掌編小説・『卒業』

夢美瑠瑠

掌編小説・『卒業』

     掌編小説・『卒業』


 卒業シーズンたけなわである。

 今日、3月1日には、コロナ禍下とはいえ、やはり例年通りに多くの卒業生が黒い円筒を携えて校庭で思い思いに記念写真を撮る、という恒例の風景が全国で散見されることだろう。   


 僕も、小中高大、と四度学校を卒業していて、もちろん数えきれないくらいたくさんの思い出があるのだが、早春の、どことなく物哀しい、やるせないムード(春愁というか)の中で「蛍の光」や「仰げば尊し」といった美しい旋律の歌を全校生徒で合唱するのはなんともいえず趣のある、特別な儀式で、そういう独特な晴れがましさが好きだった。


 僕の人生の軌跡はというと幼少期から児童期までは極めて適応がよい優等生で、はきはきした利発な子供だった。在校生送辞、卒業生答辞の朗読も僕の役目だった。

 

 そのまま順調に成長して立派な社会人、夫、父となればなんでも無かったのだが、この後に運命のいたずらで?だんだんと人生航路が転落の軌跡の様相を帯び始める。


 社会という化け物との齟齬、角逐、軋轢そうしたややこしい精神的葛藤が始まったのである。

 

 例えば「車輪の下」という青春小説があるが、ああいうのは身につまされる。

 僕の人生によく似ているのである。


 思春期の高校生くらいからまず「ニキビ」に悩まされ始めた。ある程度はホルモンとかの関係でしょうがないのだが、僕の場合は大きくて醜く、しかも鼻の周りなどの目立つところにできた。それを気にするあまりに、まあ実際ひどすぎるくらいだったので学校にかろうじて通う以外は、ひきこもりに近いような状態になって、「青春はなかった」(あるアトピー性皮膚炎患者の述懐)というような具合になった。


 それでも学力は人並み以上に高かったので、まあまあいい大学に合格して、自虐と歪んだプライドとお化けのような顔が渾然一体となった怪物が出来上がり、とある地方でスチューデントアパシー的な生活を送っていた。


 こういう怪物が疎外されたりいじめられたりしないわけはなくて、だんだんに社会からも人間からも学校からも離反して孤独な生活が習い性になっていったのだ。


 それは地獄だった。地獄のような責め苦を受けながら、死ねもせず鬱々と日々を送っていたのだ。


 しかしこの地獄もまだ序の口だったことを僕は思い知ることになる。

 「卒業」という流行歌に悩まされたり、「卒業なんてできるわけない」という陰口を叩かれたり、同級生の妨害にあったりしながらも僕は1年間仕事を休んで勉強して卒業を勝ち取った。最終8年目の春だった。その頃にはニキビもだいぶん収まり、「さあこれから私の人生が始まるんだ」そう思わないでもなかった。


 陰に日向に「いじめ」には悩まされて、脆弱な心身を呪ってもいたが、まだ若く、希望はあった。


 その矢先に「謎の幻聴」が始まったのだ。


『シネ、シネ、ブサイクナハクチ、シニクサレ、ヨクイキテルナ、ブサイクナハクチ…ワハハハハハ!ダイガクイッタトオモイクサッテ!』


 …ひ弱な「誰知らぬものない無名人」への煮えたぎる社会からの攻撃衝動、悪意、嫉妬心が、僕の「卒業」とともについに臨界点に達して、グロテスクな幻聴もどきとして噴出した、という格好だった。


 その後の人生は書くのも思い出すのもつらいほどの苦難の連続、輪をかけた灰色の地獄の日々となって、忌まわしい幻聴にむしばまれて僕は廃人同様の状態に頽落していった。

 なぜ死ななかったのか?

 死ねなかったのだ。

 「犬死」という気もした。怖かった。


 そうして脱皮し損ねた蝉のような歪な怪物が疲弊しつつ今も限界集落の寒村に一人で住んで、くだらない、愚にもつかぬ、遺書とも何とも形容しようのない畸形の作文を綴っている…


 しかしそうした滑稽と悲惨も永久に続くわけではないのが救いだ。


 やはり死とは最終的な救済かもしれない…


 ☆教訓::「虚弱な人は大学とか無理して卒業しちゃだめですよ」



<了>

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掌編小説・『卒業』 夢美瑠瑠 @joeyasushi

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