ベイカーの記憶

# baker side



昼間からミザの身体を調べていた僕は

日も暮れてきたので

もといミザが露骨に飽きている風だったので

その日の調査をおしまいにして家路についていた


ミザの家から400mほど離れたところに僕の家はある


僕の家が、というよりミザの家が

村にある他の家々の集まりよりそのぐらい離れたところに建っているのだ



その道すがら、薄暗くなり始めた空を見上げ、なんとなく思い出していた



あの日のこと



三年前ハンドベルが災厄に見舞われた時、僕は一緒に暮らしていた祖母を失った。

元より両親を早くに亡くしていた僕にとって、たった一人の血縁さえ絶たれたその日は不運という言葉で表すに足りない


それは誰にとっても、ミザにとっても同じだが…


為す術もなかった。


その日、誰かの悲鳴で目を覚ました僕は

すぐにそれが祖母の寝室から聞こえてきたことに気付き恐れながらも祖母の元へ向かった



寝室のドアを開けた僕の視界に入ってきたのは血溜まりだった

そしてその血溜まりの真ん中に横たわる祖母の姿


あの老いた小さな体からこれだけの血液が溢れ出るのかと

祖母は死んでしまうのかと、様々な思いが頭の中を駆け巡る中、窓際に立つ悪魔の存在に気付いた


猿のような、黒い毛並みの悪魔。

手には斧のような、金槌のような、歪な形の物を持っていた



鈍い光を目から放っているような、奇妙な視線

人を殺めるのを躊躇いなどしない、道端の小石を蹴るのと同様の感覚で人を足蹴にする、殺していく悪魔の目


だとしたら次は僕だ。と思い当たるより早く



駆け出していた、逃げていた


涙で目が滲む、自分の弱さも、失くした悲しみも何もかもが自分を情けないと思わしめた



だが家の扉を突き飛ばすように開けた僕は更なる悲劇を目の当たりした



今の今まで何故気づかなかったのだろうと思うほどの人々の叫び、燃え上がる家々、道の至るところに染み込んだ誰かの血、逃げ惑う影、それを追うように動く歪な影


こみ上げてきた何かが口の中から吐き出され、一瞬息の仕方も分からなくなった


「ぉえ…ゴホッ…」


もう駄目だと思った


無意識に右手が頬の傷に触れた

幼い頃におった傷跡に



その時、忘れちゃいけないものを思い出した



遠く 村の外れにある幼馴染の家に目を向けた僕は走り出していた


「ミザ…!」



あの家にはミザとその母親のアリス先生しかいない

ミザはしっかりしてるし気も強いけど結局は女の子だ


全力で走るのなんてどれくらいぶりだろうか、足がもつれる、思うように早く走れない、息がすぐに切れる


なんの力になれるかなんて

分かんないけど行かなきゃいけない

意地か、使命感か、それとも別の感情か

それを動力に足を動かしていた


どれだけの歪な影を躱しても

まだ影は消えない


誰かの悲鳴は止まない


(無事でいてよ…)


と思ったその時


とある家の軒先、その扉の前で見た



それは僕にとって絶望に拍車をかけるような悲劇だった



金色の髪をした女性が

同じく金色の髪をした女の子を抱き抱え、泣きながら、泣きながらその子の名前を叫んでいた


何度も何度も


「ミザリー」と。



その声を聞いた僕は


胸元から真っ赤に衣服を染めて、静かになった幼馴染の姿を目の当たりにした僕は


頭がぼやけはじめ、視界に映る全てが脳に入り込むような感覚に襲われ、気を失った


それからなにをどうしてか分からないけど僕は生き残っていた


村の人々も多くの生命を失ってしまったけれど、生き残った人たちは村を立て直そうとみんな無理をして笑って忙しく動き回っていた


怪我をしていた人たちも壊れた家々もいつかは癒えるし直せるだろう


でも失くしたものは戻らないことをみんなが知っていた

作業に勤しむ人たちの目は、ずっと、ずっと

泣き疲れたように薄赤かった


あの日からアリス先生は家に閉じこもっているのか、何度家を訪ねてみても出迎えてはくれなかった


外で見かけたという話を聞いたりもしたが

その目はどこか虚ろげだったと皆が心配そうにしていた


そんな話を聞いて言い知れぬ気持ちを感じたが

時間が少しでも哀しみを和らげてくれればと自分にも言い聞かせるように願った


僕も、ずっと傍にあった金色の髪の揺らぎを

いつか昔のことだと忘れてしまうのかと


不意に、寂しくなった



その二年と半年後



何の気なしに僕は夜の村を散歩していた

あれからは多数の悪魔が突然村に現れるということもなく、平穏のような仮初の日々が戻っていた


だけど…


僕はふと、アリス先生の家に向かった


あの時なぜ急にそうしたのかは分からなかった


アリス先生が気になったのか、記憶の中にいる彼女がそうさせたのか



目的の家の前に辿り着いたとき

その家の中から物音が聞こえてきた気がした


「留守じゃないのか…?アリス先生…」


僕は扉をノックした


が返事はない


それでも中から物音は僅かに聞こえていた


僕はもしや泥棒でも入ったのではないかと思った


アリス先生の家には、先生が研究で使っているという貴重な鉱石物質などがあり価値があるものも多い


大きく息を一つついて

そっと扉のノブを回す、、開いている


薄く扉を押し開け中の様子を伺いみる


アリス先生の家は玄関扉から大きな広間に繋がりその奥に二つの、アリス先生とミザリーの部屋がある。


そしてもう一つ扉がありそこからは地下に通じる階段、下った先にあるのは広間より少し大きい不思議な造りのアリス先生の研究室兼作業場だ。


一階の広間にはなんの姿もない


物音が地下から聞こえてきたことに気付いた僕はその地下に通ずる扉を開け

ゆっくり耳を澄ましながら階段を下っていく。


ここに来るのも二年と少しぶりかと

状況が状況でなければ懐かしく思っただろう


降り終えた先にある扉の前に身を低く

して近づき部屋の様子を盗む聞く


呻き声?だろうか


声と呼ぶにはか細いそれを耳にした僕は

アリス先生が中で倒れてるのではないかと思った


最愛の娘ミザリーが死んで以来、アリス先生は塞ぎ込んでしまっていた

もしかしたら食事もまともに摂っていなかったのかもしれない


僕は意を決して目の前の扉を開いた


だがそこに居たのは


アリス・リードウェイではなかった


僕の予想を裏切り、部屋の中に佇んでいたのは


記憶の中にあって消えなかった

金色の髪 翠色の瞳


ミザリー・リードウェイだった


だが、部屋の真ん中なある小さな電灯に映し出された彼女の身体は



両腕 両脚 が鈍く光る銀色鈍色の、機械の身体だった






気付けば自分の家の前にたどり着いていた。

軽く頭を揺すり、扉の鍵を開け家に入ろうとした時何の気なしに振り返るともう月が出ていた。


「気のせいかな…」


そう口にしてしまっていたのは、なんだか今日の空があの日の空に似ている


そんな気がしたからだった。

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