第9話 玲奈の彼氏 靖史の悪事

 とたんに、正宗の兄ー風船のような腹の出たメタボ風の男であり、正宗とはスタイルは全く似ていないーの向かいに座っていた男は、腕にヌードの女性のタトーを見せびらかし、足を投げ出し、タバコケースを放り投げるポーズをしている。

 自分は一般人とは違うと精一杯、突っ張っているのだろう。ひどくふてくされた表情だ。

 しかし、やはりどこかあどけない風情が感じられる。まゆかと同年代だろうな。

 とたんに席をたとうとしたヌードタトー男を、正宗の兄が腕を引っ張る。その腕を振り払い、ヌードタトー男はテーブルを後にした。

 そのときだ。なんと玲奈がその男の胸ぐらをつかみかかった。何事が起ったのか、まゆかは理解できない。

 玲奈の頬は紅潮し、涙で頬がぐしゃぐしゃになっている。

 それをなだめる正宗の兄。

 まるでドラマのワンシーンみたいだ。

 本来、私の出る幕ではないが、ちょっぴりの好奇心でまゆかは、玲奈に声をかけた。


「どうしたの、なにがあったの。玲奈」

「まゆか、ちょっと聞いてよ。この男は、私を金にしようとしたのよ」

 そのとき、正宗のメタボ兄が口を挟んだ。

「お見苦しいところをお見せしました。あなたはこの前、いらっしゃった正宗の友人のまゆかさんですね。場所を変えてお話しましょう」

 メタボ兄は、勘定を済ませ、私と玲奈の三人で店を出た。


「申し遅れました。僕は正宗の兄で正樹といいます。

 今だから白状しちゃいますが、昔、ちょっとばかり極道だった時代があったんですよ。玲奈ちゃんだったっけ。彼氏の靖史から聞いてるよ」

 ファーストフードの二階の席で、まゆかの隣には玲奈、そしてその向かいにはメタボ兄こと正樹が座っている。

 玲奈はいきなり、顔をくしゃくしゃにして、まゆかに怒りと不安をぶちまけるように告白した。

「靖史ってひどいのよ。私に今からデリヘルに行けっていうの。バンスとしてもう百万円受け取ってるんだ」

 ひどい話。やっぱり、玲奈の裏には男がついていて、玲奈は利用されてただけにすぎなかったのだ。そうじゃなきゃ、玲奈がキャバクラに勤めたいなどと言いだすはずがないものね。

 そして、さっきの正樹兄とからんでいた、ヌードタトーのタバコの箱を手にした男が、玲奈の彼氏だったのね。

 玲奈は昔から人に優しくされと、相手の言いなりになってしまうような弱い部分があった。

 だから、靖史のようなヌードタトー男に引っかかったのね。

 正樹兄が口を開いた。

「あの野郎、靖史っていうんですけどね、僕が昔いた組に舎弟になりたいなーんて言ってきたんですよ。なんでも靖史は大学を卒業して新卒で銀行に就職したが、十か月で退社し行く当てもなしにブラブラしてところ、アウトローにスカウトされ、とうとう杯をかわしてしまったバカな奴ですよ」

 玲奈は納得したように、発言した。

「靖史君とは、バイト先の喫茶店で常連客だったのがきっかけだったと言ってました。いつも千円札をだしておつりを私に握らせてくれて、なんて気前のいい人だと思ってたけど、それが玲奈をひっかける手段だったのね。

 またジョークがうまくて『アメリカの幽霊、なんて言って出るかしってる? バックライスっていうんだよ。うらめしや』なんておやじギャグをいって笑わせてくれたって言ってたわ。まあ、靖史君からしたら、まゆかをひっかけることなど、赤子の手をねじるより簡単だったんだろうね」

 正樹兄が納得したようにうなづいた。

「それから、詠史君と徐々に冗談を言い合える間柄になった。靖史君は、最初に優しかったと言ってたわ」

 まゆかはすかさず言った。

「玲奈は昔から、自分にやさしくしてくれる人がいい人で、自分を無視したり疎外する人がろくでもない奴なんていう考え方だったよね。そういう考え方をしていると、今に悪党にだまされ利用されちゃうよと言ったこともあったけど、玲奈は頭でわかっていても、心が言うことをきかなかったのね」

 正樹兄が昔を思い出したように言った。

「残念ながら俺は優等生とは程遠いところにいて、親も含めて人からちやほやされて褒められるなんていう誇らしい体験をしたことがなかったんだ。

 俺の親はいつも喧嘩ばかりして、まともな食事にありついたことなどなかった。

 だから俺は、人からのちょっとした優しさや、おかずのついたご飯を食べさせてくれる人が善人だなんて思いこんでいたんだ。

 俺のおかずといえば、漬物かふりかけかスナック菓子だったものな」

 えっ、おかずのついたご飯を食べたことがほとんどなく、スナック菓子がおかず代わり?!

 まゆかは、驚愕した。

「アウトローが優しいのは、利用しようと思うからだよ。まあ、俺もそうだったけどね。だから、俺はその二の舞がでないように見張ってるのさ。

 自分の過去の体験を生かして、これから俺の二代目がでないように、若い子を更生させていくことが、俺の使命なんだ」

 まゆかと玲奈は、感心したように聞いていた。

 なんだか、マスメディアにでてくるような美談。

 でも同時に興味深かった。

「今はアウトローも、インテりやくざといって大学卒が多いが、俺はそうじゃなくて、武闘派で使い物にならなくなってから、破門されちゃった。

 それから、必死で料理を勉強して、正宗の貯金を担保に店をだしたんだ」

 

 玲奈が正樹に質問した。

「でも、一度こういう世界に入ったら、もうやめられないっていうけど、本当なのかな」

 正樹はまるで、クエッション&アンサー口調で言った。

「そうだね。なかなか抜けにくいね。自分は破門状をもらい、組織から抜けたと思っても、過去に自分を恨んでた奴から復讐されたりするね。

 また、俺の場合は、神に祈って免れたけどね。あっ、俺クリスチャンなんだ」

 そうか、それで大きな十字架のバックプリントのTシャツと、木彫りの十字架のペンダントをかけていたんだな。

 玲奈が口を開いた。

「靖史はね、アウトローになれば組から給料がでて金儲けができるなんて、本気で信じてたのよ。でも現実はまるで反対、フランチャイズ店の如く、組の代紋を借りて金儲けした金を、上納金として組に支払うのよ。支払えなければ組に借金を負うことになり、リンチを受ける。そういう世界だったのよ。

 だから、アウトローの最大の敵は同じ組の身内なのね」

 まゆかが口をはさんだ。

「世の中、そんなに甘かったら誰でもアウトローになってるよ」

 正樹がため息をついた。

「まったくバカ野郎だ。と言いたいところだけど、俺も人のことは言えない。

 だって、俺も暴走族で少年鑑別所から出てきて、行き場がなかったとき、先輩がばくち場にお供するだけで、ポンと二十万円渡し『これ、お前の小遣いだ。持っていきな』と言われ、アウトローになればラクして金儲けができると思い込んだものな。

 あのときは、二十万円が光り輝く金のように見えたよ。今から思えば、悪魔の誘いとしかいいようがないよ。悪魔はいつもこれさえすれば、ラクして賢くなれる、美しくなれる、今の生活なんかより、もっといい生活ができるなどと甘い言葉で誘ってくるものな。しかし、神様は努力する人を好むんだよ」

 玲奈が重い口を開いた。

「でも、私もバカだったわ。靖史がやさしく話を聞いてくれ、これはダメだよ、間違ってるよなんて厳しい否定的なことを言わなかったり、おごってくれたりしたのは、私を利用しようと思ってたからなのね。

 私って昔から、自分を受け入れてくれる人はやさしいいい人、厳しいことを言う人は私に冷たくあたる悪人なんていう感情しか抱いていなかったんだ」

 まゆかが納得したように言った。

 




 

 


 

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