第5話 正宗からの誘い

「あら、久しぶりね」

 まゆかは、早速喫茶コーナーで珈琲とアールグレイパンを注文した。

「このパンは俺のおごり。今回のみの特別大サービス」

 正宗は、おどけてみせた。その表情には、無邪気さと安堵感が漂っているようにみえた。

「ねえ、今度ゆっくり話したいことがあるんだけどな、時間とってよ」

 正宗は、カウンター越しにまゆかにささやいた。


 正宗とまゆかはジャズの流れるカフェにいた。

「ねえ、こういうところ、誘ってよかったかな? 学校で禁止されてるんじゃなかった?」

「大丈夫よ。そりゃクラブだったり、夜7時以降だったりするとヤバいけど」

 通勤途中のサラリーマンの姿が見える。緊張した面持ちが、なんとなく日本の平和を象徴している。

 昼間の世界が平和なら、夜の世界は闇に向かっているのかもしれない。

 二人共、モーニングサービスは注文した。

「今だから白状しちゃうけど、俺は一度、家庭の事情で高校中退してるんだ。

 夜の世界にいたこともあるんだよ。まあ、今は専門学生だけどさ、だから、俺は今二十歳になったばかり」

「夜の世界って? もしかしてホストでもしてたの?」

「まあ、そんなところだ。俺、入店一か月で№1だったんだよ。それからずっと、№2で、月収八十万あったんだよ」

 まゆかは仰天した。マスメディアの情報は、あながち嘘ではなかったのだ。

「えっ、ホストってそんなに儲かるの?」

「人によるけどね。でもそうでない子の方がはるかに多いよ。

 4、5万円なんていう子もいるよ。だって、固定給ってないんだもの」

「でも、結構大変な仕事だったよ。浴びるほど酒を飲まなきゃ、売上上がらないし。いやなお客もいるしね」

「でも、ホストにはまって風俗行きなんて女の子もいるって聞いたけど」

「それはその店というか、そのホストのやり方が悪質なんだよ。

 ほら、ああいうところって百万円のボトルとかあるだろう。しかし、客はホストに勧められるまま、値段も知らずにボトル入れて泣く羽目になるんだよ。

 でも今は、警察の規則で値段を明記したメニューを置くようになったけどね」

「私、この前見たんだけど、酔っぱらった女性がホストクラブの前でへたり込んで動けないの。ホストに勧められるままに酒を飲んだ結果じゃない?!」

「まあ、店によっては客が酔っぱらっている間に、何のことわりもなく勝手にボトルを入れたりするというのは、聞いたことがあるわ。

 でも噂だから、事実かどうかはわからないけどね」

「週刊誌に書かれてあることと、まったく同じね」

「でも、大半の店はもうそんなことはしないと思うよ。

 だって今、警察の取り締まりが厳しいからね。抜き打ち検査があって、客の写真付き身分証明証と売上伝票を提示しなきゃならない。だから、いつもそれに備えていなきゃならないんだ。滅多なごまかしは通用しない時代なんだよ。

 ホストクラブは狭い業界で、横の関係が常に密だから、どこのクラブが警察から処分を受けたとか、ホストがとんで逃げ出したとか、右から左にすぐ伝わるんだよ」

 なんでも、女子高生はホストと付き合うのがカッコいいなんて風潮があるらしい。

 ある意味たいへんリスキーなことだな。

 まゆかの母の時代だと、喫煙している事実をちくった、いやちくらないということで、ケンカになったり、いじめの発祥になったりしたという。

 まあ、今でもないとはいえないが、女子高生ほど刺激を求めている人種はいないのではないか。世間知らずということもあり、めくら蛇に怖じず状態なんだろう。

「私もホストへ行ってみたいな」

 その途端、正宗はまっすぐにまゆかを見据えて、きっぱりと言った。

「まゆかちゃん、君はホストなんて行く必要がないんだよ」

 まゆかちゃんには、俺がいるじゃないか」

 今度はまゆかが、正宗を見据える番である。

「今だから白状するけどね、俺がまゆかちゃんに近づいたのは、親父への復讐だったんだ」

 えっどういうこと? 意味不明!?

「俺の親父は、俺が中学二年のとき保証人になり、それ以来行方不明なんだ。

 だから俺は、親父の母親、おばあちゃんとひいおばあちゃんに育てられたんだ」

 ふーん、そんな過去があったのか。

 じゃ、正宗君って結構苦労したんだ。

「俺、親父の保証人の相手を調べたんだけど、なんと君のお母さんだったんだ」

 えっ、そういえばママは芸能人が保証人で苦しんでるのを見て、将来どんなうまい話ー例えば共同経営しようとか、店を一軒持たせてやるーなんてことを言われても、保証人だけにはなるなと釘を刺された記憶がある。

 なったら最後、債権者、要するに借金の取立人が家や職場まで押しかけ、タンスや冷蔵庫まで借金の物件として差し押さえられ、ホームレスになるしかないと脅されたばかりだ。

「親父はそれが原因で失跡して、本当に俺たち家族は苦労したんだ」

 要するにママが、吉宗君のお父さんをうまくだまして保証人にさせた挙句、吉宗君一家を苦しめたということ? ママってそんなに悪党だったの?!

 ママがそんな悪党だとはとても思えない。

 ドラマでは保証人になってくれなんてもちかける人は裏表があり、キャバクラや高級料亭などに連れて行っておだてあげ、相手が酔っぱらったスキに実名のサインと実印を押させるというイメージがある。

 しかし、私の知っているママはそんなタイプじゃない。

 普段はやさしく、そしてちょっぴり心配性の口うるさいママである。

 帰ったら、ママに問い詰めてみようかな。でも過去のことをほじくりだして何になるの。ママは、今のお父さんと結婚するまで、喫茶店を経営して女手一つで私を育ててくれた。そんなママが悪党だなんて、私は信じたくない。

 嘘よね、何かの間違いに違いない。ひょっとしてママは、悪党にひっかかって言われるままに行動したのかもしれない。

 ママこそが、真の悪党の被害者に違いない。

 私は、そんな慰めの言葉でママを弁護することが、ママを悪者扱いしない精一杯の抵抗だった。


 正宗は、深刻そうな顔でうつむいた。

「俺は、最初お前が憎かった。何の苦労もしたことがないような、初心(うぶ)なお雨が。だから、復讐してやろうと思って近づいたのさ。

 援助交際のワナをかけようと思って、アクセスへ誘おうとした。

 しかしなんだか、お前の買い物姿を見ていると、おかんとダブって誘えなかった。だから、お前のいつも行くスーパーにアクセスのあのド派手なビラをまいたのさ」

 そうか、あんな派手なビラは、スーパーのチラシにしては豪華すぎるものね。

「しかし、まさか報道番組で取り上げられるとは思わなかった。やはり、日本の警察は優秀だよ。俺のお前を堕落させる計画は、見事に失敗に終わった」

 正宗は、少し笑顔になった。

「でもお前を見ていると、あまりにも純粋すぎて世間の垢を知らない真っ白なかすみ草みたいでね、悪の世界へ堕落させるのが怖くなったんだ。なんだか、真っ白い花を汚すようで、罰が当たるのではないかと怖くなったんだ」

 正宗は、深いため息をついた。

「今は、おまえに復讐しなくてよかったと」

 まゆかは、正宗を憎む気にはなれなかった。失ったものは、いくら切望しても二度と戻ってはこない。

 子供の頃、刑事ドラマのなかで、復讐を果たした挙句の果て、自ら自殺したヒロインのセリフがなぜか今、よみがえってきた。


 ジャズ喫茶を出ると、曇り空に小雨がばらついていた。

 二人共、傘はもっていなかった。

 まゆかの方から、吉宗に質問してみた。

「そう、そういう意味深なわけがあって、私に近づいたってことか。

 どおりで、正宗君みたいな男前が地味目な私に近づくなんて、どこかおかしいと感じてたところよ」

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