第148話 決着

「はぁ、はぁ、はぁ」



 走り終わってすぐ、俺はその場で膝をつき立ち上がれなかった。

 正直全力で走りすぎて肺が痛い。足も生まれたての小鹿のようにガクガクしている。



「俊介、大丈夫か!?」


「あぁ。なんとかな」



 俺の手を掴んで立ち上がらせてくれたのは司である。

 一瞬体勢を崩しそうになるけど、司が必死になって俺の事を引っ張ってくれたおかげで、なんとか必死に堪えた。



「俺は司に勝ったのか?」


「あぁ。今回は完全に俊介に置いて行かれたよ。俺の負けだ」



 どうやら今回の勝負は俺が勝ったらしい。だが正直勝ったという実感が全くない。



 (俺と司の様子を見比べればそう思うのも無理はないだろう)」



 勝った方の俺がその場で崩れ落ち、負けた方の司が俺に手を差し伸べてるのだ。

 個の一部分だけ見れば、勝負に勝った司が負けた俺に手を差し伸べているように見えなくもない。



「やっぱり茅野がいると俊介は強いな。今日は完敗だよ」


「そういえば結衣はどこに行った? 途中から俺達の後ろを自転車で着いてきていただろう」


「わからないな。さっきまで俺達の後ろにいたのは知ってるけど、それ以降見かけてない」



 俺と司、2人して辺りを見回してみるが誰もいない。

 どうやら結衣はどこかに消えてしまったようだ。



「一体結衣はどこに行ったんだ?」


「俊介!? あそこにいるのって茅野じゃないか?」


「あそこ? それってどこだ?」


「さっき俺達が走ってたところだよ。今こっちに向かって自転車を漕いでいる女の子がいるだろう」


「あぁ。確かにあれは結衣だ」



 どうやら彼女は俺達のペースについていけなくて、途中で離れてしまったのだろう。

 ゆっくりとしたペースで自転車を漕ぎ、俺達の所へと向かってきた。



「結衣先輩大丈夫ですか!? 汗もいっぱいかいてますよ!?」


「だっ、大丈夫。気にしないで‥‥‥」



 気にしないでという割には息も切れており、顔からは滝のような汗が流れている。

 この湖を何周もした俺達よりも結衣の方が疲れているように見えた。



「せっかくだからこのタオルを使ってください」


「いいの?」


「はい! 俊介先輩に渡すタオルだったので、遠慮せずにどうぞ」


「おい!! そこのマネージャー!! そこは選手の方に気をつかえよ!!」



 俺よりも結衣の事を優先するのは茉莉らしい

 とはいえ選手よりも見学者をの事を優先するってどうなんだ?

 ここにも満身創痍の奴がいるんだから、少しぐらい手厚いフォローをしてくれてもいいだろう。



「確かにゴール直後は私も俊介先輩の事を心配していました」


「だろう?」


「だけどそれだけ話す元気があるなら大丈夫です。なので今は息が切れている結衣先輩を優先します」


「だ、そうだ。残念だったな、俊介」



 司のやつ。負けたからって、そんな所でマウントを取らなくていいだろう。

 茉莉もそんな正論で返さないで、もう少し俺に優しくしてほしい。



「そしたらこのまま着替えてクールダウンをしよう。この格好のままじゃ風邪を引く」


「そうだな。一旦着替えて、軽く体を動かすか」



 それから俺達はバスの中で着替えて、軽いクールダウンをする。

 十数分のクールダウン後、茉莉や結衣達がさっきまでいた場所に向かう。



「お疲れ様です、司さん。俊介先輩」


「お疲れ様、茉莉」


「お疲れ」



 茉莉に挨拶をしたが、彼女は見るからに不機嫌な様子だ。

 さっきは結衣の介抱をしていたためわからなかったけど、いつもよりもツンツンしていた。



「茉莉、どうしたんだよ?」


「何がですか?」


「『何が?』じゃないだろう。そんな不満そうな様子でいれば、誰だって心配する」


「別に不機嫌じゃないですよ。ただ俊介先輩が司さんに勝ったことが、ちょーーーーーーっとだけ不満なだけです」


「その言い方、全然ちょっととは思わないけどな」



 俺を見てツンツンとしていると思ったら、さっき俺が司に勝ったことを今でも根に持っているらしい。

 まぁ茉莉は司の彼女だからしょうがないよな。誰だって自分の彼氏の格好いい所はみたいに決まってる。



「司さんも司さんです。ラスト1周の時あれだけ俊介先輩を煽っていて負けるなんて、ものすごくダサいです」


「悪い悪い。次は頑張るよ」



 どうやら茉莉の怒りの矛先は司にいったようだ。

 司も司で流して聞いているし、あれがあのカップルの日常なのだろう。



「それよりも結衣は大丈夫? 顔色悪いようだけど?」


「私は大丈夫‥‥‥ちょっと疲れちゃっただけだから」


「ちょっとどころじゃないだろう。尋常じゃない程汗をかいてるぞ」



 さっきの俺以上に息が上がっているし、全く大丈夫そうには見えない?

 何となくだけどこの湖を数周した俺よりも疲れているように見えた。



「2人が無茶なスピードで走ったから結衣先輩がこうなったんですよ。少しは反省してください」


「あれはしょうがないだろう。男と男の勝負なんだから、手を抜けるはずがない」


「いや、俺達が悪かった。ごめんな、茉莉」


「ちょっと司!? 何言ってるの!? 俺達のいってることの方が正論でしょ!?」



 何故そこで茉莉側につくんだよ。俺達のいっていることに間違いはないだろう。



「俊介に1つだけアドバイスをしよう」


「アドバイス」


「そうだ。彼女が怒っている時は、素直に頭を下げておくべきなんだよ。それがカップルが長続きするコツだ」


「司も大変なんだな」


「まぁな」

 


 俺の耳元で小声で話す司は一緒に暮らして尻に敷かれている旦那のようだった。

 茉莉と付き合って羨ましく思っていたけど、司は司で苦労しているらしい。



「もし反論があれば、後で茉莉冷静になった時に言い聞かせればいい」


「なるほどな」


「司さんと俊介先輩は何をコソコソと話しているんですか?」


「何でもないよ!? なぁ、俊介!?」


「あぁ。何でもない。大したことない話だ」



 司のアドバイスは為になった。俺に彼女が出来る未来は想像できないけど、もし彼女が出来たら俺も注意しておこう。



「俊介君‥‥‥」


「何だ、結衣?」


「俊介君がゴールしたところ、凄かったよ」


「もしかして俺がゴールするところを見ていたのか?」


「うん。ひらけた所にいたから、司君を抜いてゴールをするところが私にも見えた」


「そっ、そうか」


「ついでに俊介先輩がしゃがんだまま動かなくなった所も見ていたってことですね?」


「茉莉!? 俺の格好悪い所だけピックアップして聞かないでくれ!!」



 もっとピックアップする所はいっぱいあっただろう。そこを結衣にアピールしてくれよ。



「(全く茉莉も意地が悪いな)」



 だが結衣はそんなことは気にしてないみたいだ。

 俺が司に勝ったことを素直に賞賛してくれた。



「俊介君、やっぱりすごいね。司君に勝っちゃうなんて」


「まぁな」


「いっておくが茅野、今の練習以外は全て俺が勝ってたからな」


「お前も変な所で見栄を張るなよ」



 まぁ、言っていることは事実だけど。

 ただその事実を俺も結衣には知られたくなかった。



「やっぱり結衣先輩がいると、俊介先輩は強くなりますね」


「もういっそうのこと、俊介専属のマネージャーをやってもらったらどうだ?」


「余計な事を言うなよ? 結衣もそんなことをするのは嫌だろう?」


「えっ!?」


「ふむふむ、結衣先輩もまんざらじゃなさそうですね」


「そうはいっても結衣は料理部に入ってるんだから、勝手に他の部活に入るように強要するな」



 しかも結衣は料理部の部長をしていたはずだ。そんな重要な役職についている人を陸上部に誘うんじゃない。

 慶治を筆頭にあそこは変人の巣窟なので、迂闊に結衣を近づけたくなかった。



「俊介君」


「何だよ、結衣」


「走っている俊介君、すごく格好良かったよ」


「そうか。ありがとう。そう言ってくれると俺も頑張ったかいがある」



 面と向かってそう言われるとなんだか恥ずかしくなってしまう。

 結衣もどことなく嬉しそうに笑って、俺の事を見ている。



「あ~~、2人の世界に入っている所悪いけど‥‥‥」


「私達がいることも忘れないでくださいね」


「ごめんなさい」


「悪かった」



 つい結衣と2人で謝ってしまった。

 むっつりとしている2人の事を見ていると、どうやらちょっと怒っているようにも見える。



「準備が出来たら走って帰るか」


「そうだな」


「結衣先輩、せっかくだから一緒に帰りましょう」


「うん」


「そしたら4人で帰るのか」


「いえ、俊介先輩と司さんは先に行ってて下さい」


「えっ!?」


「私は結衣先輩と重要な話があるので、2人でゆっくり帰ります。そうですよね? 結衣先輩」


「うん」



 どうやら結衣と茉莉の2人は話したいことがあるらしい。

 元々この2人は別の学校で中々話す機会もないので、2人っきりにしてあげてもいいか。



「わかった。そしたら俺と司は先に行ってるからな」


「はい。結衣先輩、私達も帰る準備をしましょう」


「うん」



 それから俺達は茉莉達と別れ、宿舎へと帰るのだった。

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