第4話 変調
自分でもゾッとするような冷たい声だった。
いったい何が起こっているのかミルディア自身にも分からない。ここに立っているのは紛れもない自分自身だ。だが迫ってくる男たちを殺意のこもった目で睨みつけるこいつは自分が知る自分ではない。
「クズどもが。生きて帰れるなんて思うなよ」
混乱する気持ちが濁流に飲まれるように消えていき、ミルディアは殺気を露わにして呟く。そうだ、こいつらは敵だ。生きている価値などないクズどもだ。
皆殺せ!
頭の中で声が響く。
容赦するな。あの頃のように。
「うおおっ!」
ミルディアは地を蹴り、向かってくる頬に傷のある男に駆け寄る。自分では見えないので分からないが、
「何だ、こいつ!?」
向こうから突撃してくるとは思わなかった傷の男が髪の色を変化させながら向かってくるミルディアを見て困惑する。だが相手は丸腰だ。このまま斬り殺してやろうと剣を構える。
「なっ!?」
男が剣を振りぬこうとしたその瞬間、ミルディアが大きくジャンプをした。剣は空しく宙を切り、高く跳びあがったミルディアは男の頭上を越えて背後に着地する。男が振り向くより早くミルディアの蹴りが膝を直撃し、ガクリと膝を折った男の脳天にさらなる蹴りが放たれた。
「がっ!」
脳震盪を起こしその場に倒れる傷の男。ミルディアはその手からすばやく剣を奪い、後から迫ってくる他の男たちに対峙する。
「てめえっ!」
男たちが殺気立ってミルディアに殺到する。ミルディアは横に跳び、正面から剣をかざして襲ってくる数人を
「があっ!」
足の腱を切られた男たちがその場に倒れこむ。決して深追いをせずヒットアンドアウェイを繰り返して着実に敵の戦力を奪っていくミルディアに頭目が焦りの色を浮かべる。
「ちっ、こいつ戦いなれてやがる!囲め!同時に攻撃しろ!」
頭目の命令に盗賊たちがミルディアを取り囲むように散開する。包囲を崩そうと一人の男に狙いをつけて飛び込もうとするが、後方から矢が射かけられ動きを封じられてしまう。荒事に慣れているうえ連携も取れている。やはり一人で相手をするのは厳しい。
「糞どもが!」
舌打ちし、じりじりと後退するミルディア。それを囲む男たちが徐々に包囲の輪を狭めてくる。一か八かもう一度どれかの男に飛び込むか、と考えた矢先、
「ぎゃあっ!」
鈍い男の悲鳴が上がった。目をやると弓を構えていた男が血しぶきをあげて倒れこんでいる。そしてその後ろには刃物を持った人狼の姿があった。
「フレキ!」
ミルディアが叫ぶ。突然の
「ぐああっ!」
袈裟懸けに振り下ろされたミルディアの剣が男の一人を切り裂く。ほぼ同時に別の男の喉笛をフレキのナイフが掻き切っていた。
「ひいいっ!」
噴水のように血を噴き出して倒れる仲間を見てミルディアを取り囲んでいた残りの男たちが腰を抜かす。フレキが怒りに燃える目でその男たちを睨みつけ、ゆっくりと近づいていく。
「バカ野郎!びびってんじゃねえ!」
頭目が剣を抜いて怒鳴る。ミルディアは腰を抜かした男の一人の首を無言で切り裂くと、頭目を睨みながらフレキに声をかける。
「遅えぞフレキ。まあ助かったから礼は言っとくがな。さっきのはこれでちゃらにしてやる」
「何だお前は?……この臭い!まさかお前さっきの……」
「子供たちはどうした?」
「ゲリが保護している。仲間も呼んだから大丈夫だ。それよりその姿は……」
「姿がなんだって?それより奴が頭のようだな。まさかこのまま見逃すなんて言わねえよな」
「当然だ。俺たちの仲間に手を出したことを後悔させてやる。あの世でな」
ナイフをかざし、フレキが頭目を睨む。頭目はギリッと歯ぎしりし、腕を前に伸ばした。
「調子に乗るなよ、ガキと犬ころ風情が。仕事をパーにしてくれた礼をしてやる。あの世で後悔するのはてめえらの方だ!」
頭目はそう言った後、何事かを早口で呟いた。と、前に伸ばした手の先に黒い球体のようなものが現れる。
「攻撃魔法だと?盗賊風情が!」
「ただの魔法じゃねえ。使えるもんの少ねえ上級魔法だ。俺を舐めたのが運の付きだ。てめえら、少しの間時間を稼げ!」
頭目の言葉に傍に付いていた三人の男が剣を持って向かってくる。魔法の発動に必要な時間を稼ぐつもりだ。
「舐めてんのはそっちだ!俺の速さをな!」
フレキが地を蹴り、男たちに向かっていく。あっという間に一人の喉笛を掻き切るが残りの二人はひるむことなく剣を繰り出してくる。さっきの奴らより肝が据わっているらしい。頭目の側近なだけはあるようだ。
「好き勝手させるか!」
ミルディアはフレキに剣を向ける二人に向けて走り片方の男を引き付ける。フレキは残りの男の剣を躱しつつ頭目に向かって駆け出した。が、
「もう遅え!くたばりやがれ!
頭目の手から黒い球体が放たれ、フレキに向かって飛んでいく。側近の一人を斬りはらったミルディアが跳躍し、フレキに体当たりをして球の軌道から吹き飛ばす。がミルディアの方は球の正面に出ることになってしまった。
「ちっ!」
とっさに腕を組み防御姿勢を取るミルディアだったが、そんなものでこの魔法の威力が防げないことは火を見るより明らかだ。ミスったな、と心の中で呟いた瞬間、
ドガアアアアアアッ!
すさまじい音が轟き、炎が空中に舞い上がる。黒い球体が爆発したのだ。しかしミルディアは空気が震えるのを感じたものの、体に衝撃を受けていなかった。何だ?と思って見ると、目の前に青い魔法陣が浮かんでいる。球体はこの魔法陣にぶつかって爆ぜたらしい。
「何だと!?」
頭目が目を見開いて叫ぶ。はっとして振り向くと、いつの間にか銀髪の
「くそっ!」
頭目が背を向けて駆け出す。さすがに上級魔法を連発するのは無理のようだ。しかしその時にはもうフレキは体勢を整えていた。逃げようとする頭目に向けて駆け出すとあっという間に距離を詰め、その背中にナイフを突き刺す。
「ぐああっ!」
その場に倒れこむ頭目。残った側近の一人が駆け寄ろうとするが、それをミルディアが後ろから斬りつけた。くぐもった声を上げ側近は倒れ、ミルディアはとどめを刺そうと首に剣を当てる。
「殺すな!」
その時背後から声が聞こえた。見るとゲリが数人の兵とともに立っている。
「奴隷商人の情報を聞き出す必要がある。全員殺してはいかん」
「全員……殺す?」
その言葉を呟いたとたん、すう、っとミルディアの心から憎悪の感情が引いて行った。それと同時に黒く変わっていた髪が元の
「お前さっきの……どうやって俺たちより先にここに来た?それに今のは……」
「あ、あ……」
元の状態に戻ったミルディアは自分が持っている剣を見て愕然とした。ポタポタと血を垂らしている剣。そして返り血で真っ赤に染まった自分の手や服。のろのろと首を巡らすと、そこかしこに血に染まった盗賊団の男たちが倒れている。
「これ……僕がやったのか。僕が……」
さっきまでの自分の行動は覚えている。だがどこか現実感がなかった。誰かが自分の体を操って動かしているのを見ていたような感覚。だが紛れもない自分の意志で動いていたという気もするのだ。訳が分からずミルディアは混乱した。
「ミルディア様?まさか!ミルディア様ですか!」
兵の一人がミルディアを見て驚きの声を上げる。自分の顔を知っていたのだろう。昨日から行方不明という情報は伝わっていたのか。ああ、これで帰れるか……な。
ふうっと体から力が抜ける。意識が朦朧とし、ミルディアはその場に倒れこんだ。
*
「敵には容赦するな」
声が聞こえる。聞き覚えのある、懐かしいようなそれでいて恐ろしいような……
「分かってますよアニキ」
これは俺の声か。ああ、そうだ。これはあの時の……
「力が全てだ。敵に情けはかけるな。生き残りたかったらな」
分かってますよアニキ。俺はのし上がってやるんだ。こんな掃きだめみたいな……
こんなところから。
*
「う……」
目を覚ますと見覚えのない天井が見えた。藁ぶきの簡素な造りの屋根だ。横になっていることに気づき、ゆっくり横を向く。椅子に座って目を閉じているゲリの姿があった。自分の体を見ると手に付いた血は拭き取られ、服も着替えさせられていた。
「お、起きたか」
衣擦れの音に気付きゲリが目を開ける。
「ゲリ……ここは?」
「森の村だ。気を失ったお前を運んできた」
「そう。どれくらい寝てたのかな」
「二時間弱ってとこか。さっき昼を過ぎたとこだ」
「って!……子供たちは?あの銀髪の女の子は!?」
ぼうっとしていた頭が徐々に覚醒し、ミルディアははっとして起き上がる。
「無事だ。怪我をしている者も多いが大したことはない。歩けるものは俺たちの集落に帰した。フレキが先導してな。だがスフィー、あの銀髪の娘だが、あいつはお前さんと同じく気を失ってたんでな。隣の家に寝かしてある」
「よかった、とりあえずみんな無事だったんだね。盗賊団の方は?」
「足の腱を斬られた男二人と頭目らしい奴を捕らえた。頭目はフレキが背中を刺して重傷でな。リミステアの病院に運ぶそうだ。あの単細胞、後先考えずに行動するから困ったもんだ。一番情報を聞き出せるやつを殺しかけやがって」
「フレキの気持ちを考えたら無理ないよ。ゲリだって腹の中では腸煮えくり返ってるんでしょう?」
「当たり前だ。だがなぶり殺すのは情報を聞き出してからだ」
「はは……ちょっとだけあの頭目に同情しちゃうかも。ん?捕まえたのはその三人だけ?」
「ああ。残りはみんな死んでいる。お前が最後にとどめを刺そうとしていたやつもな。あの後すぐ死んだ」
フレキも何人か殺しているが、その半数以上は自分が手にかけたのだ。ミルディアは改めて自分のしたことに怖れを抱いた。
「待って。頬に傷のある男は?いなかった?」
最初に倒したあの男は蹴りを入れて気絶させたはずだ。殺した覚えはない。
「頬に傷?いや、見た覚えがないな」
ということは意識を取り戻してどさくさに紛れて逃げたということか。案外抜け目ないところがあるようだ。
「それにしてもお前が子爵の息子だったとはな」
「ああ、兵の人に聞いたんだね」
「まったくフレキのバカが。もう少しで領主の子供に危害を加えるところだったとは。今考えてもゾッとするぜ」
「危害は加えられましたけどね」
ミルディアはナイフを突きつけられた首元に手をやって言う。もう血は止まっているが、傷跡は残っているだろう。
「いや、それは平にご容赦を。領主と事を構える気はこれっぽっちもないんだ。許してくれミルディア。いや、ミルディア様」
「はは、気にしなくていいよ。今のは冗談。あ、その代わりと言っちゃなんだけど、一つお願いを聞いてくれないかな」
「何なりと」
「昨夜、僕はゲリたちの集落で一晩過ごしたってことにしてくれないかな。フレキたちにも口裏を合わせるように頼んでほしいんだ」
「それは構わんが、何故だ?そもそも本当に領主の息子がなんで森の中に……」
「うまく説明が出来ないんだよ。とにかくお願い。僕は昨日森に迷い込んでゲリたちに保護された、ってことで」
「分かった。子供らを助けてもらった恩もある。フレキたちにも話しておく」
「助かるよ」
「だがそれにしてもさっきのはなんだ?髪の色が……」
そこまで言った時、兵が一人ドアを開けて入ってきた。ミルディアが起きているのを見てすかさず敬礼する。
「お目覚めになられましたか、ミルディア様」
「うん、心配をかけてごめんね」
「本当に驚きました。昨夜ミルディア様の行方が分からなくなったと連絡があり案じていたのですが、まさか森の中にいらっしゃるとは。どうしてこのような場所に?」
「ああ……ちょっとうまく説明できないんだよね。屋敷に帰ったら父上に報告するよ」
「はっ!では体調に問題がないようでしたら馬車を用意いたしましたので町へお戻りを」
「うん。その前にスフィー、だっけ?あの子のお見舞いをしたいんだけど」
「構わんが、まだ寝ていると思うぞ」
ゲリに連れられ、ミルディアは隣の家を訪問した。年配の女性が恭しく頭を下げミルディアを迎え入れる。寝室のドアを開けるとスフィーは案の定まだ眠っていた。あどけない寝顔が可愛い。
「ゲリ、
「ああ。あまりどころか全くの不得手と言っていい。俺もそうだが初級の精霊魔法すら使えん奴が大半だ」
「
「
「そう……」
だがあの時頭目の上級魔法を防いだ魔法陣は間違いなくこの少女が出したものだろう。状況からしてそれしか考えられないし、転移魔法が発動する前に感じた波動と彼女に触れた時に感じたそれは確かに同じものだった。
「この子は一体……」
転移先がこの子がいる場所だったのも偶然とは思えない。昨日から自分はどうなってしまったのか。あの凶悪な性格に変貌したことも含めてミルディアは言いようのない不安に押しつぶされそうな気持になった。
「顔色が悪いぞ、大丈夫か?」
ゲリが心配そうに尋ねる。
「ありがとう、平気だよ」
「そうは見えんがな。スフィーが気になるのか?」
「ああ、うん。この子には助けてもらったんだ。そうじゃなきゃ今頃僕は死んでたかもしれない」
「この子が?」
「目が覚めたらよろしく伝えて。改めて礼には伺うつもりだけど」
「ああ。わかった」
静かに眠るスフィーの顔を見つめながら、ミルディアは押し寄せる不安を振り払うようにパンパンと顔を叩いた。
「世話になったな。子供らを助けてくれた恩は忘れない。困ったことがあったら何でも言ってくれ」
「ありがとう」
馬車の前でミルディアとゲリは握手を交わした。少し離れた場所では村人たちが頭を下げている。
「ではミルディア様」
ミルディアは兵に促され、馬車に乗り込む。騎兵が三人、護衛に付いていた。
「さて、帰ってから何て言おうか」
馬車に揺られながらミルディアはため息を吐いた。丸一日行方知れずになってしまったのだ。父グランツが何と言うか。
「考えるまでもないよな」
父であるグランツ・フォートクライン子爵は厳格な人物だ。父、つまりミルディアの祖父であるロレンソが名君としてリミステアのみならず近隣都市でも名声を博していたため、それに負けじと幼いころから厳しく自分を律してきたグランツはその厳格さを自分の子らにも強いた。強く賢くあることを求めたのだ。
「はあ……」
知らず知らずため息が何度も零れる。自分が行方知れずになったことで恐らくリミステアでは捜索命令が出されているだろう。兵士が駆りだされていることが予想される。それを何食わぬ顔で帰ってきたらどんな叱責を受けるか。考えただけで頭が痛い。
「とはいえ本当のことは言えないしな」
ヴェルモットが自分で言っていたようにグランツは彼女のことを疎ましく思っている節がある。村人が週二回食料を届けていると言っていたが、おそらくそれは子爵家の公費で賄われているのだろう。「黄昏の廃城」に何十年も閉じ込められている彼女が費用を出しているとはとても思えない。過去の経緯からして祖父がその費用をずっと捻出するよう生前に言い残したに違いない。尊敬する父の命にグランツは今も逆らえずにいるのだ。
「さて、どこまで話せばいいか」
森にいたことははっきり分かっているのだから転移魔法を発動させたことは隠してはおけないだろう。あとはゲリに頼んだ通り
「ミルディア様、到着いたしました」
ぶつぶつと独り言を言いながら考えに耽っていたミルディアの耳に御者の声が響く。ミルディアはもう一つ大きなため息を吐いて馬車を下りた。
「懐かしき我が家……って気分じゃないな」
ミルディアはほぼ城と言っていい自分の住む屋敷を見上げて呟いた。国境にあるこのリミステアはいくつもの砦が外縁に並ぶ城塞都市だ。高い塀に囲われ、町への出入りは厳しい審査を受けなければならない。ミルディアが住む子爵邸は居住のためのものだが、そこらの城に負けない武装が用意されている。さらに父であるグランツ子爵が公務を行うリミステア城は背後を急峻な崖に、左右を堅固な壁に、前方を川に守られた鉄壁の要塞であった。
「ただいま」
重い足取りで正門をくぐり、屋敷のドアを開ける。と、広い玄関ロビーの正面にある大階段から一人の人物が矢のように駆け降りてきた。
「ミディ!」
「え?フ、フローゼ!?」
その人物を認識したミルディアが驚愕の声を上げる。その人物は輝く
「よかった!無事だったのね!」
全速力で駆け寄ってきた少女はミルディアの胸に飛び込み、ぎゅっと抱きしめる。
「ど、どうしてフローゼがここに!?」
「本当によかった!ミディ、どこ行ってたのよ!?」
「あ~、ちょっと一言では言えないというか……」
「まあいいわ。ねえ、ミディ。早速だけど頼みを聞いて」
「な、何?いきなり」
「私を押し倒して!」
「は?」
潤んだ目で自分を見上げる少女のセリフにミルディアは間の抜けた声を上げた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます