第7話 忘れられた王子様(プリンス)

「ふぅ~~、久しぶりにいい練習が出来たな」



 一通りのトレーニングが終わり、部室に戻ってきた俺はタオルで汗を拭った後体に制汗スプレーをかけ制服に着替える。

 茅野の相談を受けながら走っていたのでどうなるかと心配していたけど、蓋を開けてみれば想像していた以上にいい気分転換になった。



「今日は茅野に感謝だな。一人で走るよりもいい練習になった」



 茅野に合わせて走っていた結果、通常よりも時間をかけて距離をこなすことが出来た。

 疲れている時こそ自分の走りやすいフォームになるというけど、まさに今日の練習がそうである。

 おかげでどのようなフォームで走れば楽に走れるかわかった気がする。

 その部分を意識して補強トレーニングも行えたし、この経験は今後のトレーニングにも活かせるだろう。



「そろそろ俺も帰るか」



 鞄を持ち部室の電気を消した後、戸締りをして鍵を返すために職員室へと向かう。

 部室があるプレハブを出て俺は職員室がある本館へと向かった。



「う~~ん何だろう。何か大切な事を忘れている気がするんだよな」



 茅野と楽しく話していたからかもしれないが、何か重要な事を見落としている気がする。

 だがそれが何か思い出せない。思い出そうとしても頭に靄がかかったように、その事だけが浮かんでこなかった。



「まぁ、思い出せないって事はそんな重要な事じゃないんだろうな」



 こういう時思い出せないものは大抵しょうもない事である。

 だから思い出すだけ無駄だ。このまま忘れたままでいよう。



「さてと、もうすぐ職員室だな」



 あと少しで職員室につく。そのタイミングで通りかかった生徒指導室の扉がガラッと開いた。



「今度からちゃんと自分の力でやってくるんだぞ」


「はい‥‥‥すいませんでした」


「はっ、葉月!?」


「俊介!? こんな時間に学校で何してるの!?」


「それはこっちのセリフだよ!! お前こそどうしたんだよ!? 生徒指導室からなんて出てきたんだ!? また何かやらかしたのか!?」


「僕は数学の特別実習をする為にこの部屋にいたんだよ」


「あぁ、なるほど。そういえばお前先生に呼ばれてたな」



 俺が忘れてたのはこの事か。茅野の事とか色々あって、葉月の事は頭から抜けてたわ。

 確か俺の宿題を写していたことがバレて生徒指導室に連行されてたんだよな。今思い出したわ。



「何だ。やっぱりしょうもないことだったか」


「しょうもない事ってどういう事!? もしかして俊介は僕の事を忘れてたの!?」


「あぁー、忘れるわけなんかないだろう」


「そうだよね。きっと僕の勘違い‥‥‥」


「葉月の事は少しだけ記憶の外側に追いやっていただけだよ。だから決して忘れてたわけじゃない」


「人はそれを忘れるって言うんだよ!! やっぱり俊介は僕の事なんてどうでもいいんだね!!」


「どうでもいいと言えばどうでもいいかもな」


「やっぱりそうだ!! 俊介はそうやって僕の事をないがしろにするんだ!!」


「別にないがしろにしてないだろう」



 くそ、面倒くさい奴に絡まれてしまった。今日は茅野と楽しく話していい気分で帰れると思ったのに。葉月おまえのせいで全てが台無しだ。



「おい小谷松、誰もいない廊下で何を叫んでるんだ?」


「平松先生!?」



 生徒指導室の中から出てきたのは数学教師の平松ひらまつである。鋭い眼光に低音の渋い声、見る人が見ればその道の人に間違われてもおかしくない風貌。

 その人が俺達の授業を受け持っている数学の教師である。



「お前さっきあれだけ怒られたのに、まだ懲りないのか?」


「いえ!? 滅相もないです!!」



 葉月のこの慌てふためく様子、きっとあいつは生徒指導室なかでこっぴどく怒られたのだろうな。平松の姿を見て驚いたのか、少しだけ情緒が不安定になっているように見える。

 その証拠に平松の姿を見た瞬間、体が硬直し固まっていた。



「(どうやら中でこっぴどく怒られたみたいだな)」



 少しだけ同情するけど、あれもこれも全部葉月の自業自得だ。

 これで葉月の素行が少しでも良くなることを切に願おう。

 願わくば今後俺に一切の迷惑をかけないで欲しい。



「何だ。誰かと思えば風見じゃないか」


「こんばんは、平松先生」


「風見、こんな遅い時間まで何をしてるんだ? もしよからぬことをする為に残っていたのだとしたら、お前も生徒指導室行きだぞ」


「この馬鹿と一緒にしないで下さいよ。俺は今部活が終わって職員室に部室の鍵を返しに行く所です」


「はっはっは! 冗談だよ、冗談。その姿を見れば遊んでないことなんて、俺じゃなくてもわかる」


「先生のいう事は冗談に聞こえないんですよ」



 平松は楽しそうに俺の肩叩いているけど、正直生きた心地がしない。

 数学の平松といえば鬼の平松という二つ名が生徒の間でつけられるぐらい有名な教師で、生徒指導に厳しいことでも有名である。



「そう言うなよ。お前が練習熱心なのは俺もよく知ってるからな。どうせこの時間まで居残っていたのも、トレーニング室で練習をしていたからだろ?」


「よくわかりましたね」


「俺だってそれぐらいの見る目はあるつもりだ。さすがに必死に頑張ってる生徒を怒る事なんてするはずないだろう? お前はこの調子で頑張れよ」


「はい、がんばります」



 そう言って平松は俺の肩を叩くのをやめた。何故かわからないけど、俺はこの平松に気に入られている。

 この学校に入学した当初は葉月とセットでよく怒られていたが、時間が経つに連れてそういうことはなくなった。



「(そういえば何で俺はこんなに平松と仲良くなったんだろう。きっかけは確か‥‥‥)」


「俊介~~!!」


「そういえばこいつがいたな。忘れてたわ」


「何で僕の事を忘れてるの!? 今まで俊介の目の前にいたのに!!」


「そんな些細な事はどうでもいいんだよ」


「どうでもいいの!?」


「あぁ。それよりもバカ葉月。先生にこってりしぼられたのか?」


「おかげさまで。3時間みっちり勉強をしながらお説教コースだったよ」



 今の疲れた様子の葉月を見るに、どうやら俺の予想以上に絞られたみたいだ。

 肩を落としため息をつく様子は会社勤めに疲れたサラリーマンのようにも見えなくもない。



「しょうがないよな、全部バカ葉月が悪いんだから」


「俊介、今僕の名前を呼ぶ時おかしくなかった?」


「お前の勘違いだろ? バカ葉月


「そうだな。小谷松バカの勘違いだ」


「ちょっと先生!! 今はっきりと僕の事をバカって言いましたね!!」


「平松先生、本音が出てますよ」


「おっといかん。俺としたことが」


「みんな酷いよ!! 僕の事を馬鹿にして!!」


「だって全て本当の事だろう。言われたくなければ日頃の行いをもっと改めろ」



 さっきからずっと葉月が騒いでいるけど、全て本当のことなので仕方がない。

 葉月バカ葉月バカと言って何が悪い。言われるのが嫌だったら俺に迷惑をかけないようにもっと行動を改めてほしい。



「まぁこれで少しでも懲りたなら、次はちゃんと宿題をしてくるんだな」


「うぅ‥‥‥」


「そういえば風見は職員室に鍵を返しに行く所だったんだよな?」


「はい、そうです」


「そういうことなら部室とトレーニング室の鍵は俺が職員室に戻しておくぞ」


「いいんですか?」


「職員室の鍵を管理している場所に置けばいいだけだろ? サインも俺名義で書いておくから、外も暗くなってきたしお前はこのまま帰れ」


「ありがとうございます」



 俺は持っていた部室とトレーニング室の鍵を平松に渡す。それを平松が受け取ると自分のポケットに入れた。



「このまま俺は職員室に戻るから、2人で仲良く帰れよ」


「えっ!? 先生、何を言ってるんですか? 俺は葉月と帰りませんよ」


「はぁ!?」



 驚く平松に対して俺はそう答えたのだった。

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