝てしまっていたようだ。早く城に向かわねば、父を待たせてしまう。焦りながら体をソファから起こしたミルディアは窓の外を見てぎょっとした。空がもう昏くなっている。


 「え?」


 フローゼと別れたときはまだ陽は高かったはずだ。さーっとミルディアの顔から血の気が引く。


 「モリア!今何時?」


 「午後の六時でございます。お休みのところ申し訳ございませんが、食事の用意が整いましたので」


 「いやいやいや!城は!?父上がお待ちに……」


 「そのことでございますが、僭越ながら伝令の者にミルディア様が大変お疲れのご様子だと伝えましたところ、子爵様より再び言付けがございまして、今日のところはゆっくり休んで疲れを取るように、とのことでございます。子爵様は今夜はお城にお泊りということですので、明日改めてお伺いするようにと」


 「あ、ああ、そう……なんだ。すまないねモリア。気を使わせてしまったようで」


 「とんでもございません。ミルディア様のお体が第一でございますから」


 モリアは去年、王都での留学を終えてここに戻ってきてからミルディアの専用になったメイドだが、非常に気が利いて優秀な女性だった。常に沈着冷静で式典などの公務にミルディアが参加する際は完璧な準備をしてくれる。常々ミルディアは感心するとともに感謝と絶大な信頼を置いていた。


 「お食事はいかがいたしましょう?こちらにお運びいたしますか?」


 「いや、食堂に行くよ。ありがとうモリア。おかげで疲れが取れたみたいだ」


 「もったいないお言葉」


 丁寧にお辞儀をするモリアに続いて部屋を出ると、ミルディアは大きく伸びをした。完全とは言えないが大分体が楽になった気がする。モリアの機転に改めて感謝し、ミルディアは食堂に向かった。


 「いただきます」


 席に着き、運ばれてきた料理に手を付けながらミルディアは昨日からの出来事を考えていた。転移魔法、黒衣の魔女、月狼族、奴隷商人に雇われた盗賊団、スフィー、そして自分自身の変貌……さらにはフローゼの合点のいかない縁談。


 この一日あまりで自分の周りの世界が目まぐるしく変貌してしまったかのような印象を受ける。何か大きな異変が起きようとしているのではないか?ミルディアは胸に広がる言いようのない不安にさいなまれ、大きく息を吐いた。


 「お口に合いませんか?それともどこかお加減が……」


 食事の進まないミルディアを見てコックが声をかける。いつもならテーブルまでやって来ることはないのだが、行方不明になった後ということもあって気になったのだろう。


 「ああ、いや美味しいよ。ごめん、ちょっと考え事をしてて」


 「お疲れのようでしたら消化によいものを用意いたしますが」


 「大丈夫、大丈夫。気を使わなくてもいいから」


 笑顔を見せ、食事を続けるミルディアを見てコックが頭を下げ厨房に戻る。いけないいけない、周りの者に心配をかけるような態度を取っては。ミルディアは気合を入れ直し不安な気持ちを振り払った。


 「とりあえず考えるべきはフローゼの縁談か……」


 説明のできないことを考えていても埒が明かない。現実的に向き合えることに対処すべきだ。フローゼにはああ言ったが、ハーゼン辺境伯の息子がそれほど評判の悪い男なら結婚はやめさせたい。自分が侯爵家の婿にふさわしいなどと自惚れるつもりはないが、幼いころから親密に育ち憎からず思っている彼女に不幸な結婚などしてほしくはない。


 「でも自分に出来る事なんて限られているしな」


 自分の推測が当たっていれば辺境伯のバックにはかなりの大物、下手をすれば王家に近い人間がいる。地方都市の子爵家の次男に過ぎない自分がどうにか出来る相手ではない。


 「侯爵様に直接訊くのが早いんだろうけど、そう簡単に教えてくれるとも思えないしな」


 圧力があったとすれば侯爵はその相手を分かっているはずだ。しかし表だって口にすることはないだろう。まして他家の人間に話すわけがない。


 「なら辺境伯と裏にいる人物との接点を探るべきか」


 辺境伯は一般的な伯爵に比べて力があり、侯爵に近い地位とも言われる。だが成り上がりのハーゼン家と名門のオブライエン家では家格に雲泥の差がある。その上の人物とハーゼン伯が侯爵家に圧力をかけてもらえるほどの太い繋がりをもっているのはどうも想像がしづらい。考えられるとすれば……


 「非合法的な何か……」


 何か弱みを握って脅迫しているか、それとも共謀して悪事を働いているか。


 「いや、冷静になれ。例えそうだとしてもそれを暴くことなど僕には出来はしない。下手をすれば子爵家うち自体が潰される」


 ことが幼馴染のフローゼに関わるせいか普段では考えられないくらい過激な考えに囚われてしまっている。一旦落ち着こう。昼間自分が言った通り今日明日結婚ということもないだろう。

 

「ふう」


 考えをいったんやめて食事を終え、部屋に戻ったミルディアは部屋着に着替えてベッドに横になった。さっきまで眠っていたので目は冴えていたが、何もしないでいるとどうしてもフローゼのことを考えてしまう。


 コンコン


 無理にでも寝た方がいいか、と考えていると控え目にドアがノックされた。「はい」と返事をすると、「よろしいでしょうか」という声が聞こえた。モリアの声だ。


 「モリア?どうぞ」


 「失礼いたします」


 モリアは静かにドアを開け、中に入って一礼する。


 「どうしたの?」


 「あの、ミルディア様。もうお休みですか?」


 「うん、眠くはないんだけど、やることもないしね」


 「僭越ではございますが、もしよろしければ私にミルディア様の練習のお相手をさせていただきたければ、と思い参りました」


 「練習?何の?」


 「失礼いたします」


 一礼してそう言うとモリアは手を後ろに回しエプロンを外す。そのまま器用に背中のファスナーを下ろし、メイド服をばさりと床に落とした。


 「うわあああっ!な、何してるのモリア!?」


 予想外のモリアの行動にミルディアが慌てて声を上げる。下着姿になったモリアは冷静なままブラジャーのホックに手を掛け、ためらいなくメイド服の上にそれを置いた。


 「ちょ、ちょっと!モリア!?」


 顔を背け、バタバタと手を振るミルディアを尻目に最後の一枚に手を掛けるモリア。するするとそれを下ろし、あっという間に全裸になった彼女はさらに頭に手をやり、後頭部で丸めた髪をほどく。さあっ、と艶のある黒髪がはだけて揺れる。


 「お傍に行かせていただいてよろしいでしょうか」


 パニックになりまともに返事が出来ないミルディアに、モリアは優しい笑みを浮かべてベッドに近づいていった。

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