第11話 紺野陽子

「どうしたの、君? さっきからそんな変な顔をして?」


 

 あえて俺の名前を強調して話しかける女性。彼女が俺と葉月の1学年上の先輩、紺野陽子だ。

 ボタンをはずした制服の隙間から見える大きな胸。ミニスカートの間からは自慢の健康的で色白なムチムチの足をさらす、腰高でモデルのようなスタイル抜群の体系。

 その姿は間違いなく俺が知る紺野先輩である。



「おっ、お久しぶりです!? 紺野先輩!?」


「久しぶりね。元気にしてた?」


「はい!? 一応元気です!!」



 この神出鬼没な登場の仕方は相変わらず心臓に悪い。

 予告もなしに突然現れる辺り、改めてこの人には隙を見せてはいけないと感じてしまう。



「葉月君にお弁当の感想を聞こうと思って来てみたんだけど、君が私の話をしてたから話しかけそびれちゃった」


「いえ!? 俺は別に紺野先輩の話なんかしていませんよ!?」



 慌てて紺野先輩に対して弁解するが時すでに遅し。既に紺野先輩はかなり怒っている。

 表情を崩さずニコニコと笑っているのがその証拠だ。確かに笑ってはいるけど、彼女の目は一切笑ってない。



「もう、私と君の中なんだから。そんな仰々しい言葉使わないで、もっとフランクに接してよ」


「ぐっ!!」



 これも紺野先輩の作戦だ。わざと前かがみになり自分の胸を見せつけるようにして俺に近づいてくる。

 何故彼女がこういった挑発的行動を取るのか。それは簡単に説明すると、俺のクラスの周りに控えている親衛隊の連中を刺激する為である。



『おい、あいつ紺野先輩に名前で呼ばれてるぞ』


『紺野先輩に認識されているだけでも光栄なのに、その上名前で呼ばれるなんて‥‥‥』


『これはこれは、おしおきが必要なようですね~~~~』


「紺野先輩、お願いします!! このままじゃ俺、親衛隊の人達に拉致られます!!」


「親衛隊? 何の事を言ってるか私はわからないな~~」


「本当に、本当にすいませんでした!! だからどうか‥‥‥勘弁してください」



 咄嗟に俺が思いついた作戦。それは紺野先輩への命乞いだ。その場で深々と頭を下げて紺野先輩に謝罪をする。



「(この人の親衛隊に目をつけられるとろくなことがない。それは俺が1番身に染みてわかっている)」



 紺野先輩の親衛隊は他の親衛隊に比べても過激な部類に入る。

 その事は紺野先輩自身もわかっているはずだ。


 だから俺に気がないのにも関わらず、わざわざ名前を呼び自分と親しいアピールをして俺に制裁を下そうとする。

 自分の手を汚さず親衛隊に全てを任せるこの手法。俺が紺野先輩が天敵と呼ぶにはこういった理由がある。



「ふぅ。全く。本当に貴方はしょうがない子ね」


「はい。すいません」


君、顔を上げなさい。私は別に怒ってるわけじゃないわよ」


「そうなんですか?」


「ちょっと貴方にいたずらをしたくなっただけだから。あまり本気にしないでね」


「そのいたずらの結果次第で、俺の午後の過ごし方が変わってくるんですが?」


「そんな大げさな事を言って。やっぱり貴方は面白いわね」



 この人はわかっていない。自分が持つ影響力を。

 例えばこの人が『ちょっとこいつを池に沈めてきて』とか言えば、親衛隊の連中は本気でそいつを池に沈めようとするのだから手に負えない。

 もう一種の宗教じみている。いっそうの事、紺野親衛隊ではなく紺野教と名称を変えるべきだと思う。



『どうやら我々の誤解だったようですね~~~』


『まぁ、風見は大丈夫だろう。あいつは紺野先輩に対して無害なはずだから』


『我々が手を下さなくてもよいという事ですか?』


『今のところはな』



 よかった。紺野先輩が俺の事を苗字呼びに戻したことで、教室の周りに散在していた親衛隊の連中の圧が下がった。

 名前を覚えられていることに関してはいささか癪に障るけど、これで俺は紺野先輩の親衛隊に拉致られなくて済む。



「ふぅ、よかったよかった」


「何をそんなに安堵してるの?」


「これは俺の問題なので大丈夫です。それよりも紺野先輩は何故俺達のクラスに来たんですか?」


「それはもちろん、葉月君と一緒にお昼ご飯を食べる為よ」


「やっぱりそうですか」



 俺もそうじゃないかと思ったよ。そうでなければこの人がこのクラスに来る理由なんてない。



「葉月君、私が愛情をこめて作ったお弁当。ちゃんと食べてくれた?」


「すいません。実はまだ食べてないんです」


「えっ!? 何で!? 私が作ったお弁当、美味しそうじゃなかったの?」



 まずい!! 今紺野先輩の周りの温度が下がった。明らかに機嫌が悪くなった証拠だ。



「(先程まで大人しかった親衛隊の連中が騒がしく動いてる。このままだとまた葉月絡みの揉め事に巻き込まれてしまう)」



 すぐに何かしらの対処をしないと親衛隊の連中が何をしてくるかわからない。

 だけど俺には何も出来ない。ここで俺が何か発言した所で、紺野先輩を刺激するだけだから黙るしかなかった。



「(これも葉月、全てお前のせいなのだからせめてこの状況を何とかしてくれ)」



 紺野先輩は葉月の事が好きだ。だから俺の言葉は届かなくても、葉月の言葉は届く。



「(普段は頼りにはならないけど、今この瞬間だけは葉月になんとかしてもらうしかない)」



 そんな俺の願いを知ってか知らずか、葉月はただニコニコと笑い紺野先輩を見ている。

 正直あいつが何を考えいるか俺には全くわからない。だが何かしらの策は持っていると見た。



「そういうわけじゃないですよ」


「じゃあどうして私が作ったお弁当を食べてくれなかったの?」


「これから食べる所だったんですよ。ちょうど今俊介と2人でお弁当の中身を見ていて、豪勢で美味しそうだねって話をした時に紺野先輩が現れたんです」


「本当に? 嘘じゃないわよね?」


「本当ですよ。俊介も紺野先輩の料理が美味しそうって言ってました。そうだよね、俊介?」


「おっ、おう!! さっき葉月と2人で紺野先輩の料理が美味しそうって話をしてました」


「そう。それなら別にいいわ」



 ナイスだ葉月。いつもは散々俺の足を引っ張るくせに、こういう女性絡みの時だけは何故か活躍してくれる。

 見て見ろ。この葉月の屈託ない笑みを。あの紺野先輩でさえうっとりとした表情で葉月に見とれているぞ。



「(こういう時つくづく葉月がバカでよかったと思う)」



 そのおかげで俺は無事紺野先輩の標的から外れた。しばらくはこれで一安心である。



「それよりも葉月君。早く私が作ったお弁当を食べて見て」


「わかりました。いただきます」


「愛情たっぷりこめて作ったからおいしいわよ。いっぱい食べてね」


「はい!」



 チャンスだ。2人で昼食を取るなら俺がここにいるのは邪魔なはずだ。

 ここはさりげなく教室を出て2人から距離を取るチャンスである。

 俺は自分の昼食を持つとその場に立ち上がった。



「それじゃあ2人の邪魔をしてはいけないので、俺は別の所で食べますね」


「あら? 何を言ってるの? 風見君も一緒に食べるのよ」


「俺も!?」


「そうよ。せっかくだから一緒に食べましょう。断ったら?」


「‥‥‥わかりました。ご一緒させていただきます」


「さすが風見君ね。そしたら風見君もお弁当の準備をして、早く食べましょう」


「はい」



 立ち上がるために伸ばした足を曲げ、再び俺は椅子に座る。

 いつの間にか紺野先輩は近くの席から椅子を借り、葉月の隣に陣取っていた。



「それじゃあみんなで一緒に食べましょう。いただきます」


「「いただきます」!」



 テンションの高い葉月や紺野先輩とは打って変わり、肩をがっくりと落とした俺は手に持っていたカレーパンをかじる。

 こうして俺と葉月と紺野先輩、普段交わることがない3人の昼食タイムが始まるのだった。



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