第2話 予期せぬたかりにあう

 今日は、少し華やいだ気分。

 だって中間テストで、初めて最高点をとったんだよ。

 90点だなんて、中学のときはあり得ない点数だった。

 おかげで、ママからご褒美として二千円貰った。前から欲しかった新種のスマホを買い替えることをおねだりしてみようかな。

 そう思って、お父さんの好物であるトロまぐろの刺身を買いにオープンしたばかりのスーパーマーケットに入った。

 エスカレーターに乗ったそのときである。後ろから、ドンと音がしてまゆかは、前のめりになった。

 まゆかの前にいた二十五歳くらいの男は、左手に紙コップを持っていたが、紙コップの珈琲がその男の白いポロシャツにかかり、茶色のしみがついてしまった。

「おい、あなたどうしてくれるんだよ」

 まゆかは、とりあえず頭を下げた。

「すみません」

「すみませんで済んだら、警察いらないんだぜ。このポロシャツ、実は借り物なんだ。何万円もする代物なんだぜ。あなたのお陰で俺、借主に弁償しなければならない羽目になっちまったよ。どうしてくれるの。これは責任問題だよ」

 男は、最初は温厚そうに話していたが、徐々に凄みを帯びた鬼みたいな形相になってきている。

 まゆかは、とりあえず頭を下げながら

「クリーニング代弁償しろとでもおっしゃるんですか」

 急に、その男は人相を歪めた。

「あなた、考えた甘いよ。世の中あなたの考えてるほど甘くはないよ。

 なんでも、金で解決できると思ってたら大間違いだぜ。もし、ここで金を受け取ったら、俺、恐喝の現行犯になっちゃうじゃない。言っとくけど、当たり屋じゃないんだよ」

 ひどく、恐喝めいた物言いである。おそらく、この男は今回が初めてではなくて、それを業とするゆすり屋なのだろう。

 まゆかの驚愕したような顔を見て、急に男は甘い物言いに変わった。

「あなた、自分のやったことがどういう悲劇を招いたか、よーく自覚してもらわなきゃね」

 そう言いながら男は、まゆかの頭のてっぺんから、足のつま先までなめまわすようにねっとりとした、視線で見つめた。

 こういうタチの悪い輩は、相手がビビッて弱気になるとどこまでも付け込んでくるので冷静さを装い、相手の気をそらすためにピント外れの質問をしてみるに限る。

「私にできることって何ですか?」

 まゆかは、キョトンとしたような表情で言った。

「あなた、いい身体してるねえ。その身体を世間にさらすだけじゃなく、もっと有効利用してみない?」

 どういうこと? 援助交際でもしろっていうわけ?

ということは、これは新手の恐喝? そしてこの男は末端チンピラか、オレオレ詐欺の受け子の如く、犯罪サイトを見て応募した挙句、もう抜けだせなくなった悪の手先なのだろうか?

 ふと、横を見ると細身の体を地味な紺のTシャツに包んだ同い年くらいの男の子が、まゆかの隣に立っていた。

「こら、またやってんのか。警察に通報するぞ」

 途端に、末端チンピラ風は首をすくめ無言のままで、立ち去った。


 紺Tシャツ男の子はまゆかに声をかけた。

「大丈夫 ケガはなかった?」

「大丈夫です」

 まゆかは、上ずったような声で答えたが、足は震えている。

「あいつね、俺の故郷のワルなんだ。でも、今はアウトロー関係じゃないから、安心して。といっても、元アウトローというか、アウトローを首になった脳なしチンピラだ。家庭に不幸があるわけでもないのに、暴走族を飛び越えてアウトローになった、まあ俺からみたら、甘い考えの奴だ」

 まあ、しかしアウトローは最初は甘い言葉で誘い、食事を提供したり生活の面倒をみるという。

「しかし、君のスカートもスカートだよ。ほら、下着が見えてるじゃない」

 まゆかはうつむいた。なるほど、スカートの下からレースのペチコートがチラチラとのぞいている。

「こういう恰好が、案外男を挑発させるんだよ。これから、気をつけなきゃダメだよ。モデルになりませんかとか、九割までインチキだからな。ついて行っちゃダメだよ。契約書にサインさせられ、現場にいくとアダルト関係で、断わろうとすると、四人のチンピラまがいに取り囲まれ、サインしたじゃあないか。違約金として二千万弁償してもらう、親に請求に行くぞなどと言われて泣く泣く出演した女性は、後を絶たないんだぜ。

 あっ、俺ってこんな説教するガラの人間じゃないか。おわびのしるしに、そこのベーカリーショップで珈琲奢りますよ」

 まゆかは躊躇したが、男はすかさずサービス券らしきものを差し出した。

「あっ、これは本日限りの無料サービス券、捨てるのもったいないから、今度こそ有効活用しようと思って」

 まゆかは、びびったように言った。

「もうやだ、有効活用だなんて。さっきのこと、思い出しちゃうじゃない」

 男は笑いながら言った。

「わるいわるい、ごめんよ。さあ行こう」

 男は目の前にあるベーカリーショップのカウンター席に座り、まゆかに隣に座るように促した。

「トーストセットと珈琲注文」

 男は、勝手にカウンター越しに注文している。強引だな。

 二分もたたないうちに、黒塗りのトーストがでてきた。

「ねえ、僕こんなトースト初めてなんだ」

 見ると、黒い粒状のジャムが塗っている。

「でも、結構美味しいよ。このジャムはアールグレイの紅茶ジャムなんだ」

 彼は、私の目の前にトーストの皿を置いた。

 なるほど、一口含むとアールグレイの紅茶の香りがした。

「見た目よりも、おいしいだろう」

「そうね。私もこういうもって初めて」

 人見知りのはずの私が、なぜか初対面の男の子と話をしている。

「ねえ、俺、正宗(まさむね)って言うんだ。時代劇みたいな名前だろう。君の名前は?」

 一瞬、うろたえたが、知らない人についていってはいけないというママの言葉が耳に響く。

「心配しなくていいよ。俺、キャッチセールスとかアウトローの部類じゃないから」

「名乗るほどの名前じゃないけど、私、まゆかっていうの」

「へえ、アイドルみたいな名前、ひょっとしてアイドル志願?」

「まさかあ、そんなわけないじゃん」

「実は俺、ジャニーズの研究生志願なんだ」

「じゃ、レッスンとか通ってるの?」

「いや、ただ憧れだけだよ。俺んち、ボンビーだから通えないんだ」

「えっ、ボンビーってなあに」

「やだなあ、貧乏のことだよ」

「あっ、ごめんなさい」

 一瞬、沈黙が流れた。

「私、行かなきゃ」

 ふと我に帰った。そう、私は父親の為に刺身を買いにいかねばならないのだ。

 まぐろとはまちの盛り合わせがいいかな。

「あっ、悪い、俺、嫌な気分にさせちまったかな。俺、ときどきここにいるからさ、また会えるといいね」

 振り向きもせず、私は去った。

 そう、これはその場限りのたわむれ、偶然の出会い。

 そのときの私は、そう信じて疑わなかった。


「おはよう、まゆか。今日はなんだかご機嫌ね」

「おはよう、由梨、昨日ちょっと珍しいことがあってね。まあ普通はあり得ないことなんだけどね」

 




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