罠
転移の罠で最も警戒すべきは、まずパーティーの分断である。
パーティーとは基本、全員が揃ってこそ最大の真価を発揮出来るようになっている。
言い返せば例え屈強なパーティーでも各個撃破には脆い。
その点、アズたちは咄嗟の判断によって全員が転移することに成功した。
第二に警戒すべきは、自分たちが何処にいるかという事である。
ノルンの
しかし慌てること
帰還の
帰還の魔法を使えばダンジョンを脱する事が出来る。万一、転移で予期せぬ階層に出たとしてもこれがあれば一安心である。あるのだが──。
「どうだアズ?」
「……ダメだな。発動しない」
何処とも分からぬ広い空洞で、アズは帰還の
十の倍数の階層──つまりボス部屋である。
そして今アズ達がいるのはボス部屋前に必ず存在する、セーフハウスだ。
まるで最期の晩餐を楽しめと言わんばかりに、ここは他の魔物は出現しない。迷宮内で唯一安全な場所であるが、降りたが最後、階段は消え引き返すことは出来なかった。
「ま、そんなこったろうと思ったがよ」
さして問題だとは思っていないのか軽い口調で肩を竦めるミルドレッド。
広い、広い空洞であった。天井は存在すら疑わしいほどに高く、松明の灯り程度ではぽっかりと口を広げた暗闇しか見えない。
喋る度に声が反響するのも、閉じた空間ならではだろう。
しかし閉じ込められたという訳ではない。アズらの目の前には高さ二〇メートルは悠にある巨大な扉が存在していたからだ。
「ええと、巨人さん用の扉でしょうか?」
ブレアがらしくない冗談を口にする。
場を明るくするためである。もちろん物理的にではない。
「……」
「おらっ! いつまでしょげてんだ‼」
巨大な広間の隅、マリオンが膝を抱えて座り込んでいる。
全身から陰気を発し、彼女の周囲だけ空気が異様な重さを孕んでいる。
知ったことかとミルドレッドがマリオンの鎧を蹴るも、彼女は反応を示さない。
「……ちっ!」
「マリオンさん、気にしないで──というのは無理ですよね。反省は後にして、今はこの場をどう切り抜けるか考えましょう」
「あ、あぁ。そうだな……」
そうは言うものの答えに覇気は無く、顔からは血の気が失せ、瞳の焦点もあっていない。
マリオンは明らかに平静を欠いていた。
「いい加減にしろよ、あぁ?」
「おい、ミリー⁉」
「うじうじうじうじと! 女の腐ったような根性しやがって。別にぺーぺーが失敗することなんざ、こちとら折込済みだっつーの。ま、ちっとばっかしデカい失敗だったがよ。……そんなに責任負いたきゃアズを死んでも守るぐらいの気概を見せてみろ、馬鹿が」
「っ‼」
忍耐の限界に達したか、ミルドレッドが罵倒とも発破ともつかぬ言葉を唾と共に飛ばした。
「言い過ぎだろミリー……」
「いや、ミルドレッドの言う通りだ」
今回に限って言えば、アズの慰めよりも効果覿面だった。
マリオンはぐっと拳を握り立ち上がる。その目にははっきりと、力強い意思が宿っていた。
「ミリー、お前──」
「さてな。俺はうじうじした男が嫌いってだけだ」
親友の真意を問おうにも、彼はきっと真面目に答えないだろう。そういう性格だと、アズは知っていたので感謝だけを述べる。
「……助かったよ」
「は、勝手にありがたがっとけ」
短い受け答えながら、長い付き合いを感じさせる遣り取りであった。
「すまなかったなアズ、もう大丈夫だ。ブレアにも迷惑を掛けたな。……それと、ミルドレッドにも」
「俺はついでかよ。ま、いいけどなー」
激しやすく反面冷めやすいミルドレッドは、言い換えれば過去を引きずらないということだ。それが今回はいい方向へと繋がったことに、アズは胸を撫でおろした。
「でも、実際問題としてどうするんですかアズさん?」
ブレアは巨大な扉の前で途方に暮れている。
扉には表面には無数の魔物が互いに喰らいあう姿の彫り物がされており、見事な装飾だと関心する一方で悪趣味だと嫌悪感が沸く。
その向こう、ブレアはかつて感じたことのない巨大な気の塊を感じていた。
「ま、そうだな。そこんとこどーよリーダー?」
「……この面子なら一〇層のボスなら個々人の戦闘力で楽に切り抜けられる。二〇層も問題無いと思う」
セーフハウスはどこも同じ見た目をしている。それ故にアズは何層なのかが分からなかった。
「イフリートとスキュラか……」
アズの台詞の意味するところを察し、ミルドレッドが呟く。
「どのような魔物なんだ?」
「イフリートは火の大精霊で、物理攻撃に完全な耐性を持っています。このメンバーで有効打を与えられるのはミリーだけでしょうね。スキュラは多頭多足の竜種で、まぁ単純に強いんですよ」
「む」
そう聞くとマリオンは眉を潜めた。
とりあえず部屋に入る前に基本的な方針を固める。と言っても各々の得意分野がハッキリしているため、特に迷うことは無い。
前衛、マリオン。中衛、ブレア。後衛が自分とミルドレッドだ。
となると必然、マリオンが受け持つ役割は多い。
最も苛烈な最前線でありながら、二人の後衛への
「任せておけ! その役目、完璧にこなしてみせよう!」
そう意気込む彼女に一抹の不安を抱く。
しかしこの中で一番マリオンと付き合いが長いのは自分だ。
アズはマリオンを信頼し、無言で頷きを返した。
「……皆、準備はいいか?」
「あぁ」
「大丈夫ですっ」
「いつでもいいぜ?」
扉の前で今一度仲間の覚悟を問うも、誰もが気迫に満ち、気後れしている様子はない。何とも頼もしい仲間ではないか。
アズが扉を押すと、大きさの割に抵抗無く内側に開き始める。
「……ぶっちゃけ何が出ると思うよ」
扉の隙間から広間に光が差す。
初めてボスと対峙するマリオンとブレアは、若干の緊張と共に固唾を飲んでその光景を見ていた。
「さぁて、エルダートレントあたりだと楽なんだけど、ね」
対して冒険者歴の長い二人は雑談を交えて眺める。
エルダートレントとは二〇層に出現するボスモンスターだ。配下のトレントを生み出し魔法を使うばかりか、枝と根を自在に操り冒険者を串刺しにしようとしてくる厄介な魔物だ。
一〇層のオークキングと言わないあたり、楽観主義では無いと見るか。はたまた出くわしたくないイフリートと言わないあたり、願望が入っているのか。
はてさて、鬼が出るか蛇が出るかと、それぞれの思惑を載せた扉が開いてゆく。
隙間から光だけでなくひゅるりと寒風が吹き込んだ瞬間、察したミルドレッドはあちゃぁと顔を覆った。
「くくっ! やっぱお前の悪運はすげぇよ」
「嬉しくないな。……はぁ」
そも広大な
そしてボス部屋は一〇層毎に一つしか存在せず、ピンポイントでボス階層に来る確率は更に低い。
先程遭遇した冒険者は、おそらくだが転移のトラップを探していたのだろう。
帰りに関しては
尤も、そういった準備を横着する冒険者は不意にボス階層へ飛び、命を散らすのだが。
それ故にアズが彼らを見る目が厳しかったのだ。
さて。文字通りアズ達の運命を決する扉が開かれた。
彼らの目に飛び込んで来たのは一面の銀世界。
そして我こそが世界の主だと。存在感を誇示する見上げるほどに巨大な多頭多足の竜スキュラが、久々の贄だと謂わんばかりにアズ達を見て咆哮を上げた。
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