第11話 玲奈の母親は地獄から這い上がることができた

 ひょっとして、先ほどの話と同じパターンだろうか?

 そして、みずきと手書きされてあった、丸い四隅の派手な名刺はその風俗店の名刺なのだろうか?

 まゆかは、できる限りの想像力を働かせていた。


 玲奈のママは、突然手を合わせ

「今までの経歴、どこにいて何をしていたかということは、聞かないでおくれ。

 お願い」と哀願するように言った。

 必死さと哀れさのにじんだその表情には、なかば圧倒されるものがあった。

 ということは、私の推理は当たっているのだろうか。

 しかし、好奇心まじりにこんなことをほじくり返して何になるというのだ。


 玲奈のママは、一瞬顔を輝かせて言った。

「ただひとつ言えることは、私はこの正樹さんに救い出してもらったってわけさ」

 えっ、ここでも正樹兄さん登場?

 元アウトローがもつ度胸と、世の中の裏を熟知しているということが、こやしになったのだろうか? いや、イエスキリストがこやしに変えて下さったに違いない。

 ふと「すべてのことはイエスキリストにはたらいて益となる」(聖書)という聖書の御言葉が頭にひらめいた。


 再び、まゆかは想像力を働かせた。

 正樹は、昔の顔をきかして昔のやくざ仲間だった債権者に、債権の額を軽減してもらったのかもしれない。

 玲奈ママの通うホストクラブの担当の正宗にその事実を話し、正宗から話を聞いた正樹が人肌脱いだのかもしれない。

 まるで、裏書手形で債権を負った演歌歌手 島倉千代〇を救い出した有名占い師 細木数〇と同じパターンである。

 細木数〇が雨の夜、車を運転していると、赤信号にも関わらず車の前に飛び出してきた白い着物の裾がはだけ、ざんばら頭の中年女性がいた。

 細木氏は車から降りて危ないと注意したが、その女性はまるで幽霊のように放心状態だった。

 ひょっとして自殺志願者? そう危惧した細木氏は、その女性を車に乗せ、自宅の風呂に入れ、ビーフシチューを食べさせたとき、ようやく自ら島倉千代〇と名乗ったという。

 まさか、信じられないという表情をよそに、島倉氏は、切羽詰まったように、つきあっていた医者の保証人になったばかりに債権者から追われているという身の上話を、語り始めたという。

 それから細木氏は、赤坂のクラブを経営していたときの経営手腕と人脈を発揮し、島倉氏の借金の肩代わりをしたという。

 細木氏は、島倉氏を自宅に居候させていたが、残念ながら家事はかいもくできず、唯一の料理はコーヒーゼリーだけだったという。

 それから、島倉氏は借金を返済し終えて、紅白歌合戦にも出場したという。

 細木氏曰く「人をだましたら、自分もだまされる。金を積むより徳を積め」

 事実、細木氏は不動産屋からだまされ、金銭、土地、家屋、店舗までそっくりだまし取られたという。

 細木氏曰く「だました不動産屋を憎んだが、しかし、だまされた私にもスキがあった」


「私はようやく、自由の身になれたわ」

 玲奈ママが、安堵した口調で言った。

「いろいろ、事情があってね。玲奈とは離れなければならなくなった。しかし決して玲奈を捨てたわけではなかったのよ。玲奈を忘れたことは、一日もなかったわ」

 正樹が発言した。

「玲奈ちゃん。今はお母さんの事情は聞かないでほしい。

 しかし、あと五年くらいしたら話すときが訪れるんじゃないかな。それまで、そっとしておいてほしい」

 玲奈はうなづいた。

「わかったわ。こうやってママが戻ってくれただけでもほっとする。

 ねえママ、今日はママのつくった特製ビーフシチューが食べたい。久しぶりにコーンとパプリカのはいったの、しばらく食べてないな」

 正樹が、急に手を打って言った。

「えっ、シチューにコーンとパプリカ入れるの、それいただき。早速まかないメニューで試してみようっと」

 玲奈ママは、笑顔で答えた。

「私のつくった玲奈専用特製シチュー、タッパーに詰めて持参しますよ。皆でお召し上がりください」

 これで一件落着、ようやく和気あいあいとした雰囲気が訪れた。


 突然、正宗に呼び出されたまゆかは、少々とまどっていた。

 朝七時、ここはマンションの中の小さな公園のベンチである。

 通勤のサラリーマン姿の人がちらほら見えるだけで、人影もまばらだ。

 正宗は深刻な表情で言った。

「俺はお前が好きだ。いつまでも一緒にいたい。しかし、俺たちは結ばれない運命なんだ」

「えっ、どういうこと?」

 藪から棒に言われても、まゆかは意味がわからない。

「俺のおかんは、今、乳がんで入院中だ。末期がんでもう完治する見込みはないが、薬と注射でなんとか緩和している最中だ」

「長生きしてくれればいいのにね」

 まゆかは、心からそう願った。今の私には、玲奈のようなママのいない生活なんて考えられない。

「おかんは、明言はできないが、あと余命何年という運命なんだ。この前、見舞いにいったとき、初めて聞かされたが、俺はおかんがレイプされた結果、生まれた子なんだ」

 ええっレイプ? まゆかの想像もつかない怖い世界である。

 でも、レイプされた子を産む女性が存在するなんて、まゆかには不思議としかいいようがなかった。

 以前に新聞で、新婚旅行中に新婦が一人でホテルの部屋にいるとき、見知らぬ外人にレイプされて妊娠したが、その子は施設に引き取られたという記事を読んで、考えさせられた。

 その新婦はなぜ、もっと早くレイプの事実を言わなかったのだろう。

 もしかして、産婦人科へ行けば、レイプ後十か月たって妊娠する前に、最善の処置が下されるかもしれないのにな。

 そんなことをぼんやりと考えていたら、正宗が真剣な表情で言った。

「おかんが言うには、そのレイプした男は、お前の今の親父だっていうんだよ」 

 えっ、嘘に違いない。嘘であってほしい。

 まゆかの頭は混乱を極めた。お父さんがレイプ犯? バカな。

 レイプ犯というと、強面のヤンキーといったイメージしかない。

 しかし、お父さんはどう見てもそういったタイプではなく、温厚なマイホームパパ。そりゃあ、ときどき酒の飲みすぎでママとは夫婦喧嘩もするが、酒に関してはママもあきらめ気味。

 帰宅時間はいつも十時で、あまり接する機会はないけれど、きつく叱られたことなど一度もない。

 褒められたことなどないけど、かといって叱られたこともない。

 お父さんを初めて紹介されたのは、小学校五年のころだった。

 仕立てのいい茶色のスーツ姿で、ママと私を穴場だという小さなロシアンレストランに連れて行ってくれた。

 そこで、初めて食べたビーフシチューより深い味のボルシチの味を今でも覚えている。


 お父さんにお土産までもたせてくれて帰宅してから、ママは私に聞いた。

「この男性が、ママと結婚してほしいと言ってるの。まゆかの意見を聞きたい」

 私はこの男性のやさしそうな笑顔が、一目で気に入った。

「うーん、まだわからない。その人のことをもっと知りたい」

 それからは、毎週日曜日の午後になると、お父さんとママと私との三人デートが始まった。

 あるときは、遊園地だったり、サーカスやママのお気に入りのピアノコンサートを見に連れて行ってくれたりした。

 帰りは、いつも小さな穴場的レストランでご馳走になった。

 今まで行ったことのない、フランス、イタリア、ドイツレストラン、豪華な中華レストランのときもあった。

 そしてパパは、いつも帰り際、私にリボン包みの小さなプレゼントをくれた。

 いつも花柄の包装紙に、リボンがかけられてあった。

 中身はハンカチや、キーホルダーや、マスコット人形など、そう高価なものではなかったが、私は七年たった今でも保管している。

 そんなお父さんは、レイプ犯なんて嘘よね。

 でも、帰宅してお父さんを問い詰める勇気などとてもなかった。


 


 

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