第12話 マイペースなヒロイン
「はい、葉月君。あ~~んして」
「あ~~ん‥‥‥この玉子焼き、すごく美味しいです!」
「よかったわ。唐揚げもあるからぜひ食べて見て」
「はい、いただきます」
昼ご飯を食べ始めてから十数分。ラブラブの甘々で見ているこっちが胸やけを起こしてしまいそうな光景が、俺の眼前で繰り広げられていた。
「(こうしてこの2人を見ていると、仲のいいカップルにしか見えないから不思議だ)」
実際は紺野先輩が一方的に好意を寄せているだけなので2人は付き合ってないのだが、世のカップルは大抵こんなものなのだろう。
いや、もちろん大抵のカップルが節度を持って付き合っているのは俺も知ってるよ!?
だけどこんなラブラブな光景を目の前で見せられてるのだから、愚痴を言うぐらいは許してほしい。
普通の人なら至近距離でこんな物を見せられたら、友人といえども殺意を抱くぞ。
たまたまここにいるのは俺だからよかったけど、頼むから葉月と紺野先輩はもう少し自重してくれ。
このままこれを続けられたら俺の精神が持たない。
「この餃子、醤油をつけなくても味があるんですね!」
「それは餡の方に味付けしてあるから、たれがなくても食べられるようになってるの」
「凄いですね、紺野先輩! こんな美味しい物を作れるなんて天才です!」
「ふふっ、もっと言って。葉月君」
2人が食事をしている所を見ていると、昼食を食べなくてもお腹一杯になるから不思議だ。
気づけば俺は昼食用に買ったメロンパンをそっと鞄の中にしまっていた。
「(何とかしてここから逃げられないかな)」
この教室から逃げられたら部室に行って、SM本を読んでいる慶治の横に座って静かに昼食を取りたい。
こんなラブラブな光景を目の前で見せつけられているのと比べれば、慶治のSM趣味なんて可愛いものだ。
「(よくよく考えてみれば、慶治は話しかけなければ黙って本を読んでいるだけなのでこっちへの実害は一切ない)」
やはり逃げるとしたら部室しかない。あくまでこの場から逃げられたらの話だけど。
「(でも逃げたら逃げたで紺野先輩からの制裁が怖いから、迂闊に動けないんだよな)」
それこそあの親衛隊を使ってどんな報復をされるかわからない。
だから今は大人しくいちゃいちゃしている2人の事を生暖かい目で見守る事にする。
そして早く昼休みが終わることを祈った。
「あぁ、早く昼休みが終わってくれないかな」
「風見君、何か言った?」
「いえ!? 何も言ってないですよ!?」
とにかく今はこの災厄が過ぎるのを待つしかない。
さすがにこの状況で俺達に話しかけてくる奴なんて誰もいないだろう。
「(だから今は我慢だ。ひたすら我慢するしかない)」
我慢していれば、きっといいことがあるはずだ。
そうなることを信じて、俺は2人のラブラブな食事風景を眺めていた。
「かっ、風見君!!」
「びっくりした!? 何だ、茅野か」
「そうだよ。それよりも風見君って今暇だったりする?」
「確かに暇してるけど。どうしたんだよ、急に声をかけて? 何かあったの?」
「うん。ちょっと風見君に話たい事があって‥‥‥」
「話?」
俺の後方に現れた茅野の表情は硬い。それにいつもとは違い浮かない表情をしていた。
「(何で茅野は浮かない表情をしているのだろう)」
少し考えればその理由がわかった。
茅野の視線の先には葉月と紺野先輩がいる。そしてその光景を見ている茅野が浮かない表情をしていたら、馬鹿な俺でもさすがにわかる。
「あぁ、なるほど。そういうことか」
「風見君は私が言いたいことがわかるの?」
「なんとなくな。茅野は教室でいちゃついているあの2人をなんとかしてほしいと思って、俺の所へ相談に来たんだろう?」
つまり茅野はあの2人がいちゃいちゃしているのが気に食わないのだ。
俺もその気持ちはよくわかる。自分以外の男性が意中の女性と仲良くしていたら、俺だって激しい嫉妬に駆られてしまう。
だから少しでもあの2人の邪魔を俺にしてほしい。茅野はその事を俺に伝えに来たのだ。
「だが茅野、済まない。俺にはあの2人を止めることは‥‥‥」
「違うから。私はそういう話をしにきたわけじゃないよ」
「えっ!? じゃあどんな話なんだ?」
「私が風見君に話したかったのは、この前の事」
「この前? 何かあったっけ?」
「私の手作りマフィン‥‥‥」
「あぁ!? 思い出した!! そういえばマフィンを試食してほしいって言ってたな!?」
「うん。その件で風見君に話があったの」
そういえばこの前の練習中に茅野から相談を受けた時、葉月に渡すマフィンの試食を頼まれてたな。
茅野が俺に用件を伝えるまで、その約束を完全に忘れていた。
「前に話していた試食用のマフィンを今日作って来たんだけど、よかったら食べてくれないかな?」
「別にそれは構わないけど。いいのか? ここで食べて」
「うん。今渡すね」
茅野は背中に隠していた茶色の鞄を俺の前に出す。
その鞄はクマのマークが目を引く、学校では見たことがない可愛い鞄だ。
「その鞄、新しく買ったのか?」
「うん。少し前に友達と2人で買い物に行った時に買ったんだ」
「そうなのか。その鞄のワンポイントになっているクマのマークが可愛いな」
「うん。私もこのクマのマークが気に入ってこの鞄を買ったの!」
「そうか。その鞄だけど茅野にはよく似合ってると思うよ」
「ふふっ、ありがとう風見君。今マフィンを渡すね」
茅野はガサゴソと鞄の中に手を入れ、マフィンを取り出そうとしている
きっとそのお気に入りの鞄の中に茅野が作ってきたマフィンが入っているのだろう。
鞄の中を覗き込みながら、茅野は自分が作ったマフィンを探していた。
「(試食とはいえ、茅野の手作りお菓子が食べられるんだ。こんなに嬉しいことはない)」
今日も面倒なことばかりが俺に降りかかってくると思っていたけど、茅野が俺に話しかけてくれたことで先程まで我慢していたことが少しだけ報われた気がした。
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