第15話 喜ぶ少女と疑う少女

「風見君!!」


「何だ、茅野?」


「遅くなったけどこれ。風見君の分」


「おっ、おぅ。サンキューな」



 茅野から直接手渡しでもらったマフィン。

 それは先程のプレーン味とは違い、黒っぽい色をしていた。



「茅野、これは‥‥‥」


「食べて見て」


「でもこれってこげ‥‥‥」


「食べて見て」


「‥‥‥わかった」



 覚悟を決めた俺は茅野からもらった黒いマフィンを口の中に入れる。

 そのマフィンを租借した時、あまりの衝撃に思わず目を見開いてしまった。



「どうかな? 私が作ったマフィン」


「うっ‥‥‥うん。いいと思う」



 まずくはない。茅野からもらったマフィンは決してまずくないんだ。

 ただ俺がもらったものはチョコ味だったようで、たぶんプレーン味のものより格段に甘い気がする。



「風見君が前にアドバイスしてくれた甘いお菓子を作って来たんだけど、どうかな?」


「茅野、これは今日作ったマフィンの中で何番目に甘いんだ?」


「もちろん風見君にあげたものが1番甘いマフィンだよ」


「やっぱりな」



 口の中に広がるこの芳醇な甘さ。確かにすごく美味しいけど、どうしても俺の味覚に合わない。



「どうかな、風見君? 私が作ってきたマフィン?」



 正直俺は甘い物があまり得意ではない。だけど茅野に作ってもらった手前、まずいという表情をしたくない。

 ここまでのクオリティーになると、もはや味なんて各自の好みになってくる。

 今回はたまたま俺の舌に合わなかっただけで、茅野の料理は間違いなくプロのレベルに近い。

 それだけは確かだ。



「おっ‥‥‥おいしい」


「本当? 本当に美味しい?」


「あぁ、このマフィンすごくうまい」


「よかったぁ。風見君に喜んでもらえて」



 先程葉月に見せた笑顔とは一転して、ほっとした表情を浮かべる茅野。

 葉月の時とは対照的な対応をされてしまい少し落ち込んでしまうけど、これで茅野の恋が1歩前進したと思えば俺にとっては喜ばしいことである。



「あれ? おかしいわね」


「どうしたんですか、紺野先輩?」


「ちょっと、風見君。いえ、君」


「紺野先輩!? なんで今俺の名前を呼び直したんですか!?」


「そんな些細なことは気にしちゃダメよ」


「全然些細なことではないと思うんですけど?」



 その一言によって親衛隊の連中が動き出すかもしれないんだぞ。

 現にさっきから教室内で親衛隊と思しき連中が騒がしく動いている。



「そんなことよりも、これから私と少しお話をしましょう」


「お話‥‥‥ですか?」


「そうよ。貴方には色々と聞きたいことがあるの。ちょっとこっちに来て」


「こっ、紺野先輩!?」



 俺の手首を掴んだ紺野先輩は、教室の隅の方へ強引に連れて行こうとする。

 なんとかしてその手を振りほどこうとするが、強い力で掴まれているため振りほどくことが出来ない。



「ちょっと待ってください!! 紺野先輩は葉月の事を放っておいていいんですか?」


「放っておくも何も、既に葉月君はどこかに消えてしまったわ」


「消えた!? この短時間にいなくなるなんて、あいつはどこをほっつき歩いてるんだよ!!」


「さぁ、それは私にもわからないわ」


「わからないって‥‥‥はっ!?」



 もしかしてあいつ、親衛隊に連れていかれたのか!! 俺は慌てて教室内を見渡すが、葉月の姿はどこにもない。



『誰か!! この縄をほどいて!!』


『うるさい奴だな。口にガムテープでも張って置け」


『はっ!!』



 俺が辛うじて見えたのは廊下で誰かが騒いでいる声と、縄で縛られ親衛隊の連中に運びだされる男子生徒の上履きの裏だけだ。



「(あれはきっとマネキンか何かだろう。そして声はスマホのボイス機能を使って、葉月の声を流しているに違いない)」



 だから今親衛隊の連中に運ばれているのは葉月じゃない。あいつはきっと腹でも壊してトイレにでも行っているのだろう。

 あれだけの弁当とマフィンを食べれば普通はそうなる。全て葉月の自業自得だ。



「風見君」


「はっ、はい!?」


「私はね、葉月君のいないこの教室を見て思ったのよ」


「何を思ったんですか?」


「葉月君がこのクラスにいないのなら、私がここにいる理由はないんじゃないかって」


「そうですか。それなら自分の教室に戻れば‥‥‥」


「でもね!! 今この教室にいる新しい理由が出来たのよ!!」


「近い近い近い!? 何ですか!? その理由って!? もしかして葉月から俺に乗り換えるつもりだったりします!?」


「そんなわけないでしょ!! 私にとっての1番は後にも先にも葉月君だけよ!!」


「ははははは、そうですよね。失礼しました」



 あんな愛情のこもった弁当を作って来たんだ。そう簡単に他人に乗り換えるなんて、この人はしないだろう。

 ただ面と向かって正直な感想を言われるとさすがの俺もへこむ。せめてもっとオブラートに言ってほしかったな。



「そんな事よりも風見君、貴方に話があるの」


「俺に話‥‥‥ですか?」


「そうよ、重大な話。これは貴方にしか答えられない事よ」



 興奮した紺野先輩の暴走は止まらない。俺の肩を掴み、真正面から俺の事を見つめている。



「(これは非常にまずいことになったぞ)」



 なんとかしてここから逃げだしたいけど、この状態じゃ逃げられない。

 肩を掴まれ密着したこの体勢。俺が予想していた以上にまずい状況なんじゃないか?



「(これだけ騒がれているんだ。きっと茅野もこの光景を見ているに違いない)」



 このままでは俺は女なら誰の相談でものる尻軽な男だと軽蔑されてしまう。

 そうならない為にもこの状況をなんとかして打開しないとまずい。下手をすると変な噂を流されかねない。



「風見君」


「はっ、はい!?」


「茅野さんの事だけど、これは一体どういうことなの?」


「いや、全く本当になんなんでしょうね。ははははは」


「笑っている場合じゃないわよ。ちゃんと説明して頂戴」


「説明するも何も、俺は一体何を説明すればいいんですか?」


「だから茅野さんのことよ。彼女が葉月君の事をどう思っているか私は聞きたいの」



 まずいぞ、非常にまずいことになった。俺が葉月と茅野をくっつける為にサポートしている事が、紺野先輩にはバレている。

 一刻も早くここから逃げたいけど、紺野先輩は興奮していてとりつくしまがない。

 現に仮面のような張り付いた笑みを浮かべる彼女に対して、俺は愛想笑いを返すしかなかった。



「はははははは。何の話ですか? 葉月と茅野の関係なんて俺にはわからないですよ」


「貴方、今の自分の顔を鏡で見てもそんな嘘をつけるの?」


「いえ、すいません」



 駄目だ。紺野先輩は怒っている。先程とは比較にならない程お怒りである。

 その証拠に俺の冗談が全く通じない。このままじゃ俺も葉月と一緒に海の藻屑になってしまう。



「そういえば茅野はどこに行ったんだ?」


「茅野さんなら作って来たマフィンをクラスの人達に配ってるわよ」


「嘘!? ‥‥‥本当だ」



 先程まで俺の側にいた茅野は作ってきたマフィンをクラスの人や遠巻きに俺達を見つめる野次馬に配っていて、俺と紺野先輩のやり取りに気づいていない。

 そして肝心の葉月は教室から既に姿を消している。



「(こんなの‥‥‥こんなの八方ふさがりじゃないか!!)」



 野次馬連中を除けば、ここには俺と紺野先輩しかいない。つまるところ俺の味方は1人もいない状態である。



「(こうなったら俺が助かる方法はただ1つ。奥の手を使うしかない)」


「風見君、そろそろ白状し‥‥‥」


「本当に!! 本当にすいませんでした!!」



 俺はその場で土下座の体勢になり、紺野先輩に向かってすかさず頭を下げるのだった。

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