第8話 玲奈のピンチを救助する
少しメタボリック気味の青年が、まゆかに一礼した。
お兄さんまで紹介されるって、正宗は私のことを、真剣に考えてくれてるんだなって、少し感動した。
正宗は、自分のことを話し始めた。
小学校のとき、サッカーと切手集めが趣味だったこと、最近はまっているゲーム、しかしサッカーもゲームも、まゆかにはさして興味のない別世界のことでしかなかった。ただし、まゆかは花柄の切手収集をしていたので、その点だけが救いだった。
正宗が、まゆかの目をじっと見つめて話してくれるのが、誠意のあらわれのようなものが感じられた。
「この店のスパゲッティーはコクがあって美味しいわ。
あっ、ごめんなさい。私、今日は急ぐの。悪いけど帰らなきゃ」
まゆかは、玲奈のことが気になって仕方がない。
「なあんだ。もう帰っちゃうの」
正宗は、物足りなさそうな顔をした。
「今日は楽しかった。このDVD家でゆっくり見させてもらうわ」
まゆかは、千円札をテーブルの上に置こうとすると、正宗が俺が払うとさえぎった。
「それではお言葉に甘えてそうさせて頂きます。今日は楽しかったわ」
DVDを抱えたまゆかの背を、正宗はいつまでも見送っていた。
まゆかが自宅のドアを開けると、玲奈が震えたように立っていた。
「どうしたの。何があったの?」
玲奈は、無言のままだ。
「一応、話だけでも聞くからさ。黙ってちゃわからないじゃない」
玲奈は、うつむいたまま、重い口をこらえきれないようにポツンと言った。
「私、警察に行こうと思うの」
今度は、まゆかが青くなる番である。
「私の彼って、変な組織に入って覚醒剤に手をだしたらしいの」
覚醒剤というと、アウトローか半グレ専門であり、今の日本は素人が売買するなんてことはまず考えられないし、それをするとたちまち襲われるという。
やっぱりというか、昔からあるお定まりのパターン。玲奈の後ろには、男がついていたのである。
悪党の餌食になるのは、いつも法律に疎く、相談相手もいない地方出身者だという。玲奈は無口であまり友人もいなかったし、文句を言われて言い返すタイプでもなかった。玲奈は、いわゆる悪党のスキにつけこまれやすいタイプだったのである。
玲奈はその男に操られてるだけかもしれない。
覚醒剤ということは、玲奈はヒモにされようとしているのだろうか。
「そして、私にも打つように勧めてきてるの」
なんだか、刑事ドラマの世界が現実として、目の前に展開されているようである。
「だめよ。大麻も含めドラックなんかに手をだしちゃ。一生辞められなくなるわよ。ドラマではよく、一年たったらすっかり回復し、社会復帰したなんてシーンがでてくるけど、あれはまったくのデタラメよ」
まゆかは力説したが、それと同時に、玲奈のような子と関わってたら自分までが悪の火の粉が飛んでくるのではないかーいわゆる麻薬中毒、それに伴う窃盗、恐喝に手を染めるようになるのではないかという危機感に襲われていた。
玲奈は覚悟を決め、思いつめたように言った。
「ごめん。もうまゆかには、これ以上迷惑かけられない。だから、今から警察に出頭するわ。かくまってくれてありがとう」
別世界の話を聞き、ただただポカンとするまゆかをよそに、玲奈は背を向け、ドアを開けて出て行った。
玲奈の小さな背中には、重く暗い鉛のような影が貼りついていた。
まゆかは、玲奈の存在が枯れ落ちて、踏みつけにされる薄い花びらのような、はかなく哀れなものに思えてしかたがなかった。
まゆかは、さっそく正宗からもらったDVDを見ることにした。
‘今月のナンバー1ホスト 接客風景’というタイトルがDVDの表面に記されている。
ナンバー1とはもちろん正宗のことである。なんでもナンバー1はすごいな。
プレーヤーを再生すると、うす暗い店内にカクテルライトの照明が少しまぶしい。
ディスコミュージックが流れているので、会話の内容は聞こえない。
黒のスーツ姿の正宗が、笑顔で水割りをつくっている。隣にべったり座っているのはミニスカートの二十歳くらいの女の子だ。
ばっちりアイメイクを施し、ラメ入りの口紅が光っている。見ててこちらがはらはらするくらいの下着が見えそうなミニスカートからののぞく形のいい脚。
シースルーのワンピースに太めのベルト。まるでグラビアアイドルのようである。
しばらくして、正宗は御免と手を合わせ、別のテーブルに身を移した。
ほろ酔い状態の女性客が正宗を待ちかねたように、唇をとがらし、さあこっちと言わんばかりに手招きした。
正宗は待ってましたとばかり、上機嫌で隣に座った。先ほどの女と同じようなメイクに、髪はアップにしているが、襟足が妙に色っぽい。胸の半分見えそうなタンクトップの上に、肌の透けてみえるシースルーのブラウスを羽織っている。
どんな話をしているのだろう。気になって仕方がない。
すると突然、正宗は酒瓶を一気飲みし始めた。まわりのホストたちがはやしたてている。しばらくして正宗が手招きすると、スーツ姿の二十歳くらいの男がテーブルをはさんでその女の前に座った。ど同時に、正宗は席を立った。
正宗は少し酔っているようだ。足取りがおぼつかない。
今度は中年女の隣に尻もちをつくように、ドカッと座った。
酔っ払い特有のトロンとした甘えるような目つきで、中年の女を見つめた。TシャツにGパンといういでたちの地味な服装。
さきほどの、ド派手な二人のグラビアアイドルもどきの女に比べれば、安全圏の部類に選択される。
しかし、見覚えのあるおばさんだ。あっもしかして、玲奈の母親。
まゆかは、身を乗り出してまじまじと見つめた。‘みずき’と明記された丸い四隅の名刺を落としていった、まぎれもなく玲奈の母親だ。
じゃあ、あのおばさんはみずきというのだろうか。
みずきおばさんは、正宗をいたわるように、背を叩いた。まるで、息子を思う母親の雰囲気だ。
正宗とみずきおばさんは、親戚関係なのかな?
みずきおばさんは、どういった女性なんだろう?
あの丸い四隅の名刺から判断して、水商売をしているのだろうか?
クラブ、熟女キャバクラ、ひょっとして風俗?
もしかして、玲奈が家を出たり、母親が死んだなんて言ってるのは、それが原因?
まゆかには、謎としかいいようがなかった。
まゆかはDVDを一時停止した。もうこれ以上、見る気になれなかった。
正宗は、私とはしょせん、別世界の人だったらしい。いや、だったという過去形、現在は私と向き合っている人よ。まゆかは、心のなかで苦しい言い訳をしている。
でも、渦巻く嫉妬は消えようがない。
正宗を好きになるのはやめよう。友達として、お互いを理解していくだけでいい。
そうしたら、こんな憎しみにも似た嫉妬の感情に悩まされる必要はないのだから。
玲奈は、気分転換に外に出た。
少し陰ったまゆかの感情とはうらはらに、秋空はカラリと晴れ、うろこ雲までかかっている。道端には、コスモスがつぼみをつけている。
コーヒーの美味しい季節になってきた。玲奈は、正宗と初めて出会ったベーカリーショップの喫茶コーナーに入った。
すると、この前紹介されたばかりの正宗の兄と別の若い男がなにやら深刻そうに話し込んでいるのが目についた。
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